(24人目)島津義弘の続き⑥です。
以前お伝えした、九州新幹線「新八代駅」から宮崎駅行の高速バスB&S号に乗り、人吉ICの次の「えびのIC」で下車しました。そこから5分程歩くと「道の駅えびの」があります。何とここにもありました😯~義弘様の銅像が!(写真①②)。
この写真①の銅像の背後右の山の中腹に小さく見えるのが有名な加久藤ループ橋です。高速バスもあの山を越えループ橋とトンネルを通ってここへ着きます。つまりあの山の向こう側が熊本県の人吉です。
そして写真③の銅像の背後の低い山に加久藤城(かくとうじょう)があります。ここ道の駅から小林駅行のバスに乗り10分、えびの文化センター前で下車しました。このあたりに加久藤城があるはずですが・・・?
バスを降りると、あれ?何か立派な城がある! でも加久藤城は山城だったはず🤔?? と思いながら見学していたら、何とここは建築会社の事務所でした(だまされた~😩加久藤城の前にまぎらわしい物を作るなー!)。結局、加久藤城はこの向こう200mくらい奥にあり、今から行っていたら次のバスに間に合わなくなりそうなので登城は断念しました(すいません)。皆さんもくれぐれもだまされないよう御注意を!(写真⑥)
義弘は、加久藤城を飯野城の出城とし、正室の広瀬夫人を住まわせていたようです。とはいえ義弘は側室を持たなかったので、なぜ別居していたのか?(そこまではよくわかりません🤔・・・)。でもこんなことをすると外敵から狙われるのではないか? と思っていたら案の定、日向の伊東氏は飯野城をスルーしてここ加久藤城を攻めたようです。その加久藤城を助けるべく義弘は出陣します。そして中間の木崎原で両者は激突、あの有名な義弘の名を天下にとどろかせた「木崎原の戦い」が始まります。
次は、気をとりなおし飯野城と木崎原古戦場を目指します。
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