えばらじょう

荏原城

愛媛県松山市

別名 : 恵原城、会原城、平岡城、柵居城
旧国名 : 伊予

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南側の石碑と説明板
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赤い城

郭内はミカン畑 (2025/12/26 訪問)

皆さんのレポートなどで郭内が果樹園となっていることは承知だったので怪しまれない?この時季に登城しました。
説明板の前のスペースに車を置き土塁上へ。
方形単郭の城で土塁が四方を囲み、その外側に水堀が施されています。

とりあえず土塁上を一周、高さもあります。
この日は四国でも寒い日で、郭内は薄っすらと雪化粧。
郭内を見下ろしながら歩きます。
西側には開口部があり、かつては木橋が架かっていたものと思われます。

土塁上を一周したあとは水堀のほとりを少し歩いて撤収。
鴨がゆったりと浮かんでいました🦆

にのまるさんクイズ、正解でほっとしました。
指月山にも行かれたのですね。
レポートを楽しみにお待ちしてます😊

【見どころ】
 ・郭を囲む土塁

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:荏原城 (2022/07/24 訪問)

松山城からの転戦です。城址内空スペース(33.766319、132.812751)に駐車しました。

築城年代は定かではないようです。 1335年(建武2年)には北朝方の大森氏が南朝方の忽那氏と戦っており、この頃には築かれていたと考えられているようです。
室町時代後期には河野氏の重臣平岡氏の居城で、四国統一に向けて勢力を伸ばす長宗我部氏に対する押さえを担ったようです。
1585年(天正13年)豊臣秀吉による四国征伐では平岡通倚も湯築城に籠もったが、河野氏は降伏し荏原城も落城となったようです。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦では松前城主加藤嘉明が徳川家康に従って留守となっていた隙に、安芸毛利氏の家臣が伊予に上陸して松前城を攻めました。
このとき、平岡通倚の弟平岡直房が毛利氏に味方して荏原城に立て籠もり戦っています。

周囲に高土塁と水堀がよく残っています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=高尾城に向かいます。

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織田晃司

今は果樹園 (2022/05/01 訪問)

となった荏原城。
主郭を土塁で囲み、さらに水堀で囲む。

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平岡氏の方形居館 (2021/01/16 訪問)

松山市荏原町に河野氏の重臣、平岡氏の居館跡が残っている。
ほぼ、正方形の居館である。四方を水堀、その内側に高さ5mにはなろう土塁が巡っている。
南面に土橋があり、外と繋がっている。
館内(土塁の内側)は現在は畑になっているが、南北朝時代の居館跡が、ここまで残っているのは貴重なのではないだろうか…
館内の四方には櫓があったと考えられている。
西南隅には石積みが残っている。
ここから車で10分足らずの所に、新張城跡(遺構はほとんど残ってない)もある。時間があれば、セットで廻り、往時を馳せ偲ぶのも良いのでは…

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 平岡氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、石積、土塁、横堀(水堀)
指定文化財 県史跡(荏原城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛媛県松山市恵原町1109-31
問い合わせ先 松山市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 089-948-6603