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ぴーかる

窪之庄城 (2022/05/08 訪問)

【窪之庄城】
<駐車場他>八坂神社(牛頭天王社)前の道路脇に2台程可能
<交通手段>JR帯解駅から徒歩

<見所>空堀
<感想>日帰り列車で奈良盆地1周ちょこ城巡りの旅2城目。窪之庄城の築城年は定かではないが室町時代かと思われる。築城者は窪城氏で興福寺衆徒であり古市氏に属していましたが筒井氏に攻められ落城しその後は筒井氏に属した。1568年に松永久秀に攻められ落城するが後に再び筒井氏の城となります。
 八坂神社(牛頭天王社)を含む丘陵地の林一帯に遺構が残されており、八坂神社も曲輪の一部だったように感じます。神社最上段の本殿背後に空堀があり見応えあります。西側は大竪堀が南北に走り西に折れてあります。背後の北側が曲輪群があるようなのですが、一番入り込めない竹藪なので奥に行くのは断念しました。

<満足度>◆◆◇

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テンちゃん

岩崎城 訪問 (2022/05/28 訪問)

小牧山城から岩崎城に向かいました。
空堀、二の丸庭園、櫓台跡などを見学した後、無料の岩崎城歴史記念館と模擬天守を見学しました。
岩崎城歴史記念館では御城印も購入しました。

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テンちゃん

小牧山城 訪問 (2022/05/28 訪問)

まず、名鉄小牧駅にある観光案内所でパンフレット一式と御城印、武将印をゲット。
そのあと、小牧山北駐車場(2時間まで無料)に車を止めて大手口方面へ向かい、れきしこまるを見学。JAF割引で小牧市歴史館と合わせて入館料が60円と激安でした。ここでも御城印を購入しました。内容的には大したことはないのですが、春風亭昇太さんの小牧山城紹介ビデオは良かったです。
家康が改修したと言われる大手口の土塁と堀は圧巻でした。直線状の大手道を登って本丸下の石垣を見学後、小牧市歴史館で続100名城スタンプをゲット。帰りは搦手口を降りて駐車場に戻りました。トータルの見学時間は1時間50分で駐車場の無料時間ギリギリとなりました。

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おっちゃん

鷲津砦案内図 (2017/10/27 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

丸根砦案内図 (2017/10/27 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

大高城跡公園案内図 (2017/10/27 訪問)

現地案内板より抜粋。

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イオ

神体山の城 (2022/05/21 訪問)

築城者・築城時期など詳細は不明であり、柳本氏の城とも内藤氏の出城ともされます。明智光秀の丹波攻めの際には、国衆が籠って抵抗するも落城したと伝わります。

御影山頂部に築かれた城で、ネット情報によれば階段状の曲輪群に土塁や石積、二重堀切を備えているようですが、山麓にある出雲大神宮は御影山を神体山とし、山頂部は禁足地とされているため、通常は遺構を目にすることはできません。

出雲大神宮ではあちこちに見られる巨岩を磐座とし、御蔭の滝には竜神乃神を祀るなど御影山が御神体であることが窺えます。社務所で受付をすれば中腹の神の磐座までは行けるようですが、あ さんの投稿にあるように、受付をしても遺構のある山頂までは行けないのならもういいか(参拝目的でないのに許可をもらうのも気が引けますし)ということで、神域の手前で探索終了としました。

ところで、出雲大神宮は一般に出雲大社からの分霊とされますが、社伝では逆にこの地から出雲に遷座したとされ「元出雲」とも呼ばれるんだとか。すぐ近くには「元愛宕」もありますし、事実はどうあれ、古くからの由緒のある地ということなんでしょうね。
 

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カズサン

チョイ寄り土浦城 (2022/05/29 訪問)

 小坂城、東林寺城を十二分に探訪堪能し、今回の城廻り3日目の宿泊先土浦に国道6号線を約16~17km程北上、国道354号線に入りナビに土浦城が入ってくる、これは寄らなくてはと市立博物館の専用駐車場に車を駐めて、12年振りの登城と成りました。
 
 登城ルートは、博物館横から水堀を渡り本丸へ西櫓を眺め、櫓門太鼓門を裏から、東櫓を裏から眺め、霞門を潜って桝形霞橋を渡り、東櫓を水堀越しに眺め二の丸へ、移築された旧前川口門も眺め、櫓門太鼓門を表から潜って裏から、東櫓に続いてる白土塀を裏から武者走り土塁を眺めて、北東側の土塁の雁木、土塁上から眺めて本丸を駐車場へ。
 夕方17時から約30分の探訪でした、駐車場は入った時は満車状態で空きの2,3台に駐め、帰りは半分位の空き状態、何時でも城探訪は楽しい。

 

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赤い城

城の後には深大寺そば。 (2022/05/28 訪問)

京王線の布田駅から徒歩で30分弱。
調布駅からバス便もあります。
神代水生植物園の一角にあります。
まん防の頃来たのですが閉鎖中だったので再訪です。
二の丸の入口には蕎麦畑があり、その先の二の丸は結構広いです。
建物跡の礎石や土塁が整備されています。
二の丸と主郭の間には空堀があり、土橋がかかります。
主郭も土塁が囲んでいます。
郭は3つあり、三の丸はテニスコートになっていました。
北条氏に備えるため扇谷上杉氏が入った城です。
城の後はもちろん深大寺そばをいただき、深大寺にもお参りしました。
都内への通勤圏内に遺構が良く残る貴重な城でした。

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トク

明智光秀「最期の30日」を辿る 【第8回:最終回】西教寺(明智光秀・煕子の墓)  (2022/05/09 訪問)

(第7回「光秀の最期」からの続きです)

最後にもう一度坂本に行き、西教寺を訪れてきました。

西教寺は、比叡山焼き討ちの際にいっしょに焼き払われたため、光秀が再建に尽力したお寺です。総門は、その時坂本城にあったものを光秀が移築寄進したと伝わっています(写真①②)。また妻の煕子(ひろこ)が死んだ時も、その当時の武士は、妻が先に死んだ場合、夫は葬儀には立ち会わないのが習わしだったようですが、光秀は自ら喪主を務め、この西教寺にて盛大に執り行ったそうです。いかに愛妻家であったかがわかります。

境内には、光秀と煕子の墓が並んで建っていました。何かほほ笑ましいというか、少しほっとした気持ちにさせられてしまいました😊(写真③④⑤)。 よく見ると、二人のお墓はともに生まれ故郷の美濃の方角(東)を向いていました。二人ともあの世で生まれ故郷の美濃に帰りきっと仲良く暮らしているのではないでしょうか?

光秀の墓には、他の明智一族も含まれていました。たぶん坂本で亡くなった甥の秀満(左馬助)と妻の岸(光秀の長女)、甥の光忠(次右衛門)とその妻(光秀の次女)、子の光慶(光秀の嫡男)ではないかと思われます。五人は坂本城で光秀を待つも途中で亡くなったと聞き、その後秀吉の軍勢(堀秀政ら)に囲まれたため、自ら共に自害して果てたそうです(諸説あり)。煕子の墓の横には妻木(煕子の実家)の墓もありました。きっと今頃は、あの世では皆でにぎやかにやっている事でしょう。


墓の一段下にある唐門には「麒麟」が彫られていました(写真⑦)。
そういえば結局、光秀の前に麒麟は現れたのでしょうか?
いや、きっと光秀自身が麒麟になって天に昇って行ったのかもしれませんね😊。


以上で、私の明智光秀「最期の30日」を辿る旅を終わります。
今度は、光秀の孫たちが九州で活躍した話を、いずれまたお伝えしようと思います。
(では私は最終の新幹線で博多へ帰ります)。

全8回読んでいただき、大変ありがとうございました😊。

 

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朝田 辰兵衛

司馬遼太郎『峠』文学碑(新潟県小千谷市) (2022/06/04 訪問)

古戦場レポート,河井継之助が長岡城奪還に意地と知恵を発揮した「八丁沖の戦い」に移る前に,ちょいと寄り道。
ここまでレポートしてきた,榎峠,朝日山を,信濃川対岸(西側・左岸)から見つめている碑があります。それが,「司馬遼太郎『峠』文学碑」です。妙見堰,越の大橋西詰に建っています。R17沿いです。東京方面から新潟に向かってくると,信濃川横断の手前右側になります。通り過ごして渡ってしまうと長岡市に入ります。
「武士の世の終焉にあたって,長岡藩ほどその最後を見事に表現しきった集団はいない」という,司馬遼太郎の言葉が刻まれています。

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小城小次郎

この石垣のもとを築いたのは誰だったのか (2022/01/09 訪問)

崩れる寸前で絶妙なバランスを保つ高石垣が有名なお城だがそのほとんどが後世の積み直しとの評価。一部「本物」が混じっているが、この「本物」が誰によって積まれたのかという正解の見つからない謎解きが実に楽しいのだ。

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零汰

よく掘りましたね:1 (2022/02/12 訪問)

南九州はワイルドな堀切が多いです。シラス台地がそうさているようです。但し整備をいている所は稀な上、削りっぱなしで雑なので見栄えは非常に悪いです。前に進むのに難儀しますが毎回驚きが有り、飽きることはありません。

こちらは城域自体は大きくありません。遺構は曲輪、土塁、堀切、空堀程度です、詳細は特に記す事も思いつかないので堀切・空堀中心に写真を選択しました。南九州のワイルドで雑な雰囲気だけ味わって頂きたく投稿します。

滞在時間35分:0.8km:累計高低差78m

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ランフランコ

#17 金亀城 (2022/06/04 訪問)

歩きづらい石の階段が流石でございます。

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おぢさん

城と桜 (2014/03/28 訪問)

桜が満開で、天守閣を引き立てました

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おぢさん

岩盤の上の天守閣 (2012/04/28 訪問)

岩盤の上に石垣を積み、天守閣が美しかった建てられてました。

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おぢさん

堀と天守閣 (2012/04/28 訪問)

堀の水面に写った、天守閣が美しかったです

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おぢさん

好きなアングル (2012/04/04 訪問)

黒い色がキレイでした。

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とっくん

和歌山城 (2020/01/25 訪問)

和歌山城

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カズサン

牛久沼に突出し土塁空壕が良好残存 (2022/05/29 訪問)

 常陸小坂城を終えてまだ陽も高く、今回の企画に入れて無かった近くの未踏の城、東林寺城を目指す事にしスマホで情報確認、城びと、古城盛衰記さん余湖図コレクションさんの情報を参考にし、東林寺の住所にナビを合わせる、小坂城から西に約6~7km程、三日月橋を渡って北上すると東林寺が有り門前の駐車場を利用する。

 東林寺の参道を行ったり来たり、案内板も無く登城口が良く分からない、丁度地元の方が通ったのでお聞きし、お寺の坂を登り、墓所を抜けると畑の右手に城、左手に城が在ると教えて頂く。(地元の方の城とは残存の土塁と空壕の事のようです。)

 東林寺に参拝し、左手の坂を上ると墓地、東林寺城跡五輪塔が標柱、案内板と2基の五輪塔が桜の木の下に安置されてる、元は一ノ郭に在ったものを、牛久沼農地整備開拓に東林寺城一ノ郭の土砂を削り取り活用、その際にそこに在った五輪塔を東林寺に移したと記載有り、墓地を過ぎアコーディオン門扉(開けて有りました)を越えて右手北側へ。
 三ノ郭で今は畑に成ってる、作業されてる地元の方にお聞きし北側に城が在る、南の竹藪の先にも城が在ると教えて頂く、北に200~300m歩きと三ノ郭虎口と土塁、空壕が有り壕は深く広い、余湖図コレクションさんの俯瞰図では東西に舌状台地を掘り込んでいる、北奥の四ノ郭を眺めて引き返す。
 南に戻って東林寺西裏に二ノ郭空壕が広く深く標柱と共に残存してる枡形虎口の様子、ここも東西に掘り込んでる様子、東林寺敷地は四角い枡形郭の様に成って居る、東に抜けて、西、北、南は堀の切込で囲まれている。
 一ノ郭は二ノ郭空壕を抜けて南に畑と民家が立って居る、畑の畦道を南へロードバイク自転車に載ってる方に様子を伺うと、南の先に土塁、案内板が有ると情報を聞く、南端に一ノ郭土塁、埋まった空堀跡、城名標柱、手ずくり感のある案内板令和3年2月新地の台地で活きる会作成、地元の方の活動で城探訪が出来る幸せを感謝です。
 民家の私道なのか砂利道ですが三日月橋方向へ続いてる様に見受けられます。
 
 東林寺に引き返すとき雉が飛んでいました、上手く撮影出来ず、約1時間探訪を堪能しました、良い城です。
 東林寺の駐車場を使わせて頂き参拝し北の三ノ郭、南の二ノ郭、一ノ郭土塁を探訪するのが良いのではと思いました、四ノ郭に入らなかったのが残念ですが、舌状台地に一ノ郭、二ノ郭、三ノ郭、四ノ郭が連郭式に良く残って居り、一ノ郭は削られてしまいましたが牛久沼が南方に良く眺められます。

 歴史的には、牛久城の岡見氏の築城で新地の地名は牛久城の新旧を窺わせると、秀吉方との攻防で北条方が牛久番を近隣の国人領主に交替で天正15年から18年(1590年)に掛け駐屯地的役割をしていたのかと、土塁空壕は北条方の牛久番が大いに関わった様です、廃城は豊臣秀吉の小田原征伐の後の様です。(案内板一部抜粋)

 

 

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