地下鉄野江内代駅より徒歩5分くらいで、校門の前に石碑がある榎並小学校に行くことができます。
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2022/06/05 02:05
榎並小学校 (2022/06/04 訪問)
地下鉄野江内代駅より徒歩5分くらいで、校門の前に石碑がある榎並小学校に行くことができます。
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2022/06/05 02:01
難宗寺 (2022/06/04 訪問)
京阪本線守口市駅より徒歩約10分、本丸跡といわれている難宗寺へ行くことができます。太鼓櫓が城址の雰囲気を醸し出しています。二の丸跡といわれている近くの盛泉寺へも行ってきました。
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2022/06/05 01:55
願得寺 (2022/06/22 訪問)
京阪本線大和田駅より徒歩約10分、願得寺付近が城址です。遺構はありません。
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2022/06/05 01:49
枚方小学校 (2022/06/04 訪問)
京阪本線枚方市駅より徒歩約10分、枚方市立枚方小学校が跡地です。学校が跡地となっている城址は多いと思いますが、「防犯カメラ作動中」と貼られた校門を撮影するのは少し緊張しますね。多くの方がセットで行かれている近くの御茶屋御殿跡へは時間の都合もあり行きませんでした。
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2022/06/05 01:43
2022/06/05 01:29
妙教寺 (2022/06/04 訪問)
京阪本線淀駅から徒歩約10分くらい、妙教寺の境内に石碑があります。
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2022/06/04 22:42
大津城縄張推定復元図 (2016/04/30 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/06/04 22:40
芥川山城案内図 (2016/09/04 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/06/04 22:36
烏帽子形城復元予想図 (2016/11/23 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/06/04 22:24
長岡市河井継之助墓所(新潟県長岡市) (2022/06/04 訪問)
長岡市東神田3丁目の栄涼寺に河井継之助墓所があります。没してから約1年後に長岡市の河井家墓所に改葬されました。
河井継之助を嫌う長岡市民は多く,墓石は傷だらけです。長岡城を離れる時,新政府軍に武器や弾薬などを渡したくない思いから火を放ち,長岡の町を火の海にしたことが,長岡市民に恨みを買っている最大の理由です。
感じ方は人それぞれですが,只見町に比べると,あまりにもみすぼらしく映ると思います。
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2022/06/04 22:02
終活2:100城・続100、城郭巡りの記録:近畿・東海・四国 8日目
城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?そんな疑問を求めて巡る終活シリーズ2。
本人が望もうが望むまいが向こうからやってくる時がある。今回のシリーズは城郭に関しての他人の思考が垣間見える事が何度かあった。ただ、良いか悪いかは別として。
目から鱗な出来事が3日目の観音寺城攻城終了時にあった。バイクの元に戻ってきたらその人は待ち構えていた。城内でやけにすれ違った方だった。どうやら自身もバイク乗りのようで私の服装で特定していたようだった。バイクの話をしながら「オレ何歳だと思う?」と飲み屋の姉さんみたいなこと聞いてくる。「バイク乗りは若いですからね」適当に返事する。70歳を少し過ぎているそうだ。
よくよく話を聞くと定年後に100城を制覇し現在暇を見つけて続100城を巡っているらしい。私にとっては初の100城制覇者との遭遇だった。「あのね、100城全てがいいとは限らないよ。」よく分からない事を言い始めたた、アドバイスなのだろうか。一方的に喋っているので聞いていたのだが、満足して攻城を終えた私に衝撃的な事を言い出した。「いや~、ここはダメだね、つまらない。この前、玄蕃尾城に行ってきたんだよ、あそこも全然ダメ何もない」玄蕃尾城はちょっと楽しみにしている城郭だ。
なるほど、どうやらこの人は天守など建物が無ければ城郭と認識できないらしい、それか認める事が出来ないのかもしれない。年末に知ったのだが、近代か山城かの論争が以前からあるそうですね。まさに今回はその事例の小さな出来事、そう考えるとこの種の人々はいわゆる近代派。案外多いのかもしれないぞ、むしろ多数派じゃないのか?と考えたりする。だが、私にはあまり関係の無い話、今後他人と遭遇する時は注意してこの手の話は曖昧に返事しておこう。
5月23日(8日目)
1.一宮城(徳島)・・・・・1時間20分:2km:累計高低差186m
2.岡豊城(高知)・・・・・50分:1.3km:累計高低差126m
3.高知城(高知)・・・・・55分:1.8km:累計高低差70m
4.河後森城(愛媛)・・・・1時間:1.7km:累計高低差120m
徳島市~宇和島市:走行距離:319km
全て100城・続100城です。詳細は諸先輩方のレポートをご覧ください。
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2022/06/04 21:02
盛岡歴史探訪二日目「雨は晴れたけど・・・・」 (2022/05/28 訪問)
盛岡二日目は盛岡城址や原敬の墓所が有る福聚山大慈寺へ。ちょっと特徴のある鐘楼が乗った山門をくぐると正面に本堂、左側に原家の墓所があり手を合わせることができた。ほど近い場所に地元酒蔵「あさ開」の地酒物産館があり、お土産用(自分への)の清酒を購入(笑)一路、紫波町の高水寺城を目指す。
高水寺城は紫波町の北上川右岸の台地に位置する山城。比高は60mほどで地元では城山と呼ばれ公園化されている。この城は南北朝時代に足利一門の斯波氏によって築かれ、山全体に多くの曲輪を配した中世城郭であったが、盛岡城完成前は南部氏の居城「郡山城」として利用されていたと云う。
「いざ攻城」と勇んで城山を目指すと、麓の駐車場と登り道がバリケードで塞がれ「あぶない!熊出没注意」の看板が・・・・。
紫波町では今年4月中旬以降、ツキノワグマの目撃情報が相次ぐとともに、畑仕事に連れて行った飼い犬がクマに襲われる被害もあり、花見の名所でもある城山は立ち入り禁止となっていた。後日、紫波町役場に問い合わせたところ、クマ出没情報が続いており、当面解除の見込みは無いという。
日頃地元の中世山城を探訪する際は「クマ鈴」を付けており、この日も持参してはいたのだが、城歩きに慣れない同行者も居り断念した。ざっ、残念(涙)
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2022/06/04 20:28
何度目かの訪問 (2022/05/30 訪問)
完成していれば武田流築城術の最高傑作だったはず。
残された遺構だけでも凄い!今度は冬枯れの時期に来よう。
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2022/06/04 18:15
2022/06/04 18:07
盛岡歴史探訪一日目 (2022/05/27 訪問)
歴史好き仲間との今年度一回目のツアーは昨年の秋田市に続き盛岡市となった。城址訪問を含め、数ヶ月前から楽しみに計画を立てていたが、初日はあいにくの強い雨。大幅に予定を変更して盛岡八幡宮、先人記念館、原敬記念館、岩手県立博物館、楢山佐渡の墓がある大光山聖壽寺などを訪問して一日目を終えた。
二日目もときどき小雨のまじる曇り空の下、盛岡城跡、もりおか歴史文化館、原敬の墓のある福聚山大慈寺、紫波町の高水寺城跡を目指して出発。
盛岡城は天正末期に豊臣秀吉に南部七郡を安堵され大名として残ることができた南部氏の城。築城は慶長二年(1597)に信直によって開始され、信直死後は利直に引き継がれたと云う。その後工事は遅々として進まず、藩主の居城は三戸、福岡(九戸城)、郡山(高水寺城)を経て、寛永十年(1633)利直の子重直の入城で定まったらしい。東北地方では珍しい総石垣の城であるが築城当時石垣は本丸、二ノ丸の一部と虎口に限定されていたと云う。本丸は60m四方で、現在残る古写真では南東角に三層の天守、北西角に二層櫓があったことが確認できる。堀切を隔てて東側へ二ノ丸・三ノ丸が連郭式に続き、更に周囲に外曲輪を置く南部氏20万石にふさわしい縄張である。
城址公園内にあるもりおか歴史文化館には大きな復元模型が展示されており在りし日の姿を今に伝えてくれる。
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2022/06/04 18:01
丹波国有数の山城 (2022/05/28 訪問)
八木城は京都府南丹市八木町八木JR八木駅の南西にある、城山(標高344m)にある複合梯郭式の山城です。キリシタン武将内藤ジョアンゆかりの城として有名です。城郭の広さは広大で山頂部に本丸があり、尾根筋に多数の曲輪が築かれ、丹波国三大城郭(八上城・黒井城・八木城)の一つとして数えられています。八木城を一躍有名にしたのが、明智光秀公による第二次丹波国征討戦で、光秀公をもってしても八木城は堅城であったため、容易に攻め落とすことができず、内通工作を行いやっと攻め落とした八木城の戦いです。
現在の八木城は曲輪・石垣・堀切・土塁などが多数残り、戦国乱世の山城の形態を色濃く残しています。駐車場・トイレ等ありません。登山道入り口横100m程にある春日神社の駐車場を利用させて頂きました。
今回初めて八木城を訪問しましたが、八上城訪問後の八木城だったので、正直本丸に辿り着いた時には、ヘロヘロ(>_<)で広大な城域を全て見学できず下山しました。朝3時に豊橋を出発し、寝不足の状態で山城2城を攻略しようとしたのが、間違いでした(>_<) 次回、機会を作って再訪問したいと考えています。
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2022/06/04 17:44
勝頼が敗走した時に寄ったという。 (2022/06/04 訪問)
1521年菅沼定信が築城。武田信玄の三河攻めの際この城を攻められるが、菅沼氏は戦わず開城し、武田氏の家臣となる。信玄の死後、武田勝頼が明知城を攻め、調子が良かったものの長篠合戦で大敗。最初は田峰城へ敗走するが、田峰城の居役の今泉道善が織田、徳川からの報復を恐れて入城を拒否。その後、この武節城に入城し、梅酒を飲んで一泊すると、その後信濃へと逃れた。
5つの曲輪からなり、3つほどの空堀が設置されています。土塁がとても多いです。本丸には石碑が立っています。また狼煙台の跡も確認できます。小規模な山城ではありますが、気になる城でありました。
評価
遺構:3
建物:-
行きやすさ:4
全体:2
駐車場は近くの道の駅であるどんぐりの里に止めました。
攻城時間
20分ほど 駐車場から徒歩5〜10分ほどで本丸に着きます。
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2022/06/04 17:23
信玄塚 (長野県下伊那郡根羽村 中野) (2022/06/04 訪問)
武田信玄は三河野田城を攻めた後、肺肝にかかり、長篠城で療養したが、病気がなかなか治らず、撤退。信濃に帰る途中根羽において53歳他界された。
信玄が亡くなった場所の明確な根拠となる資料は残っていませんが、三河から信濃へ行く途中で他界されたのは間違いないです。信玄塚はこの根羽だけでなく愛知県新城市にもあります。まだわかっていません。信玄塚に行った時仏像の前に立ったとき、一気に寒気を感じました。僕の霊感が高いからかもしれませんが…。ちょっと怖かった。でも歴史上とても重要な場所となっています。是非行ってみてください。
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2022/06/04 17:00
難攻不落につき。 (2022/05/20 訪問)
① 田幡城
② 名古屋城
③ 古渡城
④ 末森城
⑤ 星崎城
⑥ 鳴海城
⑦ 丹下砦
⑧ 善照寺砦
⑨ 中島砦
⑩ 鷲津砦
⑪ 丸根砦
⑫ 大高城
この日まわった全12か所です。名古屋城→古渡城→末森城→星崎城は電車移動、あとは徒歩移動で4万歩くらいでした。
これまでは桶狭間の戦いに関する書籍を読んだり資料を見たりしても土地鑑がないのもあり字面を追うだけだったのですが、めちゃくちゃ歩いたし飽きるほど坂道を登ったので、これからは少しリアルにイメージできそうです。
1か所目の田幡城は名古屋城の開門時間までの時間を利用して行きました。先達の皆様のご投稿に依り、金城小学校正門と田幡公園の写真を撮るというミッションに挑み、無事クリアしました。
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2022/06/04 15:23
【陸奥・桑折城】宮城県大崎市 樹木伐採景観整備素晴らしい (2022/05/28 訪問)
鶴頭城別称不動堂城を終えて西に約10~12km程、鳴瀬川南岸側に館山公園が有ります、ここが桑折城と成ります、ぎりょうさんの投稿で伐採され見やすくなった事と往年の桜が切られて寂しい旨の内容でした。
景観整備された桑折城を見たいとマークして置きましたので今回の岩手宮城の城廻りに入れました。
住所:宮城県大崎市三本木西沢33
駐車場は近くの大崎市三本木公民館の駐車場を利用。また通り県道152号線沿いに「二階堂トクヨ先生生誕地・名勝館山公園」の大立看板が有ります、そこに館山公園野外トイレが整備されて居り横に大きな駐車スペースが有り駐車可能です。
登城ルート:三本木公民館裏の登城階段から入る、案内板に従い展望東屋へ、草が足腰まで伸びている、東屋から工事用の砂利道が有り、西尾根の曲輪群を回り込んで大堀切土橋まで、西尾根曲輪は数段の曲輪群公民館の裏まで続いてる、畝掘りの様なところも見られる。大堀切の土橋を渡って本曲輪へ、大堀切は左右切込竪堀で麓まで、東に大きく尾根上を平坦にした本曲輪、大きい城名標柱が建っている、北虎口から下がって北尾根に曲輪が数段、ここも草が茂っている。本曲輪東下尾根に麓に下がる様に曲輪群が連なってる。本曲輪西虎口南に南館(南出曲輪)への虎口と階段橋が続いてる、公民館の方に熊注意を伺った、本曲輪、各曲輪とも深い谷、切岸で麓に落ち込んでおり急峻、南出曲輪には草が深く茂り切岸と道の境が分からず不安に成り探訪断念。
下城は工事用の道を利用して、本曲輪、西尾根曲輪を回り込み、東屋、大堀切下、本曲輪下、北尾根曲輪下、県道へ大きな案内看板背知されている、縄張図、詳細説明、解説板があったらありがたいのですが。
東側の工事用の道を登って行く登城が距離は長いですが道がしかりして草が無く西尾根を回り込んで本曲輪へ向かう方が無難かも、草刈りがされて居れば別ですが。
本曲輪からは見晴らしも良く鳴瀬川越しの水田地帯、遠く山容を見通せ風光明媚です、しかし当日は風が凄く強く立って撮影してる時には飛ばされそうな強さ、地形的に風の通り道なのでしょうか。
歴史的には、大崎氏の家臣渋谷氏の居城、伊達氏と大崎氏との抗争で重要拠点と成って居た、小田原征伐後の奥州仕置きで大崎氏の改易所領没収され桑折城も廃城と成った模様。以降は伊達氏の所領と成る。
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