みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

todo94

300円の城カード (2021/02/27 訪問)

予約を入れておいた献血ルームハートピアやまももで献血を済ませた後、向かいました。天守の高欄・廻縁の漆の塗り直し修復工事の最中でした。2019年9月の高知城秋のお城まつりの際に日本100名城現存12天守シリーズの200円の旧カードはゲットしていたのですが、改めて300円のリニューアルカードもゲットいたしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

利根川沿日帰り攻城⑫:幸谷城➡城びと未登録(千葉県柏市) (2019/05/25 訪問)

戸張城から転戦。車で10分くらいでした。
駐車場奥の未舗装の空地(35.835541、139.985080)に駐車して攻城しました。

伝承によれば、鎌倉時代の増尾村は千葉氏一族・師胤を始祖とする相馬氏の所領であったと推定されています。
1272年、所領譲与に関する遺言なく相馬胤村(4代目)が急死します。後妻で尼の阿蓮(あれん)が惣領代となり、その子・相馬師胤とともに増尾村の所領を鎌倉幕府から安堵されたとあります。そのため、幸谷城が阿蓮の居館というのが一説です。
相馬師胤(後の陸奥相馬氏)は遺言で嫡子になったと主張したため、異母兄の相馬胤氏(下総相馬氏・嫡子)と対立しました。
師胤の子・相馬重胤の代になると形勢が不利となり、重胤は郎党らを連れ陸奥に下向しました(1323年)。
拠点の小高城を築き、勢力を拡大。陸奥相馬氏の祖となりました。
南北朝時代になると、師胤は足利尊氏の北朝方につき、南朝方の千葉氏や下総相馬氏と対立しています。
1337年、鎌倉の守備にあたり、南朝方の北畠顕家を迎え撃ったが戦死しました(杉本城の戦い)。
一方、相馬胤氏(下総相馬氏)の子・師胤(同名だがもちろん別人)は、重胤との争いで濫訴を繰り返したため所領を没収されています。
いずれにしても、胤村の後妻・阿蓮が相馬氏を分裂し、この地から相馬氏が消えた要因となった人物のようです。
この幸谷城が相馬分裂の舞台だったんですね。
戦国時代には小金城の高城氏による支配と考えられますが、そのころには増尾城がこの地域の拠点となっています。
現在、城址は万福寺の南側一帯に位置し、長年民家の屋敷林となっていましたが「柏ふる里つくり隊」により整備され、現在は土塁や空堀などの遺構を確認できます。

どこに駐車すればいいかわからず駐車場奥の未舗装の空地(誰の駐車場がわかりません)に駐車して攻城口を捜しました。
民家横の細い路地(35.834442、139.983657)から攻城しましたが、正しい攻城口かは自信がありません。
攻城後に調べたら、万福寺南側の道路沿い(35.835681、139.983384)の貯水地左横の民家の門から入ると、城趾北西部に入れるようです。
城址内は案内板/説明板があり、よく整備されています。虎口、空堀、土塁が確認できます。
攻城時間は25分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

利根川沿日帰り攻城⑪:戸張城 (2019/05/25 訪問)

箕輪城から転戦。車で10分くらいでした。
「旧・柏学園正門」前(35.853198、139.991508)に路駐して攻城しました。

戸張城は、築城年代や築城者について詳細は伝わっておらず定かではありません。
千葉常胤の子で相馬氏初代当主・相馬師常の三男、戸張八郎行常の居城だと伝わっています。
以降、代々戸張氏が200年にわたって本拠としたとされますが、立沢氏が城主だったなど諸説あるようで詳細は不明です。
城址は文京区立柏学園の敷地となっていますが、2013年(平成25年)に閉鎖となったため、現在は立入禁止です。
しかし東西にわかれた曲輪のうち、西の曲輪跡に土塁と空堀を門の外から確認することができます。
また弥生時代の遺構の調査もおこなわれており、復元された弥生式住居跡があります。

遺構は「旧・柏学園」内なので、校門/フェンス越しに土塁と空堀の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。

+ 続きを読む

小城小次郎

なかなかに濃いものがある (2020/12/12 訪問)

虎口を入って最初に視界に飛び込むのが畑なので一瞬不安がよぎるものの、主郭に近づくにつれてお城らしさが濃くなってゆく。那須本家を暗殺したり自身が粛清されたりと、千本氏の歴史自体にもなかなかに濃いものがある。

+ 続きを読む

肉球

芳賀氏の居城 (2021/03/07 訪問)

宇都宮市街の東を流れる鬼怒川の東岸に位置しています。
川からかなりの高台に位置しており西側と北側は天然の堀。
東側と南側には空堀が幾重にも設けられ頑強なお城に感じられます。

6号堀と呼ばれる堀に沿って櫓台が5ヶ所確認され
その一部分が綺麗に復元されています。
城内も空堀、土塁、掘立柱建物が復元されています。

お城のすぐ横にとびやま歴史体験館に駐車場があります。

 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

普門寺城 (2021/02/20 訪問)

【普門寺城】
<駐車場他>普門寺拝観されるなら山門前に駐車できそうです。
<交通手段>車

<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング第3弾、大阪府内限定2城目。ちょこ城ではないですが、山門前にて撮影のみにしました。拝観料は400円で重要文化財の方丈、城遺構はお寺内に土塁が残ってようです。普門寺城は1561年に細川晴元を隠居させるためにおそらく三好氏が城郭として築城したとされている。1566年には14代将軍足利義栄が征夷大将軍の宣下式を行なっている。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

肉球

これからの復元様式か? (2021/03/07 訪問)

今から30年ほど前に宇都宮に宿泊した記憶がありますが
その時にはお城の痕跡は無かったように記憶しています。

本丸の西側半分が復元されています。
高く盛られた土塁はコンクリートが剥き出しにされ
電動シャッターが開く様子を目の当たりにすると何とも奇妙でした。
土塁の上には晴明台櫓と富士見櫓が復元され一階部分は無料で見学できます。 
 
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

たぬぬ

登城記録 (2021/03/08 訪問)

登城口周辺には雪が少し残っていましたが、登城には問題ありませんでした。城址碑のある本郭周辺には全く雪がありせんでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

肉球

本丸整備されてます (2021/03/07 訪問)

室町時代壬生氏によって築かれたとされています。
豊臣秀吉による小田原攻めのあとは城主が度々入れ替わり
江戸時代中期から鳥居氏が城主となり幕末を迎えます。

城跡は綺麗に整備され駐車場も完備されています。
本丸裏手には最後の城主となった鳥居氏の先祖鳥居元忠が
祀られた精忠神社があり社殿の裏側には畳塚というのがあります。
この畳塚は鳥居元忠が関ヶ原の戦いの前哨戦伏見城の戦いで
討ち死にした伏見城に残された血染めの畳が埋められているようです。

移築された門が小山市内と鹿沼市内にあります。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

北方面武田軍陣所廻り (2021/03/04 訪問)

 長篠城本丸、野牛曲輪、牛渕橋などの探訪も終わり久し振りに城内に在る保存館を見学、入館時にアルコール消毒、入館者のコロナ感染者が有った場合の追跡の為の氏名、住所、電話番号の記入をする。入館料220円。
 館内で入手したパンフレット、長篠の戦い史跡めぐりコースが目に付きまだ時間も有りましたので思い切って車は駐車場に置いたまま巡る事にしました。
 コースは北側に在る武田軍陣所廻り⇒大通寺⇒大通寺盃井戸⇒大通寺陣地⇒大通寺山遊歩道⇒医王寺(武田勝頼本陣地)⇒勝頼本陣詰陣地(麓より遠望)⇒荏柄天神社⇒天神山陣地⇒大手門跡⇒搦手門跡でマップ案内の歴史の小径を一部カットしました。

 大通寺陣地は馬場信春、武田信豊陣、大通寺裏手に盃井戸、水盃を交した馬場信春、内藤昌豊、山県昌景、土屋昌次の決意と涙を誘います、標高110mの地に陣地跡らしき溝と土の盛が有るが?陣地の案内板、杉林の遊歩道を抜けて医王寺、ここは武田勝頼本陣地、案内板解説板在り、ここより本陣詰陣城が医王寺の奥上に展望台として景観整備され良く見える、良く見えたので詰陣城に登るのは省略、寺を馬蹄形に護ってる縄張りが見える、詰陣城から尾根を通って天神山陣地に行くのですが詰陣城を省略したので麓の道から荏柄天神社へ石階段を登り本殿参拝、裏手の奥の陣地跡へ真田信綱、土屋昌次の陣、本陣をぐるっと天神山陣、大通寺陣が守ってる。
 今まで徒歩で廻って無かった大手門跡、搦手門跡も観察して来ました、案内では約3km程と有りましたが普段の不養生足腰の筋肉痛、足裏の痛みが走りましたが久し振りの1日城廻りの楽しい時間を過ごしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

天下人後継者の居館 (2021/02/20 訪問)

安土城に代わる近江国支配の拠点として羽柴秀次が築いた城で、秀次が清洲に移った後は京極高次が城主となりましたが、秀次切腹事件を受けて廃城となりました。

織豊期の城ながら山上の詰城と山麓の居館が分離した構造で、山上は本丸を中心に二ノ丸、北ノ丸、西ノ丸、出丸の各曲輪を帯曲輪で結び、山頂から東西にのびる二つの尾根の間に居館を配し、その南に八幡堀をめぐらせています。

八幡公園の駐車場に車を駐めて登城開始。駐車場脇の階段を上ったところの広場は北脇邸跡らしいですが、遺構はなさそうです。公園内を西に進んで山麓居館へ向かうと、麓から真っ直ぐのびる大手道の両側に雛壇状に曲輪群が配され、大部分は竹藪ですが、随所に石垣が見られます。大手道正面・最上段の秀次館は巨石を用いた高石垣を備え、隅部分は算木積で積まれています。さすがに天下人の後継者の居館だけのことはある、と実感させられる壮大な石垣でした。

続いて山上の主郭部に向かいますが、ロープウェーの営業時間前のため、公園内の豊臣秀次公銅像の脇から歩いての登城です。ロープウェーの下をくぐって少し行ったあたりで日牟礼八幡宮からの登城路と合流。ここから日牟礼八幡宮方面に下って行くと大平、小平と呼ばれる平坦面があるようなのでちょっと寄り道してみると、それぞれ思いのほかしっかりと削平地が残っていました(藪の中かと思ってました)。東尾根の突端でもあり物見台でもあったのかな、などと登城時は思っていましたが、帰宅して調べてみると、築城に際して山腹にあった日牟礼八幡宮の上社が麓の下社に合祀されたとのことで、その上社の跡地なのかもしれません。

ともあれ、小平から登城路の合流地点まで引き返し(こんなことなら日牟礼八幡宮側から登れば良かった…)、今度こそ山上の主郭部を目指します。(続く)
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

房総日帰り攻城⑩:箕輪城➡城びと未登録(千葉県柏市) (2019/05/25 訪問)

手賀城から転戦。車で15分くらいでした。
手賀沼病院の広い駐車場(35.855399、140.017267)に駐車して攻城しました。

箕輪城は小金城を居城とした高城氏の支城のひとつで、手賀沼周辺で最大規模の城址です。
鎌倉時代は相馬氏の所領であり箕輪三郎が最初の城主だと推定されています(相馬氏と箕輪城の関わりを示す史料や伝承は残っていません)。
戦国時代には戸張弾正の家臣高城伊勢守の居城であったと伝わっています。
現在城址には手賀沼病院が建てられています。

手賀沼病院の広い駐車場に停め、病院の建物沿いに進み、奥の階段を降りましたが、空堀らしきものはあったが、よくわかりませんでした。
攻城時間は10分くらいでした。

+ 続きを読む

昌官忠

利根川沿日帰り攻城⑨:手賀城➡城びと未登録(千葉県柏市) (2019/05/25 訪問)

芝原城から転戦。車で15分くらいでした。
城址碑前(35.845316、140.072157)に路駐して攻城しました。

手賀城は原氏の一族である手賀原氏の居城として知られています。
千葉介勝胤の子である原筑前守胤親が城主をつとめたとされます(諸説あり)。
胤親の子の原内蔵助久胤が城主のときに「小田原征伐」が起こり、この城も攻められ落城しました。
江戸時代には久胤の跡を継いだ弟の胤次(胤重)が徳川家の重臣である板倉勝重に召し出され、江戸北町奉行所の与力に抜擢されています。
現在城址は本丸跡周辺が畑になっており、城址碑が建てられています。
遺構としては土塁を確認することができます。

城址碑は畑入口にあり、伏見稲荷大明神はその先にありました。
攻城時間は5分くらいでした。

+ 続きを読む

TAKE

静かな城址 (2021/03/08 訪問)

土塁がよく残ります。

+ 続きを読む

TAKE

土塁等観る事が出来ます。 (2021/03/07 訪問)

裏手のスーパーマーケット駐車場側から土塁の長さが確認出来ます。

+ 続きを読む

るるパパ

雪は大丈夫、馬出しが最高です! (2021/03/07 訪問)

1050余呉駅で電動自転車、1000円で借りました。道がやや登りなので電動がおすすめ。1130柳ヶ瀬の北側から登城開始、1225城の入口(地図のあるところ)に到着です。最後の登りのみちょっときついです。雪は登り始めでは結構ありましたが、途中からはありません。代わりに倒木がすごい。登山用の靴が必要です。城はさすがに山頂で全域雪ですが、土塁には雪がなくて、コントラストがくっきりしてて良かったです。皆さんおっしゃる通り、土木量がすごい。深い堀、厚みのある高い土塁、各所の高低差、あちこちの横矢、これだけの城をよく作ったなと。特にいいのが南側馬出し。どうやって突破するんでしょう。天下分け目の戦いを前に整備されたとのことですが、その緊張感が伝わってきました。最高の城です!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

撮りづらかった(・_・; (2021/01/17 訪問)

 寿能公園を探していたら交番の角に大きな城址碑がありました。
 年季が入り、傷みも見られる石碑は、大正の終わりに城址が県の名勝史跡に指定された時につくられたのか、それとも戦後の公園整備の際のものなのか。
 町なかの石碑にも困難を乗り越えた歴史がありそうだなと思いました。

+ 続きを読む

hata

日本100名城 No,033 高岡古城公園、お濠がきれいに残っています。 (2011/09/25 訪問)

■100城の41城目(初登城)高岡古城公園
☆二泊三日北陸城攻めの最後の5城目(一乗谷城→丸岡城→金沢城→七尾城→高岡城)
【移動手段】車:七尾城から氷見海浜公園(?)経由で45km、1.5時間強。
【駐車場】高岡市立博物館駐車場(無料) 
【スタンプ】高岡市立博物館
【天気】晴れ時々曇り
【印象】☆ まさに歌碑と彫刻の森!お城と関係のある物は利長公の騎馬像のみ。
【お土産】氷見の新米5kg
【食事】富山で話のタネに富山ブラック!一度食べればもういいかな。
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】乗りたかったお濠の遊覧船は万葉まつりの準備のため休止していました。残念! その後、富山城(ガッカリ)、カナルパークで帰路に。
和倉温泉◎→能登食祭市場○→七尾城○→氷見海沿い公園○→高岡城△→富山城△→カナルパーク○→帰路に。
北陸遠征は福井、石川、富山5城制覇し、富山15時出発で北陸自動車道、上信越道、関越道1300km走破で終了。途中軽井沢アウトレットで買い物と夕食と休憩をとり、碓氷峠越えを初めて体験し、松井田妙義ICからは予想された渋滞もなく23時到着でした。
【柴犬のクウ】公園は楽しいワン!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

hata

日本100名城 No,032 上杉謙信公の城跡。謙信らしい素朴な山城です。 (2011/07/17 訪問)

■100城の21城目(初登城)【蜂ヶ峰城】
☆信越1泊2日城攻めの4城目(高遠城→松本城→松代城→春日山城→上田城→小諸城)
【移動手段】車:北志賀のホテルから1.5時間
【駐車場】春日山城跡ものがたり館駐車場(無料)春日神社駐車場(無料)春日山神社駐車場(無料)
【スタンプ】ものがたり館○
【天気】快晴
【印象】☆ 神社でした。
【お土産】なし
【昼食】上越市のドッグカフェでホットサンドセット。
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】遺構が少ないことは残念です。謙信公の銅像は甲府の信玄公の銅像と似てませんが、どこか似通っている?
【柴犬のクウ】山城は良いね!

+ 続きを読む

カズサン

牛渕橋からの眺めと本丸高土塁が圧巻です (2021/03/04 訪問)

 鳶ヶ巣砦を終えて牛渕橋を往復し塩瀬城から来た道を返しR257とR151の交差点有海信号を右折長篠城へ二の丸の専用駐車場を利用、大型バス、普通車余裕の広さです。

 昼食は「道の駅こんたく長篠」の焼き肉レストランと思ったのですが駐車場とレストランが思いのほか盛況で待ち時間も長く、長篠城の探訪でいつも利用してる二の丸駐車場北に在る「寿司店とくや」を今回も利用、昼食ランチ握り寿司セット850円を頂きました。

 長篠城は浜松の会社に入社してから50年以上経ちますが事有る毎に立ち寄り又前の道から眺めたりと数限り有りません、桜好し紅葉好し季節季節に趣があり史跡が今は遺跡と物語、多くの先達の皆さんで投稿され語りつくされてますので今回の投稿は私自身見応えの有ると思われる今回撮影の写真を投稿します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ790