続日本100名城

のべおかじょう

延岡城

宮崎県延岡市

別名 : 縣城、県城、亀井城
旧国名 : 日向

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延岡城
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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/07/14 訪問)

大分+α城廻3日目その2
※佐伯城跡と共に登城
※前日佐伯駅付近に宿泊

千人殺しの石垣をはじめ石垣が見所。スタンプの横に石垣パンフレットがあるのでそれを参考に回るのが良いかも。(パンフはネットにもありました)
石垣以外は残っているものは少なく、本丸には今も(?)時刻を知らせる釣鐘がありました
なお、夏の時期は蚊が多く虫よけスプレーは必須と思います

【本日の行程は以下の通り】
8:13佐伯(路線バス)、8:20大手前
 (徒歩1分)歴史資料館(続百名城スタンプ、9:00-16:30月休)
 佐伯城跡(本丸まで片道25分)

10:38大手前(路線バス)、10:45,11:06佐伯(JR特急)、12:07,12:20延岡(路線バス)、12:26中央通2丁目
 (徒歩8分)延岡城跡(続百名城スタンプ二ノ丸広場管理事務所入口前:24HOK)

15:01中央通2丁目(路線バス)、15:06延岡駅
15:30延岡(高速バス:ごかせ号)、20:05西鉄天神高速BT
※泊:博多

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しんちゃん

千人殺しの石垣 (2024/01/08 訪問)

延岡城は慶長6年~8年(1601~1603)にかけて高橋鑑種の養子・高橋元種によって築かれたとされています。延岡城は縣藩(後の延岡藩)の政庁となりますが、高橋元種は慶長18年(1613)に改易となり、以降は有馬氏・三浦氏・牧野氏と続き内藤氏の時代に明治維新を迎え、明治3年(1870)に薬園とすることを明治政府に願い出て許され、廃城になったとのことです。模擬所門をくぐってすぐに目にする二の丸北側の巨大な石垣は千人殺しと呼ばれ、一部の石を外すと総ての石垣が崩れ敵を押しつぶすという伝承が残っています。
二の丸を上がっていくと本丸に至り、天守台が残ります。コンパクトにまとまった良い城址だと思います。(それでも結構広い)
去年訪問した際はもう日が暮れかかっていたので、古い写真で補填してあります。ご容赦を。

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みん

幸せ (2024/04/25 訪問)

GWに帰省の際、ランニングがてら久しぶりに再会しました。
今は、神奈川に住んでおり約30年前に地元を離れ帰省の度は訪れてましたが。今回、自分1人で帰省し何十年ぶりかにゆっくりじっくり鑑賞しゆっくり楽しめました。
時間があったので初めて見る場所を発見したりと楽しめました。幼少の頃から城山のある生活が当たり前だったので、改めて城のある生活に憧れます。

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赤い城

やっぱりここは石垣だった (2024/05/02 訪問)

佐土原城から次も続100名城の延岡城に転戦です。
その前に「さやか」さんの辛麺で腹ごしらえ。
5辛がスタンダードだそうですが8辛でも全然イケました。

で、延岡城です。
城山公園北駐車場でパンフレットを手にして北大手門から登城しました。
ここの石垣も素敵です。
さらに登ると二の丸、お馴染みの千人殺しの石垣です。
やっぱり圧巻!この日は平日だったので近くの高校生が部活?で石段ダッシュを繰り返していました。
こんな環境での練習、(と若さ)羨ましいです。
そしてお約束の礎石プッシュ、何事も無くてよかった、ほっ。

管理事務所でスタンプをゲットすると練習が休憩中だったので石段を登り二階櫓、さらに二階門櫓を経て本丸広場へ。
さらに天守台へと進みます。
天守台からは城下を一望できます。
ここには鐘撞堂があり、時を告げる鐘として延岡の風物詩にもなっています。
天守台から降り、三階櫓跡へ、発掘調査中でした。

ほぼ石垣ばかりですが満足し下山、最後に外周を歩きました。
二の丸西側の石垣は民家からすぐ、ここの家の方は玄関を出るとすぐに石垣を見上げることができる。
なんとも羨ましい限り、素敵な環境ですね。

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城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 慶長8年(1603)
築城者 高橋元種
主要城主 高橋氏、有馬氏、三浦氏、牧野氏、内藤氏
近年の主な復元・整備 有馬康純
天守の現況・形態 御三階櫓[3重/1655年築/焼失]
主な関連施設 説明板
主な遺構 曲輪、石垣
住所 宮崎県延岡市本小路
問い合わせ先 延岡市役所
問い合わせ先電話番号 0982-34-2111