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POYO58

福井旅行城巡りpart2 一乗谷城 続き

さてやっぱり一乗谷城といえば唐門。一乗谷城の唐門は秀吉が朝倉家の弔いのために建てたもので現在あるのは江戸時代に造られたものです。残念ながら朝倉家のものでは無いのですが、復元と思っていた僕は、江戸時代から残っていると知り、おどろきました。唐門をくぐると礎石が並んでいます。石碑には井戸跡や台所と書いてあり、ここで朝倉家は暮らしていたのではないかと思いました。また朝倉家のお墓もありました。朝倉義景の墓は越前市にもあるのですが、朝倉義景は一乗谷城で自害に追い込まれたとされています。そこで手を合わせて一乗谷城を出ました。一乗谷城はもちろん山城なので、山の方に竪堀などの遺構が残っているようですが、その日は運悪く大雨だったため断念しました。その後、武家屋敷に行きました。受付で御城印買って、スタンプも押しました。武家屋敷は復元ですが、発掘調査に基づいて復元されているため、当時のものと大差はないそうです。また礎石もしっかりと残っているので、遺構状態は良好でした。この城は明智光秀の運命を変えた城でもあります。歴史上とても重要な場所なので、城に興味がない人も行く価値はあると思いました。

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朝田 辰兵衛

忘れ石の存在がとても印象的。 (2020/09/20 訪問)

内膳丸〜遠見櫓間の登り石垣は,山枯れ時季にその存在感を示すのかな…と思いました。登城道は,比較的登りやすかったです(あくまでも主観です)。忘れ石の存在がとても印象的でした。

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火ノ島豊後守正宗

小机城 (2022/09/05 訪問)

続68城目。
JR小机駅から住宅地を抜けて徒歩10分程度で到着。
ちょっとした城址公園でした。竹林の並木道が風情があります。
城内は迷路でした。出口が分からず何度も道に迷いました。
スタンプは駅の近くの小机地区センターで押せます。
ちなみに車で行く方は要注意です。住宅街なので道は狭く駐車場も探すのに苦労するでしょう。

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ぴーかる

金森城 (2022/09/04 訪問)

【金ヶ森城】
<駐車場他>駐車場はなし。金森霊園の前に暫し停めさせてもらった。
<交通手段>車

<感想>日帰り東近江ちょこ城巡りの旅1城目。滋賀県守山市金森の地は14世紀頃までに支配していた川那辺氏が浄土真宗(一向宗)に帰依し道場を開くようになります。現地石板碑によると、道西坊善従(川那辺矩厚)の時代(1399ー1488)には水濠をめぐらす寺内町が形成されて寺内町の初期形態があったといわれています。戦国の世には土塁・濠をめぐらす金森城として石山本願寺を攻める織田信長軍を牽制したとあります。
 戦国武将の金森長近(はじめ大畑可近)は美濃国の出生だが父の大畑定近が土岐氏の後継者争いに敗れてここに移住します。金森長近も18歳までここで暮らし織田信秀に仕官します。次代の信長にもそのまま仕えて立身したというわけです。
 現地は城びとポイントの金森御坊は非公開で門が開かれていません。Googleマップの善立寺の南側の金森城跡に石碑があります。

<満足度>◆◇◇

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火ノ島豊後守正宗

興国寺城 (2022/09/04 訪問)

続67城目。
JR原駅より徒歩30分かけて苦労して登城しました。
スタンプは奥の神社の横にありました。
無人でありワイヤーで固定されていなかったのでちょっと不用心な気がします。
城内は・・・・はっきり言って空き地です・・・・

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火ノ島豊後守正宗

石垣山城 (2022/09/04 訪問)

続66城目。
JR小田原駅前より観光バスに乗ってやってきました。
休日オンリーで観光バスが出ていますので、公共交通機関を使う方は
休日に行くことをお勧めします。
小田原城を見渡せるところにあるので景観は大変すばらしかったです。
スタンプは駐車場内のトイレの近くにありました。

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火ノ島豊後守正宗

小田原城 (2022/09/04 訪問)

正69城目。
JR小田原駅より徒歩10分程度で入口に到着。
城は駅からでも見えますが、入口がちょっと分かりにくかったです。
城内は聞いていた通り結構広かったです。
スタンプは天守閣内にていただけます。

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火ノ島豊後守正宗

山中城 (2022/09/03 訪問)

正68城目。
JR三島駅前より観光バスに乗って20分程度で到着。
みしまる切符という1日フリーパス券を購入することをお勧めします。
この城はとても良く整備されており山城でありながら大変歩きやすかったです。
スタンプはバス停前の休憩所にていただけます。

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火ノ島豊後守正宗

駿府城 (2022/09/03 訪問)

正67城目。
JR静岡駅より徒歩20分程度で到着。
ちょっとした城址公園です。
休日ということもありましたが、かなり人が多かったです。
スタンプは東御門の券買所にていただきました。

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火ノ島豊後守正宗

高天神城 (2022/09/03 訪問)

続65城目。
掛川駅前よりバスで30分程度で下車。
そこから徒歩20分程度で入口に到着。本丸へは10分程度で行けます。
昨日と違って本日は晴天に恵まれました。そのお陰でとても暑かったです。
スタンプは掛川駅内の案内所にていただきました。

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火ノ島豊後守正宗

掛川城 (2022/09/02 訪問)

正66城目。
JR掛川駅より徒歩10分程度で到着。
アクセスは楽なほうでしょう。
ちょうど天守閣が工事中で城内をあまり散策できなかったのが残念でした。
スタンプは二の丸御殿にて。
このすぐ後にメチャクチャ雨が降ってきました。早めに切り上げて良かったです。

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火ノ島豊後守正宗

諏訪原城 (2022/09/02 訪問)

続64城目。
JR金谷駅より徒歩20分程度かけてやってきました。
山道ではなくアスファルトの急坂道をひたすら上って登城しました。
当日は天気が悪かったですが頑張って到着しました。
スタンプは諏訪原城ビジターセンターにて。

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鳥取城出城を秀吉軍が接収して包囲網に (2022/09/04 訪問)

鳥取城周辺を「お城を探す」で見ていると、丸山城が未投稿であるのを発見。鳥取城をしっかり散策するのと併せて登城。
鳥取城は、花崗岩の切り立った山塊の上にあり、花崗岩の尾根は、比高を下げながら北西に伸びて、一旦地面下に埋まって、その先で独立丘=丸山城として現れます。丸山城は、1枚目の写真に掲載したように名前通り丸っこい山体です。頂部には、硬い玄武岩が被さっており、このために頂部が平で、斜面が急な丸っこい形になったものと思われます。登城道はつづら折れになってますが、それでもとても急で、ロープを張ってある箇所もありました。この急斜面だけで守れそうですが、秀吉軍に接収されて、鳥取城包囲網に使われたのですなあ。
廃寺となった遺構があるとのことでしたが、倒壊した鐘撞楼はそんなに古くない時代のものに見えました。まだ生々しい。

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小荷駄

黒田代官屋敷 (2022/08/27 訪問)

相方の用事が終わるまでの時間はまだ大分あり高田屋敷跡からすぐのここに来ました。移動時間は10分しなかったと思います。屋敷の反対側に大きな駐車場綺麗なトイレがあります。現在も末裔の方が生活をなさっています。ちょうどいらしたので声をかけてなかを見学してからぐるりと外側を一回りしました。資料館もあります。皆様の書き込みにて現当主様が生活しているのを確認していましたが実際にお会いしてみるとやはり少し驚きました。

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小荷駄

出直します。 (2022/08/27 訪問)

相方の用事のため菊川に来ました。ただ待つのもと思い近くのお城と思い来ましたがヤッパリボーボーでした。また出直します。駐車場トイレはないです。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ14日目:鷹巣城 (2022/08/02 訪問)

朝倉山城からの転戦です。林道入口(36.111898、136.106542)から進入し終点に駐車場があります。
登り口右側に髙山鉄五郎碑(城址碑建立の資金集めの途中、川に転落死した同氏の供養碑)があります。

南北朝時代、新田義貞の四天王の一人畑六郎左衛門時能(ときよし)が足利方の大軍と戦った城だそうです。
1338年(暦応元年)に総大将新田義貞の戦死、翌1339年(暦応2年)には後醍醐天皇の崩御と大きな痛手を受けた南朝方の城は、北国において鷹巣城だけとなりました。
畑六郎左衛門時能は1年以上、鷹巣城に立て籠もりますが、1341年(暦応4年)城を脱出、勝山の伊地知山を目指したものの奮戦の末同地で戦死、程なく鷹巣城も落城しました。

遊歩道を登ると頂上手前に竪堀があり、その先に説明板があります。
主郭は広く、中央に「鷹巣城址」の石碑や祠、方位板があります。
歩行距離を短くする為、林道を車で走りましたが悪路です。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=小黒丸城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ14日目:朝倉山城 (2022/08/02 訪問)

丸岡藩砲台からの転戦です。朝倉山登山用駐車場(36.144528、136.106882)に駐車して、すぐ近くの日吉神社前空スペース(36.144500、136.106402)から登城しました。主郭まで800mくらいあります。

詳細は不明のようで、城主は朝倉玄蕃助景連と伝えられています。また天正年間(1573年〜1592年)に朝倉氏が滅亡後、一向一揆が城を構えたとも云われています。

浜別所町バス停東に「朝倉山登口」の石碑があり、林道を進んでいくと、左に登り口があり、そこから遊歩道を登ってゆくと、無線鉄塔前に出ます。
2郭に鉄塔が建てられ、西側の最高所が主郭で展望台があります。
主郭南西側の腰曲輪の南側に堀切と土塁があります。
攻城時間は55分くらいでした。次の攻城先=鷹巣城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ14日目:丸岡藩砲台(梶台場) (2022/08/02 訪問)

堀江館からの転戦です。砲台跡駐車場入口(36.251413、136.154077)から進入して駐車しました。

1852年(嘉永5年)丸岡藩によって築かれました。 台場の設計は高島秋帆の門人で丸岡藩の砲術家栗原源左衛門によって行われたそうです。

北の海岸に下ってゆくと、砲台跡の弧状の石垣を備えた土塁があり、5門の大砲が置ける開口部がありました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=朝倉山城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ14日目:堀江館(番田堀江館) (2022/08/02 訪問)

吉崎御坊からの転戦です。県道109号線沿空スペース(36.211196、136.203928)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、堀江氏によって長禄年間(1457~60年)築かれたと云われています。
堀江氏は鎮守府将軍藤原利仁の後裔で、齋藤氏の流れを汲み、利仁より九世の孫實嗣のときに越前国坂井郡堀江郷より、堀江を名乗ったと云われています。
当初は番田に館を構え、細呂木郷・本庄郷・荒居郷に広く公文職を有した有力な勢力でしたが、長禄年間に越前守護の斯波氏と守護代甲斐氏・朝倉氏との内紛で守護方に味方して敗北し、衰退すると朝倉氏に従いました。
1506年(永正3年)加賀一向一揆宗徒との九頭竜川の合戦には堀江景実が参陣しています。その後、堀江氏は本拠を一向一揆に対応するために番田から下番に館を移したと云われ、それがこの下番の堀江館です。
1567年(永禄10年)堀江氏が秘かに一向一揆と結んで朝倉氏に背くとの風説が広まり、これを聞いた朝倉義景は魚住備後守景固と山崎長門守吉家を大将として堀江氏を攻めさせます。
このとき朝倉方は溝江館に本陣を置いて堀江景忠父子を攻めたが、堀江氏も巧みな戦術でこれを撃退し、最終的に和議となって堀江父子は堀江館を出て能登国熊木へ隠棲しました。
朝倉氏が織田信長に敗れて滅ぶと、1575年(天正3年)堀江藤秀(景忠を改名)は加賀一向一揆とともに越前に舞い戻り、溝江館の溝江氏を攻めて滅ぼすと、秘かに織田氏に通じて海神城主となり、名を岡部に改めました。
織田信長は藤秀の戦功を賞して、息子の利茂に加賀大聖寺の所領を与えましたが、藤秀は恩賞に不満をもっていたらしく、それが信長の耳に入り翌年に誅殺されたそうです。

番田の堀江館は番田駅の南東一帯に築かれていたそうですが、現在は遺構はなく道路脇に「堀江公番田館跡」の石碑などが建っているのみです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=丸岡藩砲台に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ14日目:吉崎御坊 (2022/08/02 訪問)

大聖寺城からの転戦です。吉崎御山公園駐車場(36.286909、136.251767)に駐車しました。

1471年(文明3年)本願寺蓮如によって開かれました。 比叡山延暦寺など迫害から逃れた蓮如が北陸の布教の拠点として開山したのが吉崎御坊です。
開山以後、各地から信者が集まり急速に寺町が形成されましたが、加賀国守護冨樫政親と一向門徒が対立することとなって、1476年(文明7年)蓮如は吉崎御坊をあとにしました。
1506年(永正3年)越前国の一向一揆は越前国守護朝倉氏によって加賀国へ追われ、吉崎御坊は廃寺となりました。

公園として整備されていますが、攻城した時は公園が工事中で中に入れませんでした。
東本願寺の宝物館のある石垣の上に建つ望楼を伴った三層の建物があるそうですが行っていません。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=堀江館に向かいます。

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