ひらいやまほんじん

平井山本陣

兵庫県三木市

別名 : 平井山ノ上付城
旧国名 : 播磨

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①主郭
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昌官忠

(東海&関西)遠征12日目:平井山本陣 (2025/05/26 訪問)

豊地城から車で15分くらいで、登城口前駐車場(34.809790、135.013483)に着きました。
そこから、愛宕社➡太閤道➡主郭➡大手口方面と進み、戻ってきました。
登城口前駐車場から徒歩5分くらいの場所に、竹中半兵衛の墓入口(34.809240、135.010790)があります。

1578年(天正6年)三木城の別所長治が織田氏を離反し毛利氏に付いたため、これを攻略するための付城群の本陣として織田信忠が築き、その後に羽柴秀吉が入ったようです。
なお、1579年(天正7年)に当地で竹中半兵衛が亡くなっています。

主郭の仮設展望台は、ありませんでした。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=野村城へ向かいました。

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羽柴秀吉 (2025/05/08 訪問)

 織田信長と別所長治の間で行われた三木合戦にて織田方が三木城周辺に築いた付城の1つで羽柴秀吉の本陣があったと伝わる場所です。主郭に土塁が残り斜面には雛壇状の曲輪が見られます。堀切などなく駐屯監視機能重視の付城だと思います。主郭にあった仮設展望台は老朽化のため撤去されていました。
 登城路は整備されていて気持ちよく散策できます。近くに竹中半兵衛の墓がありました。

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しんちゃん

ただの兵を置くための陣所にあらず。 (2023/05/28 訪問)

山腹に多数の段状の平坦地群を有する三木城攻めの中心となる羽柴秀吉の陣所です。
土塁はそれほど多くは無く 多数の兵を留め置くための陣城に見えがちですが
意外と守りが固く 別所勢の襲撃を退けており、その際に別所長治の弟 治定が戦死しています。
近くには竹下半兵衛の墓所もあるので合わせて訪問していただきたいです。
最高所まで道が続いてはおりますが途中から直登しなくてはいけません。
大した距離ではないので訪問は自己責任でお願いします。

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ろっし

お城探訪 (2023/03/11 訪問)

駐車場もあり、すぐ登れます。
付城跡なのに遺構も良く残っています

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 羽柴秀吉
築城年 天正6年(1578)
主な城主 羽柴秀吉
遺構 曲輪、土塁、虎口、櫓台、堀切
再建造物 碑、説明板
住所 兵庫県三木市平井字向山、与呂木字見谷他