みやうしろじょう

宮後城

愛知県江南市

別名 : 蜂須賀屋敷
旧国名 : 尾張

投稿する
宮後八幡宮
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんちゃん

宮後八幡宮に案内板があります (2024/03/10 訪問)

宮後城は豊臣秀吉に仕えた蜂須賀小六の住んでいた蜂須賀屋敷のあった場所に存在したようです。宮後城と蜂須賀屋敷の関連はわかりませんが、天正12年の小牧・長久手の戦いについて書かれた古文書には豊臣方の砦として「宮後砦」なる物があったようです。
1999年の調査で河岸段丘を利用した城館であることが解りました。県道1号を挟んで北側にに蜂須賀家政公誕生之地の石碑と案内板が立っています。南には宮後城の案内板のある空き地があったのですが、最近訪れたらラーメン屋になっていて案内板は無くなっていました。なんとなく匂いがするので宮後八幡宮を訪れてみたら案内板が有りました。ボロボロだった案内板が新調されてここに立てられたようです。
神社の片隅に城址の一角から出てきたという干支の文字を刻んだ謎の石が展示してありました。まじないの一種でしょうか?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

蜂須賀家政生誕地 (2023/07/22 訪問)

【宮後城】
<駐車場他>駐車場はなし。<35.342515, 136.884938>ポイントの住宅予定地の空き地道路脇に停車しました。
<交通手段>車

<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾4城目。宮後城の築城年は定かではありませんが応永年間(1394~ 1428年)には安井氏が居城していたとされます。戦国時代には安井重継が居城しており、重継の姉の安井御前は蜂須賀正利(蜂須賀正勝の父)に嫁いで蜂須賀城に居城していました。蜂須賀城は織田信秀との対立により領地・城を奪われ夫と夫の子正勝と共に宮後城に移り住みます。蜂須賀家政はこの地で生誕したとされます。城主の安井重継は蜂須賀正勝に家督を譲り安井氏は蜂須賀家に吸収されます。ちなみに安井重継の長男長吉は妻方の浅野長勝(秀吉の妻おねの養父)に養子に出されて家督を継いで浅野長政となります。木下秀吉と蜂須賀小六正勝との出会いは妻おねの縁故だった説を私も思いました。
 現在城びとポイントの場所は住宅建設中で城跡碑も説明板もありませんでした。道路を隔てた北側の蜂須賀家政生誕地碑を撮影して終了した。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

くろもり

埋もれゆく古城 (2023/01/29 訪問)

訪問時、宮後城址は発掘調査をしており、案内看板と城名の標柱は撤去されていました。

後日、江南市に問い合わせると、
1.案内看板は宮後八幡社(城址の南東)へ令和5年度中に移設予定(調査内容の記載もする予定)
2.標柱は撤去
3.発掘調査の現地説明会は行わない
4.発掘で出土した物については、調査し資料館等に展示する可能性あり
5.発掘調査後は分譲住宅の建設が予定されている

「福岡から来たっちゃけど、案内看板ないやん!」とか
「東京から城跡碑を撮りに来たのですが、ありません!」等、困る方がいると思ったので、久しぶりに投稿しました。

城址周辺をよく見ると、城址の東側は一段低くなっており、小川も流れているので堀跡だったのかもしれません。
城址の南東隅とされる宮後八幡社の本殿は、寛永元年(1624)9月に徳島城主蜂須賀家政が再建したもので、県指定の文化財となっています。

案内看板と標柱があった城址は私有地とのことなので、なくなってしまうのは仕方ない。
というか、今まで城址としてくれていた地主の方に感謝です。

※次いつ投稿するか分からないので捨て台詞残しておきます。
COVID-19禍と子供が生まれたこともあり、全然投稿してませんが、細々と城巡りは行ってます。
チェブさん、「小六ランド」は建設されませんが、小六のような元気な子が育つ住宅地になってくれると思います。
にのまるさん、七尾城は私も七尾駅から歩いて行きましたよ~。違ったかな?手柄は足にあり!
イオさん、めちゃ遅くなりましたが、備中松山城の投稿はしびれました。ブラヴィッシモ!
おっちゃんさん、他サイトの二条城のイベントでおっちゃんさんに会うの目当てで申し込んだら、まさか退会されてましたが、素晴らしい投稿ありがとうございました(私もあのサイトはすぐ退会しました)。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

2022夏の青春18キップ16日目:宮後城 (2022/08/04 訪問)

古渡城からの転戦です。江南駅から徒歩20分くらいで、城址柱付近(35.343113、136.884327)に着きました。

宮後城は蜂須賀正勝(蜂須賀小六)の嫡男である蜂須賀家政が生まれたとされる城です。城主は安井重幸の息子である安井重継でした。
重継の姉である安井御前は蜂須賀正利に嫁いでいましたが、蜂須賀城が織田信秀との対立により奪われてしまったため、長男の正勝とともにこの城に移っています。
その後、1584年(天正12年)に起きた「小牧長久手の戦い」では羽柴秀吉方の砦として修築されましたが、和睦後に破却されました。
現在城址は住宅地となっており遺構はほぼ消滅しています。

県道64号線沿いに城址柱があり、反対側に説明板があります。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=小折城を目指す為、電車で江南駅から布袋駅を目指します。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 平城
築城主 安井重継
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な城主 安井氏、蜂須賀氏
廃城年 不明
遺構 土塁
再建造物 碑、説明板
住所 愛知県江南市宮後町八幡