みやうしろじょう

宮後城

愛知県江南市

別名 : 蜂須賀屋敷
旧国名 : 尾張

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小城小次郎

蜂須賀家政生誕の地(ほんとに) (2024/08/18 訪問)

「ありがちだよね」と通り過ぎそうな蜂須賀家政生誕碑は実はホンモノ。なんでまたここに蜂須賀と思ってしまうが蜂須賀城を追われた蜂須賀さんは「嫁の実家」の安井氏が拠るこの城に居候しそこで家政が生まれたのだそうな。へー。

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪11/17宮後城 (2025/03/30 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内11城目宮後城を目的とする、溝口城探訪の後一旦浜松へ戻り翌日再探訪2日目グーグルマップ史跡マーク宮後城跡と宮後八幡社南と名鉄犬山線踏切の間の1台程の駐車場を目指す。
 
 駐車場:宮後八幡社南の秋葉禅寺参拝者駐車場(35°20'30"N 136°53'06"E h=20m)利用。
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 宮後八幡社を参拝、南入口に蜂須賀桜が咲いている、蜂須賀家政が再建したという八幡社が丸石を使った石垣で周囲を囲み鎮座している、八幡社の南東隅に宮後城跡解説板令和5年7月製、令和5年2月宮後城発掘調査出土した干支の文字が刻まれた石が地表展示(子、丑、卯、申、酉、戌)、解説板には当時の宮後城推定図と位置図が描かれていました、宮後町八幡社の由緒、八幡社入口左手に蜂須賀家屋敷跡と宮後城跡の案内図が掲示されていました。
 案内図に従い宮後城跡を住宅街を通ってその辺りへ、新しい住宅が建設されている、グーグルマップ史跡マークの宮後城跡標柱スポットには標柱は無く成って居る、県道64号線対面の蜂須賀家政公誕生之地碑と蜂須賀家屋敷跡(宮後城跡)解説板はしっかりと残って居ました。
 史跡マーク宮後城跡辺りから宮後八幡社へ戻る途中には東側に川が流れて居り低く成っており段丘、畑が有り堀跡かな?と思われる痕跡。

 宮後城は安井氏つながりで蜂須賀小六正勝、嫡子家政、安井弥兵衛長子で浅野長政などの戦国武将が輩出しています。
   

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しんちゃん

宮後八幡宮に案内板があります (2024/03/10 訪問)

宮後城は豊臣秀吉に仕えた蜂須賀小六の住んでいた蜂須賀屋敷のあった場所に存在したようです。宮後城と蜂須賀屋敷の関連はわかりませんが、天正12年の小牧・長久手の戦いについて書かれた古文書には豊臣方の砦として「宮後砦」なる物があったようです。
1999年の調査で河岸段丘を利用した城館であることが解りました。県道1号を挟んで北側にに蜂須賀家政公誕生之地の石碑と案内板が立っています。南には宮後城の案内板のある空き地があったのですが、最近訪れたらラーメン屋になっていて案内板は無くなっていました。なんとなく匂いがするので宮後八幡宮を訪れてみたら案内板が有りました。ボロボロだった案内板が新調されてここに立てられたようです。
神社の片隅に城址の一角から出てきたという干支の文字を刻んだ謎の石が展示してありました。まじないの一種でしょうか?

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ぴーかる

蜂須賀家政生誕地 (2023/07/22 訪問)

【宮後城】
<駐車場他>駐車場はなし。<35.342515, 136.884938>ポイントの住宅予定地の空き地道路脇に停車しました。
<交通手段>車

<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾4城目。宮後城の築城年は定かではありませんが応永年間(1394~ 1428年)には安井氏が居城していたとされます。戦国時代には安井重継が居城しており、重継の姉の安井御前は蜂須賀正利(蜂須賀正勝の父)に嫁いで蜂須賀城に居城していました。蜂須賀城は織田信秀との対立により領地・城を奪われ夫と夫の子正勝と共に宮後城に移り住みます。蜂須賀家政はこの地で生誕したとされます。城主の安井重継は蜂須賀正勝に家督を譲り安井氏は蜂須賀家に吸収されます。ちなみに安井重継の長男長吉は妻方の浅野長勝(秀吉の妻おねの養父)に養子に出されて家督を継いで浅野長政となります。木下秀吉と蜂須賀小六正勝との出会いは妻おねの縁故だった説を私も思いました。
 現在城びとポイントの場所は住宅建設中で城跡碑も説明板もありませんでした。道路を隔てた北側の蜂須賀家政生誕地碑を撮影して終了した。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 安井重継
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な城主 安井氏、蜂須賀氏
廃城年 不明
遺構 土塁
再建造物 碑、説明板
住所 愛知県江南市宮後町八幡