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桂公園 (2022/04/29 訪問)

厳島合戦のときに桂元澄が守っていた城ですが、現在は桂公園となっています。遺構はありません。雨が激しく降ってきたので早々に退散しました。

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熊谷氏の館 (2022/04/29 訪問)

熊谷氏の平時の居館跡と推定されています。石碑と案内板があり、石垣が残っています。

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雨中の散策 (2022/04/29 訪問)

熊谷氏が安芸に入部して最初に築いた城です。
この日の午前中は気合の入った雨が降っていたため足早に散策しました。雨の中でも整備された城址で歩きやすかった。広島県教育委員会HPには「最高所の郭には井戸跡もある」と記載されていますが、よくわかりませんでした。

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宗春

桶狭間の戦い三城③ 鷲津砦 (2022/04/30 訪問)

大高城、丸根砦、鷲津砦の3城の御城印を購入したので、イッキに訪問しました。

周囲には駐車場がないので、車で訪問する際は、大高緑地公園の南駐車場を利用するのがオススメです。駐車場からは少し距離がありますが、違法駐車するより確実です。

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ぎりょう

伊達氏発祥の地を巡る①福島県伊達市梁川 (2022/04/29 訪問)

自身が所属する「古文書を読む会」研修旅行の候補地下見で、福島県伊達市梁川と桑折町を訪問した。今回の研修テーマは「伊達氏発祥の地をめぐる旅」。担当者4名で東北自動車道国見IC経由で先ずは梁川城に。仙台藩祖伊達政宗はあまりにも有名だが、伊達氏も文治5年(1189)の奥州合戦に従軍した関東武者でした。常陸入道念西朝宗は阿津賀志山合戦に際し、石那坂で奥州藤原氏の臣佐藤庄司軍を破り鎌倉軍勝利を決定づける手柄をあげる。伊達郡の地頭に任じられて入部し伊達氏を名乗ったと伝わっている。梁川は伊達氏館(梁川城本丸跡)が築かれた時代から多くの寺社が造営された中世都市であったようだ。
本丸跡は現在梁川小学校跡地で、東西100m、南北150m程の規模で、かつての伊達氏館の規模をイメージできる広さ。また心の字池の庭園跡が復元されており、発掘調査の結果で中世伊達氏による造営が明らかになっているらしい。外郭は梁川高等学校の敷地、住宅街となり原状は確認できない。秀吉の奥州仕置きにより、伊達政宗は自力で獲得した会津地方を、大崎・葛西一揆後は本貫地の伊達郡や置賜郡も取り上げられる。かつて伊達氏の本拠地梁川城は、皮肉なことにその後この地を領した蒲生・上杉氏により、北に所領を構える政宗に対する境目の城として改修されることになる。

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宗春

桶狭間の戦い三城② 丸根砦 (2022/04/30 訪問)

大高城、丸根砦、鷲津砦の3城の御城印を購入したので、イッキに訪問しました。

周囲には駐車場がないので、車で訪問する際は、大高緑地公園の駐車場を利用するのがオススメです。

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higekam

浦上氏の主城、三石城の西を守る支城 (2022/04/28 訪問)

本丸と唯一のなだらかな尾根でつながる東出丸を断ち切る堀切とこの地区の特徴的な石垣(石積)をめあてに、今回はJR 備前片上駅から攻城した。

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日野山城の支城 (2022/04/28 訪問)

 主郭と周囲の堀が残っています。いい空堀があると思うのですが藪になっていて見にくくなっています。空堀の中を散策したかったのですが、断念しました。主郭には案内板が設置されていました。ただ主郭に上がる道が崩れていて歩きにくかった。主郭以外の曲輪はよくわかりません。
道路に標識があり城址には迷うことなく行くことができます。

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森脇氏の城 (2022/04/28 訪問)

吉川氏の家臣森脇氏の城と伝わっています。城址は小さな丘陵で案内板があります。

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馬蹄形状の城 (2022/04/28 訪問)

 吉川氏が駿河の国から移住して最初に築いた城と伝わっています。東西に2か所の郭群があり、今回は時間の関係で西郭のみを訪問しました。馬蹄形状に配置された二つの郭があり本丸、二の丸とネットで見た縄張り図には記載がありましたが、ほぼ同じ高さで昔は標識があったらしいのですがそれもなく、どちらが本丸なのかわかりにくいです。いい空堀が残っています。

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小倉山城跡歴史公園 (2022/04/28 訪問)

 吉川氏の居城でよく整備されて歩きやすかった。北側駐車場から登城しました。堀切や土塁が残っています。小倉山城跡歴史公園散策案内の図を見ると東側にピンク色で描かれた登城路と書かれた所があります。行ってみると入口に、二重堀かと思われる構造を見ることができます。ここがそれぞれ通路なのですが、おもしろい遺構だと思いました。

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吉川元春の妻の館 (2022/04/28 訪問)

吉川元春の妻の屋敷跡です。石垣が残っています。

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吉川元春館跡歴史公園 (2022/04/28 訪問)

吉川元春館跡歴史公園として整備されています。吉川元春の隠居所として築いた館跡です。石垣、土塁などを見ることができます。

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赤い城

主郭は削られて消失 (2022/04/24 訪問)

東葉高速の八千代中央駅か村上駅から徒歩で30分ちょっと。
佐倉城から東葉高速を経て帰ることにし、立ち寄りました。
民家の裏手に説明板が立っていてその先が城址です。
左手が四郭、右手が三郭で三郭手前に空堀があります。
三郭には土塁が付いていて途中切れ目のようになっています。
竪堀のように見えますが良く分かりません。
三郭の先には祠があり、この先二郭、主郭と続くはずですが土塁状の尾根を除き土取の為に削られて消失しています。
村上氏の居城とされています。
住宅地に残る貴重な遺構です。

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todo94

県内の城めぐり2022⑯ (2022/04/09 訪問)

2021年のゴールデンウイークに鉄塔の少し先まで進んだところで引き返してしまったので今回は山頂を極めるという強い意志を持って登城いたしました。小岩嶽城に負けず劣らずの急坂登に400mを越える比高で困憊いたしましたが、無事、ステンレスの祠が鎮座する主郭部に到達することが出来ました。ただ、そのステンレスの祠は倒木によりひしゃげてしまっていましたが。この城の見所はやっぱり鉄塔から下っている竪堀かなあと思います。

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宗春

桶狭間の戦い三城① 大高城 (2022/04/30 訪問)

大高城、丸根砦、鷲津砦の3城の御城印を購入したので、イッキに訪問しました。

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にのまる

【城と標柱】

城春にして草木深し

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ぎりょう

中世・近世の長い歴史を物語る城 (2021/04/23 訪問)

郡山方面の2日目は猪苗代城へ。この城は文治5年(1189)の奥州合戦の戦功により会津四郡を与えられた鎌倉御家人、佐原氏の一族が猪苗代氏を名乗り居城としたと伝わる。戦国時代の天正17年(1589)には「摺上原(すりあげはら)合戦」に際し、猪苗代盛國が伊達氏に内応して会津芦名氏滅亡の要因を作り、政宗の仙道制覇を実現させた歴史がある。また秀吉の奥州仕置きにより配された蒲生氏、加藤氏、上杉氏時代も会津東地区の戦略拠点として、江戸時代も会津松平氏の支城として中世から近世まで長く続いた。慶応4年(1868)の戊辰戦争の際に母成峠の陥落後には城代が猪苗代城と藩祖公を祀る「土津(はにつ)神社」に火を放って退却したという。
城地は南北に細長い丘陵の最上部に東西30m、南北80mの本丸を置き、南にニ之郭、南・西・北に帯郭を配した輪郭式の中世山城部分と近世になって東側の平地に拡張され、土塁と水掘りで囲んだ二之丸、三之丸を配して平山城の姿となったようだ。
現在、二之丸、三之丸部分は市街地化されているが、山城部分は本丸、土塁、帯郭、虎口、近世の改修による石垣など遺構はしっかり残っている。
訪問した4月23日は三春の滝桜は散った後だったが、福島県の中通りと会津の中間点である猪苗代町は山間部であるため観音寺川畔の桜並木は満開で、多くの花見客で賑わっていた。

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ryu

春の浜松城(2016年) (2016/05/18 訪問)

浜松駅からバスで浜松城公園下車。天守門~天守閣~石垣~鎧掛けの松と見て回る。

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ryu

津山城(2016年) (2016/05/13 訪問)

岡山での用件終了後に訪城。岡山からJR津山線で津山へ。駅前から徒歩10分ほどで津山観光センターに着く。ここで城内の案内図をもらい、料金所から鶴山館を見て、三の丸~表中門跡~二の丸~切手門跡~表鉄門跡~本丸~備中櫓内部見学~多門櫓跡~天守台~粟積櫓跡~長屋櫓跡~裏鉄門跡~裏中門跡~厩堀~三の丸~表門跡と見て回る。
B級グルメの津山ホルモンうどんを食べたかったが、岡山で昼食べたデミカツ丼が堪えて食べられなかったのが残念。
100名城スタンプは備中櫓内で出してくれる。

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