垂井城からの転戦です。垂井城から徒歩3~4分で石碑と案内板前(35.371088、136.522724)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、長屋氏によって築かれました。 長屋氏は今須の長江氏と同族で、長江義景の次男明義の孫行長を祖とするそうです。
1353年(文和2年)北朝の後光厳天皇は南朝方に京を追われ、足利義詮とともに垂井へ逃れ長屋氏の屋敷を仮御所としていました。
しかし、南朝方が垂井を襲うと聞き、美濃国守護土岐頼康の居城へ逃れました。やがて足利尊氏が到着すると天皇も戻られ、足利尊氏とともに上洛しました。
天文年間(1532~55年)に長屋景興は居城を垂井城から相羽城へ移しました。
1547年(天文16年)相羽城は斎藤道三に攻め落とされ、景興も討ち死にして長屋氏宗家は滅びました。
長屋氏屋敷もこのころまでには廃されていたものと推測されるそうです。
ちなみに景興の孫可重は、後に飛騨高山城主金森長近の養子となったそうです。
現在は道路脇の小さな敷地に石碑と案内板と標柱が建つのみである。
攻城時間は5分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストで本日の宿泊先に向かう為、電車で垂井駅から尾張一宮駅に向かいます。
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