1868(慶応4)年5月2日,小千谷の慈眼寺にて。新政府軍の岩村精一郎に対し河井継之助は嘆願書を差し出し,その趣旨を説こうとしましたが,聞き入れてもらえず…。一説には,慈眼寺の門前で払われたとも。これが「小千谷談判」で,長岡戊辰戦争の引き金です。映画のロケでは,『天地人』でゆかりの雲洞庵(南魚沼市)で撮影されています。
この小千谷談判後,新政府軍は三国街道で2番目の難所である榎峠を制圧(1番目は三国峠です)。さらに朝日山も。当時は,高地や難所を制圧することで,敵方に威圧を与える目的があったといいます。新政府軍は,上田藩兵によってやすやすと制圧しました。
長岡藩的には「新政府軍はさらに攻めてくるだろう」と応戦体制を取っていたようですが,全然攻めてこない…。
軍議の末,5月10日,長岡藩は榎峠の奪還に動きます。信濃川対岸からの砲撃に苦戦したようですが,別働隊が側面と背後から包囲して攻め,榎峠の奪還に成功します。これが「榎峠の戦い」です。
映画では,オオクラ見晴台(小千谷市)にてロケが行われました。
榎峠古戦場パークは,榎峠の麓に造営されています。石碑には長岡藩主牧野家の家紋(三ツ柏)も彫られており,長岡藩のプライドが感じられます。長岡城からは南側へ約16㎞。数100m先は小千谷市。2004年の新潟県中越地震で車が埋もれ,その車の中から奇跡的に子どもが助かった現場の近くです。
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