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カズサン

威厳威圧の本丸千人殺し石垣 (2009/06/12 訪問)

 延岡城は二の丸から本丸へ登る22mの高石垣が千人殺し石垣として有名な近世城郭です。 13年前の平成21年6月中旬、府内城を終えて列車で延岡駅、2日間のレンタカーで先ず延岡城へ、延岡市役所で延岡城の情報、資料の入手のため寄る。
 車は市役所に近い南東口冠木門の在る駐車場を利用。
 
 探訪ルートは、冠木門の在る南東口より入る、三階櫓台、本丸二階櫓門跡、本丸、天守台、天守台虎口確認、天守台に天守閣は建てられなかった、三階櫓が天守代わり、本丸から二の丸へ、本丸千人殺し高石垣を確認、圧倒的な高さ恐ろしさに感服、二の丸の西城塁、櫓台も確認、戻って車で西に2~300m程の所に在る西の丸跡、内藤記念館を訪ねる、東前に専用駐車場在り、西の丸は石垣城塁で護られ高麗門から入る、門からは延岡城二の丸石垣城塁が良く見える、記念館には延岡城の立体模型、三階櫓模型、二階櫓模型が展示、延岡城絵図、資料が展示されてる。

 延岡城探訪後はレンタカーで国道を走行し高鍋町国道沿いのビジネスホテルに泊まる、食事はホテル付属の焼き肉レストラン、近くにネオン無し。

 

 歴史は秀吉九州平定後軍功のあった高橋元種を5万石で豊前から移封し慶長8年(1603年)延岡城を完成、慶長18年81613年)津和野城主の身内である罪人をかくまったとの咎で改易、後は有馬氏、三浦氏、牧野氏と代わり、延享4年(1747年)内藤氏が磐城平より7万石で入封し後継承して明治を迎える。

 

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カルビン

地形的には理に適っている? (2014/04/21 訪問)

個人的にではありますが、通勤の際に電車の車窓からちら見出来る普済寺。
ここが立川氏館跡になります。

川を挟んで一段高い地形の端にあるので、ちょっとした崖端城のような感じなので、お城・居館の立地条件としては理に適っていると言えるのでは?

立川市街地なので遺構は無くなっていても不思議ではありませんが、幸いな事に境内に土塁が残されております。

立川駅からはそれなりに歩きますが・・・と言っても1.5kmくらいなので、お城ファンの方ならどうって事ない距離かと。
(モノレール・柴崎体育館駅からだともう少し距離短くなりますが・・・そんなに変わらないので)


東京都のお城関係って開発されてしまって遺構が無くなったり削られて残った規模がわずかな場所多いですが、そのかわり解説や石碑等が設置されている事が多く、結構数散策出来るのが有りがたいですな~

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けむん

栃尾城 (2022/05/04 訪問)

駐車場から本丸までは、すぐに着きます。今回は、とりあえず、本丸、二の丸まで。他の郭は次回回しですね。こんな城で、多くの登城者に会ったのは驚きでした。ブームですね。

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けむん

比高が高い (2022/05/04 訪問)

坂戸城、直江兼続公伝承館、雲洞庵訪問。ハイカーに人気の山でした。比高の高さに驚きました。

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織田晃司

遺構なし (2022/05/02 訪問)

仁尾城跡に覚城院という寺院が建ち、仁尾城跡碑があるのみ

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ぴーかる

【城と生き物】

イノシシ君:マジでヤバい( ;∀;)

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ぴーかる

【究極の1枚】

落ちたらヤバい!(>_<)

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ぴーかる

長松城 (2022/04/09 訪問)

【長松城】
<駐車場他>JAにしみの荒崎支店に駐車させてもらいました。
<交通手段>車

<感想>長松城は竹中半兵衛の従弟か甥にあたる竹中重利が3000石を分地され築きました。半兵衛死去後は重利は秀吉の直臣となり豊後高田13000石の大名となり長松城は武光忠棟5000石で引き継がれるが武光忠棟は関ケ原で西軍に付いたため城を捨て戦後廃城となります。
現在は小学校の正門左側に石碑と説明板があるのみです。

<満足度>◆◇◇

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ホリタカ

密回避の貼り紙が秀逸 (2022/05/03 訪問)

郷土博物館にある密回避の貼り紙がとてもシュールです

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赤い城

八幡塚は柵越しに (2022/04/29 訪問)

京急の六郷土手駅から徒歩で約7分。
六郷神社が建つ辺りが砦跡です。
六郷神社は源頼朝が奥州遠征の際に梶原景時に造営を命じたとされ、鳥居前に梶原景時が寄進したと伝わる神橋があります。また、境内には源頼朝が寄進したと伝わる手水石もありました。
この砦は武田信玄の進軍に対して行方氏が築いたとされます。
社殿と隣接する幼稚園の間に八幡塚がありますが柵で囲まれ立入禁止。
園児の通路にもなっていることから何かあったら大変、と宮司さんの意向でそうなっているそうです。
安全第一ですね。
但し、この塚が砦の遺構かどうかは定かではありません。
今では子供達を守る砦なのでしょうか。

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恵美丸

ラクに登城 (2022/05/05 訪問)

武田信玄の父、信虎さんが築城。低山だから歩きやすいです。

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朝田 辰兵衛

【究極の1枚】城ふぉとコンテスト📷 (2021/08/21 訪問)

逆さ3シャチで。
時々,新発田城への移動で苦労されている方をお見受けします。
新潟市中心部からの移動だと,新潟交通の路線バスが有効です。ほぼほぼ60分に1本の割合で運行しています。
系統番号は,E46。最寄りのバス停は「神明前(しんめいまえ)」。料金は660円(全国交通系IC可)。
降車すると近くに交番と信号のある交差点があります。交番の反対側の道をまっすぐ突き当たりまで。すると,左手にセブンイレブンがあります。ここを右へ進みます。しばらく歩くと3シャチとトイレが現れます。ところどころに城下の風情があるので,所要時間はさまざまだと思いますが,徒歩約15~30分かな…。
新潟市中心部からの始発は,万代シティのバスセンター1番線になります。新潟駅前(万代口)のバスターミナルでは,11番線。明石1丁目(新潟中央郵便局前)では,一番進行方向寄りのバス停になります。バス乗車時間は,約60分。
方向音痴に自信のある方は,参考になさってください。

なお,新潟市中心部からは,鉄道よりも高速バスが充実しています。高田や会津若松や仙台などはおすすめです。鉄道だとVの字を書いての移動,しかも乗り換えとなります。これは,ひとえに田中角栄元首相の高速道路網整備の恩恵と言えます。

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織田晃司

阿波の二重堀 (2022/05/02 訪問)

二重堀が特長の重清城。
時季柄のため草ボーボーでしたが、それでもハッキリわかる二重堀。

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織田晃司

恋人の聖地 (2022/05/02 訪問)

城山の頂上にはキラキラドームがあり、青色発光ダイオード製造の町をPR。

そして同じく城山に建つ牛岐城趾館の中に発掘された牛岐城石垣が保管・展示されている。

牛岐城趾公館は鍵が掛かっている事が多く、見学するには牛岐城趾公園管理事務所に申請が必要。(10:00〜18:00 月曜休館)

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織田晃司

整備はじめました (2022/05/02 訪問)

先人様の投稿以降整備が進み登城しやすくなってます。
海部小学校の生徒さんが作成したと思われるひらがなの多い案内板もほっこりします。

惜しむらくは登城しやすくするため搦手側の鋭い切通道が破壊されてしまった事です。

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朝田 辰兵衛

【城と生き物】城ふぉとコンテスト📷 (2022/04/30 訪問)

あれっ?!
動かなくなった…。

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いんげん丸虫

柳沢館 山形県川西町 (2022/05/02 訪問)

館といっても ”かん” ではなく ”たて” です。東北地方では山城でも ”館” と
呼ぶ城跡が多いですね。どういった規定なのでしょうか??
この柳沢館も標高335mの山城です。築城者など詳細不明です。
主郭の45mx20mの周りに腰曲輪が数段あり全周に横堀が周ってます。
複雑な虎口や3重となる横堀など遺構はとても良く残ってますね。
東泉寺から薬師堂まで行き、その裏山を登ります。藪が凄いので5月がギリギリ
だと思います。11月の雪が降る直前が良いでしょうね。

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カズサン

【城と生き物】 (2009/06/12 訪問)

 府内城西丸南西隅櫓下の犬走りにサギ(鷺)が留まって警戒中

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うわさの階段 (2022/05/05 訪問)

 主郭の周りには石垣が一部残っているように見えます。堀切が背部にあると思われますが浅くなっていました。
 東海道線JR大垣駅から樽見鉄道に乗り換えて終点の樽見駅で下車。徒歩15分くらいで登城口となる階段下に行くことができます。その階段を上ると石柱と案内板があります。その後、ネットで怖いと評判の階段を上がっていきます。急な階段が丸石(河原のものでしょうか)で構成されていて、しかも上部に行くと土と枯れ木が階段の上に堆積していて足の踏み場が不明瞭になっています。這うようにして上がりましたが、問題は下るときで堆積した土が滑るようなところもあり怖かった。階段を下るときに一番労力と時間を要しました。石垣と思える石も円かったので、本当のところはわかりませんが、石垣の石を階段に転用したのかとも思いました。
城址から近い薄墨桜が有名ですが、桜の季節は過ぎていたので立ち寄っていません。

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カズサン

現存櫓と復元櫓で城郭景観が絵に成ります (2009/06/12 訪問)

 府内城は現存櫓が人質櫓、宗門櫓と在り、復元で東丸に着到櫓、南西隅櫓、北西隅櫓と在り、西丸に南西隅櫓、南に多聞櫓門、北に廊下橋が建てられています。
 南側の櫓が連なってる二の丸堀越しに南西隅から東に眺める景観が往時を偲ばせる城景観として写真のビューポイントです。

 本丸は内堀の埋め立て、周囲の石垣、南北の石垣が取り払われ本丸と二ノ丸(西丸、東丸)が一体平地に成って居り、本丸北に天守台石垣が殿と座って居り四重の天守閣が聳えていたと絵図に由る。
 本丸、二の丸を侍町が囲み、更に外郭惣掘りの悌郭式で現在のJR大分駅辺りまで郭内に取り込んでいた模様。
 
 大分と言えば大友宗麟、大友氏ですが府内城は大友宗麟没後、嫡子大友義統朝鮮の役不始末で改易後、慶長2年(1597年)福原直高が12万石で入封し大分川、海側に交易を重視し築城を開始し2年後には一応完成し今ある姿に成った模様。
 関ヶ原後に竹中氏、日野根氏と代わり、万治元年(1658年)大給松平氏が入封し、継承して明治を迎える。

 探訪は13年前の平成21年6月中旬、大分駅近のホテルに連泊し早朝ホテルから徒歩約1km弱北方向の府内城に登城、大分県宮崎県城廻りの3日目で7城目です。
 ルートは、府内城多聞櫓門から入り内側を巡り天守台、廊下橋、北側より東の帯曲輪越しに二の丸堀、城塁、各櫓を眺めて、南側、西側と外周を一巡し80枚の写真から10枚投稿致します。

 

 

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