遠見櫓台は吉川広家時代にも本丸の北を守り物見の役目をして居り、近年発掘発見されて登り石垣が内膳丸から遠見櫓台下まで続いて居ます、中村一忠時代に本丸が嵩上げされて、遠見櫓台はそのままの位置に置かれ一段下がった形に成りましたが、役目はそのまま北の守りと監視、登り石垣と内膳丸の北、西側面が良く見渡せます。
遠見櫓台には本丸内の門を潜って水の手郭側から180度バックし本丸北側の石垣城塁下の犬走(断崖です)を進むと遠見櫓台に着きます、西側は樹木が茂り今一眺望はよく有りませんが、登り石垣、内膳丸は良く観えます、ここには二重櫓と物見櫓が在ったそうです。
此処から本丸の北側と大天守台の一部が見えます、本丸の北側裾を降りると大天守台下石垣で番所跡に戻ります。
長々と八編に渡って米子城(二の丸城塁、二の丸枡形、内膳丸登り石垣、番所跡、小天守台、大天守台、本丸と諸御門、遠見櫓台)の投稿を見て頂き有難うございました。
20日夜は定年退職して郷里米子に戻った友と久しぶりの痛飲と談話を4時間程楽しみお互いの元気を確認しました、翌日は既に投稿しましたが、伯耆未踏の城廻りを初投稿の城も有り、天気も良く楽しみました。
拝読頂き感謝いたします。
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