こおりにしやまじょう

桑折西山城

福島県伊達郡


旧国名 : 陸奥

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移築門・桑折寺
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肉球

半分だけ観てきました (2025/07/19 訪問)

初登城でしたが古傷の膝痛が出てしまい本丸付近だけの見学になってしまいました😢
整備されて見学しやすくなっていましたが、やはり夏草が元気すぎでした。
次回リベンジします。

全国的に熊さんの活動が活発で私が登城したあと桑折西山城付近でも目撃されていますので
近く登城予定の方は気を付けてください。

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結城左近

分国法制定場所 (2025/04/26 訪問)

塵芥集が制定された場所についに登城。南奥州の大名や豪族を巻き込んだ天文の乱の舞台でもあり立地も街道沿いで見晴らしがよかったです。

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しんちゃん

梁川城と並ぶ伊達氏の本拠。 (2019/08/12 訪問)

桑折西山城は西方を除く三方を産ヶ沢に囲まれた高館山に築かれています。大手門から本丸に至り、西に二の丸、その先に中館・西館があるようで広大な城域を持っています。
文治5年(1189)源頼朝と藤原泰衡が衝突した奥州合戦にて功のあった中村常陸介朝宗が伊達郡を与えられ伊達氏を名乗ったとされます。その後、官道の要衝たる伊達郡桑折の近くに赤館を築いて移ったとあります。天文元年(1532)に梁川城から西山城に移ったとする記述もあるようで柳川城と桑折西山城は伊達氏の本拠とされているようです。伊達稙宗・晴宗父子における親子の争乱(天文の乱)では戦場となり周囲の豪族の仲介と将軍足利義輝の命により和睦が成り、その条件の一つとして西山城は廃城となり晴宗は家督を継ぎ米沢に移っていったそうです。

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ぎりょう

陸奥国守護伊達稙宗の山城に登る (2022/06/05 訪問)

自身が所属する古文書を読む会の移動研修会で桑折西山城を訪問した。4月に研修予定地の事前調査で訪問した日は雨だったが今日は天気に恵まれ、参加会員35名と桑折町のボランテイアガイドさん4名の同行で登城でき、陸奥国守護伊達稙宗が築いた戦国大名伊達氏本拠地の山城を楽しむことができた。
今日は桑折町教育委員会作成の「国指定史跡桑折西山城散策map」モデルコース【本丸往復コース】(約1時間)。大手口登城口⇒大手門跡⇒本丸⇒大手口登城口のコース。登城口近くの「大かや園」に併設されている桑折西山城跡ガイダンス施設を見学後、約20分をかけて本丸に。
比高約80mの本丸からは福島盆地や東北新幹線、東北本線・国道4号線、桑折の街並みが一望できる。古くから奥州街道と羽州街道の分岐点で、交通の要衝であったこの地に本拠地を移した稙宗の考えがよく理解できた。
城は本丸・二ノ丸と中館・西館で構成されており、発掘調査による出土品からいずれも稙宗築城時から存在していたことが判っている。
しかし中館・西館は戦国末期に改修されていることも判っているのだが、政宗(17代・仙台藩祖)によるものか、蒲生氏や上杉氏によるものかは確認できていないと云う。
次回こそは堀切・桝形状虎口など戦国末期の遺構が残る中館・西館を時間をかけて巡りたいと思う。城址は時節柄か草が伸びていたが、ガイドさんのお話では、翌週から草刈りを実施予定とのこと。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 伊達朝宗?
築城年 文治5年(1189)
主な城主 伊達氏
廃城年 延宝10年(1682)
遺構 曲輪(高館、赤館、西館)、土塁、横堀(空堀)、石垣
指定文化財 国史跡(桑折西山城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 福島県伊達郡桑折町万正寺
問い合わせ先 桑折町生涯学習課(桑折町中央公民館)
問い合わせ先電話番号 024-582-3104