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10Q-Nobu

定期復興確認 (2022/04/30 訪問)

3年ぶりに熊本城を訪問。
前回はまだクレーンに囲まれて復興中でしたが、今回は天守内も開放されてました。しかし天守から階下を見ると、まだ手の付いてない崩れた石垣がよく見えて、まだまだ復興に時間がかかりそうです。

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岩崎城

第1回岩崎城歴史講座のお知らせ

第1回歴史講座は、
「丹羽一族の城館ー藤島城・傍示本城・諸輪北城・諸輪中城を中心にー」です。

日進市域を支配していた岩崎丹羽家。日進市には丹羽家の居城である岩崎城のほかに一族の城も含め、
いくつかの城が存在します。その中でも丹羽家分家の藤島城は城館の規模も大きく、
本家との争いにも登場する城です。丹羽家の支配領域は東郷町にまで及び、
岩崎城の戦いで討死した城代・丹羽氏重ゆかりの城もいくつかあります。
今回はそんな丹羽一族の城にスポットライトを当てて、その歴史や現状を紹介します。

ぜひお気軽にご参加ください!

※講座は一回ごとに募集いたしますので、お好きな講座にのみご参加いただけます。
募集期間等はその都度ご案内します。

募集期間:6月11日(土)~25日(土)
開催日時:6月26日(日)13:30~15:00

場所 :岩崎城歴史記念館2F 多目的ホール

対象:日進市内在住・在勤・在学の方を優先(市外の方も可)

講師 :当館学芸員 内貴 健太

定員 :30名(先着順)

参加費:無料

申込方法:日進市広報・当館ホームページなどで募集開始後、
期日までに当館へお電話にて申し込みください。

お問い合わせ  岩崎城歴史記念館
〒470-0131 日進市岩崎町市場67番地
Tel 0561-73-8825 Email n-iwasakijo@mf.ccnw.ne.jp
HP  http://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/
開館時間 9:00~17:00 休館日/月曜日(祝日の場合は開館)、12月28日から1月4日

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ぎりょう

赤館(福島県棚倉町)佐竹氏✕芦名・白川結城氏攻防の中世山城 (2022/04/22 訪問)

郡山市に所用があり未踏の地棚倉町を訪れた。お目当ては、建武年間の築城説から始まり、赤館氏、芦名・白川結城氏連合、佐竹氏、立花氏、丹羽氏と戦国時代から近世初頭の寛永年間まで続いた南東北を代表する山城「赤館」です。
棚倉市街から北に2kmほど。現在は桜の名所「赤館公園」として市民の憩いの場所となっている。比高60mの丘陵最高部に東西120m、南北130mほどの主曲輪を中心に山腹と尾根伝いに曲輪群が続く縄張。遺構は曲輪、切岸、虎口跡など。また南東側に鎮座する宇迦神社も出曲輪であったという。
赤館は元和8年(1622)に丹羽長重が棚倉に5万石で配され、寛永2年(1625)の棚倉城築城により、その長い歴史に幕をおろした。丹羽氏以前の慶長11年(1606)に、立花宗茂が棚倉で1万石の大名に復帰し、この赤館を居城にしたという。関ヶ原戦後に浪人し、慶長9年(1604)に幕府に召出され、当時は二代将軍秀忠に近侍していた宗茂が棚倉を訪れることがあったのかは知らないが、主曲輪から眺める奥州の景色は戦国の雄の眼にどのように映ったのであろうか。

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10Q-Nobu

よりみち城巡り (2022/04/30 訪問)

熊本城再訪の前に久留米城によってみました。
駅から城まではブリジストン城下町みたいな街並みでしたが、本丸は綺麗に石垣で堅められ見所はある城です。

有馬氏入城400年を記念して、北側の木を伐採し遊歩道を整備したようで艮櫓跡からの眺めはオススメです。

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todo94

県内の城めぐり2022⑮ (2022/04/09 訪問)

北アルプス展望美術館から信濃富士と呼ばれる有明山方向に向かって小岩嶽城を目指しました。模擬砦門や烽火展望台が建てられている城址公園です。説明板の縄張図に詰城が記載されていたので、詰城に向かったのですが道はかなり険しいです。眺望の開けた曲輪から有刺鉄線沿いに登っていって何とか詰城には到達できたかと思います。落ち葉が厚く積もった急斜面で知らない間にスマホを落としてしまい、冷や汗をかいてしまいました。

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イオ

小浜宿めぐり (2022/04/16 訪問)

伊丹台地の西端に位置する一向宗の毫摂寺を中心とする寺内町が戦国期に城郭化したもので、北・西・南の三辺は大堀川、東辺はため池と土塁で囲み、東門は京伏見街道、南門は西宮街道、北門は有馬街道に通じた要害かつ要衝の地でした。毫摂寺の娘が豊臣秀次の側室になっていたことから秀次切腹事件に連座して焼き打ちに遭いましたが、江戸期には宿場町として復興し繁栄しました。

小浜城としての明瞭な遺構は見られませんが、台地の縁らしく思いのほか眺望が開けていたり住宅地の中にクランク状の道があったり、かつての面影を伝える史跡は遺っていますので、あちこちめぐってみました。

毫摂寺
小浜御坊とも呼ばれる寺内町の中核寺院で、豊臣秀吉や千利休、豊臣秀次が有馬温泉への道中に宿泊したとされます。毫摂寺の次女(小浜の局)はその時に見初められた挙げ句に処刑され、さらには焼き討ちまでされるんですから、もう滅茶苦茶ですよね…。立派な本堂は江戸末期の再建です。

小浜宿資料館
山中鹿之助を祖先とする山中家住宅の敷地内に建つ資料館で、交通の要衝としての制札や大工の町として大工道具など小浜宿についての資料が展示され、中でも町並みのジオラマは精密な出来で、大堀川とため池に囲まれた小浜城の縄張がよくわかりました。また、敷地内には利休が秀吉に茶をたてた際に用いたと伝わる玉の井があり、申し出れば見学することもできます。時間のある方は資料館の方が丁寧に案内して下さいますので、ぜひどうぞ。

代官所跡
代官所跡は公民館になっていて、通り沿いに石碑と高札場(復元)が建てられています。

井川家住宅
清酒「菊仁」の造酒屋で、阪神淡路大震災で小浜宿の建物の多くが倒壊した中、江戸期の建物が現存しています。ブラタモリの宝塚の回ではタモさんが井戸の水汲みをしていました。

門跡と愛宕宮
東門、南門、北門ともに門自体は遺っていませんが、それぞれ門跡の石碑(北門には説明板も)と門の脇にあった愛宕宮が見られます。

大堀川
小浜城の北・西・南の三辺を囲む堀代わりの川ですが、城郭化した際に人工的に流路を変えたと考えられます。特に北辺ではかなりの深さの谷状になっています。

旧和田家住宅
江戸期に飯野藩領の庄屋を務めた和田家の住宅で、阪神淡路大震災で半壊するも古材を用いて修復され、往時の姿を今に伝えています。建物内は歴史民俗資料館として公開されており、土蔵や井戸が見られるほか、長槍やとび口が展示され、訪問時には豪華な御殿飾り雛も飾られていました。小浜城の外ではありますが(北門跡から徒歩1分)、なかなか見応えがありますので、時間が許せばぜひ。
 

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にのまる

【城と看板】

やめて。

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小城小次郎

淡河氏へのリスペクトか (2022/01/08 訪問)

鎌倉北条氏の流れを汲む淡河氏は三木城攻めの際には別所方として奮戦し羽柴軍を大いに困らせたらしい。淡河城の最後の城主は有馬氏だが淡河城本丸脇には今も淡河氏累代の墓がそのまま残る。淡河氏へのリスペクトではなかろうか。

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にのまる

🌸桜🌸 (2022/04/01 訪問)

18きっぷ3回目の1城目。
八高線児玉駅から徒歩10分くらいです。途中、まだ全然それっぽくないところに突然「縣指定史蹟雉岡城址入口」と刻まれた石柱が現れました。史跡指定が昭和13年なのでその頃のものかもしれません。
訪れたのはちょうど桜が満開となるころで、今を盛りと咲き誇る300本のソメイヨシノを土塁の上から眺めつつ城跡散策を楽しみました。公園として整備されていますが大手門跡はその形状がよくわかりましたし、水堀も空堀も残されていて、学校建設のために二の丸や三の丸が消滅したとはいえ、城址の面影を十分に感じることができました。
騎馬像が坂上田村麻呂と教えてくださりありがとうございます。

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じゅんじん

城の日 (2022/04/06 訪問)

桜が満開。よき城巡りとなりました。

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カズサン

模擬天守登閣と外観鑑賞 (2009/06/10 訪問)

 中津城の内堀発掘調査し内堀復元、内堀に沿ってる本丸南石垣の解体修復整備の実態を観察して、周囲の石垣を見て回った後、本丸に入り、小雨が降ったり止んだりの薄暗い採光条件、良い写真は撮れませんでしたが天守周囲と建物編として投稿致します。

 中津城の天守閣は歴史上存在して居ませんが絵図で本丸西側の中津川沿いに鉄御門脇櫓として3層の櫓が描かれています、現在の天守は昭和39年に奥平家中津市協力で本丸北東隅に5重5階の望楼型天守閣が建てられました、同時に東側天守の前に2重2階の大鞁櫓も建立して連結式天守の様です。
 晴れていたら写真写りの良い写真が撮れたのですが、黒板張りの望楼型天守見て回るだけでもウキウキです。

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カズサン

本丸復元内堀と修復石垣、周囲石垣探訪 (2009/06/10 訪問)

 本丸南の水堀は埋めたてられて居ましたが、発掘調査し復元整備され水堀が甦りました、同時に面してる南石垣の解体修復整備も進められ三の丸から北側を眺める景観が往時の姿に復元整備されました。
 その情報も知り中津城を訪ねました、4泊5日大分県宮崎県城廻りの1番目です。今回は列車とレンタカーでの探訪です。

 中津城は皆さんご存知の黒田官兵衛築城です、秀吉九州征伐後天正15年(1587年)豊前6郡16万石を与えられ中津に城を構えた、黒田官兵衛の実績なら百万石でも良さそうなのですが、秀吉の警戒心でしょうか? 関ヶ原後は黒田氏福岡に52万石で転封、代わって細川氏が入封し、小笠原氏奥平氏へと変わり奥平氏で明治を迎える。

 探訪は先ず、復元成ったばかりの本丸南側の内水堀、水堀跡地で発掘発見された金箔瓦、秀吉との繋がりが窺えます、それに沿った解体修復整備された本丸南石垣をじっくり味わい観察する修復されたばかりで草も無く綺麗に整備されて居ました、本丸内部から東側の石垣、薬研堀越しに石垣と模擬復元天守、2層櫓を眺めて北側、中津川沿いの西側の本丸石垣、鉄御門跡、ここは石で塞がれて通行不可で石垣で繋がってる様に成ってる、同脇櫓台石垣、絵図では3層櫓が建っていた?、戻って本丸西の水門跡石垣と廻りました。
 
 模擬天守閣2層櫓編に続きます。

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赤い城

網代城 東京都あきる野市 (2022/04/17 訪問)

武蔵五日市駅から徒歩で30分、武蔵増戸駅から徒歩で20分。
(この日は戸倉城から徒歩で転戦しました)
貴志鴨神社参道が登城路となります。
少し登ると貴志鴨神社方面と弁天山方面の分岐があり、弁天山方面に進みます。
弁天山山頂には寄らず右の道を行くと城山山頂方面となります。
ここからの坂が大変!
段はついているもののかなりの急坂、心折れそうになります。
登り切ると尾根道となり、主郭の城山山頂へ。
主郭には説明板が立っていますがそんなに広くはありません。
南側を降りると帯曲輪、さらに下には小さな堀切がありました。
帰りは西側の高尾神社方面に向かい、尾根道を進みます。
途中堀切があり、この辺りまでが城域だったのでしようか。
こちら側の道、東側以上にアップダウンが大きい。
結構大変でした。
ですがハイキングコースにはなっているので体力さえあれば歩きやすいかと思います。

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カズサン

13年前陣屋は畑にビニールハウスでした (2009/05/31 訪問)

 現在陣屋内部の畑地は無くなり修復整備保全が進んで居り、大変見学探訪し易い状態と成って居りますが、13年前の平成21年5月下旬は陣屋内は畑耕作地、本丸御殿の在る上段はビニールハウス、茶畑などの成って居りました、樹木も茂り、虎口大手周りの石垣が確認できる状態でした。
 車は身延街道国道52号線沿いの龍津禅寺駐車場を利用させて頂きました、参拝も致しました。
 
 城びとの投稿システムのお陰で撮りためた城写真DVDR、CDRの整理が進み13年前の平成21年2009年のデーターまで漕ぎ着けました古い写真ですが古を偲んで投稿致します。1番目の写真は2022.02.24投稿の整備された大手三段石垣を比較の為掲載。
 最新の情報は2022年2月24日登城の投稿をご参考に。
 
 余談ですが撮りためてたDVD約200枚の内、12年目の2010年のDVDR2枚が読み取り不能になって居ました、再生を依頼しましたらDVDは5年過ぎたら読み取り不能に成る事も有ると、東京の専門ショップに依頼いて貰いましたが読み取り不可の判断、急いでHDに取り込みそれもHDの寿命を考えると5~10年で再更新する必要が有るとか、データー保存は難しいですね?

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ゆき

4月29日 (2022/04/29 訪問)

松本城

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ryu

長岩城探訪(2015年)(2) (2015/11/28 訪問)

長岩城探訪の続き。まだまだ見所が多く第2弾。

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ryu

長岩城探訪(2015年)(1) (2015/11/28 訪問)

全国的にも珍しい石積み櫓や石塁が残る長岩城を訪城。

長岩城は急峻な円錐形をした扇山(標高530m、比高230m)と、その一帯の支峯や谷窪などに築かれている。
下毛郡の支配者であった豪族野中氏22代390年間の居城。初代城主野中重房が、建久9年(1198年)創築し、南北朝、戦国時代に増改築された。天正16年(1588年)黒田長政の大軍に攻め落とされ、以後廃城となる。
一帯は険阻な断崖絶壁地帯で天然の要害を巧みに取り入れ、断崖の合間などの敵の侵入し易い所には人工的に石塁や、砲座、塹壕などの防備施設を補完した独創的にして要害堅固な山岳城。
石積櫓「楕円型砲座」は、石造の櫓としても、のぞき穴の設置としても、わが国最古のものであり、全国に類例を見ない貴重な遺構で、石積みの石が扁平な鉄平石状のものに統一してあるのも特徴である。【中津耶馬渓観光協会】

今回、地元の長岩城址保存会の板迫さんたちがガイドしていただけるということで、愛好家たちが集まった。
中津市役所耶馬溪支所前に集合し、津民川を遡り登山口まで車で上がる。登山口の記帳所で名前を書き、鹿よけのネットを外して山中に入る。
二之城戸、三之城戸と登り石垣のような石塁が山の中に延びている。
長岩城は谷を挟んで右手に本丸、左手に陣屋跡や石積み櫓、弓形砲座などの遺構が残っている。
まずは、東之台を経由して本丸へ向かう。東之台から本丸にかけて続く石塁は見事である。
山頂(本丸)から西之台を経由して三之城戸に戻り、谷の反対側を登りかえし陣屋跡の石塁に至る。さらに少し登ると食糧の貯蔵や武士の休息に使われたという洞窟があり、この付近で軽く昼食をとる。

昼食後は、いよいよ石積み櫓を目指す。断崖に懸けられた6~7mほどのはしごを登って両側が切れ落ちた稜線に出て、やせ尾根を上り下りした先に石積み櫓がある。よくもこんなところまで石を運んで築きあげたものである。
石積み櫓から戻り、「危険につき立入禁止」とあるロープをくぐって三角岩といわれる大きな岩の手前まで進む。遠くに弓形砲座が見えているが、この先はやせ尾根が崩れて危険とのことで一度、谷を下って林道に出て、そこから登り返す。
林道からの登りも急斜面とやせた尾根でロープ沿いに登ると目指す弓形砲座にたどり着く。

今回のルートは、両側が切れ落ちた絶壁が続くもののルート上にはロープが張られ、単独でも迷うことはない。しかし、地元の方に案内していただいたおかげで長岩城の歴史や地元の保存へのあつい思い等を知ることができ、とても有意義な探訪となった。

探訪順路:一之城戸~二之城戸~三の城戸~東之台~石塁~本丸~西之台~陣屋跡、砲座跡~石積櫓~弓形砲座

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しんちゃん

岐阜城に行く前に (2020/06/29 訪問)

岐阜城に行く前に

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しんちゃん

家族と別行動 (2020/10/27 訪問)

家族と別行動

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しんちゃん

戸倉城の関係が良く分かる (2021/12/24 訪問)

戸倉城との関係が良く分かる

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