おぐちじょう

小口城

愛知県丹羽郡

別名 : 大久地城、於久地城、箭筈城
旧国名 : 尾張

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しんちゃん

3回目でやっと入れた。 (2024/06/16 訪問)

小口城は長禄3年(1459)に織田広近によって築かれました。織田広近は尾張上四郡守護代である織田伊勢守家・織田敏広の弟になります。広近は後に、木ノ下城(後の犬山城)を築いてそこに移り、小口城は犬山城の支城となりました。
現在は小口城址公園として整備されており、高さ17m(!)の木造の物見櫓が公開されています。中に入る前に受付を行う必要がありますが、安全管理の目的もありますので、ぜひお願いしたいと思います。櫓の中は吹き抜けになっていますが、ハンモックが二か所設置されているので、どこから落ちてもとりあえず死なないようにはなっています。

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うさ

小口城 (2024/02/28 訪問)

最寄り駅から結構歩きました。

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ぴーかる

小口城 (2023/07/22 訪問)

【小口城】
<駐車場他>小口城址公園駐車場二十数台分あり
<交通手段>車

<見所>土塁・礎石・石組井戸
<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾3城目。現地説明板によると小口城は1459年に織田広近によって築城されたとされます。織田広近は尾張守護代織田敏広の弟で小口城を拠点に木ノ下城を築城します。その後小口城は犬山城の支城として残りますが、永禄年間(1558~1569年)に織田信長に攻められて廃城となります。小牧長久手の合戦時には羽柴秀吉方の基地として使われたようです。
 当時の城域はかなり広かったようで2重の堀と土塁で囲んでいたそうですが現在は中心部の小丘部分が残るのみになっています。城跡は公園化されて模擬土塀・門・櫓が建っています。小丘の最上部に石組井戸・礎石建物跡が残されています。最上部の帯曲輪に土塁が残され模擬櫓は資料館になっていますが早朝だったため閉館してました。模擬門の前面が空堀遺構で現在は水が入っています。遺構と模擬建造物が混然としていましたがまあまあ楽しめました。

<満足度>◆◆◇

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チェブ

大口町の小口城。 (2022/05/04 訪問)

以前にも
「小泉城」が大泉町(群馬県)。
「小磯城」が大磯町(神奈川県)。
今回は
「小口城」が大口町(愛知県)。
と、大きな町名に変わるパターンです。
それぞれ、町の合併で変化しました。
大口町=太口+小口 でもって『太の点』がマイナスされたそうです。

「小口城」に話しを戻し、1459年に織田 広近さんが築城しました。
ざっくり100年後、中嶋氏が「小口城」の城主だったようです。「犬山城」の支城だった「小口城」は織田 信長さんの調略により落城したそうです。
その後、小牧長久手の戦いで秀吉さん方の稲葉 一鉄さんが治めました。そして廃城します。

城址公園になっている「小口城」は駐車場があります。住宅地で、夕方の散歩コースの休憩城。地元の方々がにぎやかに お話してます。
復元された模擬の物見櫓や城門、白い塀が戦国の世にタイムスリップさせてくれ、、、、ます?
小牧長久手の戦いは1584年だったから、復元されている遺構は、ちょっと新しめで「小口城」が活躍した時代とは違う気がします。
公園内に小山があり、土塁のようにも見えます。
資料館があり、真相追求したいのですが、休館日でした。
写真⑨の児童公園の遊具の方が、戦国の物見櫓っぽいです(笑)
お休みの資料館の前のベンチに、学生が2人でヒソヒソ話。復元された木橋前では、主婦たちが立ち話。
地元には、しっかり今の「小口城」が密着してます。
驚いた事に先日、投稿した現存天守の「犬山城」よりも、復元された「小口城」の方が写真の数が多かったです。
へへっ。復元でも、はしゃいでしまったのは事実です。
「小口城」は今も大口町の大きな存在、これも事実です。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 織田広近
築城年 長禄3年(1459)
主な城主 織田広近、中島氏
廃城年 永禄年間(1558〜1569)
遺構 空堀、井戸
指定文化財 町史跡(小口城址)
再建造物 物見台、石碑、説明板
住所 愛知県丹羽郡大口町大字小口字城屋敷
問い合わせ先 大口町環境建設部都市整備課
問い合わせ先電話番号 0587-95-1111