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ぴちょまる

小見川城山公園 (2021/03/27 訪問)

城山という名称ではあるものの、前方後円墳の方がメインのような場所。
染井吉野も1000本あり、北総では有名な花見の場所らしい。
相当な数のボンボリを吊るしてある。

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ながす

松本城 (2021/03/27 訪問)

松本城!!
国宝現存天守!!カッコ良過ぎる、、、
御城印8つ目!!

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城太郎

復興に感謝、感動 (2021/03/25 訪問)

震災から5年 再び甦る天下の名城。
初訪問の熊本城でしたがスケールの大きさに感動。
宇土櫓の勇姿にも感動。

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城好きのメガネ

「野崎城」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
野崎城は交通要衝に築かれ戦力的重要な拠点であったとされる。河内国守護畠山氏の内紛の際には、畠山尚順が立てこもる野崎城に畠山義豊が攻めたとされる。戦国時代には飯盛山城の出城として活用されていたとされる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR野崎駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「淀城」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★★★★☆
淀城は1623年、徳川秀忠の命により松平定綱が築いた。廃城となった伏見城の資材を転用したとされる。その後、稲葉正知が入り、幕末まで稲葉氏が治め、山城国唯一の大名家の居城として明治に至った。幕末の藩主・稲葉正邦は老中や京都所司代などを務めていたが、鳥羽伏見の戦いで敗走した旧幕府軍の入城を拒否した。尾張藩から中立を守るよう助言されていたとされる。廃藩置県に伴い廃城となる。現在、石垣等が遺されている。

<アクセス>
京阪本線 淀駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「淀古城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
淀古城は、三面を川に囲まれた天然の要害であり、守護・畠山政長が応仁の乱に西軍の畠山義就に備えるため築いたとされる。摂津と河内の抑えの城として使用されてきた。戦国時代には、三好長慶の甥に当たる三好義継が城主となる。1568年に織田信長が上洛を果たすと、淀古城も織田軍の焼き討ちにあい、落城した。その後、将軍・足利義昭が織田信長と敵対すると三好三人衆の1人・岩成友通が、淀古城に籠城する。織田方に包囲され、友通は奮戦するが討ち死にする。1582年、本能寺の変の後、明智光秀が淀古城を改修し、山崎の戦いで利用された。1589年に、豊臣秀長が淀古城を改修し、茶々に与え産所とした。これにより茶々は「淀殿」と呼ばれるようになる。最後の城主であった木村重茲も秀次事件に連座し、廃城となった。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
京阪本線 淀駅 徒歩約10分

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城好きのメガネ

「芥川城」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
芥川城は国人領主であった芥川氏が築いたとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR高槻駅 徒歩20分

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朝田 辰兵衛

「続々日本100名城」選定の伏線か…?! (2021/03/28 訪問)

書店でこんな本を見つけてしまい,「続々日本100名城」選定の伏線ではないかと勘ぐってしまいました。注目すべきは,各都道府県から最低1城のピックアップではないこと。ここは,選定時に議論になるところだと思います。京都新城の記事も掲載されていたので,即買いしました。2021年3月25日発行です。
しりとり的には,「ま」で終わる城が激増したな…と…<笑>。

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むねしげ

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ぴーかる

大内氏館 (2021/03/13 訪問)

【続百名城48城目】
<駐車場他>龍福寺駐車場
<交通手段>車

<見所>土塁・庭園跡
<感想>1泊2日中国地方西部の旅3城目。大内氏館は勢力拡大とともに5回の改修がなされた居館。現在は内部居館跡は龍福寺となっています。山門前に石碑と説明板があり、山門を通ると左手に当時居館時代の豊後岩が置かれている。東手に池泉庭園跡、奥に資料館、資料館は閉館していました。奥の本堂には入らなかったので本堂に大内氏時代の遺構があるかもしれません。南辺以外の3方の土塁や復元西門等の遺構を見て終了した。

<満足度>★☆☆

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キンヤ

コンパクトながらテクニカルな遺構が良く残る城 (2021/03/07 訪問)

日近奥平氏の城ですが、発達した構造であることから、天正期の徳川氏による改修ではないかともいわれます。

二の曲輪への虎口から本曲輪南西下の帯曲輪への虎口の間は城道がクランクしています。
また、本曲輪を囲む土塁は東側で屈曲していますし、本曲輪の北東下と北西下には横堀があり、確かにテクニカルな縄張りです。

帯曲輪東側の土塁は大きく、その大土塁と本曲輪の間の堀切も大きく、見応えがありました。

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とまんど

伊豆半島を睨む興国寺城 (2021/03/27 訪問)

今川、北条、武田、徳川が治めたことのある城ですが、訪問時は三つ鱗の旗がはためいていました。
なんといっても伊勢新九郎盛時(北条早雲)旗揚げの城ですしね。納得。
本丸、二の丸、三の丸は今ではなだらかな傾斜地になっており、本丸を囲むコの字型の土塁と北側の堀切が印象的でした。特に堀切は圧巻でした。
北曲輪は入れなさそうだったので諦めました。
本丸伝と続く土塁からは駿河湾まで一望でき、その先に伊豆半島が見えました。伊勢新九郎はこの景色を見て何を思ったのだろうと思うととても感慨深かったです。
訪問時は本丸北側にある土塁の桜が満開で綺麗でした。また、キツツキが木に穴を開けていてその音が響いていました。
JR原駅から乗り合いタクシー的なバスが出ており、東根古屋で降りてすぐの場所です。

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小城小次郎

麓のお寺のご厚意が嬉しい (2020/12/19 訪問)

那須氏あるいは福原氏一族が森田氏を名乗って断続的に居住したお城で、麓の芳朝寺に「森田城跡駐車場」との表示がなされているのは実に有難い。ただ肝心の城跡は四阿などがある割には草深く、整備後の維持の難しさも垣間見える。

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だめなこ

清洲城 (2021/03/27 訪問)

車を停めて 桜の下を抜けてお城へ!
ちょうど桜がキレイでヨカッタ♪

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昌官忠

リハビリ15城巡り⑧:池上氏館 (2021/03/24 訪問)

足腰リハビリ15城巡り8城目は池上氏館です。
池上駅より徒歩7~8分くらいで本門寺門(総門)前(35.576748、139.704923)に着きました。

池上氏館は鎌倉時代に、この地を領する豪族・池上氏によって築かれました。
日蓮上人が1282年(弘安5年)病気療養へ向かう途中に宗仲の館に逗留し、そこで入滅したそうです。
宗仲は館の敷地を日蓮宗に寄進し、本門寺としました。

池上駅から本門寺に向かう途中に「池上本門寺参道碑」がありました。
加藤清正が造営したと伝えられる本門寺の石段(96段)を登ると立派な仁王門が迎えてくれます。
遺構は何も残っていませんが、境内には日蓮上人の像が建てられていました。(写真撮り忘れました)
攻城時間は15分くらいでした。

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昌官忠

リハビリ15城巡り⑦:河崎氏館 (2021/03/24 訪問)

足腰リハビリ15城巡り7城目は河崎氏館です。
京急川崎駅より徒歩6~7分くらいで稲毛神社側面入口(35.530936、139.704230)に着きました。

河崎氏館は、平安時代後期に桓武平氏の流れを汲む、秩父氏の一族・河崎基家がこの一帯に土着し構えた居館とされています。
稲毛神社の弁天池と呼ばれる場所は、館の水濠跡と伝わっているそうです。
稲毛神社の境内には小さな神社がたくさん祀られていました。境内の桜も綺麗でした。
攻城時間は15分くらいでした。

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todo94

朝駆け (2021/03/26 訪問)

前日の19時前に出立。西宮名塩SAにて仮眠をとり朝7時過ぎに到着しました。ETC休日割引がきかない平日の移動になってしまったので浜田ICまで一万円を超える高速料金がかかってしまいました。聖徳寺に説明板がありましたが近づけなかったので、写真に撮って内容は確認しました。墓地の上の方から登城路が伸びていて迷うことはありませんでした。堀切ははっきりと視認することができました。

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にのまる

着いた→帰った。 (2021/03/16 訪問)

 「行ってはいけないお城」という認識だったのですが、都内の城びと登録城フルコンプのためには行かざるを得ません。
 畑や住宅が点在する山あいののどかな道を辿ると登城口。山の中に入るとすぐに祠と土塁。普段なら行けるところまで行ってみようとか思ってしまうのですがここはスタート地点=ゴール地点。左に続く道を少し進んだところで引き返しました。大人の行動が出来た自分を褒めてあげようと思います。あとは、縄張り図を見ながら妄想の世界で楽しみます。


⭐︎みなさま方の「絶対に行くな!!」という本気のメッセージに心を打たれました。なんて優しい方々🥲
「みんなの投稿」は実際に行った人にしかわからない現地の大事な情報を(惜しげもなく‼︎)教えてもらえてありがたいです。

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sakappa

土塁と空堀が残っています (2021/03/27 訪問)

竹藪の中に、立派な土塁と空堀が一部残っています。以前はもう少し残っていたらしいですが、道路ができた時に削ってしまったとのこと。竹藪の奧には民家があり、敷地内に知らない人が入ってくるため、柵を設けたらしいです。敷地内には井戸が残っているとのことでした。

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sakappa

城跡を示すものは何もなし (2021/03/27 訪問)

豊山町商工会の建物の隣に、戦没者慰霊などの石碑がいくつか建っている広場があります。しかしながら、溝口城跡を示すものは何もなし。

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