みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

とまんど

伊豆半島を睨む興国寺城 (2021/03/27 訪問)

今川、北条、武田、徳川が治めたことのある城ですが、訪問時は三つ鱗の旗がはためいていました。
なんといっても伊勢新九郎盛時(北条早雲)旗揚げの城ですしね。納得。
本丸、二の丸、三の丸は今ではなだらかな傾斜地になっており、本丸を囲むコの字型の土塁と北側の堀切が印象的でした。特に堀切は圧巻でした。
北曲輪は入れなさそうだったので諦めました。
本丸伝と続く土塁からは駿河湾まで一望でき、その先に伊豆半島が見えました。伊勢新九郎はこの景色を見て何を思ったのだろうと思うととても感慨深かったです。
訪問時は本丸北側にある土塁の桜が満開で綺麗でした。また、キツツキが木に穴を開けていてその音が響いていました。
JR原駅から乗り合いタクシー的なバスが出ており、東根古屋で降りてすぐの場所です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

麓のお寺のご厚意が嬉しい (2020/12/19 訪問)

那須氏あるいは福原氏一族が森田氏を名乗って断続的に居住したお城で、麓の芳朝寺に「森田城跡駐車場」との表示がなされているのは実に有難い。ただ肝心の城跡は四阿などがある割には草深く、整備後の維持の難しさも垣間見える。

+ 続きを読む

だめなこ

清洲城 (2021/03/27 訪問)

車を停めて 桜の下を抜けてお城へ!
ちょうど桜がキレイでヨカッタ♪

+ 続きを読む

昌官忠

リハビリ15城巡り⑧:池上氏館 (2021/03/24 訪問)

足腰リハビリ15城巡り8城目は池上氏館です。
池上駅より徒歩7~8分くらいで本門寺門(総門)前(35.576748、139.704923)に着きました。

池上氏館は鎌倉時代に、この地を領する豪族・池上氏によって築かれました。
日蓮上人が1282年(弘安5年)病気療養へ向かう途中に宗仲の館に逗留し、そこで入滅したそうです。
宗仲は館の敷地を日蓮宗に寄進し、本門寺としました。

池上駅から本門寺に向かう途中に「池上本門寺参道碑」がありました。
加藤清正が造営したと伝えられる本門寺の石段(96段)を登ると立派な仁王門が迎えてくれます。
遺構は何も残っていませんが、境内には日蓮上人の像が建てられていました。(写真撮り忘れました)
攻城時間は15分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

リハビリ15城巡り⑦:河崎氏館 (2021/03/24 訪問)

足腰リハビリ15城巡り7城目は河崎氏館です。
京急川崎駅より徒歩6~7分くらいで稲毛神社側面入口(35.530936、139.704230)に着きました。

河崎氏館は、平安時代後期に桓武平氏の流れを汲む、秩父氏の一族・河崎基家がこの一帯に土着し構えた居館とされています。
稲毛神社の弁天池と呼ばれる場所は、館の水濠跡と伝わっているそうです。
稲毛神社の境内には小さな神社がたくさん祀られていました。境内の桜も綺麗でした。
攻城時間は15分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

朝駆け (2021/03/26 訪問)

前日の19時前に出立。西宮名塩SAにて仮眠をとり朝7時過ぎに到着しました。ETC休日割引がきかない平日の移動になってしまったので浜田ICまで一万円を超える高速料金がかかってしまいました。聖徳寺に説明板がありましたが近づけなかったので、写真に撮って内容は確認しました。墓地の上の方から登城路が伸びていて迷うことはありませんでした。堀切ははっきりと視認することができました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

着いた→帰った。 (2021/03/16 訪問)

 「行ってはいけないお城」という認識だったのですが、都内の城びと登録城フルコンプのためには行かざるを得ません。
 畑や住宅が点在する山あいののどかな道を辿ると登城口。山の中に入るとすぐに祠と土塁。普段なら行けるところまで行ってみようとか思ってしまうのですがここはスタート地点=ゴール地点。左に続く道を少し進んだところで引き返しました。大人の行動が出来た自分を褒めてあげようと思います。あとは、縄張り図を見ながら妄想の世界で楽しみます。


⭐︎みなさま方の「絶対に行くな!!」という本気のメッセージに心を打たれました。なんて優しい方々🥲
「みんなの投稿」は実際に行った人にしかわからない現地の大事な情報を(惜しげもなく‼︎)教えてもらえてありがたいです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

sakappa

土塁と空堀が残っています (2021/03/27 訪問)

竹藪の中に、立派な土塁と空堀が一部残っています。以前はもう少し残っていたらしいですが、道路ができた時に削ってしまったとのこと。竹藪の奧には民家があり、敷地内に知らない人が入ってくるため、柵を設けたらしいです。敷地内には井戸が残っているとのことでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

sakappa

城跡を示すものは何もなし (2021/03/27 訪問)

豊山町商工会の建物の隣に、戦没者慰霊などの石碑がいくつか建っている広場があります。しかしながら、溝口城跡を示すものは何もなし。

+ 続きを読む

赤い城

普済寺に残る土塁 (2021/03/20 訪問)

立川駅から徒歩で15分くらい。
普済寺が館跡となります。
この日は三田城から歩き50分くらい。
ちょうどお彼岸でここも墓参客が多かったです。
遺稿は普済寺本堂南側に土塁が残っているくらい。
立川氏は武蔵七党の一つ、戦国期には北条氏に属しました。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

キンヤ

良く整備され、西三河で屈指の素晴らしい山城 (2021/03/07 訪問)

約5年ぶりに行きました。
愛知県で最大規模の山城とされます。

以前より見学ルートは伐採・整備がされ遺構が見易くなっており、見学ルート以外はそれ程整備されていないものの全ての遺構に立札があり分かり易いです。

特に東曲輪の東側の馬出しは、以前は木が多く分かり辛かったですが、西三河で珍しい馬出しの構造がよく分かり注目ポイントでした。

主郭からは昔は吉良道であったかもしれない県道が丸見えで、街道を押さえる場所である事がよく分かります。

主郭の西側の二の曲輪が最も広く土塁で囲まれています。

城の尾根筋全てに堀切があり、堀切好きの私にとっては堪らないです。

以前は遺構が見辛い面があり、それ程凄いとは思っていませんでしたが、整備後は西三河で屈指の素晴らしい山城だと思いました。

整備して下さった方々に感謝します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

肉球

小久保陣屋 千葉県富津市 (2021/03/25 訪問)

遠江相良の藩主田沼氏が維新後に上総小久保に移され藩庁を築いた所です。
現地の案内図によると公民館と駐車場になっているところが役所と藩校が築かれたていたようで
その南側に藩知事邸があったようです。藩知事邸の場所には当時のものかわかりませんが
庭園らしきものと井戸があります。
藩知事邸の東南かどは枡形の名残か少し広いT字の交差点が
その南側には堀の役目を果たすような小久保川が流れています。

古墳の上からは東京湾が望め眺めよし。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ヒロケン

春の陽気に誘われて♡ (2021/03/27 訪問)

小牧山城は1563年織田信長が、美濃侵攻のため清州城から小牧山城に移り、山全体を城域とし多数の曲輪と要所に重臣の館を設け、城下町も設けたが、信長にとって小牧山城は美濃攻略のための一時的な拠点でしかなく、1567年に美濃を攻略すると稲葉山城(岐阜城)に居城を移し小牧山城は廃城となった。
歴史の表舞台に再度「小牧山城」の名が出てくるのが、本能寺の変後、信長の後継者争いで、織田信雄・徳川家康の連合軍と羽柴秀吉が激突した、小牧・長久手の合戦で信雄・家康の本陣として使用され、この戦時に、山麓の土塁と堀が整備されたとされています。
江戸時代には、尾張藩により立ち入り禁止の措置がとられている。
現在残っている遺構は、家康が陣城として整備したもので、山麓に残る土塁と堀は見応え十分です。

現在は史跡公園として、聚楽第飛雲閣を模して造られた模擬天守(歴史資料館)と土塁・石垣・空堀・井戸跡が残り今に伝えています。
駐車場は北東山麓にあり、(2時間半駐車し200円でした。(トイレも完備)
史跡情報館・歴史資料館は共通券で100円でした。(JAF会員証提示で60円に割引)

今日は朝8:30頃まで家でダラダラと過ごし、TVで27日は春の陽気で28日は春の嵐とのことで、折角だからお花見ができるところと検索したところ、小牧山城がヒット(^O^)/ 早速、東名・名神と乗り継ぎ1時間半程で到着。
搦手口の桜もほぼ満開で、城跡を散策するもよし、ウォーキングするもよし、Familyでお弁当もよし、マジリフレッシュできた一日でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

肉球

下湯江陣屋 千葉県君津市 (2021/03/25 訪問)

赤松則村(円心)の子孫の赤松氏置が徳川家康に仕え
この地に二千石余の知行を賜り陣屋を築いた所です。
画像に奥(段の上)に築かれていたようで
幕末までこの地を治めたようですが
今は住宅と畑が広がっています。

+ 続きを読む

まっぴー

ビギナーにもお勧めな猫城!? 唐沢山城🏯 (2020/11/22 訪問)

遺構度→★★★★☆ 復元度→★☆☆☆☆
施設充実度→★★★★☆ お勧め度→★★★★★

関東七名城の1つでたくさん猫が住んでいる猫カフェならぬ猫城でもある唐沢山城に行ってきました!
続日本100名城にも登録されており、関東では珍しい高石垣がある城でもあり、遺構、歴史、観光共に優れた城です。

戦国時代において、佐野氏第15代当主・佐野昌綱による唐沢山城の戦いで有名で、上杉謙信の10度にわたる攻城を受けたものの、度々撃退して謙信を悩ませたという、天下の名城です。

遺構は主に曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸など多く、良好な状態で保存されています。
先程も言った通り、高石垣が一番の見所で、野面積の乱積で積まれており、高さは一番高いところで8mもあると言われており、とても立派でした。
また端から端までの距離もかなりあり、圧巻です。
食い違い虎口も綺麗に残っており、造りが分かりやすいです。
堀切は虎口のすぐ先にある堀や本丸と鳩の峰を分断する二重の堀切など多くの堀切が見られ、守りがいかに強力だったかが分かります。
土塁も至るところに残っています。高さはそこそこですが、保存状態がとにかく良いです。
井戸はとても広く、水の色がアクアマリン色でとても綺麗でした。(アクアマリン色が分からない方は調べてみてください。)
インスタ映えです(笑)と言えるくらい綺麗な色なので是非見てほしいです!

また唐沢山城は神社としても有名で、僕が紅葉時に行った時には神社への観光客の方が全然多い印象で、奥まで行く人はあまりいませんでした。
しかしお城目的で来た方は奥まで堀切が残されているので、端から端までしっかりと見るようにしてください。
そのため、初詣や桜、紅葉の時期は神社とセットにして行けますが、混むので注意してください。

続日本100名城のスタンプは社務所の近くにある台に設置されていました。
状態は良好で綺麗に押せました。
また御城印はその社務所でもらうことができます。

駐車場は完備されており、かなり広いです。しかし先程も書いたとおり、初詣や桜、紅葉の時期は混んでいるので早めの時間に行くことをお勧めします。
実際、僕は紅葉の時期に午後から行きましたが、駐車場待ちで時間をロスしてしまいました。

歴史、遺構、観光共に素晴らしく、ビギナーの方でも猫と触れ合ったり、神社とセットで来ることが出来るため、とても良いと思います。
またお城上級者でも十分に楽しめる城だと思います。
しっかりと奥まで見る場合は、1時間30分は最低でも必要になると思います。
高石垣以外も素晴らしいので、是非行ってみてください。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

天気がいいので:名内城 (2021/03/27 訪問)

午前中に散髪にいった後、天気がいいので少し歩こうと思い、どうせ歩くならお城に行こうと思い立ちました。
千葉県内で未攻城&駅からそこそこの距離がある城を「城びと」で探し、「名内城」に決定。
北総線の小室駅から片道=5.7Km、自分の足なら1時間ちょっとで行けると判断して、散髪屋から向かいました。
急遽、攻城を決めたので、事前調査は先人のお二人(刑部さんと赤い城さん)の口コミのみで東光院を目指しました。

刑部さんが言われている東光院直ぐ横の東側の細い道が堀切ぽいですね。(写真撮り忘れました)
それ以外は確かに何もない(切岸は確認していません)。お寺と子供の遊び場があるくらいです。
しばし、境内の桜を見ながらぼ~として撤退しました。攻城時間は10分くらいでした。

投稿写真は急遽攻城を決めた為、スマホのみの写真です。
三日前にリハビリとして、東京の城跡巡りで30Km歩き、本日も15.7Km歩きました。コロナ感染者が増えなければ、そろそろ山城かな?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

桜満開でした (2021/03/26 訪問)

 新城市作手地区の古宮城川尻城亀山城石橋城を草が伸びて無く草刈り後の状態を見て置きたくて出掛けた帰りに桜満開状態でしたのでチョイ寄り見学しました、県外遠くから多くの方が見えてました。
 桜が満開でしたので桜を入れて撮った写真を投稿します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

麓の織田信雄陣屋跡 (2014/05/02 訪問)

 宇陀松山城に登城前後麓の宇陀町並みと織田信雄が福島高晴元和元年(1615年)改易後5万石の大名として入封、領地は大和宇陀郡3万石と上野甘楽郡2万石、宇陀松山城の麓に陣屋を築いた。

 現在春日神社の辺りに春日門跡が残り櫓台石垣が立派に残ってる、神社石垣もその残りか?街中に松山西口関門が残ってる。

 次の柳生陣屋に向かう前に後藤又兵衛ゆかりの桜を季節外れですが桜としても有名ですし後藤又兵衛の名前に引かれて葉桜と又兵衛を見学、偲びました。桜は見事な大木枝ぶりが見事です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

発掘調査され景観見応え有る織豊城郭です (2014/05/02 訪問)

 7年前の5月連休、五條市五條代官所の探訪を終えて石舞台遺跡横を通り宇陀松山城へ「道の駅宇陀路大宇陀」へ着く前あたりから宇陀城の山頂景観が眼前に入り登城前から浮き浮きドキドキ状態、道の駅でトイレ休憩、情報収集?何時もながらガイド情報は城郭放浪記さん余湖図コレクションさん頼り。
 宇陀の町並み保存地区を眺めながら春日神社参道より入り銀行裏手の駐車場が連休で空いて居り隅の方に駐車させて頂きました。

 登城口の春日口から入り陣屋時代の櫓石垣が見事です、神社に登り宇陀松山城への案内石柱から道なりに登城へ、石柱には杖が沢山置いて有りました、登城者の汗と努力の結晶でしょうか?
 登城口から杉木立で鬱蒼としてます、5月で歩けば汗だく比高100m程の登城路ゆっくりと歩いてると杉木立が空けて草に覆われた土塁状の景観が現れる、堀底道か?前面は側面は土塁か?発掘調査で復元整備された屈曲した大手虎口石段石垣が見えて来ます、山頂部は樹木が伐採されて城塁、土塁、大手虎口、帯曲輪、本丸、天守台、大御殿、御加番、段曲輪群、各堀が良く観察出来ます。
 二の丸は杉木立が密集し草茂り余り踏み込めずですが二の丸の櫓台は確認、二の丸と大御殿の間の石垣堀も確認、天守台の周囲には石垣が確認できます。
 兎に角山頂部の景観が素晴らしい大御殿から眺めると天守台、裾野の残る石垣、往時の石垣に覆われた天守曲輪、本丸が眼前に飛び込んで来るような想像をして仕舞います、関ヶ原、一国一城令まで在った城が廃城破却された事は残念です。
 また近年台風、大雨で土砂崩れ被害に遭った事は残念です、お見舞い申し上げます。復旧を祈ってます。

 歴史的には南北朝期秋山氏の城、豊臣秀長時代大和百万石の郡山城の支城として高取城、宇陀松山城が織豊系城郭として石垣造り城郭として改修され見事な城郭だった事が想定されます、廃城が実にもったいなく残念。

 麓の織田陣屋跡は別途投稿いたします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

堂々とした薬医門 (2021/03/13 訪問)

【山口城】
<駐車場他>県庁駐車場無料
<交通手段>車

<見所>現存薬医門
<感想>1泊2日中国地方西部の旅2城目。歴史資料館にて高嶺城・大内氏館のスタンプを押印後徒歩で来城した。山口城は1864年に毛利氏の13代毛利敬親の時に幕末の有事に備えて下関や瀬戸内海に近い萩より移鎮した。 砲台を備えた稜堡式城郭であったらしいです。維新後は城内は山口県庁として使用されたが廃城となった。現存する薬医門は幕末は藩庁門、廃藩置県後は県庁正門として使用され大正時代に新しい庁舎が竣工すると県庁西門として使用されている。
 旧藩庁門は現在でも徒歩で通過でき一応は門として利用されている。堂々とした造りで今でも目立った傷一つ無く残っているのが素晴らしい。両サイドの土塀や土橋もいいです。水掘の一部も現存し、この薬医門辺りから南辺と東側にかけて残っています。大正時代に建てられた県庁舎と議会議事堂も重要文化財となっています。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ784