愛知県岡崎市にあり、「しょうだじょう」と読むようです。城びとには未登録の城です。名鉄美合駅で降りて西へ歩いて行くと田んぼの中に石碑があります。近くに「明和年間生田四郎重勝が徳川家康公の姫御前が豊前の国中津藩に御輿入れになった際に附添武士として栄任され時の庄屋本間幾右衛門重勝に其の後始末を一任され廃城となった」と彫られた石の説明板があります。この姫御前というのは亀姫との説もありますが、年代が合わずよくわかっていないようです。城史の詳細も不明のようです。
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2023/07/02 14:07
生田城 (2023/07/02 訪問)
愛知県岡崎市にあり、「しょうだじょう」と読むようです。城びとには未登録の城です。名鉄美合駅で降りて西へ歩いて行くと田んぼの中に石碑があります。近くに「明和年間生田四郎重勝が徳川家康公の姫御前が豊前の国中津藩に御輿入れになった際に附添武士として栄任され時の庄屋本間幾右衛門重勝に其の後始末を一任され廃城となった」と彫られた石の説明板があります。この姫御前というのは亀姫との説もありますが、年代が合わずよくわかっていないようです。城史の詳細も不明のようです。
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2023/07/02 10:18
再訪飯山城整備は如何にとチョイ寄り (2023/06/19 訪問)
9年前の平成26年4月初登城し、上杉謙信公築城450年「飯山城址整備」も大看板が大変目を引き、9年経った現在整備計画の進捗は如何にと気に成り、直峰城主体上越城廻の帰路、豊田飯山ICを降りて飯山城を再訪しました。
駐車場:飯山城址公園無料駐車場、飯山城西曲輪・帯曲輪下の元堀跡、多数の駐車可能。
先ずは駐車場から登って移築復元南中門を見学、丁度中山秀征さんTVでお馴染みのヒデちゃんが地元TVの地元紹介番組撮影中、復元南中門前で撮影クルーと撮影中でしたので暫し南中門撮影を待ってクルーの撮影を見ていました、特にヒデちゃんに声掛けはしませんが。
撮影クルーが終わるのを待って、移築復元南中門の表と裏、弓道場、弓道場前の元南中門址、発掘調査で整備されて地表展示されている、横を通って桜井戸跡、屋根をふき整備されている、三年坂を通って三の丸経由二の丸へ、本丸石垣枡形虎口本丸門跡を通って本丸へ、本丸枡形の石垣が大変奇麗に残っており見ごたえあり、本丸内部は葵神社鎮座、南西角に本丸二重櫓跡の案内板、二重櫓は本丸の高見にあり、城下町より城のシンボルとして見られていた、案内板によると三の丸にも二重櫓が在ったそうです。
本丸から二の丸に戻り本丸石垣を眺めて、坂口門跡へ、飯山城址の東側は千曲川に落ち込む河岸段丘で崖が切岸の役目を果たし難攻である、二の丸から東側の階段を通て三の丸へ、以前は花壇が整備されて居ましたが平地に成って居ました、何か整備が進むのでしょうか? 二の丸に戻って本丸西の帯曲輪へ、西曲輪へ降りる、西曲輪は以前あった市民会館が撤去されて芝生広場、児童公園、交流展示館、トイレが設置、周囲は土塁が復元整備されて、城跡の雰囲気がムンムン、以前とだいぶん変わりました整備成功です、交流展示館は覘きました。西曲輪南の復元土塁虎口を通て南大手門跡へ、現在は葵神社の鳥居が建っています。この南側には西から南へ更に北へ延びる水堀が在ったそうですが、現在埋め立てられて一部水路、平地、住宅街、学校、プール、駐車場に活用されています。(交流展示館の飯山城跡絵図で推測できます)
南大手門跡から扇坂跡、西曲輪の南西角の土塁を見上げて高い切岸に驚愕、復元南中門を再度見学目に焼き付ける、上杉謙信公築城450年「飯山城址整備」の大看板を再度確認。
整備完了は桜井戸、西曲輪が奇麗で出来上がっています。
整備が待たれるのが、本丸城門ですが、また案内パネルには描かれています本丸二重櫓、飯山城の仰ぎ見る本丸天守の代わりに二重櫓の復元整備が欲しい所です。
大変満足な9年振りの飯山城二度目の登城でした。
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2023/07/02 09:52
大平砦&朝鮮丸砦=小学校&中学校。 (2023/07/01 訪問)
雨の予報で何にも予定がない土曜日。
電車で東京都内にお城攻めしてきました。
「大平砦」は「世田谷城」の吉良氏の家臣、大平氏の砦です。
東急目黒線の奥沢駅から「大平砦」を検索すると、なぜか「朝鮮丸砦」を案内するGoogleさん。
どう見ても位置が違うので、砦跡とされる『奥沢小学校』を入力し出陣しました。
10分弱で到着。
小学校をパチリ。ぐるっと回り、ちょっと坂になっている位しか分かりません。
では、Googleさんお勧めの「朝鮮丸砦」を検索したら7分の距離の所にあるとのこと。
向かってみたら『奥沢中学校』周辺でした。
ただし、中学校橫に『大音寺』があり、見上げるほど高い場所にありました。
こちらの「朝鮮丸砦」は加藤 清正さんが関係しているそうです。
朝鮮、大きな音の寺、加藤 清正さん。
なにか興味深い関係がありそうですねぇ。
奥沢駅まで戻ろうか迷っていたら遠くに踏み切りが見えます。
東急大井町線の緑ヶ丘駅でした。
雨が強くなってきたので、ラッキーです。
ただ、力が入っていたので、傘を持つ手に豆ができてました。
、、、情けない。
遺構はなくても、地名でワクワクできる「大平砦」と「朝鮮丸砦」攻めでした。
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2023/07/02 09:09
閉校した校舎と龍岡五稜郭 (2023/06/02 訪問)
小諸から車で約1時間程度で到着しました。
スタンプは、五稜郭出会いの館で押印。
地元の方は、龍岡城とは言わず、五稜郭と呼んでいる人が多いようです。
中にある小学校は2023年3月を以て閉校になってしまったらしく、その為平日でも中に入ることができました。
堀や土塁から星型の雰囲気は味わうことができましたが、豪雨であったため、展望台からの五稜郭を見ることができず残念です…
御台所は、学校の校舎と比べても、かなり大きく立派な建物でした!!
黒門跡は、閉校前は先生たちの車の通用口だったらしいです。
小学校の校舎は、数年後には取り壊してしまうらしいので、校舎の残る龍岡城を見ることができ良かったです。
予定では、この後、高島城にも向かう予定でしたが、午後になり、ものすごい豪雨になったため、旅を中断せざるを得ませんでした。
展望台も高島城とともに再び訪れ、リベンジしたいと思います。
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2023/07/01 21:24
ぴーかるさん,大阪府コンプ,おめでとうございます!
ぴーかるさん,大阪府コンプリート,おめでとうございます!
「ラス1はどこだろう…?」と,ずっと気になっておりました。勝手に大坂城と決めつけておりましたが…<笑>。
引っ張って,引っ張って,期待を裏切ってくれるあたりが,とても嬉しく思います。
私から,「コンプおめでとうクイズ」をひとつ。
大阪府内ではありませんが,どっぷり西日本から。ぴーかるさんも攻城済。
ズバリ瞬殺できると思います。
私の後は,にのまるさんへバトンタッチしますよ~!
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2023/07/01 20:38
小代氏館 (2023/07/01 訪問)
青蓮寺のあたりが館跡らしいのですが…案内板などもないようで情報に乏しく遺構らしい遺構もなく…本当にあったの?といった感じ
台地の先端らしく田園風景が見渡せるので立地は良さそう
数百メートル離れたところで不自然に土塁のような高まりと浅い堀のようなところを見つけましたが、なにせ情報がなく規模もわからないので当時のものなのかわかりませんでした。
逆に言うと情報が何もないから些細なことにも気づくことができて色々面白いかもしれませんが
ここだけを見に行くのはあまりオススメできませんが、近くの高坂館跡や野本館のついでに行くくらいの感覚がいいかも。
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2023/07/01 20:37
特別展示で長篠の戦い (2023/07/01 訪問)
黒田官兵衛築城ってことで場内に貼ってある「天下をとれる気がする」ポスターがシュールです。後世、奥平氏が入ったので、特別展示で「長篠の戦い特集」やってました。NHK大河で一躍有名になった鳥居強右衛門グッズ売ってます。
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2023/07/01 18:16
高坂氏館 (2023/07/01 訪問)
高坂氏館とのことだが、案内板に記載の通り館というより城と言えるような防備
土塁の高さは4〜5mくらいはあったんじゃないでしょうか。
中世の館といえば普段の暮らしをするのに最低限の防備というイメージでしたが、ここの防備は一見の価値ありだと思います!!
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2023/07/01 16:26
戦国最後の英雄終焉の地 (2023/05/21 訪問)
〘真田丸跡・真田の抜け穴・安居神社・茶臼山陣城〙
大阪の城びと最後の城はここになりました。大阪城もとっておきにしていましたが既に何回も行っているので、大好きな武将最期の地をあえておいておきました。約半日をかけて巡り、今回も巡り順に投稿させていただきます。
【三光神社】
真田山の北東隅にある神社で、もし真田山に真田丸があったならば神社の北・東斜面は急勾配で切岸感はかなり残っているように感じられます。境内に真田幸村公像とその横に真田の抜け穴と呼ばれる石組穴があります。
【真田丸跡】
心眼寺の出丸跡碑と真田丸顕彰碑は真田山中央北の傾斜地に位置しています。真田山の中心平坦部分は東西南北150mづつくらいで、道路は各々坂になっています。真田丸がここにあったならば冬の陣の後、堀を埋めるのに曲輪のへりの部分から崩していって坂になったと期待したい地形ではあった。坂が無ければ東西南北300mづつくらいの大きさの曲輪かと思われる。
【安居神社】
真田信繁(以降幸村を使います)がこの神社で休んでいる時に松平忠直の家臣西尾宗次に打ち取られたともいわれる場所です。安居神社の書置きの御朱印が300円セルフであります。初穂料は賽銭箱へ。自分の中ではここが本日のメイン、感無量の大満足です。
【茶臼山陣城】
<駐車場他>天王寺茶臼山駐車場有料
<交通手段>大阪メトロ
<感想>現地説明板によると茶臼山は五世紀築造の前方後円墳とみる説と788年に和気清麻呂が上町台地を東西に横切る運河を掘ろうとして、掘った所は中断した南の河底池で出た土を盛ったのが茶臼山だとする説があります。大坂の陣では冬の陣に徳川家康が夏の陣では真田幸村が本陣を置いた場所です。現地は天王寺公園の一部になっていて、陣城だったと表面観察で分かる遺構は特に残されていません。登頂証明書が現在は一心寺存牟堂ではなく、すぐ東の三千仏堂で購入できます。旧黒田藩蔵屋敷長屋門を見て終了した。今回は個人的満足度は高いのですが、遺構が少ないので記載なしにします。
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2023/07/01 16:20
野本氏館 (2023/07/01 訪問)
館跡で現在は無量寿寺が建っている。
案内板の通り北側にはわずかながら土塁を確認。
案内板の風土記の中で描かれている山も隣に確認できました(柵に覆われていて入れなさそう…??)
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2023/07/01 10:10
陣ケ岡(岩手県紫波町) 奥州合戦の陣跡 (2023/06/11 訪問)
紫波町の三ヵ所目は文治五(1189)年の奥州合戦において頼朝軍が陣を敷いた陣ケ岡。頼朝は平泉を制圧の後に泰衡を追って北上する。吾妻鑑によれば九月四日の項に陣岡の蜂杜に陣を敷きとあり、そこで北陸道追討使の比企能員らと合流した。将兵は二十八万騎と記載されている。前日に比内郡贄柵において譜代の郎党河田次郎に討たれた泰衡の首と対面するのもこの陣中であった。
陣跡は比高16mほどのなだらかな丘陵で本陣跡とおぼしき最高所の平場には現在蜂神社が祀られている。神社参道が南と北にありその西側には空堀や土塁の遺構が有るらしいが、時節柄草木が生い茂っており確認できなかった。また北東部に「泰衡首洗いの井戸」という泉があり小さな祠が祀られているが実際は別の場所だったという。
いまは広い田んぼに囲まれた静かな丘陵に、頼朝をはじめ名高い関東武士が陣して、軍馬がひしめいていたのであろうか。
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2023/07/01 10:01
駅前に土塁ひろば (2023/06/30 訪問)
水城駅改札を出た自販機横にスタンプあります。駅前には土塁ひろばとかいう公園もありました。
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2023/07/01 04:08
2023/06/30 20:38
忍城 (2023/06/30 訪問)
忍城の魅力は三階櫓のみにあらず!
忍城の魅力はなんといっても市内あちこちにある忍城攻め時ゆかりの地を巡れること。
三階櫓(資料館が入っている)だけで満足したらもったいない!
浮城といわれた所以を想像させてくれる水城公園、石田三成が水攻めの際に気づいた石田堤、三成が本陣を置いた丸墓山古墳、映画「のぼうの城」で柴崎和泉守が守る姿が描かれた忍城長野口等々…
あちこち行くので自転車か車が必要になると思いますが…
個人的なおすすめは自転車で、「のぼうの城」の歴史と利根の自然を満喫するルートというコースが設定されているのでそれに従うのがいいと思います
やはり「のぼうの城」の影響がかなりあるし、よく活かしていると思います。
私は基本的に一回行った城に再度行くことはないですが、のぼうの城が好きなこともあって忍城は2回目でした
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2023/06/30 19:57
復元30年三重櫓二度目の登櫓 (2023/06/18 訪問)
前日は時間が終了して三重櫓に登れませんでしたので、翌日の直峰城、虫川城、雁金城初登城後、前日見切れて無かった、ものがたり館、監物堀、東城砦の有る春日山城史跡公園、春日山城大手道、上越市埋蔵文化財センターと開催中の謙信公と春日山城展を見学して、見学時間が閉まる前に高田城三重櫓を目指しました。駐車場は極楽橋に一番近い高田城址公園駐車場を利用。
三重櫓への登櫓は平成17年10月以来の2度目、平成17年は新発田城の木造復元三階櫓と辰巳櫓の見学した後に直江津に泊まり家内との初探訪見学でした。
前日に三重櫓の周辺は見学して居ましたので、即三重櫓へ登りました、入場券は進められて上越市歴史博物館とのセット券を購入、一階二階は資料館、同見学し三階の展望階へ、屋根木組み梁がまだまだ新しく木の香りもします、上棟札も掲げられております、展望階からは東の続き土塀の眺め、南の内濠、西の内濠、北の本丸土塁を眺めてる。
上越市歴史博物館へ本丸西濠沿いを北へ、初めての見学入場です、どうする家康に因みにどうする康政展、最後の藩主榊原氏の資料展が開催されていました、同様に高田城のバーチャル映像など高田城紹介の資料展示。
開場時間ギリギリに暑さと疲れに甘いものが食べたくなり1階の喫茶コーナーで抹茶ソフトを頂きました。
今回の直峰城を主体に箕冠城、虫川城、雁金城初登城、春日山城の再訪は2日、高田城3度目訪問は2日、三重櫓2度目の登櫓、埋蔵文化財センター、歴史博物館と長年の思いと新しいもを訪ねる事が出来、足腰の痛みに換えられぬ探訪でした。
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2023/06/30 18:12
北条早雲の城 (2023/06/25 訪問)
近くでゴルフの予定があったので早めに出発して登城しました。
江川邸は営業時間外でしたが駐車場は利用できました。
江川邸の土塁に沿って城へと向かいます。
登城口からまずは三の丸。
韮山高校のテニスコートになっています。
堀切があり、その下には韮山高校があります。
登城路に沿って進むと権現曲輪。
ここと二の丸の間にも堀切があります。
ここから二の丸までは上り、二の丸は土塁で囲まれています。
さらに土橋を経て本丸へ。
さらに登ります。
天気が良ければ本丸から富士山が望めるそうですがこの日は残念ながら曇り。
まぁこの後のゴルフを考えると暑くなくて良いのですが。
さらにここから天ヶ岳砦へ、と行きたいところですが現在立入禁止。
崩落の危険があるとのことです。
いずれ見学できる日が来て欲しいですね。
で、この後のゴルフですがあまり結果はよろしく無く。
久しぶりだったことを言い訳にしておきました。
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2023/06/30 15:59
武蔵松山城 (2023/06/30 訪問)
バス通り側から本曲輪まで登ってわかった史跡になるだけのものはあると。
私が今まで見てきた城の中でトップクラスに遺構が残っている。
残念だった点は、連郭式の城で本曲輪から別のルートで降りて行こうとしたらしばらく誰も通ってないんじゃないかってくらいの蜘蛛の巣があり、雨の後でぬかるんでいたので滑りそうなのが怖くて私は断念。また別の機会にじっくり見ようと思います。(バス通り側からの登りは問題ないと思います)
虫も多かったし、山城(平山城)はそろそろ一時休戦時ですかね…
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2023/06/30 11:33
復元30年三重櫓の眺め (2023/06/17 訪問)
直峰城探訪城廻りの第一日、昼過ぎに上越市に入りましたので、ICに近い箕冠城を先に攻めて、直峰城他諸城は翌日にし、春日山城へ2時間近く探訪観察したら17時ごろ、夏は陽が長いので好条件、高田城に寄りました。
駐車場は何時もの、極楽橋に一番近い高田城址公園駐車場を利用、余裕の駐車でトイレも有り便利です。
駐車場から極楽橋へ、南から西へ内濠を回り、西の通用門?から入る、三重櫓、内濠を眺めて、北東の階段から三重櫓へ既に時間終了して閉まってる。三重櫓に続く屋根付き土塀を撮影し、定礎の石に「平成5年3月」と刻んである。あぁ~復元三重櫓が建って30年経たのですね、まだまだ木調三重櫓は漆黒の輝きと、飾り金具なども黄金色の輝きは30年前の公開当時そのままの美しさ。
時間で閉まって居ましたので本丸の南西角部分と本丸枡形、極楽橋を通て駐車場へ、市民の散策、散歩が多く有効に活用されているようです、内濠の緋鯉も人の気配を感じて集まって来ます丸々と太って見事なものです、美しい景観ですね?
高田城へは平成29年10月岩櫃城フォーラムの帰りに越後に入り新潟県未踏の城を廻って寄って以来の3度目の登城です。
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2023/06/30 10:10
50【関ケ原の26人】 (20) 山内一豊 (山内一豊と浦戸城) (2023/06/09 訪問)
(20人目)は「山内一豊」です。
関ケ原当時の居城は掛川城ですが、関ケ原後に入った「浦戸城」を訪れてきました。高知駅前から桂浜行のバスに乗り30分程です。
関ケ原の恩賞で、掛川5万石から土佐24万石へ加増となった一豊は、長宗我部盛親の居城であった「浦戸城」へ入ります。しかし手狭であったため、新たに高知城を築城する事を決意し、完成するまでの3年の間ここ浦戸を居城としました。現在の浦戸城は天守跡を残すのみで、大部分は「坂本龍馬記念館」になっていました(写真①②③④⑤)。
一豊の功績は関ケ原ではなく小山での出来事でした。1600年7月24日 会津征伐(上杉景勝討伐)へ向かう途中、小山に差し掛かった所で石田三成挙兵の報が入り、家康は諸将を集め軍議を開きます。世に言う「小山評定」です。このまま会津へ進むべきか、あるいは反転して三成を討つべきか? 彼らはほとんどは豊臣恩顧の大名で、妻子が大坂に人質にとられています。よって家康は強制ではなく彼ら自身に判断をゆだねました。
この時、真っ先に声を上げたのが福島正則です「憎き三成を討つべし!」と。しかし反応はイマイチ? 皆まだ迷っています。そこで一豊が、「私は掛川城を家康様に明け渡してまでもお味方いたします。城の兵糧も全て家康様に差し出しますので、どうぞお使い下さい!」この一言が皆の心を動かし、三成討伐のため西へ向かう事に決しました。やはり皆、このまま長引く戦になれば、兵糧がもつかどうか? 兵糧がなければ兵の士気が下がる事を気にしていたのです。この後、駿府の中村、浜松の堀尾、吉田の池田らも次々と差し出す事を決意し、これで何不自由なく東海道を西上する事ができ、東軍は一枚岩になれました。
一豊は関ケ原では桃配山の家康をそばで護衛し、池田輝政と共に背後にいる毛利秀元・吉川広家を監視していました。しかし、彼らが動かなかったため、戦闘に参加する事はほとんどありませんでした。
家康は小山での一豊の一言を「最大の功名なり」と大変高く評価し、掛川5万石から土佐24万石へ大幅加増の恩賞を与えられました。
私は、浦戸城跡(坂本龍馬記念館)から眼下に見える海を眺め考えてみました(写真⑦⑧⑨)。土佐に入った一豊は、どのような思いでこの浦戸城から桂浜や太平洋の荒波を眺めていたのでしょうか? まだ土佐には長宗我部の残党が隠れており、一豊は常に命を狙われていました。 土佐で自分にはこれからどのような人生が待ち受けているのだろうか? 大大名となり期待に夢膨らませ土佐へ入国してはみたものの・・・、本当は恐怖と不安が入り交じり、夜も眠れなかったのではないでしょうか?・・・
次は(高知城)に続きます。
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2023/06/30 08:07
周辺散策と南丹お城サミット (2023/05/03 訪問)
(続き)
園部城ツアーの後、南丹お城サミットまでまだ少し時間があるので、周辺の散策をしました。
安楽寺(南丹市八木町北屋賀国府)
園部城の太鼓櫓が移築されています。2階部分に太鼓が吊り下げられ、今なお太鼓堂として現役のようです。園部城からは少々距離があるため(南東に約8.5km)、ツアーの後ではなく来る途中に朝一番で訪問しています。
小麦山(南丹市園部町小桜町)
天守代用の三重櫓が建てられていた小麦山にも登ってみました。遊歩道が整備されていて麓から5分弱で頂部に着きますが、忠魂碑や慰霊碑、門が閉ざされた花壇があるくらいで、三重櫓の痕跡は(石碑や説明板も)見られません。頂部までの道中に竪堀っぽい地形はありますが、遺構としては疑問符が付きます。ただ、藤の綺麗な時季ではあったので、頂部の藤棚の下で持参した昼食を摂りました。
ところで、ツアーでガイドさんから聞いた話では、マリオシリーズの生みの親として知られる宮本茂さんは園部のご出身で、子どもの頃に小麦山を駆け回って遊んだ記憶がマリオシリーズの根底にあるんだそうで、小麦山を散策中、スーパーマリオのテーマ曲が「テテッテッテテッテ!」と頭の中をぐるぐるしていました(笑)
徳雲寺(南丹市園部町小山東町塩田谷)
園部藩主・小出氏の菩提寺で、廟所のほか小出吉親が出石から持ってきたとされる四隅にふくろうをあしらった手水鉢など、小出氏ゆかりの品が多く伝わっています。
国際交流会館(南丹市園部町小桜町)
園部文化会館(南丹市園部町上本町南)
園部中学校(南丹市園部町横田)
これまたガイドさんから聞いた話では、三重五階の模擬天守・国際交流会館は小麦山の三重櫓をイメージしたもので、江戸期を通じての悲願だった天守(代用櫓)をようやく建てられたと思ったら、あっという間に廃城になってしまった経緯から、園部の人は天守に対する思い入れが強く、国際交流会館の他にも城郭風の建物があるとのことなので、いくつかめぐってみました。園部文化会館「アスエルそのべ」が石垣(風の壁面)の上に白壁と屋根瓦を備えているのもなかなかのものですが、もっと凄いのは園部中学校。屋上は無く全て瓦葺であるばかりか、入母屋破風には三花蕪懸魚を設け、玄関には唐破風まで! 園部中学校(城郭風建物)から園部高校(現存櫓門が正門)に進学すれば、城に囲まれた6年間になりますね。うらやましい…。
さて、あちこちめぐって園部公園に戻り、南丹お城サミット会場の国際交流会館へ。改修工事中(10月末まで)のため模擬天守の威容が拝めないのは残念ですが、水堀に見立てたプールに架かる橋を渡って入城すると、会場には小出吉親が大坂の陣で着用したと伝わる生身天満宮所蔵の鉄錆地仏二枚銅具足などが展示され、すでにミニ歴史教室が始まっていて、客席もほぼ埋まっていました。
続いての座談会では、南丹市内の園部城、埴生城、宍人城、松山城の地元の方をパネラーとして各城についてや整備の取り組みの紹介があり、松山城以外はこの日に訪れたばかりだったため、特に興味深く拝聴しましたが、質問コーナーで市長さんから、市の地域おこし助成金を活用して城を整備してもらえているのは大変ありがたいことだが、市の予算にも限りがあるため3年間しか助成することができず、継続的に整備を続けられる方策を検討していただきたい、との要望があり、山城は継続的に整備を続けないと元の木阿弥になってしまうことは各パネラーさんも重々承知のこととみえて、すでに地元の人々や子どもたちを巻き込んで、自分たちのお城という意識を持ってもらえるような活動をしておられるとのことで、どうすればお城を通じた地域おこしができるかを行政と地元の人々が連携して考え行動しているからこそ、埴生城も宍人城も素晴らしい状態で散策させてもらえていたんだなぁ、とちょっと感動してしまいました。いつもありがとうございます。
…ということで、埴生城も宍人城も園部城ツアーも周辺散策も南丹お城サミットも期待以上で、園部のお城を満喫した一日でした。ゴールデンウイークの渋滞にひるむことなく来て良かったです。
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