おおひらじょう

大衡城

宮城県黒川郡

別名 : 駒場館、越路城、塩浪館
旧国名 : 陸奥

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刑部

雪積もる城址 (2023/01/04 訪問)

トイレ、駐車場完備の整備された城址。
雪が積もっていて歩く所でないところ歩いてしまい足を取られてしまいました。ちゃんと入り口から入れば良かった!

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カズサン

丘城大衡城初登城 (2022/05/28 訪問)

 陸奥・桑折城を終えて南西に直線距離約10km程、国道4号線沿いに在る大衡城を初登城。
 車は大衡城青少年交流館、大衡城跡公園の南西角に綺麗なトイレと駐車場完備して居りここを利用。トイレ完備はありがたい。
 
 ぎりょうさんの投稿で認知し今回の城廻りに桑折城に続けて大衡城も登城しました。
 情報は余湖図コレクションさん、古城盛衰記さんも参考にしました。

 駐車場から冠木門を潜って登城路、階段を登って行く本曲輪の南東に曲輪と堀、本曲輪の切岸が見事、東下に曲輪が数段有る様に見えるが樹木、草が茂り夏場は確認できない。
 本曲輪に城郭風の青少年交流館、資料館が建ってる、当日は土曜日で休館、土日祝は休館の様です、由って二の曲輪に当たる駐車場は休館日は閉鎖でした。東側には住宅街が迫って居ます、丘陵の南西端を活用した丘城で北西から南東に掛けて埋川が善川に合流し自然の外濠を成している。
 本曲輪からの眺めは素晴らしい西側、南側の早苗の田圃が光に輝いている、桜の頃は満開で城全体が装ってる事でしょう。

 案内板に由る歴史:天文13年(1544年)下草城主黒川下総守景氏の次子治部大輔宗氏が大衡城を築城、大衡氏を名乗った。天正18年(1590年)子氏胤の時、秀吉の奥州仕置きで所領を没収され廃城。(内容抜粋)

 

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ぎりょう

黒川氏北の護りの中世城館 (2019/12/29 訪問)

大崎氏の一族で文明四年(1472)に没した黒川氏開祖黒川下総守景氏の次子大衡治部大輔宗氏の築城と伝わる。室町中期から数世黒川郡北部の鎮に任じたが天正十八年(1590)治部氏胤に至り、秀吉の奥州仕置きによる大崎氏の所領没収とともに没落し廃城となった。
「仙台領古城書上」に本丸東西三十八間、同郭長さ百二間、横十二間、二之郭長さ六十五間、横十五間、本丸北方隠居館東西二十五間、南北十二間とある。
本丸からは大和町吉岡の街並みや船形連峰・七ツ森の景観を望むことができる。現在は公園となり本丸跡には二階部分だけ天主風建物の大衡城青少年交流館・民族資料館がある。北側の二之郭は駐車場に舗装されているが、南側は切岸、帯曲輪、大手の虎口跡など当時の面影をとどめている。北側からは本丸直ぐ下まで車で登れるが、南側大手口横に駐車場・トイレがありこちらからの登城をおすすめしたい。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 大衡宗氏
築城年 天文13年(1544)
主な城主 大衡氏、黒川氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、土塁
再建造物 石碑、説明板、城郭風建築物(青少年交流館)
住所 宮城県黒川郡大衡村大衡字塩浪4-2
問い合わせ先 大衡村都市整備課
問い合わせ先電話番号 022-345-5111