先に投稿した土居庄屋跡を西に少しいくと、写真①の説明板があり、そこから時々現れる道標に従って進んでいきます。最後のT字路を右に行くと行き止まりで、駐車スペースがあります。紫城一番槍の織田晃司さんは、「登城口1歩目からススキの藪漕ぎ。おまけにイバラまで…それを抜けると笹藪。夏の登城は無理な気がする。」と書いておられたので、ゴム引き手袋と剪定ばさみを持参しました。写真③の登城口の表示がポール下方に落ちていてかつ裏を向いてたので、左側の舗装道を上がって行くとか、だいぶうろうろしました。夏場だと進入したくないほど、すすきが密生しており、イバラも混じってました。この時期なので、20mほどのすすき地帯を踏破して、熊笹地帯へ。
城域では、堀切や虎口などの説明札が朽ちつつも頑張っています。「横矢」がよいですなあ。城域は、下草なく、遺構が明瞭です。方形のⅠ郭の南側に方形のⅢ郭、Ⅳ郭。北側に、これも方形のⅡ郭が並んでいます。Ⅱ郭から西に伸びる尾根に堀切があります。北と東は400mあまりの崖です。写真⑨、⑩をご覧下さい。ダム湖が遥か下に見えます。帰りに、すすきの中のイバラを根本の方から切っておきました。
備前における下克上:赤松氏→浦上氏→宇喜多氏に興味を持って、2019年から、関連の城を巡り始めました。そのうち、宇喜多氏の敵役として、三村氏がちょくちょく登場するようになるのですが、備中の兵乱で滅んだことくらいしか取り上げられてなく、本を漁ってたら、地元作家 井瀬さんの「瀬戸の群狼」を見つけました。三村氏は、備中の覇者とされており、関連の備中、美作の城を巡り、その勢いで、今回の紫城をもって、城びと登録の岡山県の城を巡り終えました。この日のルートは、岡山道から高梁市に抜けて、三村氏が最後の拠点にした、備中松山城を遠望し、成羽川を遡って、備中松山城の前の拠点 鶴首城の下を通りと、これまたよかった。
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