小松寺の背後の山頂に横堀が巡った広い主郭に曲輪、すぐ裏手の尾根にも堀切、土塁が
あります。
山頂の遺構は壮大でちょっとしたハイキングコースのようになっていて明確です。
南、東の堀切や段曲輪も良いのですが、残念ながら藪でもったいない状態ですね。
小松寺に駐車可能で10分位の登りで着きます。横堀が見どころで、お薦めです。
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2021/12/27 18:37
2021/12/27 17:23
古都の遺構 (2021/12/27 訪問)
稗田環濠は、大和の環濠の代表例として有名で、教科書などで見ていましたが、今回初めて見学に行ってきました。
周囲を歩くと環濠の形態がよくわかります。東西約260メートル、南北約260メートルの規模でなので回りを歩いても15分程度で一周できます。北東側は七曲りよばれる特異な形をしています。西側と南側は幅広くつくられています。
内部も探索しましたが、東西、南北に大きな道がとおり、そこから細い道がのびています。道はT字形に交差したり、袋小路になっていて、遠くが見通せないようになっており、防御に適した構造になっていました。集落の東南には売太神社があり、神社を中心として環濠が発達したのがわかります。環濠は改修され水が湛えてられており、濠の法面も整備されていました。家屋も切妻造りで草葺と瓦葺の屋根が組合わせてある白壁の大和棟が残っており、古都を感じる素晴らしい場所で癒しがありました。
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2021/12/27 10:34
夜と朝の和歌山城 (2021/12/04 訪問)
高野山を訪れた後、九度山で大阪城への「真田の抜け穴」を確認し、日が落ちるころに和歌山入り。
この日、紀伊水道を震源とするマグニチュード5.4の地震が発生するも、和歌山城はびくともしていない。
夜陰にまぎれ和歌山城内に潜り込み、闇夜の中、縄張りをを頭の中に刷り込み、夜が明けるのを待つ。
翌朝、開門後の天守を楽々と制覇し、紀州徳川の殿様も見たであろう、紀ノ川と紀伊水道の絶景を、
天守最上階より堪能する。
<高野山>
奥之院には、戦国武将から江戸時代の各藩、そして現代の有名企業の墓石(創業者・物故者)が
静寂の中に数多くあり、凛としている。
日本の歴史を造った人たちが一堂に集まって、戦いに明け暮れたあとの平和を語り合っているように
思えた。
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2021/12/27 10:24
記念御城印を求めて (2021/12/26 訪問)
抽選販売の記念御城印に当選したので、御城印を頂きに伺いました。倍率は3倍ほどとのことで、かなり多くの応募があったようです。その後、飯盛城に登城しました。飯盛城は、とても大きな山城で、石垣が多数点在しており、他にも堀切、土橋、竪堀、土塁と見所満載の素晴らしい山城でした。
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2021/12/27 07:19
阪神でなく阪急です (2021/11/13 訪問)
関西に詳しくないためカーナビを阪神御影駅にセットしてしまいました。阪急御影駅は遥か北方に位置していました。無駄に駐車料金を投資してしまいました。石の説明板の城名は御影城になっています。
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2021/12/26 23:14
2021/12/26 23:03
2021/12/26 22:58
古代山城・番外編 (2011/07/16 訪問)
10年前の平成23年7月中旬、古代山城鬼ノ城を初登城し汗だくの処、鬼城山ビジターセンターでホッとし汗を拭いセンターの展示を閲覧し資料を頂く、写真撮影して投稿して無かった案内板、解説板等の写真を投稿させて頂きます。
行けなかった屛風折れ石垣のビジターセンター展示写真を投稿、投稿写真を見直し残った中で西門から南方向へ延びた版築土塁城塁の壮大さを是非投稿したく1枚入れました。
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2021/12/26 22:46
南朝を支えた北畠氏の拠点 (2021/11/27 訪問)
北畠氏の本拠地である多気盆地を守る詰城。伊勢と吉野を繋ぐ街道を見下ろす位置にあり、まさに南朝を守護するための城である。津から電車で1時間半くらい。比津駅で降りて比津峠に向かって歩くと道路脇に登城口が見えてくる。恐らく絡め手であり急な道が続くが、登り切ると開けた曲輪になり堀切を超えて本丸に至る。本丸からは吉野に続く山々が見渡せ、非常時にはここから兵を送り込むつもりだったのだろう。南北朝時代の武将は打算的で本心から南朝に従っていた者は少ないが、北畠家の南朝への忠誠心がうかがえる。帰りは北畠神社の裏手に降り、北畠氏館跡庭園を見学して帰路についた。
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2021/12/26 22:38
歴史記念館も天守閣も入場無料です (2021/11/28 訪問)
土塁、土橋、堀などよく残っています。堀の中を歩けるのがよいです。
模擬天守ですが、石垣が見事。
刀劇隊による岩崎城の戦いをもとにした演武もみられました。
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2021/12/26 22:23
古代山城・南門と周辺編 (2011/07/16 訪問)
平成23年7月中旬、西門から南門に向かって土塁上遊歩道をアップダウンしながら南門へ、南門は発掘調査され整備途中の様子でした、途中、周辺の石垣を含めて写真投稿させて頂きます。
携帯電話の圏外マークが出て南門から引き返した苦い経験が有ります。西門まで戻ってホッとした思い出も有ります。
素晴らしい古代城郭山城です、今後も保存整備を宜しくお願い致します。
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2021/12/26 21:59
古代山城・敷石、版築土塁、高石垣塁編 (2011/07/16 訪問)
10年前の平成23年7月中旬、古代山城鬼ノ城を初登城し復元修復された版築土塁、高石垣塁、鬼ノ城での初発掘遺構、敷石など余りにも素晴らしく圧巻でしたので「敷石、版築土塁、高石垣塁」編で写真投稿させて頂きます。
鬼ノ城は記紀に記載のない古代城郭として知られてますが復元整備の古代山城としては初の快挙です。総社市の教育委員会文化財課?の頑張りに感謝です。
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2021/12/26 21:25
古代山城・西門、角楼編 (2011/07/16 訪問)
10年前の平成23年7月中旬、近年発掘調査復元整備され且つ継続中の古代山城の鬼ノ城を初登城も吉備の国城廻りも今回の一大イベント、朝靄の中を備中国分寺五重塔を探訪撮影した後に鬼ノ城の鬼城山ビジターセンター駐車場に進路を取り狭い山道を登り同駐車場を利用、広い駐車場で余裕が有ります。
ビジターセンターは素通りして遊歩道を写真で良く観ていた版築土塁の西門を目指す、山道を15分から20分位で角楼、西門に到着、途中の山道から遠望出来ましたのでワクワクドキドキの道程、初対面の興奮状態観察撮影でした、7月中旬夏盛り兎に角暑く汗だくだくでした。
南門を向かってる時は気分も高まりイケイケでしたが携帯電話を見ると圏外表示、急に熱中症で倒れたら助けを呼べないとの思いが増して来て南門を観察したあたりから引き返しました、屛風折れ石垣を観察、探訪出来なかった事が残念です。
西門、角楼の写真投稿致します、続き2で敷石、版築土塁、高石垣塁編、続き3で、南門、石垣編と三回に分けて投稿させて頂きます。
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2021/12/26 21:20
2021/12/26 21:13
2021/12/26 21:12
2021/12/26 21:06
2021/12/26 20:15
現存の櫓門・巽櫓があり、今は高校となる城 (2021/11/21 訪問)
8年ぶりに行きました。
現存の櫓門・巽櫓のライトアップを見る為、夕暮れ時に行きましたが、残念ながらこの日はライトアップされていませんでした。
今は高校の敷地で、現存の櫓門・巽櫓がある所に通えるとは、お城好きからすると羨ましいです。
暗い中でしたが、櫓門・巽櫓共に美しい姿でした。
その直ぐ北側にある南丹市国際交流会館は天守閣風の建物です。
この西側の小麦山には、かつて園部城の三層櫓があったそうなので、三層の模擬天守にされたのですかね。
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2021/12/26 20:14
1年ぶり!寒すぎー! (2021/12/26 訪問)
1年ぶりに岐阜城に訪れました。天守は前行ったときと変わらずカッコいい。石垣も綺麗でした。
岐阜城は斎藤道三の城でもとは稲葉山城という名前でしたが、織田信長がこの城を拠点にし岐阜城と名付けました。
斎藤道三は息子の斎藤義龍に敗れ命を落とします。その後斎藤義龍が病死し、斎藤龍興が城主となります。そこで織田信長は豊臣秀吉が築城した墨俣一夜城を拠点にして稲葉山城攻めをしました。その結果織田信長が城主となりました。
展望台からは大桑城が見え、斎藤道三と土岐頼芸が睨み合っていたのも想像できます。
行き方ですが、まず、ロープウェイに乗ります。その後20分ほど歩くと模擬天守に着きます。
明智光秀が好きな人もここに行くのはおすすめです!
また黄金の信長像は岐阜駅の前にあります。
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