2022夏の青春18キップ10日目:勝山城
(2022/07/29 訪問)
小山城からの転戦です。勝山市役所駐車場(36.060831、136.499889)に駐車し城碑を確認した後、勝山城博物館(36.044034、136.519991)に向かい模擬天守を確認しました。
1580年(天正8年)柴田勝家の一族である柴田勝安によって築かれました。
柴田氏が羽柴氏によって滅ぼされると成田重政、長谷川秀一と替わりました。
江戸時代に入ると、1601年(慶長6年)福井に封じられた結城秀康の支配となりましたが、1624年(寛永元年)松平直基が30,000石で封じられ、勝山藩の藩庁が置かれました。
その後、松平直良が入りますが、1644年(正保元年)直良が移封されると廃城となり、勝山の地は一時期、天領となりました。
1691年(元禄4年)美濃国高須から小笠原貞信が22,000石で入封し、以後明治維新まで小笠原氏8代がこの地を治めました。
1709年(宝永6年)2代信辰の時、城址への築城許可が下り、本丸の普請が開始しましたが、財政上普請は中断しました。
60年後の1770年(明和7年)5代信房の時再開され、二ノ丸を築き藩主の御殿をそこに移設し、7代藩主小笠原長貴の代に完成しました。
1822年(文政5年)本丸より出火し、門、高塀、土蔵を残して焼失しましたが、1826年(文政9年)に再建されます。
8代長守の時、明治維新となり1871年(明治4年)廃城となった後、城の建物は取り壊され天守台と堀の一部を残し埋め立てられました。
案内板と石碑は勝山市民会館前の庭にあります。
姫路城に似た日本一の高さの模擬天守を持つ勝山城博物館は、相互タクシーの創業者・多田清氏により平成4年に建てられました。
この模擬天守は歴史上の勝山城とは位置・形式ともに関係はないそうですが、模擬天守前面に水堀が掘られています。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=波多野城に向かいます。
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