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todo94

春日神社 (2021/03/27 訪問)

春日神社から登城してみましたが、城を示す表示は何もありませんでした。山頂の三角点は確認することができました。

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淳盛甲斐守

地元の神社 (2012/08/16 訪問)

甲府の人は初詣、お宮参り、七五三と良く利用します。昔は城として意識しませんでしたが今では武田信玄の館跡として観光客も一杯です。桜の季節は神社から武田通りを見下ろすと桜のトンネルです。

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難攻不落 (2020/04/09 訪問)

こんな高所に、こんな現存の天守や石垣…
馳せ忍ぶと、当時の人達の匠に驚嘆。
いろいろ城を巡ったが、難攻不落の城とは、まさに、この城だろう。
断崖の上に石垣を積み、断崖の上に天守や櫓。
そして、土塀がこんなに多くある城は初めてだった。
重要文化財は、天守と二重櫓と土塀。
臥牛山の八合目、ふいご峠までは車、またはシャトルバスで行ける。
残りは20分くらい自力で登る事になる。
まず、誰もが驚くだろう遺構は大手門の断崖の上に積まれた石垣群。
自然と人工物との融合。
二の丸から眺める下界は最高。
味のある天守に二重櫓。
大松山城までは、かなりの体力を要する為、無理はしない事だ。大堀切は圧巻なので、それだけ見に行くのも良い。
城主の、さんじゅーろーは、気まぐれだが、本丸か二の丸によく居るらしい。
そして、気付いたことは、至る所に瓦が落ちている。そして、先ほども述べたが、土塀が他の城に比べて圧倒的に多い。
政務を行う尾根小屋は、高梁高校の敷地になっている。野面積みの石垣に囲まれた高梁高校の生徒が羨ましい。武家屋敷駐車場に停めて、歩くのが良いだろう。
分からない事は高梁市観光協会にTELすると良い。とても親切だ。
注意事項としては、ふいご峠で水分を買っておく事。それより上には自販機は無い。
大松山城に行くには、トレッキングシューズが好ましい。
ちなみに、スタンプも御城印も本丸入り口券売所にあります。クリアファイル 等も販売している。
しんどい思いをしてでも、行く価値が十分にある城だ。

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にのまる

多摩の山城一気攻めの③ (2021/03/17 訪問)

 朝、自宅を出るときには、一日に山城3城はキツイかもしれないから駅近のここは出直すことになってもいいやと思っていたのですが、檜原城、戸倉城をまわっても時間の余裕があったので行ってみました。
 三内神社に行くためだけにあると思われる踏切を渡って鳥居をくぐった先の階段を登ると拝殿です。ここが目的地であればバンザイなのですが(本音)スタート地点なので、主郭だったと思われる天竺山を目指します。天竺山には奥宮があるということなので無理な登山ではないだろうと思ったものの、どのような道をどのくらい歩けば到着するのかわからないまま進むのはドキドキします。
 藪や倒木でもあれば引き返す言い訳に出来たのですがそこまでの山道ではないので導かれるままに登っていくと、いかにも参道といった雰囲気の長い階段に出ました。崩れかけているようにも見えますが案外大丈夫そうだったので登ります。この日最後のゴールへの道。視線の先に青空も見えてきて脳内BGMはZARDの負けないで♪一択。
 着いてみればあっという間(麓から15分程度)で、先の2城より低い標高310メートル(比高100メートル)。城跡としては解明されていないようでそれを示すものはありません。立地や時代背景、登った感覚や目に焼きつけた景色からいつの日か自分で考察(妄想)できればいいのですが…。
 下りは「石段注意!まわり道」の案内もありましたが、まわり道の方がどこに出るのかわからず怖かったので石段から下りました。
 この日の歩数計の記録は、一日の総歩数と歩行距離は大したことなかったですが、161階分上ったという数字を見てフフフ( *´艸`)ってなりました。3城の比高を足すと500メートルです。
 3城とも狼煙台か物見台か櫓台か…という感じのする山城で歴史の表舞台にはあまり出てこないのかもしれませんが、景色もよくて緑の中でいい運動にもなりました。日常のあれこれから離れてリフレッシュできてよかったです。何百年も前に堀を切ったり土を盛ったりして築いてくださった見知らぬ方々に感謝ですm(._.)m



あきるじょうは、あではじまりるでおわるのでしりとりにはつかえそうにありません。

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赤い城

やっぱり玉石垣 (2021/04/03 訪問)

高天神城攻略のための拠点の城。
駐車場もあります。
天竜川から運ばれた河原石の石垣が特徴的です。
玉石垣は本丸の南側にありよく復元されています。
北の丸はマレットゴルフ?場でお年寄りの憩いの場になっていました。
申し訳なさそうに横切って松尾山へ。
戦国期には本丸だったとされています。
松尾山の外側には深い堀がありますが立入禁止となっていました。
家康の命を受けた大須賀康高が改修し、平時の政庁となった城で幕末まで存続していました。

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昌官忠

ちょっとそこまで2城巡り②:城ノ台城 (2021/04/09 訪問)

ちょっとそこまで2城巡り2城目は城ノ台城です。
西船橋駅より徒歩16~17分くらいで多聞寺門前(35.713807、139.949053)に着きました。

城ノ台城は天文年間(1532~1555年)に、北条氏康が里見氏への備えとして築かれたようです。
しかし、当城に関する文献資料等はなく、発掘調査でも城館の存在を裏付ける遺物は発見されなかったそうです。
ただ現地には土塁、虎口、櫓台状の地形などが見られるため、「城ノ台城」の存在については今も結論が出されていないそうです。 

多聞寺北の高台が城跡のようですが、遺構はないようです。
攻城時間は15分くらいでした。

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昌官忠

ちょっとそこまで2城巡り①:長島高城 (2021/04/09 訪問)

ちょっとそこまで2城巡り1城目は長島高城です。
浦安駅より徒歩15~16分くらいで、清光寺門前(35.668242、139.882346)に着き、その後、長島之碑を確認する為、香取神社鳥居前(35.667778、139.880679)に向かいました。

小田原北条氏が関東一円を支配していた時代の記録「小田原衆所領約帳」には江戸川区内十六の郷村名が登場とし、その中に「長島高城」という記載があるそうです。
1749年(寛延2年)青山某の書いた「葛飾記」に「此所は昔、長島殿と申す城主の城下の湊のよし」と記述されていることから、これが「長島高城」とよばれた中世の館の存在をうかがわせる発端になったそうです。
長島高城が館とすれば、現在の清光寺の境域にあったのではないかと考えられています。
浄土宗寺院の清光寺は、一向山無量院と号し、徳誉法印が1502年(文亀2年)に開山したといいます。

香取神社の周りは神社がたくさんありました。香取神社付近が葛西蓮根栽培の中心地だそうです。
「長島之碑」は香取神社の境内にあって、旧町名の長島町の由来や当地に館があったと伝えられている事が記されています。
攻城時間は20分くらいでした。

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カズサン

【三河川尻城】愛知県新城市 奥平氏初の作手築城 (2021/03/26 訪問)

 古宮城を終えて作手歴史民俗資料館に寄り情報と資料を得る、持参の弁当を資料館駐車場車中で食べ密と接触を控える。
 川尻城住所:愛知県新城市作手高里字城山、城山公園と成ってる。
 駐車場:川尻城の裾道を通って東に広場兼駐車場非舗装、余裕の有る広さ。
 案内:古宮城から北に約1km、国道301号線を高里駐在所手前の小川を渡って直ぐの細い道を右折東へ、細いので判りづらく行き過ぎるかも?入ると食事処が有り裾道を駐車場へ、斜め上の道は本曲輪までの細い道軽なら可能かも? 駐車場に車を置き歩いて探訪も良いかも。
 探訪ルート:登城路は斜め上の道を登って行く、駐車場側からも登城路が有り途中で合流します、本曲輪下枡形に冠木門、柵列、案内板が有る、登り切って本曲輪、本曲輪の櫓台か?物見台か?上に忠魂碑が在ります、本曲輪は結構広く、東屋、トイレ、北奥に土塁、周囲にも在ったような痕跡、北土塁下に2曲輪、その下に尾根上の上に3曲輪北西側に土塁が連なってる、引き返して本丸下冠木門へ。
 歴史:奥平氏は播磨赤松氏の流れ上野甘楽郡奥平郷より天授年間(1375~80年)川手領主山崎氏を頼って作手に移り最初に川尻城を築城その後手狭に成り亀山城を築城し移る、作手初代貞俊応永31年1424年の事。(作手歴史民俗資料館入手奥平氏年譜抜粋)

 2回目の登城、こじんまりした歩きやすい城跡です自然公園として忠魂慰霊の地として静かな環境でゆっくり出来ます。メジャーな城郭では有りませんが古宮城、亀山城とセットで車で来れます。

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カズサン

草が伸びる前にと二度目の登城 (2021/03/26 訪問)

 前回は平成27年5月まだ続百名城の選定発表2年前です、今回下草が刈られ下草が伸びる前とひょっとして桜も咲いているかな?と作手地域の城廻りをしました。桜はちらほら程度、標高500mの高原盆地はやや寒し、長篠城は満開なのですが。
 先ずは古宮城、白鳥神社横の案内板は新しく且つ詳しく縄張図付で推奨探訪ルートも記載されて居り詳しくて丁寧です、駐車場は神社前の通りを約30m程の所に草地ですが3~4台可能、トイレ無し。
 下草も刈って有りまだ草も伸びて無く、所々小型の白い案内板が有り探訪しやすく成ってました、前回は一人占めの探訪が出来ましたが今回は続百名城指定の古宮城5、6組のパーティーが探訪してました続百名城効果抜群です。
 今回の探訪ルートは、白鳥神社横の登城階段から東城下横堀、東城枡形虎口、東城西曲輪、東城東曲輪、南北の大竪濠、中間の土橋、北大竪濠を北に降りる、竪濠が大き過ぎて写真に収めきれない、今回初めて裾の周囲にぐるっとある水堀の痕跡を確認、水堀り横の土塁、横の曲輪群を東がわ半周して神社側へ、今回草も刈られルート案内も有り探訪しやすい、下より初めて上部曲輪群を眺めましたスケールの大きさに驚愕。
 西城を探訪して無いので再度神社横の階段を東城枡形へ登り土橋を渡って西城へ東手前が西城の馬出、西奥西城本曲輪、上から西城ぐるりと横堀が取り囲んでる、伐採、刈られてよく確認する事が出来ます、馬出北虎口から西城半周の横堀を観察、西城側の方が見通しよく観察がしやすい状態です。(古宮城の曲輪名称は作手歴史民俗資料館で頂いた縄張図に依ります)
 約1時間初体験も有り楽しく過ごしました、何人かの方に尋ねられお答えしたり情報を得たりと他の山城に無い経験もしました、名古屋、多摩、大坂ナンバーの車も見えてます。
 また登城前に作手歴史民俗資料館に寄られて情報と資料古宮城縄張図、亀山城縄張図、作手地域城廻りコース図6城の縄張図付をゲットして登城されると良いでしょう。
 写真投稿は私の初観察場所を中心に掲載いたします。

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イオ

一日まるごと小谷城(清水谷) (2021/03/14 訪問)

(続き)

清水谷への道を下りながら、もっと早くに家を出ていれば…とか、あちこち寄り道し過ぎたか…とか、気分は沈むばかりでしたが、清水谷にある屋敷跡には石垣もあるようだし、と気を取り直して、大野木屋敷の石碑と説明板から奥の石垣を見に行ってみると、山王丸の大石垣にも劣らぬ見事な高石垣が! その下の三田村屋敷にも苔むす石垣が見られ、この2つだけでもこちら側に下りてきた甲斐がありました。

すっかり上機嫌で(←単純)たどる清水谷の沢沿いには、八畳岩や蛙岩、丸子岩と呼ばれる巨岩が続き、東側斜面には羽柴秀吉が攻め上った水の手道や主郭部から続く長大な竪堀が見られ、その先には浅井氏三代の居館があったとされる御屋敷跡や浅井氏の菩提寺の徳勝寺跡、遠藤屋敷や磯野屋敷など家臣団の屋敷が広がり、小谷城戦国歴史資料館に着くまで全く退屈することはありませんでした。

清水谷に下りると決めた時は、当初の目的を果たせず負けたような気になりましたが、すんなり一周できていれば清水谷を訪れることなく満足してしまったでしょうし、今回はむしろこれで良かったと思っています。とはいえ、やはり一周は果たせていませんので、再訪を期して小谷城戦国歴史資料館にはあえて入館せず、100名城スタンプも押しませんでした。次こそは必ずや!

小谷城を全部めぐるのは一日がかり、とはよく言われますが、周辺の帯曲輪など寄り道し過ぎたとはいえ、6時間では全く足りないとてつもない巨大山城で、規模が大きいだけでなく、御馬屋に馬洗池、黒金門、大堀切、山王丸の大石垣、月所丸に清水谷など見どころも満載で、帯曲輪に下りていけば思いがけず石垣に遭遇し、歴史に大きく影響した合戦の舞台として戦国のロマンにあふれ、夢中でめぐるうちに一日があっという間の素晴らしい城でした。
 

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todo94

ひっそりと (2021/03/27 訪問)

桜がきれいに咲いていましたが、訪れる人はなく、静かに過ごすことができました。尼子氏の軍事を支えていた新宮党粛清という歴史を今回初めて知りました。

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赤い城

当時はこの辺りまで入江で海に面していた (2021/04/03 訪問)

袋井市郷土資料館に車を駐めて徒歩で登城。
資料館にはパンフレットもあり、ジオラマも展示されています。
遺構は主郭周辺にしか残っていないようです。
神社の裏手に深い堀、馬出の跡や当時船着場だった羽城曲輪を見ることができます。
県道から北側に城域が広がっていますが宅地化で遺構入れませんなさそう。
小笠原氏ゆかりの城で高天神城を攻めるための徳川方の前線基地として使用されました。
高天神城攻めの際には合わせてどうぞ。

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小城小次郎

ごくごくわずかな高低差が残る (2021/01/24 訪問)

松下屋敷とも呼ばれるこの城には秀吉最初の仕官の地という伝承も。松下之綱が大名になったのは秀吉が旧恩に報いたのだとか何だとか。屋敷地の一部は公園となり、よく見ると土塁がごくごくわずかな高低差となって残っている。

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キンヤ

眺望と石垣が素晴らしい 天空の城 (2008/10/19 訪問)

竹田城のアヤコ様達の投稿を拝見し、やはり素晴らしい城だなと思いました。
2008年に行った時の写真ですみませんが、私も投稿させて頂きます。

※昨日、写真を追加編集しようとした際、誤って削除を押してしまい失礼しました。

天空の城とも言われ、眺望が素晴らしく、この時は雲海がない代わりに麓を見渡せ、どこからでも敵を見つけることができる事がよく分かりました。
また、見事な石垣がよく残っていて、感動しました。

今まで行った石垣の山城でベスト3に入る位に好きな城です。

その後、大人気になり見学できるルートはロープで限定され、マットのようなものが敷かれているようで少し残念ですが、遺構保護や安全の為には仕方がないと思います。

コロナが収束したら、いつかぜひ再訪したいです。

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しゅわっち

4月で天気が良いので臼井城趾公園につい行ってしまいました! (2021/04/07 訪問)

4 月の天気の良い日、京成臼井駅で電車をおりました!約10分位小山を越えてテクテクと、入り口がわかりづらく、googlemap片手に到着しました!本丸跡から印旛沼を眺めると昔の人も見たんだろうなと感慨深くなってしまいました!

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イオ

一日まるごと小谷城(六坊・月所丸) (2021/03/14 訪問)

(続き)

山王丸から尾根道を下って行くと、浅井久政が領内の六つの有力寺院の出張所を置いたとされる六坊が広がり、南部に低い石垣、東辺には数条の竪堀が掘られています。

六坊を抜けて少し行くと、山頂の大嶽、北東尾根の月所丸、南東・南西尾根の間の清水谷への分岐がありますが、まずは月所丸へ。月所丸は越前へ続く山道の付け根に築かれた東西二段の曲輪で、西南部に竪堀、西北部に畝堀(畝状空堀群?)、各曲輪の東辺にそれぞれ分厚い土塁をめぐらせ、東端の土塁下に二重の堀切、さらに東のもう一条の堀切で尾根を遮断しています。越前への道の起点でもあり、朝倉氏の関与により築かれたと考えられますが、土塁といい堀切といい畝堀といい見事な土の城で、寄り道して訪れる価値は充分すぎるほどにありました。

さて、この日は一日かけて小谷城を一周する予定で、6時間もあれば充分かなと考えていましたが、月所丸から分岐に戻った時点ですでに4時間半が経過。この後、大嶽から福寿丸、山崎丸を経て下山するには少なくとも2時間はかかりそうです。日没まではまだ時間があり、行って行けなくはないでしょうが、駆け足で見て回ることになるのも嫌だし…ということで、大嶽から先はまた日を改めることとして、清水谷から下山することにしました。(続く)
 

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にのまる

多摩の山城一気攻めの② (2021/03/17 訪問)

 檜原城に続けて戸倉城に登りました。 西戸倉バス停、駐在所左手の道から神明社側の登城口まで案内が出ています。
 登城口に立てかけてあった何本もの木の枝の杖から下山された方の「持ってけよー!」という無言のメッセージを受け取り、猪用?の箱罠から「出るかもよー」という警告を受け取りましたが、ロッククライミングや罰ゲームのようだったとご投稿のある光厳寺口ではないので大丈夫、きっと行けると自分に言い聞かせて登城開始。
 山頂までの道のりは危険なところはありませんでしたが30分近くかかり、視線の先に石積みを捉えたときは、それが一目で後世のものとわかるものであってもー寧ろ人の手で整備された場所に着いたとわかってー、ほっとしました。
 山頂には小さな郭が二つ。狼煙台や物見台説に首肯します。滝山城主大石定久隠居城説もありますが、それが史実ならば、山頂であれ麓であれ、楽隠居などではなく背負うものがあったと感じます。五日市方面に開けた眺望、周囲の山々の景観がすばらしかったです。説明板を見ながら主郭まわりを偵察中に10円玉を発見。すっかり緑青に覆われていましたが、山の神様へのお賽銭かもしれないと思い三角点の上に置いてきました。これから行かれる方、まだそこにあったら置いたのは私です。
 世界中の山々を巡っておられるというハイカーさんと遭いました。臼杵山から登ってきてこれから光厳寺に下りられるということでしたが臣従は辞退し、登ったのと同じ神明社に下りました。説明板にあった水の手を見つけたかったけれどわからずじまいだったのが心残りです。

 戸倉城は標高434メートル、比高210メートルで先に登った檜原城とほぼ同じですが、こちらの方が急坂だったような気がします。下りは20分ほどでした。
 武蔵五日市駅に戻り、3城目の阿伎留城へ向かいました。

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todo94

尼子十砦2城目 (2021/03/27 訪問)

王子神社から無理矢理登ってみました。堀切、郭らしきものを視認いたしましたが、説明板や標柱など、現地の表示は何もなかったのでなんとも言えません。一応、これが2015年に攻略した十神山城に次いで尼子十砦の2城目になります。

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赤い城

綺麗に整備された城 (2021/04/03 訪問)

城址北側に駐車場があり、説明板もあります。
駐車場にパンフレットが置いてあります。
駐車場脇から登ると北の丸、更に進むと北下段と本丸の間に堀切があります。
二の丸、高見とよく整備されていて歩きやすい。
大手門に周り、東の丸方面に登っていくと竪堀や堀切も確認できます。
全体的によく整備されています。
個人的には本丸と東の丸の間の堀切が良い感じ。
地元の武将、久野氏の居城で久野氏が関東移封後は豊臣家臣の松下氏、徳川時代には北条氏重が治めた城です。
地元の方が力を入れている感じがよくわかりました。

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小城小次郎

お城公園っぽくなってきた (2021/01/24 訪問)

かつて駐車場だったところに施されたカラー舗装はよく見ると埋もれた堀の平面復元のようだ。中世浜松城の想像復元図も大きく掲示されているし、周辺施設がなくなってから一気にお城公園っぽくなってきた。

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