続日本100名城

のべおかじょう

延岡城

宮崎県延岡市

別名 : 縣城、県城、亀井城
旧国名 : 日向

投稿する
延岡城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

トク

「千人殺しの石垣」と「有馬直純」 (2026/01/23 訪問)

延岡駅からバス「まちなか循環内回り」に乗り10分、「九電前・市役所西」(写真⑩)で下車するとそこが延岡城です。帰りは外回りが便利です。続100名城スタンプは二ノ丸管理事務所前にポツンと置かれていました(24時間押印可のようです)。

延岡は奈良・平安時代から800年間、土持氏が治めていましたが、土持氏が豊後大友氏に滅ぼされた後、秀吉の命で入った「高橋元種」(古処山城主:秋月種実の子)が総石垣造りで城を改修します。元種は九州の関ケ原では、東軍に寝返ったため所領は安堵されますが、その後に罪人を匿ったために改易。そして1613年には代わって「有馬直純」が延岡に入ります。直純の父は、あのキリシタン大名で有名な日野江城主「有馬晴信」です。晴信は「岡本大八事件」(賄賂)を起こし1612年に死罪となりますが、子の直純は幼い頃から徳川秀忠に仕えていたため改易は免れました。しかし島原の地に居づらくなったのか、翌1613年に自ら転封を願い出て、延岡15万石に移ります。そしてその生涯は苦渋の決断の連続でした。

不祥事で父を失っただけでなく、関ケ原後は小西行長の姪である妻と離縁し、自らはキリスト教を棄教します。しかし子らはどうしても棄教しないため、徳川から有馬家を守るため、仕方なく子らを惨殺してしまいます。そして1637年には幕府の命で延岡から島原の乱に出陣、そこでキリシタンである旧家臣や旧領民らと戦い、そして彼らをも惨殺してしまいました。有馬家を守るためとはいえ、いったいどんな気持ちだったのでしょうか? しかしその結果、有馬家は安泰となり三代70年間続く事ができました。

天守台に登ると延岡市街がとてもよく見渡せ、確かに五ヶ瀬川と大瀬川を天然の堀としているのがよく分かりました。そして西には高千穂の峰、東には日向灘まで見渡せ、その景色はとてもきれいでした(写真⑧⑨)。有馬時代の絵図には、この天守台に三重の望楼型の天守が描かれていたそうですが、発掘調査では瓦などは出土されなかったとか🤔?(写真⑦)。果たしてここに天守は本当にあったのでしょうか? これも興味深い話です。

私は高橋元種が築いたとされる「千人殺しの石垣」をじっと見つめてみました(写真④)。19mの高さの石垣は、この隅部(写真⑤)を外せば千人殺せる程の高石垣だと言われ、この名がついたようです。しかし私はこの石垣を見ていると、妻と離縁し、父をも見放し、子や旧家臣や旧領民らをも惨殺してしまった直純は、どんな思いでこの石垣を見つめていたのだろうか? 何故かそんな事をふと考えてしまいました🤔・・・
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トベシュン

東九州城巡り 日出城・臼杵城・佐伯城・延岡城・佐土原城・志布志城・飫肥城の七城 (2025/09/26 訪問)

東九州城巡り 日出城・臼杵城・佐伯城・延岡城・佐土原城・志布志城・飫肥城の七城を巡ってきました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

千人殺し (2025/05/05 訪問)

延岡城は県(延岡)藩主高橋元種によって慶長6~8年(1601~3)にかけて築かれました。本丸の西に二の丸、北に三の丸を配し、周囲に内堀を配してありました。北の五ヶ瀬川と南の大瀬川を天然の外堀とし、防御も抜かりないです。また藩主の館跡とされる西の丸は、現在は内藤記念博物館と亀井神社になっています。
二の丸に沿って続く道を登って行くと折れ曲がりが有り、その先に二階門跡、その先の折れ曲がりの先に本丸があります。二の丸に沿って続く70mの石垣は「千人殺し」と呼ばれ、隅の石を取ると石垣が崩れ千人の敵兵を殺すと伝わります。さすがにそれくらいじゃ崩れんだろとは思いますが、写真を見ると二の丸に面した石垣の一部が膨らんできているようにも見えます。万一崩れた際に、元通り修復するために万全の対応をお願いします(各責任者さん)。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

リュックひとつで九州一周城めぐり旅7日目スタート (2025/01/24 訪問)

初訪問のところが8城続いて頭の中が休まる暇がなかったのですが、この日予定の3城は全て再訪なので気持ちに少し余裕があります。
「旅名人の九州満喫切符」を投入したいところでしたが、延岡→佐伯の宗太郎越え区間が特急利用となるため普通乗車券を購入。途中下車しながら進みました。

延岡駅からは徒歩で延岡城跡公園へ。
現地に着くと、前回登城時にパンフレットを見ながら夢中で歩いた記憶がよみがえってきました。
そうそう、これこれ!
この石、この刻印、この井戸、この坂、この眺め……。
懐かしい。
お城の「痕跡」と「現在」を探す・見る・記憶するー。攻めも守りもせず只々歩くだけですが、その時間がありがたくもあり、幸せでもあり。


todo94さん、プレミアムな姫路城のレポートをありがとうございます。「るの門」を飛ばすレベルの姫路城🔰ですが、姫路城の奥深さ、魅力に興味が尽きません。

あさん、大阪・京都コンプリートおめでとうございます🎊
朝田さんのクイズ、一瞬東京駅?深谷駅?と思いました💦

3,000城コンプリートへの道。
貢献できるかどうかわかりませんが、みなさま方のお城愛に溢れる投稿を頼みの綱として新しいところにもチャレンジしていきたいです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 慶長8年(1603)
築城者 高橋元種
主要城主 高橋氏、有馬氏、三浦氏、牧野氏、内藤氏
近年の主な復元・整備 有馬康純
天守の現況・形態 御三階櫓[3重/1655年築/焼失]
主な関連施設 説明板
主な遺構 曲輪、石垣
住所 宮崎県延岡市本小路
問い合わせ先 延岡市役所
問い合わせ先電話番号 0982-34-2111