桑折西山城は西方を除く三方を産ヶ沢に囲まれた高館山に築かれています。大手門から本丸に至り、西に二の丸、その先に中館・西館があるようで広大な城域を持っています。
文治5年(1189)源頼朝と藤原泰衡が衝突した奥州合戦にて功のあった中村常陸介朝宗が伊達郡を与えられ伊達氏を名乗ったとされます。その後、官道の要衝たる伊達郡桑折の近くに赤館を築いて移ったとあります。天文元年(1532)に梁川城から西山城に移ったとする記述もあるようで柳川城と桑折西山城は伊達氏の本拠とされているようです。伊達稙宗・晴宗父子における親子の争乱(天文の乱)では戦場となり周囲の豪族の仲介と将軍足利義輝の命により和睦が成り、その条件の一つとして西山城は廃城となり晴宗は家督を継ぎ米沢に移っていったそうです。
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