みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

トク

花の壇から山頂の本丸へ (2020/11/19 訪問)

カズサンの投稿を見て、2年前に訪問した時、私も迷った末に登った事を思い出し、失礼とは思いましたが、その時の花の壇から先の様子を投稿させていただきます(その先はこんなふうになっていましたよという事で)。

私も花の壇の所で迷った末、写真のように見た目が意外とまっすぐで簡単に登れるではないかという気にだんだんなってきたので登る事にしました。しかし、少し行くと大きな堀切が! 渡れない! いったん降りてまた登る、なかなかまっすぐ進めない!(見事に尼子氏の罠にはまってしまいました! 私はたぶんここで打ち取られていたでしょう(笑))。
七曲りの木は伐採され階段も舗装されてよく整備されていました。途中には湧水がありました(これで1年半の籠城に耐える事ができたわけです)。しかし何せすごい急斜面! 体力のない私では途中から心臓がバクバク足はガクガク、結局休み休み登ったので20分どころか40分もかかってしまいました。さらに頂上三の丸に着くと30分動けず(笑)。しかし、ここからの景色は抜群でした。目の前の山には当時毛利元就の陣があったとの事。尼子義久はどんな気持ちで籠城して毎日ここから元就の陣を見ていたのでしょうか? 
三の丸からは二の丸さらに本丸へと比較的平坦になっています。本丸の神社は、尼子義久がたぶん最後に籠った場所ではないかと思います。また、神社の向こうは、断崖絶壁になっていて、背後から攻める事はまず無理です。登ってみて「日本一難攻不落の山城」と言われている理由がよく解りました。
「七難八苦」を体験したい方は、山頂まで行かれる事を是非オススメします(笑)。

[月山富田城へのアクセス]:JR山陰本線安来駅から、イエロー観光ループバス「月山入口」下車すぐ、または米子方面行「市立病院」下車徒歩10分

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

岩崎城

岩崎城フィールドワーク

岩崎城の遺構や縄張りについて、学芸員が解説しながら案内するガイドツアーです。

発掘調査の話や、縄張図をもとに歩くなど、お城好き・マニアックな解説が聞きたい方向けです。

■日時
4月16日(土)  13:30~15:30
※雨天の場合は中止になります。

■講師 当館学芸員 内貴健太

■募集人数 先着10名

■参加費 200円(保険代として)

■申込期間 4月9日(土)から 9:00~17:00 月曜休館

■申込方法 当館までお電話にてお申し込みください。

+ 続きを読む

小荷駄

膳所城 (2022/03/03 訪問)

駐車場は向い側にありました。すぐそばにある生涯学習センターには銅板で作られた膳所城の模型がありますのでそれをじっくりと見てから散策してきました。遺構は少ないですが湖に架かる橋から当時を想像してきました。移築門は幾つかあるみたいですが膳所神社と地蔵さんの所だけしか見学していないのでまた行きたいと思います。また余談ですが膳所城跡の道沿いにある和菓子屋さんのイチゴ大福餅がおいしかったです。

+ 続きを読む

火ノ島豊後守正宗

勝瑞城 (2022/03/03 訪問)

続60城目。
一宮城跡から車で30分程度で勝瑞城址に到着。
めちゃくちゃ市街地にあります。
正直言うと、城址というイメージがあまりありません。
車は近くのローソンの駐車場に停めさせていただきました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

火ノ島豊後守正宗

一宮城 (2022/03/03 訪問)

続59城目。
自動車で一宮城址にやってきました。
一宮城址近くの大日寺の駐車場を少し拝借しました。
ここが一番を分かりやすくて駐車もしやすいようです。
スタンプは登山口前にあります。
そして、一緒に無人の御城印販売もあります・・・・御城印販売が無人とは・・・
もちろん私はちゃんと300円支払って御城印を入手しました。
本丸まで登山口から20分程度です。山城としては大したことはないかな・・・
周囲の景観を望みながら食べたおにぎりがとても美味しかったです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

案内板に描かれる重ならない2つの平面想像図

こんにちは。

躑躅ヶ崎歴史案内隊の甲冑案内人、Eこと上田絵馬之助です。

当隊は、山梨県甲府市にある躑躅ヶ崎館(史跡武田氏館/現・武田神社)の歴史案内活動を不定期に行う甲冑ボランティアガイド集団です。

自分で言うのは正直憚られますが、境内を普通に歩くだけでは見落としがちな史跡を、楽しくわかりやすく(しかも無料で)説明するので、案内した方々からは好評をいただいてます。

躑躅ヶ崎館のことや当隊のことを知ってもらいたく、オンラインで(もちろん無料で)ご紹介します。

躑躅ヶ崎館跡は武田信虎公・信玄公・勝頼公の三代にわたって武田氏の居館としてその興亡の歴史を見守ってきました。現在は敷地内に信玄公を祀る武田神社が創建され、神社を囲む土塁と堀に当時の面影を残しています。

境内の2箇所に設けられた案内板には、各曲輪配置平面想像図(縄張図)、東・中曲輪平面想像図(屋形図)の2つの平面想像図が解説文とともに描かれていて、戦国の頃の武田氏館の姿をしのばせてくれます。

ガイドにとってもこの案内板、境内の案内をする前に、何が残っていてどこを回るのかを説明するのにたいへん便利です。

…便利、なのですが…

ここで、2つの想像図をもう一度ご覧ください。

おわかりいただけたでしょうか。

これ、重なりません。

屋形図に「東・中曲輪」とわざわざ書いてあるのに、
縄張図に描かれる東・中曲輪には、天守とか石積みの仕切りとかが描いてあるので
肝心の屋形が収まるスペースがないんです。

実は…この縄張図と屋形図は、時代が違うのです。

屋形図は甲陽軍鑑を編んだ小幡景憲が描いたと伝えられる「信玄公屋形図」または「伝来の絵図」と称される古絵図をもとにしています。
信玄公がお住まいになっていた屋形として、描かれる施設は甲陽軍鑑など文献との一致も多く、また、永禄11年(1568)に建てられたといわれる毘沙門堂が描かれていることから、信玄公晩年の頃のものと考えられています。

ところが、信玄公逝去から時が流れた天正九年(1581)、勝頼公が本拠地を新府城(韮山市)に移した際に、躑躅ヶ崎の屋形は打ち壊されたと伝えられています。

一方の縄張図ですが、これは古絵図や発掘調査をもとに描かれています。
現在武田神社が所在する主郭部分が東曲輪と中曲輪に区切られてますが、この仕切りの石積みや天守台、西曲輪の南にある梅翁曲輪などは、天正10年(1582)の武田滅亡後に甲斐を支配した徳川、豊臣が作ったものと考えられています。

つまり、縄張図は武田家滅亡後の躑躅ヶ崎館の姿を描いたものです。

徳川、豊臣の両氏は甲斐に入国すると勝頼公が破壊した躑躅ヶ崎館跡に入り、改修・拡張を行って防御力を上げ、甲斐統治の拠点にふさわしく整備しました。
同時に、現在の甲府駅近くにより大規模な城郭として甲府城を築き、文禄3年(1596)頃に完成するとこれに移り、
以後、躑躅ヶ崎館は廃城として大正8年(1919)の武田神社の創建を待つことになります。

話を戻しますと、信玄公の屋形は東曲輪・中曲輪が仕切られる前の主郭部分にあったことになるので、
2つの図面を重ねるには、縄張図の東・中曲輪の天守やら仕切りやら灰色の部分を取っ払うのが正解です。

屋形図のとおり躑躅ヶ崎館は、甲斐国守護の屋形として主殿造の建物や渡り廊下、泉水を備えた庭があったと考えられています。
また、縄張図にある天守台や梅翁曲輪などは一部が現代にも残り、徳川・豊臣の当時の築城術が導入されたことがうかがえます。
平成の発掘調査で泉水や仕切りの石積みと思われる痕跡が発掘され、想像図の裏付けがされています。

ガイドを始めた頃、時代の違いに気づかないままうっかり案内板の説明を始め、途中で気がついて、

「重ならないっ! これ、重ならないよ! お客さんに指摘されたらどうしよう!?」

と内心アセりながらも平静を装ってなんとか説明したことも、今となってはいい思い出です。

当隊ガイドは日々研鑽し、最新の研究を織り込んだ案内をするよう心がけています。
活動は不定期ですがTwitter(https://twitter.com/KoufuSamurais)で告知しています。興味がありましたらご覧ください。(E)

+ 続きを読む

小城小次郎

天守風の建物には入れるのだ (2021/10/30 訪問)

復元建築と移築建築が集まった逆井城は、それ自体がひとつの博物館とも言えそうだ。恥ずかしながら天守風の建物には入れないものと勝手に思い込んでいたが、入れるどころか高欄を歩けたりもすることには正直驚いた。

+ 続きを読む

赤い城

今は畑を守る土塁 (2022/02/26 訪問)

県道76号線に案内板が立っています。
駐車場はなさそうだったので近くの宝珠寺の駐車場を拝借しました。
すぐ横に粕川が流れていて自然の堀になっています。
案内板から城跡に入っていくと畑になっていて周りを高い土塁が囲んでいました。
この畑が本丸、北側に虎口があります。
虎口は食違になっていて説明板が立っていました。
赤堀氏の居城で古河公方足利氏、上杉氏、北条氏に仕えましたが北条氏が滅びるとともに廃城となりました。
畑なので農耕車のタイヤ痕もありますが予想以上の高い土塁が素敵な城でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

刑部

浅間神社が城址 (2022/02/23 訪問)

神社の奥が土塁でしょうか?かなり盛り上がってました。隣にある川を、要害にしてたようです。

+ 続きを読む

朝田 辰兵衛

新潟城城下 湊町エリア (2022/02/27 訪問)

新潟城城下の信濃川河口付近を総称して「湊町エリア」。
1858(安政5)年,徳川幕府は,アメリカ,オランダ,イギリス,ロシア,フランスの5か国と修好通商条約を締結。そして,函館,横浜,新潟,神戸,長崎の5港を開港。
その開港5港の中で,運上所(税関庁舎)が現存・復元されているのは新潟のみ。新潟市歴史博物館(みなとぴあ)が併設されているので,新潟城散策を充実させたい方にうってつけだと思います。
また,徒歩圏内に北前船で繁栄を築いた小澤家住宅があるので,見学してみるのもいかがでしょう…?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

【出雲・荒神谷遺跡】島根県出雲市 銅剣、銅矛の大量出土 (2010/11/05 訪問)

 昭和の終わり頃出雲の広域農道(出雲ロマンス街道)建設に伴う昭和58年遺跡調査で一片の土器発見から翌昭和59年大量の銅剣358本出土発見、翌60年銅剣発見近くで銅矛16本銅鐸6個を出土発見と全国ニュースで大きく報道されて居ました。
 何時か訪ねたいと思いつつ今回の城廻り企画に入れ込み12年前の平成22年11月上旬、荒神谷遺跡を訪ねました。

 住所:島根県出雲市斐川町神庭873ー8
 車は荒神谷遺跡の専用駐車場を利用。
 
 荒神谷博物館も見学、銅剣、銅矛の発掘出土現場を見学、レプリカが置かれ出土時状態で屋外展示場されて居ます、少し遠くからの見学観察です、博物館では近くから見学する事も出来ます、幸神谷遺跡レプリカ展示、幸神谷史跡公園として綺麗に整備され出雲の往時を体で感じ取る事も出来るかも? いい雰囲気の所です。やっと20数年振りに願いが叶いました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

妻と堀川廻りも楽しむ (2010/11/04 訪問)

 何回となく訪れてる松江城ですが内堀遊覧の堀川廻りは初めて、月山富田城を終えて昼食時間を少し過ぎた頃松江城の大手門駐車場に到着し、堀川遊覧前に同場所の食事コーナーで簡単に出雲そばで済ませる。

 大手門の堀川廻り出船所で遊覧船に乗り込み、内堀、三の丸を回り込んでカラコロ広場、米子町から内堀に入るコースを楽しむ、大手門から本丸へ天守閣の登り閣内を内覧して天守閣最上段から眺めを楽しむ、宍道湖方面、松江歴史館の公開前の武家屋敷風甍群を遠望、二の丸上段、太鼓櫓、中櫓、南櫓は登り、南口門から三の丸へ、三の丸から内濠越しに南櫓、中櫓を望む、ここもビューポイント、内堀沿いに建設公開前の松江歴史館を外側から覗き見学、塩見縄手を通り武家屋敷群、小泉八雲邸を見学で終了としました約3時間半。

 今夜は玉造温泉長楽園を奮発して予約、丁度定年退職の年でしたの母の三回忌で帰省しましたので竹田城から始まる3泊4日の2泊目で定年旅行も兼ねて居りました、以前宿泊した事も有り妻にもぜひ体験して貰いたいとの事も有り、以前は東洋一の露天風呂と言われており湯衣を着て東洋一の露天風呂を妻と混浴を初体験、食事は蟹も出て豪華でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

磐田駅前 (2022/01/06 訪問)

浜松から掛川に向かう途中に立ち寄りました。御殿遺跡公園として整備されていて、防人の歌なんかもありました。移築門の案内も見つけたのですが、この先の予定もあるので今回は割愛。いつか再訪したいと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

ハイキングコースの一部 (2022/02/26 訪問)

要害神社の駐車場があり、展望台も設置されています。
その脇に鳥居があり、ここが登城口。
少し登って行くと要害神社が建つ主郭に。
北東側に尾根が延びていて曲輪や堀切が設置されています。
主郭の周りには曲輪が展開され段になっています。
戦国期に里見氏が改修し、その後由良氏や阿久沢氏が居城としました。
ハイキングコースの一部になっていて見学はしやすい城でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

坂本城 (2022/02/11 訪問)

【坂本城】
<駐車場>駐車場はなし
<交通手段>車

<感想>播磨の坂本城の築城年代は定かではないが赤松氏によって築城され、代々赤松氏の播磨守護所として政治の中心地となっていました。嘉吉の乱ののち山名宗全が攻めてきた際に赤松満祐は防備力が薄い坂本城を放棄して城山城に立て籠もりますが落城します。播磨国は分国として坂本城を中心に山名宗全が統治しますが応仁の乱後赤松政則が播磨を再び平定し政則は新たに置塩城を築いてそこを本拠としたため坂本城は廃城となりました。
 現在は城びとのポイントに土塁遺構が一部残っています。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

カズサン

妻と一緒に初登城 (2010/11/04 訪問)

 12年前の平成22年11月上旬母の三回忌法要の後、城廻り観光旅行、大山の紅葉を堪能した後月山富田城を初登城、近くの足立美術館は以前訪ねていたのに月山富田城には寄らずじまいでした。
 車は大手門跡近くの駐車エリアに駐めて大手門跡から探訪開始。

 石垣整備された山中御殿跡をぐるっと回り、山上の丸へ約20分への標柱が有り少し登るが樹木で鬱蒼としており山頂へは諦めました、菅谷口門跡、花の壇周辺を探訪して道の駅、資料館へサラッと流しました。
 
 尼子の土の城を堀尾吉晴が織豊系城郭に改修して石垣が残ったようです、平成30年9月の全国山城サミット安来大会開催に向かって七曲り登城路が周辺の樹木伐採と登城路整備、山頂部の樹木伐採、整備で麓からも良く見える様になりましたし登城もし易くなりました、また馬乗馬場跡、千畳平跡の樹木伐採、施設整備も行われ、大土塁跡も樹木伐採整備されて居るようです。
 整備後訪ねましたが未だ山頂の丸には登って居ません、今後の課題です。

 近くの足立美術館は四季毎に庭園の景観を楽しめます、日本画横山大観、版画棟方志功の俊作が展示され見応え充分、1日居ても飽きないと思います、お勧めです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ガチャピン

歩いて登城 (2022/02/04 訪問)

かなりの勾配があります。鎧塚ファームでソフトクリームを食べて来ました。

+ 続きを読む

ガチャピン

初登城 (2022/02/04 訪問)

見ごたえあり

+ 続きを読む

三田(サンダ)盆地を行く (2022/02/26 訪問)

三田盆地あたりは約3500万年前に古神戸湖であり、その後に平な湖底が隆起し、武庫川等が浸食した地形です。福知山線三田〜新三田間の盆地西側には、数十mの段丘崖が見られ、その上に三田ニュータウンが載っています。この段丘の南端を利用して九鬼氏の三田城(陣屋)があります。
大原城は、武庫川東側の段丘がさらに南北を浸食されて舌状に伸びた比高20mほどの高まりを利用して縄張りされています。本郭と二ノ丸と帯郭群からなる比較的小さい城ですが良い感じの土の城です。本郭から大手口の間の帯郭は、果樹があるためか、草刈りされており、藪こぎせずに到達できました。大手口の下(外)は私有地です。かつての湖底であるため、城にある小石は丸っこい礫です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

【伯耆・大山】紅葉を鍵掛峠から眺望 (2010/11/04 訪問)

 母の三回忌法要を終えて2泊3日で出雲、石見の城廻り及び観光へ12年前の平成22年11月上旬出掛ける途中、大山の紅葉も見頃と大山北壁をバックにブナ林紅葉の絨毯絶景を鍵掛峠より堪能する。
 タイミングが良ければ初冠雪の大山と紅葉を楽しむ事も出来ますが今回冠雪は有りませんが、青空と大山北壁、ブナの紅葉を下に見て、いつもながらの絶景を家内と楽しむ事が出来ました、鍵掛峠の駐車場はこの時期大変混みますので朝早く出掛けました。

+ 続きを読む

ページ877