諸解説によれば、平安中期に平忠常が築き、常胤の時に千葉氏を名乗り、永く千葉氏が居城したとされる。15世紀中頃には酒井氏の勢力圏になり、特徴から16世紀中頃に土気酒井氏が改修したのではないか。天正18年(1590年)、小田原征伐により酒井氏は滅び廃城となったとされる。
説明板のある北から入り、二の郭と三の郭を仕切る堀切にでる道が一般的なのだろうが、駐車場所を探せなかった為、城跡の南にあるお寺に駐車をお願いする。北側を歩かなかったのが心残りではある。住職さんの話では、千葉氏の時に城域から現在地に移転してきたとのこと。
町内集会所横から切り通し道を上り、要害台に出ると西側に散策路がある。四の郭の南東下は城跡の雰囲気がある。三の郭と四の郭の間の堀は土橋に横矢がかかる。先で二の郭と三の郭の間の堀に出る。北側に虎口跡か、先は細い尾根を一気に下っている。西へ行くと南が開け先に帯郭があり、やや上がれば一の郭と二の郭の間の堀・一の郭虎口になる。虎口先は笹・杉などが多く、郭の西端に向かう道以外は踏み込めない。西端には部分的だが土塁跡らしき高まりがある。
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