安川城からの転戦です。続100名城スタンプを栃波埋蔵文化財センター(36.635910、137.011165)で押印後、増山陣屋駐車場(36.655810、137.038762)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、戦国時代に神保長職によって築かれたと云われています。
南北朝時代に築かれたとされる和田城は、この増山城の北方にある亀山城と見られています。
1543年(天文12年)頃に神保長職は富山城を築き、新川郡の椎名氏を圧迫するようになります。
椎名氏を支援する越後の上杉謙信は1560年(永禄3年)富山城を攻め落とし、居城であった富崎城も攻め落とされ、長職は増山城に逃れましたが、上杉氏はなおも追撃して長職は再び城を捨てて逃れました。
1562年(永禄5年)頃に神保長職は上杉氏に降伏し、後に増山城に居城を移したが、1572年(元亀3年)頃に没しました。
長職没後、増山城には一向一揆が籠ったが、1576年(天正4年)上杉謙信が攻め落とし、 謙信は家臣吉江宗信を増山城に置いて拠点としました。
1578年(天正6年)上杉謙信没後、織田信長に仕えていた神保長住が織田軍を率いて越中に入国し、1581年(天正9年)には佐々成政の軍勢が増山城下を焼き払い増山城は落城しました。
1585年(天正13年)羽柴秀吉の越中征伐によって佐々成政は秀吉に降り、成政は新川一郡に減封され、砺波・婦負・射水三郡が前田利家に加増。増山城には利家の娘婿中川光重が入りました。
1615年(慶長20年)一国一城令により廃城となりました。
増山城は、富山三大山城(松倉城、守山城)の一つに数えられています。
遊歩道が整備され、堀切や竪堀、横堀が確認できます。
増山陣屋駐車場より和田川ダムを通り過ぎると冠木門が見えてきます。
そこから馬之背ゴ➡又兵衛清水➡石垣跡➡一ノ丸➡二ノ丸➡神水鉢➡鐘楼堂➡安室屋敷➡馬洗池➡三ノ丸と巡り、本日の予定時間を60分オーバしていた為、ここで引き返しました。
御所山屋敷、足軽屋敷、池ノ平等屋敷、小判清水や亀山城は時間の都合でパスしました。
個人的な見所は①馬之背ゴのL字型の大土塁、②神水鉢と安室屋敷間の大堀切、③安室屋敷南東の大土塁、④安室屋敷と三ノ丸間の大堀切といったところです。
写真はたくさん撮りましたが10枚に絞りました。
攻城時間は85分くらいでした。次の攻城先=長沢東城に向かいます。
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