(20人目)「山内一豊」の続きです。
一豊が築城した「高知城」を訪れてきました。
高知駅前から「とさでん」に乗り(写真⑦)「はりまや橋」(写真⑧)で運賃200円を払い乗り換え券をもらって乗り換え「高知城前」で下車すると高知城が見えてきます。
高知城の登城口である追手門(写真③)の向側には「高知城歴史博物館」があります(写真⑨)。ここには土佐藩の歴史や山内家の資料などが展示されています。高知城を見学する前に、博物館を先に見学される事をオススメします(天守とのセット券もあります)。また3階からは高知城を眺められる場所とレストランがありました。私は高知城を眺めながらそこでゆっくりと遅めの朝食をとり、それから登城しました(写真⑩:3Fから見た景色)。
追手門の入口では一豊の銅像が出迎えてくれます。(写真①②:一豊様~!)何とも勇ましい顔です。
そして門をくぐり、板垣退助の銅像前を過ぎると、階段と高石垣がありその上に天守がそびえる、この下から見上げた姿に、私はすでに圧倒されてしまいました(写真④)。攻め入る気持ちで入りましたが、天守まで辿り着く前にここで戦意喪失してしまいました(笑)(さすが一豊様!お見事です)。
一豊は、すぐに掛川から土佐へ入国する事ができませんでした。「一領具足」と呼ばれる長宗我部の残党が一揆を起こし、入国を阻止しようとしたからです(浦戸一揆)。この一揆は、井伊直政の援護を受け、首謀者273名を斬首し鎮静化。やっとの思いで一豊は入国する事ができました。
浦戸城に入ってから3年後、本丸と二の丸が完成し1604年一豊は高知城へ移ります。いつ命を狙われるかわからず、5人も影武者を用意していたようです。だから高知城はこのような強固な作りにしたのかもしれません。しかしその翌1605年、一豊は天守が完成する直前に突然没してしまいました(享年61)。死因は不明とも、何とも皮肉なものです。
一豊はどんな思いで完成した天守を見る事なく、亡くなっていったのでしょうか? 私は高知城の天守に立ち考えてみました(写真⑥)・・・
本当は、この天守が完成したら、そこから高知の町を眺めながら、これまで支えてくれた千代に、一番感謝の気持ちを伝えようとしていたのではないでしょうか?・・・
次は、(山内一豊の妻(千代)の物語)に続きます。
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