詳細は不明ながら、鎌倉期に北条氏傍流の浮気時房が築いたとされ、室町期には浮気氏は六角氏に仕えていましたが、六角氏が織田信長に追われると信長に従い、金ケ森城の一向一揆に対する拠点となりました。
城跡は住吉神社になっていて、境内奥の社叢林には東辺から北辺にかけて土塁と堀が明瞭に遺っています。境内側からは社叢林への立ち入りが禁止されているようには見えませんが(むしろ社叢林でのスズメバチや虫さされへの注意書きがある)、県道側にはロープが張られ、「森の中へ入らないでください」の注意書きが立てられていました。…どっち?? 一応、社叢林には(ほとんど)入らず、境内側からと県道側から眺めるに留めましたが、それでもひと通りは見ることができたと思います。
ところで、「うわき」とか「フケ」とかとかく城名でネタにされる浮気城ですが、どうしてこんな地名が…と思って調べてみると、「ふけ」とは低湿地帯を指す言葉で、このあたりは野洲川の伏流水が湧き出て森が茂る自然豊かな地だったことから、「紫気天に浮かびて雲間に動かず」の詩にちなんで浮気と名付けられたとのこと。そういえば住吉神社の周囲の道路脇にはきれいな水路が縦横に走っていて、鯉も泳いでいましたっけ。マイナスイメージどころか思いのほか高尚な由来でした(笑)
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