東武佐野線 田沼駅側から車で登城しました。
城の駐車場までは、かなり急なカーブの山道になっています。
駐車場から登城口へ向かうと、いきなり石垣づくりの枡形虎口を見ることができます。虎口から城の大手道を通り、唐沢山神社の拝殿前の階段の手前にある社務所のほうでスタンプを押印。(インクは薄いです)
神社を参拝後、二の丸へ
二の丸から見る本丸南西の高石垣は、一見の価値があります!!
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検索結果・・・「」を含む投稿
2023/01/13 14:41
神社と思いきや、立派な石垣が残るお城 (2020/03/18 訪問)
東武佐野線 田沼駅側から車で登城しました。
城の駐車場までは、かなり急なカーブの山道になっています。
駐車場から登城口へ向かうと、いきなり石垣づくりの枡形虎口を見ることができます。虎口から城の大手道を通り、唐沢山神社の拝殿前の階段の手前にある社務所のほうでスタンプを押印。(インクは薄いです)
神社を参拝後、二の丸へ
二の丸から見る本丸南西の高石垣は、一見の価値があります!!
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2023/01/13 11:15
各郭にある石積みの段々が素敵です (2023/01/12 訪問)
登城道は周辺の城ではそんなに珍しい事ではありませんが、なかなか険し目の登山といったところです。
本郭へ向かう途中は竪堀、二重堀切りなどを見る事ができて、およそ20分前後のやや険しい登城道を飽きさせません。
いよいよ本郭に近づくと石積みがお出迎えしてくれます。
その石積みも素晴らしい物ですが、ここの他とちょっと違う魅力的なポイントは各郭にある石積みを見る事ができる点です。
段々になった郭に石積みがあり、段々になった石積みを見る事ができる事です。
これを見た時にはそこまでの登城道の疲れが一瞬で吹き飛びました。
本郭を囲んだ石積みもかなり素晴らしい物でした。
一見の価値ありだと思います。
駐車場がないため獣よけフェンスの手前に路駐しました。
獣よけのフェンスを開けて中に入ってすぐ右の登城道があります。
皆様の投稿にもありましたが気が付かない可能性ありです。
まっすぐは舗装された道路になってますが進んでも城跡へは行けませんのでお気をつけてください。
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2023/01/13 07:12
2023/01/12 23:22
戦国インフルエンサー (2022/12/27 訪問)
「滝山城なう。2万で攻めてもまだ落ちない。てか、こっち兵力10倍なんですけど。この城マジやばくね」。例えば信玄がこんなつぶやきを残していたら、、、。
関東の山城を歩くと、ある程度定型化された枕詞を耳にします。曰く「武田の猛攻に耐えた」、「謙信が落とせなかった」、「道灌が絶賛した」などなど。中には誇張表現もあるため、耳にするたびに「またか」との思いがもたげますが、実際に木々に分け入り、空堀に降り立ち、枡形で横矢を浴び(妄想)、小ぶりでも丁寧に保存された馬出を目の当たりにしたりすると、多くの場合、それなりに満足して家路につけます。彼ら戦国インフルエンサーの“お墨付き”は評価基準になり得るものと考えます。
というわけで、滝山城(東京都八王子市)。枕詞をそのまま借りると、北条が「武田を撃退した堅城」。1569年、信玄は2万の軍勢を率いて関東に侵攻。このとき城には北条氏照率いる2千の兵が籠もり、辛うじて落城を免れたといいます。
多摩川が形成した河岸段丘上に位置し、高さは約80メートル。大小の曲輪群を横堀が取り巻くTHE北条流と呼べる城でした。氏照は二の丸をメインに改修し、3カ所の虎口それぞれの前面に角馬出を設けます。どうやら武田軍はここを抜けなかったようです。加えて、迷路のような縄張と、高低差を活かした防御システムは今でも十分堪能できます。
その後、氏照はさらなる要害堅固の地を求めて八王子城(同市)に居城を移します。関東屈指の山城ですが、秀吉の小田原攻めに際し、主力不在で陥落。見せしめで婦女子の血が多く流れたと伝わる悲劇の城でもあります。
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2023/01/12 22:23
高部向館 茨城県常陸大宮市 (2020/12/30 訪問)
2022年城納め2城目は高部館の出城とされる高部向館。
高部館から緖川を挟んだ場所にあり、高部館の駐車場から歩いて行けます。
緩やかな登城路もありますが途中の竪堀が見たかったので神社の裏手を直登しました。
結構急な上に土も柔らかく苦労します。
やっと見つけた竪堀はかなり浅いものでした。
帯曲輪群を経て主郭に。
主郭には小さな神社がありました。
神社の側に虎口も残っています。
主郭から南側に伸びる尾根には4つの堀切が施されていました。
主郭に近い二条は深く、竪堀となって落ちます。
帰りはおとなしく緩やかな道で降りましたが、途中の虎口もユニークな造りで良い感じでした。
高部館だけでなくこちらもセットで見て欲しいと思える城でした。
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2023/01/12 22:07
ふたつの生実城 (2022/08/07 訪問)
かつては時代差があるとされていたふたつの小弓城は並存していたことがほぼ確実となってきた。規模的にも生実藩の藩庁としてのその後を見ても北小弓城の方が本城なのだろうか。
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2023/01/12 21:40
太田道灌ゆかりのお城 (2023/01/05 訪問)
赤羽駅から程近い高台の上の静勝寺が城跡です。
太田道灌が築城したと伝わります。寺内の道灌堂に太田道灌の木造坐像があり、命日の7月26日にちなみ毎月26日に見られるそうですが、今回は日にちが合わず見られませんでした。
赤羽駅は路線数も多く、駅周辺は大変賑やかですが、この辺りは閑静な住宅地といった感じでとても静かです。お寺の両サイドに坂道がありますが、もしかしたらかつての堀の跡かも?
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2023/01/12 21:29
吉川元春館 (2022/12/11 訪問)
【吉川元春館】
<駐車場他>戦国の庭歴史館駐車場
<交通手段>車
<見所>館跡・堀・石垣・吉川元春・元長墓地
<感想>1泊2日萩・浜田の旅、3城目。吉川元春館は1582年に嫡子元長に家督を譲った後、1583年に隠居所として築造を開始しましたが築造途中のまま元春はここに入ります。1586年に九州遠征の時に元春が死去し、翌年元長も病死し吉川広家の時に完成したが1591年に月山富田城に移ると廃墟化していったようです。
まず戦国の庭歴史館(有料)に寄りました。館跡からの出土品等が展示しています。館跡は南側が正面になっており真っすぐの正面大石垣が見事です。内部は礎石建物跡、庭園跡があり復元建物もあります。北側の奥に吉川元春・元長墓地があります。
<満足度>◆◆◇
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2023/01/12 20:24
石垣を探すの巻 (2023/01/02 訪問)
遺構★★☆☆☆ 石垣
二俣城を終えて、隣の山まで車でいき、鳥羽山城に行きました。鳥羽山城は二俣城を家康が攻める際に詰城として築いたお城です。こちらも堀尾吉晴によって改修され、ここには屋敷が立っていたようです。
鳥羽山公園の駐車場に車を停めて、約 5分ほど登って行きます。今は石段が整備されています。両サイドには何やら石垣の一部でしょうか?石の列が連なっています。階段を登り終えると、正面に大きな石垣が立ちはだかります。たぶんここが一番良好に残ってる。荒々しい野面積みでした。また石垣も低くはないので何かしら役割が果たせていたと思います。石垣を横切って左から進んで右に曲がると大手門跡が見えてきます。大手門跡には暗渠が残っています。これには結構驚きました。なんなら鳥羽山城で見どころはこれかもしれないです。また大手門跡には当時の石垣や石段も残ってるので結構貴重ですよ。
では本丸周辺を散策。続く
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2023/01/12 20:04
富士山が素敵 (2023/01/11 訪問)
私は、富士山大好きです。たまたま、足柄峠を通過していると、足柄城を発見!
階段を上ると、ほんまにそこはお城でした。
廓の跡が散見出来て、堀切も確認出来てGOODでした。
更には、富士山が鎮座されてるではありませんか。
ここから見える富士山は、最高です!
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2023/01/12 19:49
2023/01/12 19:25
村上海賊の居城を訪ねて (2023/01/08 訪問)
城跡がある能島へはガイド付きのツアーを事前予約しての上陸になります。令和4年4月から令和5年3月までの土日祝の運行で1日2便から3便です。私が利用したのは13時45分の便で約30名ぐらい、2班に別れての見学でした。乗船場所は能島水軍レストランの裏手、駐車場はレストラン前と向かいの村上海賊ミュージアムにもあります。高さ31mの本丸跡からの伯方・大島大橋と瀬戸内海の眺めは美しいです。豪雨による遊歩道の崩落により矢びつ、東南出丸は立入禁止となっているので注意が必要です。御城印とスタンプは村上海賊ミュージアム内にあります。
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2023/01/12 19:00
2023/01/12 18:01
細野城 (2023/01/12 訪問)
中の城との分岐から標識に従って西の城へ進みます。途中、藪化しているところもありますが、道は明瞭で歩いて行くと西の城に行くことができます。藪がひどく見学が困難との情報がありましたが、整備されたのか、季節がよかったのか、主要な場所は木が切ってあり草も刈ってありました。「ちえぞー!城行こまい」さんのHPでは「主要部の南西尾根に二重堀切があり、その西に分厚い土塁をもつ郭があります」と記載されていましたが、よくわかりませんでした。帰りはぴーかるさんが登城された墓を経由する道を通って降りてきました。西の城へだけ来るなら、こちらの道の方が断然歩きやすいと思います。
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2023/01/12 17:49
2023/01/12 17:36
細野城 (2023/01/12 訪問)
津駅から三重交通バスに乗り長野東バス停下車。降りたところから少し戻ると案内板があり登城口となっています。谷筋を歩いて行くと東の城と中の城、西の城の分岐点があり標識が立っています。谷筋には石垣がありますが、当時のものではないかもしれません。東の城の標識に従っていくと、すぐに堀切を認めます。よく見ると石垣があります。手にした縄張り図には、この堀切はなく戸惑ってしまいました。道は整備され歩きやすく主郭へ行くことができます。帯曲輪等もありました。南東部にも曲輪があると思われますが、竹藪となっていて、倒れた竹で行く手が阻まれていました。強行突破はすることなく戻りました。
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2023/01/12 07:05
奈良の城めぐり⑨ (2022/12/10 訪問)
献血前最後の攻城が窪之庄城でした。現在は八坂神社になっています。神社の下の方には空堀などの遺構が残っているようですが、境内の散策だけで済ませてしまいました。献血ルームに赴く前に、近くの帯解寺には立ち寄っていきました。独身者には余り縁のない寺のようですけれども。
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2023/01/11 22:45
湿地帯の城 (2023/01/06 訪問)
高松城跡は、高松城址公園となっています。
駐車場は本丸脇と三の丸脇の2か所あります。
高松城址公園資料館で続日本100名城スタンプを押すことができます。
三の丸西の駐車場から徒歩1分のところにある高松山妙玄寺の境内に、清水宗治自刃址があります。
清水宗治は、敵味方両軍が見まもる中、舟上で見事切腹を果たしたそうです。さらにその近くに宗治が切腹する船を追って、家臣が刺し違えて殉死したといわれているこうやぶ遺跡があります。
高松城址公園より2km、クルマで約4分のところに蛙が鼻築堤跡があります。
高松城といえば、1582(天正10)年黒田官兵衛が豊臣秀吉に進言したの水攻めの主戦場となったことで有名です。
その際につくられた堤は、ほとんど後世に崩されてしまいましたが、ここだけ残されています。
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2023/01/11 21:22
黒田六端城めぐり① (2022/12/30 訪問)
18きっぷ3回目は実家スタートで北九州を少しまわってきました。
戸畑駅北口に降り立つと目に飛び込んでくる真紅の橋、若戸大橋は若松区と戸畑区を結ぶ歴史のある橋で、2022年に国の重要文化財に指定されています。
この橋の真下にあった「中の島」に築かれていたのが若松城で、福岡城を本城とする黒田長政の筑前六端城のうち、いちばん北に位置しています。
中の島は時代の流れの中で海中に姿を消し、若松城も二度と見ることのできない幻の城となってしまいました。しかし、現地に立ち(立てないけど)、“ここにあったんだ”と感じられただけで充分で、寧ろ、城の行く末を見届けた気持ちになりました。
海中に埋没してしまった城ですが、島の痕跡すべてが消滅してしまったわけではありませんでした。
「河白斗【白へんに斗】嶋(かばしま)記念石」と刻まれた石が戸畑図書館前に展示されています。島の住人たちが島を離れる際に運び出した石なのだそうです。石は黙したまま何も語らないけれどたくさんの歴史を見てきたはずで、若松城の形見でもあるのだなぁと思いました。
前々回投稿の真鶴の品川台場の礎石と、この中の島の石。
どちらも消滅寸前の城跡から運び出された、城の存在の証しとなる石で、城めぐりをする中での石との出会いの楽しさを感じると同時に、歴史の伝達を石に託した人たちの思いを真摯に受け止めたいと思いました。
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2023/01/11 19:28
南の丸探訪 (2023/01/02 訪問)
遺構★★★☆☆ 堀切、土塁、石垣、虎口?
二の丸を終えて南の丸へ急ぎました。すると何やらまた石垣の虎口が、形の成り立っていない野面積みになっていました。そこから南の丸に行くと結構大きな堀切がありました。どうやら二の丸と南の丸に仕切りをつけるためのもののようです。南の丸にも虎口らしきものがあり、一部石垣になっていました。南の丸に入ると奥の方に石垣が。石垣の上には土塁が立っていたので鉢巻石垣かな?あと、積み方が他の場所の石垣とは異なっていて石材も違うようですが、これは家康の石垣なのかな?よく分かりません。またなんでこんなところに石垣があるのだろう?
100名城には指定されていないものの、遺構がよく残っているお城だと思いました。。天守台も堀も石垣も残っていますが、国指定史跡だけはちょっと厳しくないでしょうか?
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