宮後城は豊臣秀吉に仕えた蜂須賀小六の住んでいた蜂須賀屋敷のあった場所に存在したようです。宮後城と蜂須賀屋敷の関連はわかりませんが、天正12年の小牧・長久手の戦いについて書かれた古文書には豊臣方の砦として「宮後砦」なる物があったようです。
1999年の調査で河岸段丘を利用した城館であることが解りました。県道1号を挟んで北側にに蜂須賀家政公誕生之地の石碑と案内板が立っています。南には宮後城の案内板のある空き地があったのですが、最近訪れたらラーメン屋になっていて案内板は無くなっていました。なんとなく匂いがするので宮後八幡宮を訪れてみたら案内板が有りました。ボロボロだった案内板が新調されてここに立てられたようです。
神社の片隅に城址の一角から出てきたという干支の文字を刻んだ謎の石が展示してありました。まじないの一種でしょうか?
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