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カズサン

【伯耆・大山】紅葉を鍵掛峠から眺望 (2010/11/04 訪問)

 母の三回忌法要を終えて2泊3日で出雲、石見の城廻り及び観光へ12年前の平成22年11月上旬出掛ける途中、大山の紅葉も見頃と大山北壁をバックにブナ林紅葉の絨毯絶景を鍵掛峠より堪能する。
 タイミングが良ければ初冠雪の大山と紅葉を楽しむ事も出来ますが今回冠雪は有りませんが、青空と大山北壁、ブナの紅葉を下に見て、いつもながらの絶景を家内と楽しむ事が出来ました、鍵掛峠の駐車場はこの時期大変混みますので朝早く出掛けました。

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やま

愛知県の城郭散策 (2022/01/12 訪問)

田原市は仕事で何度も訪問していましたが田原城の存在は知らず、この度初めての登城。二の丸跡にある田原市博物館の無料駐車場に車を停め、博物館にて無料パンフを入手。城址南には復興桜門や水堀となる袖池、柝池、石垣跡があり、本丸は巴江神社となっていましたが、本丸南には巨大な空堀跡や、本丸に残る土塁等、櫓や城門などの復元を交えながら整備され、厳かな雰囲気のある良い城址だと感じました。小規模ですがこれは隠れた名城です。

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にのまる

36見附めぐり㉛~半蔵門~

最寄り駅は半蔵門線の半蔵門駅です。
半蔵濠と桜田濠の間で土橋も立派ですが、お堀沿いの土塁(鉢巻/腰巻石垣)が見事です。
半蔵門の奥はやんごとなきお方のお住まいなので一般人は立ち入りできませんが、土塁を眺めていると横移動も縦移動も無理っぽく、現役の城、江戸城を実感します。
土橋の先に見える高麗門は和田倉門(㉟で投稿予定)からの移設だそうです。
写真⑩の石碑は桜田門の方へ進むとあります。

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赤い城

正円寺より低いところに本丸が。 (2022/02/26 訪問)

正円寺に駐車場があります。
お寺一帯が城域となります。
駐車場より下の位置に本丸があります。
案内板が立っていて曲輪とその間の深い堀があります。
手が入った感じですが堀は深くて広いです。
本丸南側に登城口があり、虎口のようです。
二郭の東側は岩盤の崖になっていました。
人の手も入っているのでしょうか。
正円寺の背後にも堀が残っていました。
別名は深沢城で地元ではこちらの名で通っているようで説明板にも深沢城と記載されていました。
阿久沢氏の居城と言われ、戦国期には北条氏か由良氏によって改修されたと言われています。

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小城小次郎

移築建築物が意外とたくさんある (2021/10/30 訪問)

お城らしい遺構のほとんどがスーパー堤防に飲み込まれたお城だが、移築建造物ははるか栃木県に移設された大手門を含め意外なくらいたくさん残っている。関宿町内にも御殿と門があるし、逆井城にも実は移築されている。

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北風の又三郎

日本最古の木造復元天守!! (2022/02/27 訪問)

郡上節で有名な郡上市の郡上八幡城に行きました😆 

車で上る場合、道が細いので気をつけてください(城下町も)。石垣は野面積みでした。天守閣あたりの石垣は、一度積み直されているようですが、他の場所では自然なままの石垣を見ることができます。天守閣は、模擬ですが、90年くらい前の木造の天守閣なので結構古いです。あと50年ぐらい経てば、価値のあるものになるかもしれません😁結構ギシギシなってました。ちなみに関ヶ原の戦いの後、この城は東軍対東軍というダラダラの争奪戦になったそうです。

雪があって綺麗な写真が撮れるかと思いましたが、溶けてしまっていて、正面側は全くありませんでした。

今度は、周りの篠脇城や赤谷山城に長良川鉄道に乗って行きたいです。道が細い城下町にも歴史を感じます。
#木造模擬天守 #野面積みの石垣 #長良川鉄道 #道が細い #石垣 #続日本100名城

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カズサン

圧巻竹田城石垣番外編 (2010/11/02 訪問)

 先に投稿したつづきです。
 百枚近く撮影して先に拾枚に絞りましたが捨てがたい写真を拾枚選び投稿させて頂きます。

 竹田城は豊臣政権下赤松広秀が天正13年(1585年)城主となり今日の姿に豊臣政権と共に改修完成させたと言われて居り以来約400年石垣の美しい姿を現在の人々に知らしめています、しかし400年保全は大変厳しく昭和46年から55年に掛けて修復工事が穴太衆の手により往時の野面積石垣が復元しました。
 修復復元後映画天と地とのオープンセットで天守閣、櫓、門が出現、TV戦国物ドラマでも活用されています、私が訪ねた12年間の平成22年11月上旬は年間の訪問者は2万人程度、朝霧に包まれた竹田城が天空の城、日本のマチュピチュとはやされ有名になってからは年間60万人、80万人と登城者が増えました、良い事ですが人が増えると事故とか遺跡の破壊が進み、ガイドロープが出来たり指定路以外は入り込めず、駐車場の制限、登城料金の徴収、季節により登城時間制限、冬場の登城禁止とか制限が付き保全管理が成されて居ます。
 いつまでも守っていきたい圧巻の日本一美しい山城です。今日この姿を見れる事に感謝です❣

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tsuchinari

一番好きなお城! (2022/02/13 訪問)

まだ寒さが厳しい2月に久しぶりの登城。
ふいご峠から徒歩で10分ほどで山頂の城郭にたどり着く。山城としては比較的楽に登れるお城である。
備中松山城にはたくさんの魅力があるが、一番は大手門跡の自然の岩盤とその上に作られた石垣群。自然と建造物のコラボがおりなす壮大な迫力と美しさは、他に類を見ない。
幾多の戦によって歴史の表舞台になった戦国時代。
山頂に城郭がたつ臥牛山の麓に政庁が作られた江戸時代。
そして明治の廃城令によって朽ち果てた天守は、地元の方達の尽力で復活し、現在に至る。
備中松山城は今も尚、歴史絵巻の中にある名城であることを体感できた。

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モト

見応えある石垣の出現に感動 (2019/10/01 訪問)

城跡はちょっとした小高い山の上にあります。
入り口から登っていきますとそこまで時間がかからずに主郭に到着します。
登って行く途中に岩の間に祠のような物があります。
どのくらいで遺構が出てくるのかな、なんて考えていた所で石垣が登場!
その見事な石垣を見た瞬間に思わず声がでてしまいました。
現れた石垣を色々な角度から眺めてしまいました。
平石小口積という石垣ですが近辺はこの石垣が多いように思います。
主郭にも所々石垣があり、もう大興奮でございました。

長野県の中ではかなりおすすめの城跡だと思います。
皆さま、ぜひぜひ行って見てください。

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えるどらど

伊賀鉄道忍者列車で行ってきました (2022/02/26 訪問)

高石垣は流石の藤堂高虎様。
そして1612年に倒壊した後再建されなかった天守閣を1935年に私財を投げ打ち再建された川崎克という方の業績を知ることができる興味深い場所でした。
松本零士さんの絵でラッピングされた忍者列車の車内は「みえのき」で装飾されていて、拘りを感じます。どうか廃線になりませんように。

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カズサン

圧巻竹田城を妻と訪ねました (2010/11/02 訪問)

 母の三回忌法要の前日、故郷鳥取へ帰省途中、舞鶴若狭道、北近畿道経由して12年前の平成22年11月上旬に竹田城を探訪しました。
 車は山腹の専用駐車場を利用.。(当時は駐車可能でした)

 専用駐車場から以前は車通行可能だった道を北千畳下の登城口まで歩き、登城階段を見付櫓台下を通って大手桝形虎口から北千畳へ、石垣の素晴らしさに興奮状態、写真を撮りまくり、北千畳、三の丸桝形虎口、三の丸、二の丸弐の門跡、二の丸、本丸天守台が目前に、本丸に入り、天守台へ天守台には質素な梯子を登って行くが梯子が不安定、(現在は手摺の付いた階段が設置されてる様です)、天守台からの眺望に感激、圧巻の絶景です。
 北千畳方向二ノ丸、三の丸、北千畳を俯瞰、南千畳方向南二の丸、南千畳を俯瞰、花屋敷方向を俯瞰、天守台の横階段を降りて天守台、本丸を眺める、南二の丸へ、振り返って本丸天守台の石垣群を眺める素晴らしい重量感です、南千畳、南千畳より眺望を楽しみ、振り返って南二の丸石塁越しに主郭石垣群を写真撮影、本丸下の花屋敷へ降りる、土塀、多聞櫓跡の石垣台が三方を囲ってる、本丸石垣の眺めも素晴らしい。
 当時はガードロープ、指定道も無く天端石垣まで踏み込み観察探訪が出来ました、懐かしい貴重な写真です。
 妻も良く付き合った呉れました。

 鳥取への往路は国道9号線、高速の無かった頃は京都より9号線を通って子供たちも一緒に帰省した道で懐かしい思い出も詰まってる山陰道9号線を走りました。

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小城小次郎

かつては中世的景観が広がっていたことだろう (2021/10/30 訪問)

古河公方被官の野田氏のお城だったが後北条氏に席捲された後は兵站基地として使われたらしい。お城と軸線が揃い南北に神社を擁する道路が今も残り、かつて町屋が広がり中世的景観が広がっていたことを髣髴とさせる。

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赤い城

主郭だと思ってたら違った (2022/02/26 訪問)

国道122号線に小さな案内板があり、ここを登って行くと案内板があります。
3ヶ所の登り口までの距離も書いてあります。
ここの広くなったスペースに駐車し高橋口まで歩くことにしました。
高橋口から登って行くと結構急峻、倒木もあり消耗します。
リボンも付いているので迷うことは無いと思います。
かなり登ると開けたガードレールの付いた場所があり、説明板も立っています。
ここが駐車場のようですが車でここまで来るのには勇気が必要かと。
さらに登ると東屋がある曲輪に到達します。
石碑や祠もあるのでてっきり主郭かと思ってました。
眺めは良いです。
富士山もてっぺんだけですが望めます。
帰って調べると主郭ではないと。
さらに進むと尾根上に堀切があり、また登っていった先がどうやら主郭だったようです。
中山峠へ続く尾根の先には土塁がありました。
引き返し関守口へ伸びる尾根を探しましたが主郭を間違ってたのでたどり着けず。断念しました。
事前の下調べが重要と再認識しました。
北条氏が築いた城ですが上杉氏や由良氏との争奪戦もあった城です。

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小城小次郎

スケール感までは破壊されていない (2021/10/24 訪問)

宗教施設だが受付を通れば見学可能エリア内には快く通してくれる。いろいろあって爆破されたのは紛れもない事実だが、このお城がもともと持っていたスケール感までは破壊されていない。今でもいい城だと思う。

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朝田 辰兵衛

江戸東京博物館(東京都墨田区) (2022/02/13 訪問)

にのまるさんが紹介してくださった『徳川一門ー将軍家をささえたひとびとー』を鑑賞しに行ってきました。想像を超えるクオリティでした。江戸の町を再現しているとは…。しかも,フラッシュ撮影可能エリアが多いこと,多いこと。3月6日(日)までの会期なので,お見逃しなく!

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ぴーかる

御着城 (2022/02/11 訪問)

【御着城】
<駐車場他>市役所出張所駐車場
<交通手段>車

<感想>御着城は赤松氏一門の宇野氏の庶流小寺氏、1519年に小寺政隆が築城したといわれています。山陽道の街道や町を取り込んだ惣構えの平城だったようです。御着城が小寺氏の本城として姫路城は支城とし黒田氏を城代として守らせました。3代目の政職の代になり家老の小寺孝隆(黒田孝高)の進言を最後は無視して別所氏の謀反に同調して離反、逃亡する。城は接収され廃城となったようです。
 現在は本丸跡には市役所の出張所となり北側に天川橋という復元橋の下が堀跡、二の丸跡はグランドで北側に土塁が残っています。また本丸跡西側に黒田家廟所があります。

<満足度>◆◇◇

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トク

「がばい藩主」鍋島直正 (2022/02/27 訪問)

佐賀城は、龍造寺氏の村中城が前身の輪郭悌郭複合式平城です。幾重にも巡らされた堀と土塁に松の木が植えられ。一見沈んだように見える城(沈み城)と呼ばれてきました。
戦国大名の龍造寺隆信が沖田畷の戦いで死去してから、家老の鍋島直茂が実質上実権を握り、江戸時代に入り直茂が藩主となる事を幕府より認められ、1602年村中城の改修を開始し1611年に完成、佐賀城と名を改めと同時に初代藩主を子の勝茂に譲ります。

江戸中期になり、2度による大火で天守・本丸御殿(1726年)、二の丸御殿(1835年)は焼失。1838年10代鍋島直正は本丸御殿を再建し、併せて鯱の門を造ります(この門が現存)。

明治に入り1874年、江藤新平を中心とする明治新政府に不満を持つ士族が反乱を起こし(佐賀の乱)、鯱の門にはこの時の弾痕跡が今でも生々しく残っています。

現在、直正期の本丸御殿が再現され、内部は佐賀城本丸歴史館になっています。無料で入館でき佐賀城と佐賀藩の歴史が実によくまとめられていますので見学される事をぜひオススメします。

[佐賀城へのアクセス]:JR佐賀駅から佐賀市営バス佐賀城行(鯱の門の前が終点)。


【ここからはまた余談ですが】
鍋島直正は、フェートン号事件による藩の失態に学び、海防の重要性を説き、長崎警固役の役職を通じて、諸外国の情報や技術を積極的に収集。一方で藩校弘道館を作り人材を育成、その人材を登用し財政が窮地に陥った藩の藩政改革と近代化を行いました(大隈重信、江藤新平はこの弘道館の出身)。そして、反射炉や海軍所を作り幕府に技術供用する事で信頼を得ていきました。特にこの反射炉で、日本で初めて国産の大砲50門が造られ、日本各地の台場に送られていきました。佐賀城を訪問して直正とその藩士の偉業を初めて知り、佐賀の人は、まっこと「がばい」と思いました。(ちなみに島田洋七は佐賀城内の小学校の卒業生だそうです(笑))。

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ばばよ

ふつうの公園 (2022/02/23 訪問)

葛西城址公園はびっくりするほど普通の公園。
名前がこれでないと全くわからない。
環七向こうの御殿山公園に案内板があり、公園としてもまだ雰囲気はある(遺構はない)。

●アクセス
京成青砥駅から徒歩15分
または
常磐線亀有駅から徒歩25分
 または亀有駅からバス

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー51城目 (2022/01/06 訪問)

青春18きっぷでアプローチしたので昼頃の到着となりました。あいにくの雨天の中、無事、続100名城のスタンプをゲット。天守門の写真はずいぶんと撮影しやすくなっていました。天守内の展示がリニューアルされており、本丸南広場も整備されていて新しい説明板が立ち並んでいました。

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カズサン

整備修復が進み見易く成ってます (2022/02/24 訪問)

 県を越えての移動が自粛中の武漢コロナウイルスオミクロン株感染禍中で静岡県城びと登録未踏の庵原山城、間門城探訪終えて、帰路静岡市清水区に在る小島陣屋を十数年振り探訪しました。
 車は前回と同じく龍津禅寺の駐車場を利用、参拝も忘れなく。
 駐車場は小島陣屋北側の裏門跡辺りの道が広く成ってる山側に2~3台縦列駐車可能、ごみ収集場横。
 駐車場は小島町自治会館、JAしみずきょうみ店が可能(ここは小島陣屋御殿書院の資料館の近くです)。その手前のウエルシアドラッグストアも可能かも?

 南東の大手枡形虎口より入る、手前で檻に入った大型犬に吠えれれますがそのまま進み、案内板と資料箱、桝形虎口の手前に白梅が満開、虎口大手東側の登り石垣は素晴らしい、見所の一つ、順路板が有り南下より西に進み最上段の石垣石塁が素晴らしい、各曲輪は以前畑に成って居ましたが、今回見た所、畑の耕作は無くなり曲輪状態に草は枯れて又刈られ大変見学探訪し易い状態、上段の石垣は修復中ですがほぼ完成してる、工事看板は期限R4年3月18日と成って居ました。以前より良く整備保存されています。
 井戸跡、稲荷跡の多段石垣曲輪、裏門跡、大手門跡、最上段の郭跡より枡形虎口、南、西の渓流筋を眺める、東側の高い多段6段石垣を見下ろす、登城前に住宅街の隙間から見上げる、相当の高さが有ります。
 酒瓶神社の藩主寄進の鳥居を眺めて、国道52号線沿いの旧小島陣屋御殿書院、現資料館を表より撮影見学、ちょっと古いですがトイレも有ります。
 国道52号線身延街道(トラック、ダンプ走行の風で煽られますチョット危険)を南に龍津禅寺駐車場へ、龍津禅寺には藩主正信公の墓石が有るそうですが参拝して居ません。

 

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