手品師御用達のような白鳩
逃げるどころか近寄ってきた事から、あながち間違ってないのかも。。。
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2022/04/28 20:27
【城と生き物】 (2018/12/30 訪問)
手品師御用達のような白鳩
逃げるどころか近寄ってきた事から、あながち間違ってないのかも。。。
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2022/04/28 18:58
いざっ鎌倉! 古鎌倉街道と山崎城の巻。 (2022/04/10 訪問)
『武蔵丘陵森林公園』の中に「山田城」の他に、「山崎城」があるとの情報。
せっかく駐車場代と入場料を払ったので、じっくり探索開始です。
「山田城」から奥に進むと『古鎌倉街道』の説明板がありました。
熊谷 直実や畠山 重忠などに代表される関東武士が鎌倉に馳せ参じた古道です。とのことです。
いざっ!鎌倉!
因みに、熊谷 直実さんは一の谷の戦いで、平 敦盛さんを討ち、後に「人生五十年 化天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり」と詠んだ方です。
そして、畠山 重忠さんは同じく一の谷の戦いで愛馬を担いだ方です。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、イケメン担当です(笑)
古鎌倉街道を歩いていると途中から、堀らしき遺構がありました。写真②です。
もう少し歩くと写真③④と、何やら虎口や土塁に見えてしまうのは「山崎城」に出合いたいからか、、、。
梅林があり郭にも見えてきました。
でも、ここが「山崎城」かは確定できません。
公園のスタッフの方に聞いてもわからないようです。
池や大きな広場の方も、行きましたがピンと来ません。
、、、今、思うと『いざ、鎌倉!』と歩いた方角は鎌倉と反対方向でしたヽ(;´ω`)ノ
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2022/04/28 11:01
東御門、巽櫓内部見学楽しいよ❣ (2009/05/27 訪問)
ちょくちょく訪ねてる駿府城公園、13年前の平成21年5月下旬にも訪ねて居り、東御門渡櫓門桝形の多聞櫓、巽櫓の入館し内部見学をしました、内部から狭間、格子窓、石落し、屋根の木組み、床などを観察するのも楽しいのですが、ここには駿府城天守の復元模型、小天守も復元、復元天守閣の正面図、側面図掛け軸、駿府城全体の立体模型も有り、時間を掛けて見ていても飽きる事は有りません。
外側から内部からどちらも楽しい見学探訪ですが、更に県庁新館県警本部タワー展望21階からの駿府城俯瞰も素晴らしく東御門、巽櫓は直ぐ真下に眺める事が出来ます、富士山も見えたら最高の日よりです。
この後は二の丸に坤櫓も復元し、天守閣跡地の発掘調査で新発見も続出、三の丸青葉小学校跡地は発掘調査の上、埋め戻され静岡市歴史博物館の建設工事が進んで居ますコロナ禍の影響で進捗は遅れ気味ですが、開館予定は令和5年1月予定とアナウンスされてますが今後の進捗如何に?
静岡市歴史博物館が開館すると東御門、渡櫓、多聞櫓、巽櫓に展示の復元天守閣模型、駿府城全体立体模型などは移されるかもしれませんね?
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2022/04/28 08:30
十兵衛屋敷と詰の城? (2022/04/09 訪問)
高室山の中腹に築かれた城で、鞍掛峠を越えて伊勢や美濃に通じる街道を見下ろす位置にあり、築城時期や築城者等は不明ながら、南西麓に十兵衛屋敷と呼ばれる明智光秀出自の伝承地があることから、十兵衛屋敷の詰の城とも考えられます。
十二相神社・十兵衛屋敷の無料駐車場に車を駐めて、まずは山麓の十兵衛屋敷に向かいます。模擬冠木門をくぐると光秀と見津五人衆らのイラストボードが立ち並び、十兵衛屋敷跡の標柱、説明板、さらに十兵衛茶屋には光秀多賀出身説の資料が多数展示されていました。光秀が近江出身というとトンデモ説のように思えますが、江戸前期に彦根藩井伊氏に献上された「淡海温故録」の記述と地元に伝わる口伝に基づく説であり、曰く、美濃の土岐成頼を離反した明智十左衛門が六角高頼を頼ってこの地に住むようになり、その二、三代後に生まれたのが光秀とのことで、少しかじってみましたが意外にそれっぽいところのある説でした。
続いては、高室山城を目指して十二相神社から登城開始。高室山へのハイキングコースとして整備されてはいるものの、なかなかの急坂を登ること20分弱で出郭に到着。出郭は手前と奥に浅くなった堀切が見られるくらいの小さな曲輪ですが、ネット情報の多くがここを高室山城(の主郭)としていましたので、ぴーかるさんの投稿がなければ、ここで満足して引き返していたと思います(十兵衛茶屋の展示資料でも山城A(高室山城)の手前のこの地を出郭としています)。
出郭から少し下り、あとはひらたすらに登り続けて出郭から20分弱で主郭南端の石垣に到着。や、やっと着いた…。石垣の東側に回り込んでみると石垣の内側は窪みになっていて、麓から登ってきた敵を狙い撃つ武者隠しのようにも思えます。主郭には虎口っぽく並んだ巨岩や櫓台状の岩場など岩がごろごろとしており、主郭の奥は土橋状の細尾根で、ハイキングコースはその先へと続いていますが、主郭はここまでのようなので(たぶん)、ここで探索終了としました。
麒麟がくる紀行の一環として十兵衛屋敷の下調べをする中で高室山城の存在を知り、詰の城(かもしれない)なら一応行っておこうかと思いつつも、手持ちの書籍に高室山城の詳しい記述はなく、ネットでもあまり情報が得られなかったため長らく保留になっていましたが、ぴーかるさんの投稿を参照させてもらってようやく訪れることができました。ありがとうございました。ただ、十兵衛屋敷と主郭の比高は330mを超え、この前に訪れた佐和山城が消化不良気味だったとはいえ、山城3城目に訪れるには少々ハードで、翌日、翌々日と久しぶりに筋肉痛に悩まされました…。
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2022/04/27 23:42
(雪が少しだけ残る)金沢城 (2022/02/13 訪問)
雪で一面真っ白の金沢城を見たかったのですが、訪れた日は、一昨日に雪が半分以上解けてしまったので残念でした。私は初めての訪問ですが、みなさんが何度でも訪れたい城と言われている理由がよくわかりました。白漆喰と海鼠壁と鉛屋根のコントラストや、各櫓門と切込接の石垣の組み合わせは、本当に美しい😲!と思いました。加賀百万石前田家の威風を十分に感じることができました。
二の丸では、御殿再建に向けた本格的な調査が始まっていました。1631年本丸火災を機に、二ノ丸に御殿が建てられ政治の中心は本丸から二の丸へ移り、さらに二度の火災により御殿の焼失・再建が繰り返され、最後にはここに千畳ほどの広大な御殿があったとの事です。しかし明治14年(1881年)三度目の火災でその御殿も焼失してしまい今に至っています。どんな御殿が再建されるのかとても楽しみです。再建されたらまた是非訪問したいです😊。
帰りに近江市場で海鮮丼を食べて帰りました(黒門口から歩いて5分程の所です、おいしかったです)。おみやげに名物のカニを買って家に送ろうかと思いましたが、あまりにも高くて手がでませんでした(笑)。
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2022/04/27 22:49
2022/04/27 22:47
2022/04/27 22:16
2022/04/27 22:08
途中下車して。 (2022/03/21 訪問)
鹿島城から千葉方面へ戻る途中、鹿島線から成田線への乗換駅の佐原で1本(1時間)電車を遅らせて朝田辰兵衛さんがご紹介くださった伊能忠敬記念館へ行きました。伊能図や測量器具、辿った生涯、どれも驚きでした。測量の方法など難しくて理解できなかったものも多かったですが、知らない土地を歩くことに無上の歓びを感じる身、地図上の地名はいつまでも見ていられそうでした。ご紹介ありがとうございました。小江戸の街並みも癒されました。(写真①~④)
寺台城は成田駅から徒歩圏。私有地を開放してくださっているようでした。「あと30メートル」のところまで案内板を出してくださっていてありがたかったです。「寺台城主海保甲斐守遺趾」の石碑が城址を示してくれていました。(写真⑤~⑩)
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2022/04/27 21:33
【城と看板】城ふぉとコンテスト📷 (2022/04/23 訪問)
2年前にはなかった誘導標識がこちらです。要所要所に同じタイプのものが整備されました。ビギナーでなくても助かります。
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2022/04/27 21:27
2022/04/27 21:18
蔦ヶ岳城登山(2015年) (2015/07/19 訪問)
城山登山を兼ねて訪城。
宗像市と岡垣町の境にある城山(369.3m)山頂にある山城。
11世紀代の第6代・宗像大宮司宗像妙忠の築城と伝わり、戦国末期に宗像氏貞が大改修、岳山の城と名付けられ戦国大名宗像氏の居城となったが、1588年(天正16年)に九州征伐の帰途に立ち寄った豊臣秀吉の命により廃城となった。
JR教育大前駅で下車。駅前の大通りを少し福岡側に歩くと城山登山口の看板があり、ここを右折して福岡教育大学の裏手にある登山口に向かう。
登山口は既に車がいっぱいで、早朝登山をした人たちが次々と下山してくる。
ここから距離1000mをひと登りする。山頂からの展望を楽しみ、山頂周辺で、堀切跡や竪堀などを探訪。
下りは、三郎丸登山口へ下る。尾降神社にお詣りして、赤間駅まで歩く。
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2022/04/27 21:17
見所の多い土の城 (2022/04/24 訪問)
周辺一帯は整備保存がされていて、散策もしやすく案内板も多いので気軽に楽しめます。土塁、空堀、横矢掛り、枡形虎口など土の城の基本を味わえます。
空堀は比高が大きく取られていて、周辺を内海に囲まれていたことと合わせると防御に強い城だったのではないかと想像できます。
ちなみに内海は、縄文海進で生まれた香取海の一部で、守谷城周辺は「古鬼怒湾」と呼ばれていたそうです(写真3枚目)。近くを走る関東鉄道常総線の小絹駅の地名・駅名はここから来ているのかな?と思いましたが、小貝川と鬼怒川(絹川)の1文字ずつをとった名前だそうです。
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2022/04/27 21:12
岩石山登山と岩石城(2015年) (2015/06/13 訪問)
岩石山登山を兼ねて訪城。
JR福北ゆたか線、後藤寺線、日田彦山線を乗り継いで添田駅へ。
ここからスタートする。
登りは奥の院を経由して山頂へ向かう。湿度も高く、汗びっしょりになりながら歩く。
山頂から国見岩、八畳岩方面に足を延ばす。山頂周辺で馬場跡から南側急斜面を下って石垣跡、さらに下って古井戸、本丸の虎口跡など山城の遺構を探し、山頂展望台で昼食をとって下山。
下山後、岩石城(天守風建物の添田町美術館)に立ち寄り駅まで戻る。
岩石城は添田町の岩石山(454m)山頂を主郭とした山城。
1158年(保元3年)に平清盛が大庭景親に命じて築かせたと伝わる。
築城以降、菊池氏、大友氏、大内氏、秋月氏などに攻められ幾度となく城主を変えながらも豊前一の堅城として重要な戦略拠点として存続。 秀吉の九州征伐により天正15(1587)年4月1日、蒲生氏郷、前田利長、羽柴秀勝合わせて1万人の秀吉軍から攻められ、1日で落城。その後、小倉城の付城として存続し、1615年(元和元年)の元和の一国一城令により廃城となる。
山麓に模擬天守が建築されているが、もちろん本来の岩石城とは無関係である。
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2022/04/27 21:03
2022/04/27 20:58
2022/04/27 20:51
2022/04/27 20:48
【山城・西本願寺】京都府京都市 飛雲閣鑑賞素晴らしい (2009/07/07 訪問)
13年前の平成21年7月上旬、故郷因幡の浄土真宗本願寺派檀家寺の門徒衆と西本願寺の念仏奉仕団に参加、この年の1月末に母が亡くなり兄弟で母の納骨と念仏奉仕に参加、京都の集合、2日間で母の納骨、各寺門徒宗分かれて御影堂、阿弥陀堂、庭園の清掃、念仏講話、念仏功労者表彰、門主との集合写真と行事を終えて、書院での茶菓子の接待後、本願寺南東面に在る、飛雲閣の見学、登閣は出来ませんが庭園周囲からの見学です。
飛雲閣は京都三大楼閣の一つで金閣寺、銀閣寺と並び立って居ます、また西本願寺に移築された飛雲閣は元、秀吉の築城した聚楽第からの移築と伝えられ居ます。
丁度修復整備が済んだ直後で36歌仙の板戸絵画が煌びやかで良く見る事も出来ましたが時間が日が沈む処で南の建物が逆光で採光が良くありませんでした。
何回か念仏奉仕に参加して居ますので飛雲閣鑑賞は数度に参加し、美しさに感嘆し何時か登閣出来たらと思って居りますが何時になるやら?
年に何回か一般公開が有る様ですから西本願寺のホームページを見て頂くと時期が分かります。
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2022/04/27 20:47
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