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カズサン

亀井侯繫がりの津和野城 (2010/11/06 訪問)

 亀井の殿さんが故郷因幡鹿野城から元和3年(1617年)転封に成り石見津和野城主へ、因幡気多郡高草郡の人々は亀井の殿さんとの思い入れも有り鹿野と津和野とのつながりを感じていたものでした。

 12年前の平成22年11月上旬、今回の出雲、石見城廻り、観光の3日目浜田市の畳ヶ浦近く国民宿舎千畳苑を後に国道9号線をを津和野に向かいました、町内殿町通りを抜けて津和野城登城リフト到着、隣接の駐車場を利用。

 今回妻と一緒に初登城です、町内観光も初めて、チョット不安なリフトでしたが直ぐ津和野城の城域尾根の上に到着、案内板、縄張り絵図、朝日が当たり屋根の影とのコントラスト差で絵図が見えずらい、尾根筋を歩いて織部出丸に到着、出丸では茶会野点準備中、周囲の石垣など観察撮影、津和野城下町の眺望も素晴らしい、出丸から本城まで尾根筋道を約200~300m10分程歩く。
 下から仰ぎ見る様に帯曲輪、二の丸の石垣が覆いかぶさって来る、季節は秋、紅葉が綺麗、東門跡、三段櫓石垣、同櫓門跡、二の丸、三の丸人入り、最高所より低い所に在る天守台を見上げる、西櫓門跡、先に三の丸を南櫓門方向に移動、有名な人質櫓台が目に張って来る、南櫓門跡、三の丸広場からの人質櫓台の眺めは素晴らしく絵に成る。
 少し戻って三十間台に登る、広い曲輪で眺望も素晴らしい、三の丸方向人質櫓台、南櫓門の石垣が良い景観、北方向太鼓丸、三十間台から太鼓丸に続く虎口石垣の造りも素晴らしい、三十間台の眺望を後からさだまさしの「案山子」の舞台がここ津和野城と知る。
 太鼓丸から二ノ丸、天守台に登る、天守台から三の丸、西櫓門、三段櫓門、台所櫓、海老櫓方向を眺めて、西の台所櫓跡海老櫓跡方向の石垣を確認。全体に城域が紅葉に覆われて綺麗な時期でした。
 遠く相対する山方向から眺めると秋の朝霧の発生する時期は竹田城のように天空に浮かぶ津和野城が見える事でしょう、日本あちこちに天空の城が存在しますが津和野城もその一つ。
 約2時間天空の城を探訪散策撮影しました大満足の秋晴天でした。

 津和野城山頂の郭群を降りて、津和野高校横を通り、通り沿いの物見櫓、馬場先櫓を眺めて殿町へ伝統的建造物群の在る町並みを散策する、通り両端の用水路に鯉が放流され大変落ち着いた町並みです、森鷗外宅の見学、津和野町役場造りが御殿風、門は家老屋敷門、殿町近くの食事店で昼食を取りましたが場所がどこだったか記憶から消えています。

 津和野城は関ヶ原合戦の戦功で坂崎出羽守成正が津和野城主、中世吉見氏の山城を織豊系城郭に大改修し石垣の天空の城へ、大坂の陣で千姫を助ける手柄を立てたが戦功の約束違いで千姫奪取事件で死去改易、坂崎氏の後に亀井氏が入封し明治まで継承する。

 帰りは中国道六日市ICより入り、東名浜松ICを出る約700km、今回の竹田城から故郷鳥取母の三回忌法要、鹿野城、鹿野温泉、大山、月山富田城、松江城、玉造温泉、荒神谷遺跡、出雲大社、大森代官所、石見銀山、浜田城、畳ヶ浦、津和野城と廻り4泊5日往復約1500kmの車走行でした。

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にのまる

36見附めぐり㉜~桜田門(外桜田門)~

地下鉄有楽町線桜田門駅。3番出口の階段を上がり地上に出るとそこは非日常への入り口です。
両脇に立石の配された高麗門に吸い込まれるように入っていくと待ち構えるのは320坪の巨大枡形。右手に聳える櫓門のデカさも半端ないです。
桜田門がこれほど大きく、外枡形で桜田濠に突き出ているのは西の丸の防御のため。
千鳥ヶ淵~半蔵濠~桜田濠とずっと続いていた土塁が石垣に変わるのもこの場所です。土塁と石垣の境目は眼福です。

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じゅんじん

10年ぶり (2022/01/29 訪問)

関所の監視ですね。合戦の砦跡も周囲にあります。上るのも大変なのに戦うなんて考えられません(;^ω^)

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T-Shionoya

住宅地に溶け込んだ玉縄城 (2022/01/08 訪問)

本年最初の城巡りは神奈川県鎌倉市の玉縄城。
遺構の少ない城ですが、北条氏の主要な支城として興味のあった城。

鎌倉幕府滅亡後も、鎌倉公方が置かれるなど関東の中心都市であった鎌倉。
その外側北西部の大船は、相模湾と繋がる柏尾川の水運拠点だったとのこと。
そして川の北西に位置する玉縄は鎌倉街道上道と中道に挟まれたエリアで、水陸交通の要衝だったと窺えます。

また玉縄城は多摩丘陵南端の山谷が複雑な地形にあり、本丸は比高約50mの高台の上。
更に城郭周辺のいくつかの尾根には、砦が配置されていたようです。

1512年に伊勢宗瑞(北条早雲)が東相模攻略の前線基地として築城し、代々北条氏一族が城主に着任。
秀吉の小田原征伐で家康の説得により開城となると、以後は家康の側近が城に入り江戸前期で幕を下ろしました。

元々噴火口の様な形状だった本丸ですが、現在は土塁の大半が削平され高校に。
そこに諏訪壇や蹴鞠場跡が残るものの、外からではただ何となく見上げるだけ。
他の城域も住宅地となっており、七曲坂と太鼓櫓跡のみが常時入場可能な城。

訪問時のルートは玉縄ふるさと館のある龍宝寺を起点に、七曲坂、太鼓櫓跡、大手虎口跡、二伝寺(砦跡)、柏尾川、現諏訪神社、そしてお花畑の北側へ。
実際に歩くと予想以上に急坂が多く、七曲坂の頂上は本丸と太鼓櫓を分断する堀切なんですね。所々でそんな住宅地に溶け込んだ城郭地形を確認できた私の城巡りの117城目でした。

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赤い城

堀田佐野城址公園 (2022/02/26 訪問)

公園になっていて駐車場もあります。
駐車場のすぐ前に門があり、池もありますが冬だからか水は無し。
近くの民家前に石碑が立っています。
遺構は無さそうと思っていたら堀田稲荷神社が土塁の上に建っていました。
佐野藩の藩庁が置かれた場所です。

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とまんど

みんなで保護しましょう! (2022/03/06 訪問)

箱根旧街道の要所に作られた小田原北条家のお城です。保護するための芝生が生えている障子堀が美しい城跡です。富士山の眺めも素晴らしい!
残念ながら西の丸の方は台風の影響などで崩れた箇所もありました。精巧な土の城を維持することがいかに大変かを感じました。関係者の方々には心から感謝と敬意を表したいと思います。
ということでふるさと納税で山中城維持に支援。微力ながら少しでも後世に残すことができれば良いなと思います。
https://www.furusato-tax.jp/gcf/1451
※私は関係者ではありません。ただのファンです。

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ヒロケン

南蛮式天守 (2017/07/13 訪問)

小倉城は関門海峡を押さえる九州側の要衝の地にあり、紫川の河口にある輪郭式平城です。室町時代には、大友氏・大内氏。小弐氏による争奪戦が行われていましたが、大内政弘公が豊前国をほぼ掌握するに至りました。
その後も、大友氏と毛利氏との合戦が重ねられましたが、大友氏の高橋鑑種公が小倉城を居城としています。
天正15年豊臣秀吉公の九州征伐によって、高橋鑑種公は日向国へ移封となった後は、毛利勝信公が豊前の企救・田川両郡に6万石を与えられ小倉城に入城し改修、本丸、北の丸、松の丸を築いています。
その後、関ヶ原の合戦で毛利氏は改易、代わって細川忠興公が豊前国一国と豊後二郡合計39万9千石を与えられ入封しています。忠興公は最初、中津城に入りましたが、慶長7年から小倉城を大改修して居城としており、以後、小倉城は小倉藩の本城となっています。
この時に造られた天守は5層6階で屋根に破風を付けず、4階・5階を画す部分には屋根がない独特なもので、南蛮造りと呼ばれています。
その後、細川氏は肥後熊本に転封となり、播磨明石城主であった譜代大名の小笠原忠真公が15万石を領し、小倉城に入り明治維新まで10代2百数十年続いています。

現在の小倉城は勝山公園、八坂神社となっており、復興天守・模擬櫓が建てられ、曲輪、本丸・松の丸・北の丸・石垣・堀が残っています。当初の天守閣は、高さ23mで天守台の広さに至っては、熊本城より広かったとされています。
この城の見所は、復興天守とはいえ南蛮造りを模した天守閣がカッコイイ(#^.^#)のと、松の丸の石垣と堀(現存)です(*^▽^*)
また、八坂神社の建物も良いフインキを醸し出しています。

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カズサン

【石見・畳ヶ浦】島根県浜田市 景勝地千畳敷は天然記念物国指定 (2010/11/05 訪問)

 12年前の平成22年11月上旬、浜田城を終えて陽もまだ有り2泊目の宿泊先国民宿舎千畳苑に近い石見畳ヶ浦へ、約7~8km東に国道9号線を移動、国道から国府海水浴場、唐鐘漁港の詰まりまで行くと駐車場が有りました。

 石見畳ヶ浦千畳敷は国指定天然記念物で景勝地です、1600万年前の堆積地層が明治5年の浜田地震で隆起した海床で広く畳の様と千畳敷と呼ばれて居ます、腰掛のような丸い岩が特徴でノジュールという化石を核に出来上がった珍しい岩で、貝などの化石が多く含まれてるとの事。詳しく観察はしてませんので化石の確認まではして居ません。
 丁度陽が沈み頃でしたので千畳敷、日本海が陽に輝き綺麗な景観を更に効果抜群でした、又千畳敷には唐鐘漁港側からトンネルを通って移動しますので途中は暗く侵食された隙間から海岸、海が見られまたまた美しい。

 宿泊先の千畳苑では日本海の幸と地酒で美味しく頂き、少し飲み過ぎたのか早寝早起きで朝3時頃に目があき、潮騒に引かれてテラスから空を見上げると満天の星、手が届きそうな雰囲気で沖縄西表島の星空を彷彿させる様でした。

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刑部

富士宮焼そばを食して浅間神社 (2022/02/23 訪問)

ここは遺構は無さそうなのでまずは、B級グルメの富士宮焼そばを浅間神社前のお宮横丁で2店舗食しました。美味かった!空から神社に参拝して城址のゆかりの場所(稲荷神社)へ案内板に城址の事が書かれてましたが周りに遺構らしきものは見当たりませんでした。

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刑部

石碑を求めてウロウロ (2022/02/23 訪問)

私の車は通常より大き目なのでかなり遠くに車を駐車。そこから徒歩で城址の碑・遺構を求めてウロウロが始まりました、お寺から神社・公園と歩きましたが城址の石碑は確認できませでした残念!時間が限られていたので諦めて車へ戻りました。

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刑部

2回目の登城 (2022/02/23 訪問)

4年前くらい来た時は夕方でどんどん暗くなっていく中足速で巡ったが途中足元が暗くヤバくなってしまいました。なので再チャレンジで訪問、富士山もかすかに見る事が出来ました。反対側は海が見える贅沢なお城ですね。

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higekam

侍屋敷、大手郭の石垣! (2022/03/05 訪問)

太平記を読みいつか登城してみたいという念願を果たした。

実現のきっかけは石垣も残るという情報を得たからだ。新田義貞と攻防した際に存在していたのであれば700年以上もたっており、また初期の技術で組まれた石垣でもあり自然破壊はかなり進んでいた。それでも見応えはあり感動!
道案内はまったくなかったが、二の丸から目視で侍屋敷を確認して降りたのち、谷筋を下りて行けばいいので問題なかった。しかし、見学終了後下りてきた道を戻ろうとしたとき大手郭から侍屋敷の間で左折すべきところを直登、しかたなく低木常緑樹の生い茂る谷筋沿いに尾根を目指してさらに直登。登り切ったところはなんと本丸を囲む帯曲輪。結果、直進して攻めあがってくる敵を防御する設備が大手郭、侍屋敷だったことを実体験してしまった。

行かれるかたは急な坂を下りる足元の装備、また地図での地形確認を十分したうえで。

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ぴーかる

善防山城 (2022/02/12 訪問)

【善防山城】
<駐車場他>古法華寺駐車場/王子皿池公園駐車場
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣跡
<感想>赤松氏の山城攻め続き。善防山城の築城は現地説明板によると『「赤松・佐伯氏系図」によると1346年赤松円心の子範資によって築城された』とあります。のちの城主に猛将の赤松則繁がいて、則繁は1441年、嘉吉の乱の当事者赤松氏当主の赤松満祐の実弟で6代将軍足利義教殺害の主導的な実行者でした。山名軍が播磨に攻めて来た際には則繁は善防山城には居なかったが山名軍の猛攻凄まじく明治初期まで白骨体が木の葉の下に眠っていたそうです。
 登山ルートはいくつかあるようで、北の県道81号線の王子皿池公園駐車場の前が大手登城口になっています。西の古法華寺の南西側から登城するルートもあります。下調べ不足で麓からの大手道ルートを知らず先日まで古法華の吊り橋の下にある道路が改修通行止めだったこともあり今回開通後の攻城となった。善防山と北西に位置する笠松山砦跡(展望所)とは吊り橋を渡るとずっと尾根続きになっていて良い岩山のハイキングコースになっています。
 古法華側からは吊り橋や岩山を寄らずに直接登ると40分程で山頂に行けます。主郭手前にも段曲輪があるようですが藪化していてよく分かりません。主郭は比較的狭く巨石が数個中心部にあります。主郭の北西側から数段曲輪が伸びており、広い曲輪の南西側に腰曲輪、曲輪壁にわずかに石垣跡、北東側の先端部分の曲輪壁には見事な石垣(写真1・2枚目)が残っています。曲輪の上からは見つけられず、曲輪壁を昇降するのにストック要です。主郭から東に行って第2山頂の曲輪にも大きめの石垣が見られます。

 古法華の吊り橋は善防山の尾根と反対側は岩山を繋いでいるのですが、吊り橋から古法華寺までの岩山斜面にすごい石垣(写真10枚目)があります。笠松山砦の遺構なのか後世のものかは分かりませんが吊り橋部分の谷もかつての堀切だったとすれば当時の石垣かもしれません。調べましたけど分からず、謎めいていてワクワクしました。

<満足度>◆◆◇

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あきつ猫

可愛い❤️ (2020/11/22 訪問)

愛知の方は必ず
城好きというと
「犬山城行ったか?」と聞かれる。
皆さん大好きよね。
切り立った崖に立つ天守は
遠くから見ても良いし
近くから見ても望楼天守は
可愛い。
かなーり混んでいて(コロナ禍なのに💦)
並びました。
人気なんですね。
そして一番は現存天守。
おお、ここに信長も立ったのか?とか
想像するとワクワクするのだよ。

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あきつ猫

堀を一周 (2021/09/19 訪問)

駅から近いお城は
良きです。
コロナ禍でお城も閉城で
あまり行けなかったのですが
駿府城は公園なので開園中で
たまたま中止していた葵舟も再開した日で
運良く乗れました。
お堀を一周。
石垣を近くで見られるし
途中の屋根が降りる所もエキサイティング(笑)
写真も撮って頂けます。

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あきつ猫

家康が眠る城跡 (2021/09/20 訪問)

武田信玄もゆかりの城。
前日は駿府城に行ったので
家康繋がり。
城というより東照宮なので
残る石垣に萌てました(笑)
かなりの高さの山城。
攻めにくいよね。
入口にある久能山東照宮博物館。
地味で気が付かなかったけど
収蔵品も国宝級でなかなかすごい。
この後行った日本平で、富士山と鷹を同時に撮れた。
縁起良い😊

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todo94

城カード第3弾再建天守シリーズ (2022/01/06 訪問)

今回の最大の目的は、城カード第3弾再建天守シリーズを手に入れることでした。大洲城に続く2枚目をゲットです。高知城を模した忍び返しの鉄剣付き木造再建天守も良いですが、掛川城の最大の魅力は現存の二の丸御殿ですね。此処に鎮座する杉良太郎さん寄贈の甲冑は非常に存在感があり、既に掛川城の目玉となっている感がします。今回は再建大手門脇の番所を初めてチェックすることが出来ました。

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じゅんじん

住宅横を行くと (2022/01/29 訪問)

説明板があります。曲輪や堀あとが残っていました。

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じゅんじん

(2022/01/29 訪問)

説明板前に駐車スペースがあります。お城は草ぼうぼうで諦めました。

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じゅんじん

ワッフル (2022/01/29 訪問)

以前は整備中でしたので実質初。城址碑がかっこいい。

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