えばらじょう

荏原城

愛媛県松山市

別名 : 恵原城、会原城、平岡城、柵居城
旧国名 : 伊予

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高土塁から見た曲輪内部
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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:荏原城 (2022/07/24 訪問)

松山城からの転戦です。城址内空スペース(33.766319、132.812751)に駐車しました。

築城年代は定かではないようです。 1335年(建武2年)には北朝方の大森氏が南朝方の忽那氏と戦っており、この頃には築かれていたと考えられているようです。
室町時代後期には河野氏の重臣平岡氏の居城で、四国統一に向けて勢力を伸ばす長宗我部氏に対する押さえを担ったようです。
1585年(天正13年)豊臣秀吉による四国征伐では平岡通倚も湯築城に籠もったが、河野氏は降伏し荏原城も落城となったようです。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦では松前城主加藤嘉明が徳川家康に従って留守となっていた隙に、安芸毛利氏の家臣が伊予に上陸して松前城を攻めました。
このとき、平岡通倚の弟平岡直房が毛利氏に味方して荏原城に立て籠もり戦っています。

周囲に高土塁と水堀がよく残っています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=高尾城に向かいます。

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織田晃司

今は果樹園 (2022/05/01 訪問)

となった荏原城。
主郭を土塁で囲み、さらに水堀で囲む。

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平岡氏の方形居館 (2021/01/16 訪問)

松山市荏原町に河野氏の重臣、平岡氏の居館跡が残っている。
ほぼ、正方形の居館である。四方を水堀、その内側に高さ5mにはなろう土塁が巡っている。
南面に土橋があり、外と繋がっている。
館内(土塁の内側)は現在は畑になっているが、南北朝時代の居館跡が、ここまで残っているのは貴重なのではないだろうか…
館内の四方には櫓があったと考えられている。
西南隅には石積みが残っている。
ここから車で10分足らずの所に、新張城跡(遺構はほとんど残ってない)もある。時間があれば、セットで廻り、往時を馳せ偲ぶのも良いのでは…

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カズサン

方形単郭の城、土塁、水堀が素晴らしい (2018/06/22 訪問)

 昨年6月下旬今治城、国分山城を終わって小松道、松山道、松山IC経由南下、グウグルマップ写真で拡大して眺めても水堀で四方囲まれた城跡が良く確認できます、よく開発されず残ったものだと感心しましたし保存会の方々の力添えで見やすく歩きやすくして頂けてる事には大感謝です。
 案内は城郭放浪記さんの資料です、導入路は道が細く狭く不安になりますが小型車なら大丈夫、狭い分駐車場が有りません大手土橋の隙間エリアに駐車。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 平岡氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、石積、土塁、横堀(水堀)
指定文化財 県史跡(荏原城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛媛県松山市恵原町1109-31
問い合わせ先 松山市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 089-948-6603