志度城からの転戦です。登山口付近(34.205809、134.189030)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、嘉吉年間(1441年〜1444年)頃に寒川氏(さんがわ)によって築かれたと云われています。
寒川氏は代々寒川郡の郡司であったので寒川氏と称したそうです。室町時代には長尾荘の地頭となり、その後細川氏の被官となって大内郡、寒川郡、小豆島を領し、虎丸城、引田城、昼寝城を築いて東讃に勢力を張りました。
1523年(大永3年)領地境の争いを機に雨滝城の安富盛方が寒川元政の所領に攻め入りますが、元政はこれを敗って塩ノ木に追撃しました。
1526年(大永6年)大内氏に属する寒川氏と三好氏に属する十河氏が争い、三好氏が十河氏を加勢して池内城と昼寝城を攻撃しようと企てますが、元政は先手を打って二本杉を攻め、十河・三好両勢を敗走させました。
これによって細川晴元は寒川氏との和睦を命じたが、安富盛方はその命に従わず長尾表で元政と戦ってこれを打ち破りました。
元政は池内城を失って昼寝城へと逃れ立て籠り、兵糧攻めにあったが落城せず安富氏は退いたそうです。
1570年(元亀元年)寒川丹波守は虎丸城を阿波の三好長治に奪われ昼寝城へと退きます。その後、三好氏は二度に渡り昼寝城に攻め寄せたが落城させることはできなかったそうです。
登山口に説明板がありますが、危険な為、しばらく登らないように張り紙があり登城を断念しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=雨滝城に向かいます。
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