きはらじょう

木原城

茨城県稲敷郡


旧国名 : 常陸

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展望台から戸崎城方面を望む
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赤い城

公園だけではもったいない (2023/03/04 訪問)

再訪、今回は駆け足での訪問ですがちゃんと見るには1日かかると思います。
城址公園が主郭で駐車場もありますが周辺の街中一帯が城址の巨大な城です。
今回は主郭と二郭周辺のみの見学です。
木原城といえば高い土塁。
主郭の土塁だけでなく二郭の土塁も木が伐採され見やすくなっていました。
せっかくなので土塁上を歩くと外側の堀の深さに圧倒されます。
ここも江戸崎土岐氏の城。
深い堀は北条氏の影響も受けていますが佐竹氏に対抗するには必然かと思います。
街中遺構ハントも含め、じっくり1日かけて見たい城です。

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カズサン

広大な木原城6年振りのチョイ寄り (2022/05/30 訪問)

 今回の城廻り4日目、宿泊した土浦のホテルを朝早く出てラッシュに遭いましたが国道125号線に入ると逆に成りスイスイ、千葉県香取市森山城に向って走行中、以前城廻りで走った国道、木原の標識が出る頃は木原城、塙城を思い出し、木原小学校がナビに入った頃には、木原城にチョット寄らなくては!と国道から小学校側にハンドルを切り、6年振りの登城で木原城址公園二の曲輪駐車場に駐める。トイレは詰曲輪に在る。

 木原城は広大な丘城跡で詰曲輪、2の曲輪、3の曲輪、寺郭を水濠、湖沼で囲まれ北方向霞ヶ浦に向かって舌状台地上に築かれた、現在詰曲輪が木原城址公園と成り、駐車場は詰曲輪、二の曲輪に在る、二の曲輪は私有地畑と駐車場、三の曲輪は木原小学校、畑、民家、寺郭四の曲輪は永巖寺と山林山野に成って居る、各曲輪間は深い壕と土塁で区切られ、尾根続きの南東側は二重堀、土塁で防御されて居た。(曲輪の呼称は案内板縄張復元図に従う)

 今回は約20分のチョイ寄り、二の曲輪、詰曲輪の探訪のみ。

 壕、土塁は草が茂り、壕の深さ広さ、土塁の形など良くは確認できませんが曲輪内部、堀に広がる樹木の並びで広大さを感じる事が出来ます、木原城は現在も健在です。

 

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小城小次郎

これだけ巨大な城なので (2021/12/05 訪問)

これだけ巨大なお城は後北条氏による巨大な兵站基地だったと考えるのが普通なのだが、常陸には無駄に広いお城が多いことも考慮すれば領民待避所的な「村の城」が発展したという考え方があってもよいのかもしれない。

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赤い城

城域は広く主郭部は公園に。 (2021/04/17 訪問)

木原小学校の裏手が城址公園となっている。
公園入口に模擬門があり、すぐに深い堀が。
主郭は高い土塁に囲まれ、市民の憩いの場となっていました。
八重桜、チューリップは終わりかけでしたが十分綺麗。
搦手側の櫓台跡に稲荷神社があり、二郭との間には深い堀が。見どころです。
降りてみましたが高い!凄いです。
南側の永源寺(寺曲輪)に移動。
南虎口、寺の裏手の二重堀を見学。
城域はかなりの広さがあります。
江戸崎土岐氏の家臣、近藤氏の居館です。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 近藤氏
築城年 15世紀前期?
主な城主 近藤氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 模擬櫓、説明板
住所 茨城県稲敷郡美浦村大字木原
問い合わせ先 美浦村文化財センター
問い合わせ先電話番号 029-886-0291