仙川駅が最寄で徒歩20分。
この日は狛江入道館から徒歩で転戦しました。
跡地はURの団地になっていて遺構はありません。
発掘調査の様子が説明板に記されています。
江戸時代には柴田勝家の孫、柴田勝重が旗本として陣屋を築いた場所でもあります。
わざわざ行くことも無いと思いますが静かな住宅地で心眼を鍛えることはできそうです。
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2022/06/11 07:49
島屋敷 (2022/05/28 訪問)
仙川駅が最寄で徒歩20分。
この日は狛江入道館から徒歩で転戦しました。
跡地はURの団地になっていて遺構はありません。
発掘調査の様子が説明板に記されています。
江戸時代には柴田勝家の孫、柴田勝重が旗本として陣屋を築いた場所でもあります。
わざわざ行くことも無いと思いますが静かな住宅地で心眼を鍛えることはできそうです。
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2022/06/10 21:34
資料館周辺はとても綺麗な場所です。 (2021/05/23 訪問)
2年ほど前から城郭放浪記さんのサイトで知っていた場所です。1年ほど前に何度か調べて訪問しました。資料館周辺は小川城城址公園と銘うって、資料館や食事の出来る藁葺屋根の建物などがあります。資料館には小川に架かる橋を渡ってはいるのですが景色はとても綺麗です。
資料館は比較的新しく城の作りに似せた建物です。その周辺に石積があるのですが新築時の際に施工されたと思い込み写真を撮るのを忘れていました。資料館内部は無人で200円を箱に入れて入る仕組みです。この頃は建物内部に入っていました。
この一帯は隠居場らしく、主郭はここから東に300mほど行った廃校となっている小学校の敷地です。主郭の名残と言えば切岸だけでしょうか、校門は道路が折れて入るようになっていたので虎口位置なのかもしれません、階段と門柱脇に石積が有りましたが虎口だという確証はありません。その田の遺構については特に気が付いた所はありませんでした。
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2022/06/10 20:49
木造復元天守 (2022/05/15 訪問)
城郭検定の勉強で大洲城が木造で復元したと知り行ってきました。場内に復元の基になったという木の模型があり、やはりこういうのがないと完全な復元は難しいのだろうなと感じました。
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2022/06/10 15:38
姫路城の瓦紋 アゲハチョウがなぜここに?
姫路城の瓦紋のなかで、揚羽蝶といえば池田家の家紋ですが、そのアゲハチョウの紋が我が社の中にあったのです。
「こはぜ」に、文様を彫るための金型が数えきれないほどあり、ほとんどサビがついて模様もはっきりと見えないものもあったりしますが、その中で、サビ取りをしてきれいに展示している金型に、この「揚羽蝶」の文様がありました。
1919年創業で現会長が4代目社長時代でも製造はしておらず、磨いてきれいに保管してはじめて存在を知ったくらいですので
果たして、いつのころ、このこはぜが製造されたのか、謎なのです。
が、見る限り、池田家の家紋と同じ模様。
池田輝政は姫路城城主であり、篠山城の普請に従事し総普請奉行をも務めたそう。その池田家は岡山城初代藩主が輝政の次男であり、、と私自身の分岐点となる所在地がすべて関わっている感じがして(勝手な思い込みです)、ますますこの【アゲハチョウのこはぜ】が
気になり始めました。
調べてみます。
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2022/06/10 12:23
印象的な瓦 (2012/09/30 訪問)
青い瓦が印象的でした。
本丸御殿は、まだ再建工事中でした。
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2022/06/10 12:14
凛々しいお城 (1986/04/28 訪問)
烏城名前に負けない、凛々しい天守閣でした。
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2022/06/10 11:46
素晴らしい長大な丘城、奥仲城(搦手~馬出虎口)編 (2022/05/30 訪問)
森山城は利根川の南側北総の丘陵を城域とした北総最大級で、森山城・須賀山城を含み東西1500m、南北500mの広大な城です、内森山城は東西620m南北500mで西の搦手から、奥仲城(根小屋)、仲々城(本丸)、仲城(二の丸)、三城(三の丸)、大手門跡、鳳凰郭と直線的に連郭式城郭と成って居る、各曲輪は空壕、土塁で区切られ、奥仲城は角馬出が備わってる、空壕は土橋が架かり繋がってる、各曲輪は現在、畑、牛舎など私有地で、マナーを守って散策をと案内板に記載されて居りマナー良く散策見学探訪させて頂きました。
歴史的には鎌倉期建保6年(1218年)、千葉常胤6男・東胤頼築城説、胤頼曾孫・泰行が鎌倉から東庄に帰ったときに森山城を築き須賀山城を廃した説など中世の動向は不明な点が多い。
現在の森山城は、北条氏の築城技術の強い影響が見られ、永禄~天正期(1570年前後)に千葉胤富により東側の須賀山城を取り込み大拡張・増強工事がされたとみられる。(全て案内板の説明文です)
探訪ルート:車を西端麓の青年館道との隙間にギリギリ1台駐車(住所:香取市下飯田3048)、妙見社・星宮大神、横の堀底道を登る、搦手道で折も有り急で笹の落ち葉で滑りやすい、搦手虎口を通り、奥仲城、畑です、土塁と空壕、土橋、角馬出、仲々城域へ畑と牛舎。主として真ん中の道からの見学散策探訪撮影です。
探訪情報案内は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんの情報により探訪は余湖図コレクションさんの俯瞰図に依る。
奥仲城では現在の城主様に遭い、夫婦で畑作業中でしたが声を掛け情報を得る、搦手口妙見社前のお宅の方、立派な家で門も有りお寺かと思いましたと話すと、10分程会話し色々情報を得ました、須賀山城推薦で整備が整ってると、車で城廻りしてる旨、車で青森から鹿児島までと話すと、ご夫妻も車で車中泊し東北、全国廻ってると、話が盛り上がりました。
続きへ、仲々城~大手編。
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2022/06/10 05:37
エピソード (2010/05/10 訪問)
天守閣前の広場で、友人が鳩にエサをあげようと手に出したら、体中鳩にとまられてました。
鳩にエサをあげる時はご注意ください。
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2022/06/09 22:11
2022/06/09 22:02
横浜城址散歩 (2022/06/09 訪問)
東急田園調布線江田駅の近くにありますが、立入禁止となっています。山際に近づいて写真を撮りたかったのですが、人がいて躊躇してしまいました。どこか近づけないと思って歩いて、城のある山の周囲を無駄に一周してしまいました。一部近づいてそれらしい所を撮影しましたが遺構か否かわかりません。ネットで見ると先輩方は歩道橋から近づいたようですが、歩道橋も通行止めになっていました。
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2022/06/09 22:00
2022/06/09 21:53
亀田山に建つ松江城 (2022/06/09 訪問)
亀田山に建つ松江城の内堀には、亀が沢山、泳いでいました。(②)内堀には、宍道湖の水が流れているとか。
松江城から、徒歩約10分の、カラコロ工房(旧日銀支店)では、7/31迄、【アンブレラスカイ】開催中。松江の梅雨空を、鮮やかな傘が、彩ります。
松江城から、徒歩約30分、夕日が綺麗な夕方限定、開店の話題の【サンセットカフェ】⑧3回目のリベンジで、やっと飲み物GET(⑨)
宍道湖の夕日も、いとおかし。(⑩)
この日は、猫🐱はいませんでした。
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2022/06/09 21:53
横浜城址散歩 (2022/06/19 訪問)
JR小机駅よりバスに乗り池辺バス停下車、徒歩5分くらいのところに宗忠寺があり、石碑に陣屋について少し書かれています。
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2022/06/09 21:51
横浜城址散歩 (2022/06/09 訪問)
JR小机駅から徒歩5分くらいの場所にある雲松院と裏山が砦跡とのことです。
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2022/06/09 21:48
横浜城址散歩 (2022/06/09 訪問)
菊名駅からバスに乗り馬場谷バス停下車、徒歩5分くらい坂を上ると石碑と案内板があります。少し離れたところに寺尾城址の発掘の案内板があります。竪堀跡とグーグルマップで表示されますが、雑草が生えていてよくわかりません。
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2022/06/09 21:45
横浜城址散歩 (2022/06/09 訪問)
新横浜駅から近い城址ですが、皆さんがご指摘されているように立入禁止となっています。案内板の写真を撮影して退却しました。
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2022/06/09 21:27
晃華学園で難攻不落 (2022/05/28 訪問)
この日は深大寺城から徒歩で攻城、15分くらい。最寄は柴崎駅かな。
晃華学園という学校が建っています。
遺構は確認できません。
この学校、かなりの高低差がある段丘上に建っていて城の気配は感じることができます。
心眼ですね。
周りをウロウロすると怪しいので早めに退散しました。
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2022/06/09 21:18
大黒古戦場(新潟県長岡市) (2022/06/04 訪問)
長岡城を占拠されてしまった長岡藩同盟軍は,栃尾に仮本営を構えました。進軍ルートは,まず見附に出て,南下して長岡城を目指す作戦に出ます。見附の「今町の戦い」では大勝して勢いに乗ります。
しかし,そこに立ちはだかるのは,天然の要害である八丁沖。
八丁沖は,長岡城の北東の郊外,北は百束(ひゃくそく),大黒(だいこく)辺りから,南は富島(とみじま),亀貝(かめがい)辺りまで。南北約5㎞,東西約3㎞の大沼で,中央は底なし沼。大蛇や怪魚が生息し,普段から人は寄り付きませんでした。
新政府軍は八丁沖の北端の大黒の地に堡塁を築き,さらに追加の援兵を送り込み,その数は3万人に達しました。
対して,長岡藩同盟軍はわずか500人余り…。
1868(慶応4)年6月14日,22日,7月2日と3度の夜襲を試みるも,突破できず…。
戦死者は増えるばかりで,手詰まりかという状況下,下級藩士・鬼頭平四郎の弟,熊次郎の存在に気づきます。鬼頭熊次郎は,八丁沖の漁労や山仕事に従事していました。河井継之助は,鬼頭熊次郎のポテンシャルが,阻まれ続けた八丁沖の渡渉に使えるのでは…と。
~続きは,八丁沖古戦場で(明日から遠征に出ますので,来週になります)~
現在の八丁沖は一面田んぼとなっています。2004年の「7.13水害」では,再び沼地となりましたが…。
大黒古戦場跡地には供養塔があり,あの山本五十六書の「戊辰戦蹟記念碑」が建っています。また,東京に医学校を開校した「長谷川泰翁像」も目を引きます。
そして,「長岡市北越戊辰戦争伝承館」があり,無料で鑑賞することができます。あの林修氏も訪れていました。
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2022/06/09 20:51
見どころは石積 (2019/06/22 訪問)
本格的に城廻りを始めたのは19年の梅雨明けと記憶していたのだが、調べものをしていたら梅雨入り前に始めていたらしい。ここに来たのは19/6/22、現在4年目に入っている様だ。そういえば終活でのお供の赤いバイク2号機と納車1月後辺りに来たのを思い出す。2号機は正直なところ山城どを廻るには全く適していない。重くて小回りが利かない、ここの虎口のカーブが狭くてタイトだった事を思い出した。それでもバイクでの城廻りの9割は2号機がお供だ、むしろ城回り専用バイクとなっている。今後も遠乗りを辞める迄は2号機がお供となる事だろう。城の背景や歴史などの知識が不足しているために今回も雑談で尺をとってしまう。
こちらは地元の有志が整備されてる城で手作り感のある場所です。主郭に並べている石などは後から積んだそうです。こちらの見どころはなんと言っても海に面している南側の石積です。雑草が無ければ道路面からも石積が良く見えるようです。私が行った時は夏草が茂り始めた頃で少々隠れていましたがそれとなく雰囲気を味わう事は出来ました。主郭自体はさほど広くなく、石積含めて15~20分程で見ることができます。
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2022/06/09 20:40
広大な木原城6年振りのチョイ寄り (2022/05/30 訪問)
今回の城廻り4日目、宿泊した土浦のホテルを朝早く出てラッシュに遭いましたが国道125号線に入ると逆に成りスイスイ、千葉県香取市森山城に向って走行中、以前城廻りで走った国道、木原の標識が出る頃は木原城、塙城を思い出し、木原小学校がナビに入った頃には、木原城にチョット寄らなくては!と国道から小学校側にハンドルを切り、6年振りの登城で木原城址公園二の曲輪駐車場に駐める。トイレは詰曲輪に在る。
木原城は広大な丘城跡で詰曲輪、2の曲輪、3の曲輪、寺郭を水濠、湖沼で囲まれ北方向霞ヶ浦に向かって舌状台地上に築かれた、現在詰曲輪が木原城址公園と成り、駐車場は詰曲輪、二の曲輪に在る、二の曲輪は私有地畑と駐車場、三の曲輪は木原小学校、畑、民家、寺郭四の曲輪は永巖寺と山林山野に成って居る、各曲輪間は深い壕と土塁で区切られ、尾根続きの南東側は二重堀、土塁で防御されて居た。(曲輪の呼称は案内板縄張復元図に従う)
今回は約20分のチョイ寄り、二の曲輪、詰曲輪の探訪のみ。
壕、土塁は草が茂り、壕の深さ広さ、土塁の形など良くは確認できませんが曲輪内部、堀に広がる樹木の並びで広大さを感じる事が出来ます、木原城は現在も健在です。
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