岡山城の続きです。
関ケ原から話がちょっとそれてすいませんが、岡山城の石垣も大変よかったのでお伝えします。岡山城にはいろいろな石垣があるんですね~(私は前回訪問時は気づかず今回初めて知りました)。天守だけでなく石垣も十分楽しめるお城です。
1番目、まず入口にある「鏡石」です(写真①:わ!大きい😯)。 高さ4.1m幅3.4mあるそうです。これは犬島という所(離島)から運んできたそうです。威厳を示すには十分ですね。
2番目はこの部分「中の段南西部の石垣」です(写真②:ちょうど工事中だったのですいません)。右の緩い傾斜で自然な感じで積まれているのが小早川秀秋の石垣、左の傾斜がきつく切込接で造られているのが池田忠雄の石垣だそうです(対称的ですね~)。
3番目はこの部分(写真③)「大納戸櫓下の石垣」です。ここには天守に次ぐ三重四階の櫓があったそうです。小早川が築き池田氏が改修、上に行くほど傾斜が急になっています(技術の進歩にともなった改修というわけですね)。
4番目は「不明門(あかずのもん)下の石垣」です。右は宇喜多時代の石垣で、土台の岩盤の上に自然石をうま~く積み上げてます。何だか踏ん張っているように見えておもしろいです(写真④⑤:がんばれ~!😠)。左は池田時代に改修された石垣です。
5番目はここです(写真⑥)。表書院の発掘調査をしていたら、その地中から宇喜多秀家の石垣が出てきたそうです。江戸時代の池田氏はこの石垣を地中に埋めて、この上に表書院(藩士の仕事場所)を造っていたという事ですね。
6番目はここ(写真⑦)「月見櫓下の石垣」です。現存する月見櫓とともに池田忠雄時代に造られたものです。よく見ると矢穴や刻印があちこちに見られました。
7番目は「礎石」です(写真⑧)。天守をコンクリートで再建する時に、以前発掘で見つかった礎石を同じ間隔でここに並べて残しているそうです。
8番目は「本段東側の高石垣」です(写真⑨)。左が宇喜多秀家の石垣で、真ん中を境に右が小早川秀秋の石垣です(どこが境目でしょうか? わかりますか?)。宇喜多の石垣に小早川が継ぎ足したようです。宇喜多の石垣は大きめの石を丁寧に積み上げている感じがするのですが、小早川の石垣は時間がなかったのか、自然の小さめの石を加工せずそのまま短時間で積み上げた感じです。何か両者の性格の違いが表れたようでおもしろいです😊。
最後9番目はこの石垣です(写真⑩)。天守北面下ちょうど不等辺五角形の私の好きなふくらみの部分です。石垣を全体的によく見て下さい。 何となく少しうっすらと赤く感じませんか? ならばそれはなぜだかわかりますか? これは昭和20年に岡山城は空襲で焼失し、天守もその時に焼け落ちました。その時の燃えた痕跡で今でも少し赤い色が残っているそうです。何か悲しい痕跡ですね😩。
次は(宇喜多秀家陣跡)を歩きます。
+ 続きを読む










