亀井の殿さんが故郷因幡鹿野城から元和3年(1617年)転封に成り石見津和野城主へ、因幡気多郡高草郡の人々は亀井の殿さんとの思い入れも有り鹿野と津和野とのつながりを感じていたものでした。
12年前の平成22年11月上旬、今回の出雲、石見城廻り、観光の3日目浜田市の畳ヶ浦近く国民宿舎千畳苑を後に国道9号線をを津和野に向かいました、町内殿町通りを抜けて津和野城登城リフト到着、隣接の駐車場を利用。
今回妻と一緒に初登城です、町内観光も初めて、チョット不安なリフトでしたが直ぐ津和野城の城域尾根の上に到着、案内板、縄張り絵図、朝日が当たり屋根の影とのコントラスト差で絵図が見えずらい、尾根筋を歩いて織部出丸に到着、出丸では茶会野点準備中、周囲の石垣など観察撮影、津和野城下町の眺望も素晴らしい、出丸から本城まで尾根筋道を約200~300m10分程歩く。
下から仰ぎ見る様に帯曲輪、二の丸の石垣が覆いかぶさって来る、季節は秋、紅葉が綺麗、東門跡、三段櫓石垣、同櫓門跡、二の丸、三の丸人入り、最高所より低い所に在る天守台を見上げる、西櫓門跡、先に三の丸を南櫓門方向に移動、有名な人質櫓台が目に張って来る、南櫓門跡、三の丸広場からの人質櫓台の眺めは素晴らしく絵に成る。
少し戻って三十間台に登る、広い曲輪で眺望も素晴らしい、三の丸方向人質櫓台、南櫓門の石垣が良い景観、北方向太鼓丸、三十間台から太鼓丸に続く虎口石垣の造りも素晴らしい、三十間台の眺望を後からさだまさしの「案山子」の舞台がここ津和野城と知る。
太鼓丸から二ノ丸、天守台に登る、天守台から三の丸、西櫓門、三段櫓門、台所櫓、海老櫓方向を眺めて、西の台所櫓跡海老櫓跡方向の石垣を確認。全体に城域が紅葉に覆われて綺麗な時期でした。
遠く相対する山方向から眺めると秋の朝霧の発生する時期は竹田城のように天空に浮かぶ津和野城が見える事でしょう、日本あちこちに天空の城が存在しますが津和野城もその一つ。
約2時間天空の城を探訪散策撮影しました大満足の秋晴天でした。
津和野城山頂の郭群を降りて、津和野高校横を通り、通り沿いの物見櫓、馬場先櫓を眺めて殿町へ伝統的建造物群の在る町並みを散策する、通り両端の用水路に鯉が放流され大変落ち着いた町並みです、森鷗外宅の見学、津和野町役場造りが御殿風、門は家老屋敷門、殿町近くの食事店で昼食を取りましたが場所がどこだったか記憶から消えています。
津和野城は関ヶ原合戦の戦功で坂崎出羽守成正が津和野城主、中世吉見氏の山城を織豊系城郭に大改修し石垣の天空の城へ、大坂の陣で千姫を助ける手柄を立てたが戦功の約束違いで千姫奪取事件で死去改易、坂崎氏の後に亀井氏が入封し明治まで継承する。
帰りは中国道六日市ICより入り、東名浜松ICを出る約700km、今回の竹田城から故郷鳥取母の三回忌法要、鹿野城、鹿野温泉、大山、月山富田城、松江城、玉造温泉、荒神谷遺跡、出雲大社、大森代官所、石見銀山、浜田城、畳ヶ浦、津和野城と廻り4泊5日往復約1500kmの車走行でした。
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