雪の丸岡城を見たかったのですが、この日は朝から気温がぐんぐん上がり、丸岡城に着く昼までには昨日まであった雪が一気に解けてしまいました(😩~)。石瓦が雪に耐えている姿を見たかったのですが・・・残念です。(でも3日後には大雪が降って再び真っ白になったそうなのでなおさらショック!😱~)。
丸岡城は、戦国時代の面影を残す唯一の現存天守なので大変貴重です。柴田勝家が北ノ庄を一向一揆から守る要として甥の柴田勝豊に建てさせた城で、急な階段や狭間など戦(いくさ)の備えは見る者も緊張させます。しかし400年以上が経ち、だいぶ老朽化している箇所が多数あったので気になりました。重い石瓦も載っているので、もし地震がきたら大丈夫か? と心配になりました(昭和23年にも一度地震で倒壊したらしいですが・・)。 熊本城の宇土櫓に大きさや形が何となく似ているので、なおさらそう思ったのかもしれません(宇土櫓は今でも半壊中)。1日でも長く現存保存される事を祈ります。
【余談:日本一短い手紙と本多成重】
丸岡城には「日本一短い手紙の館」があります。家康の家臣「本多作左衛門(重次)」が長篠の陣中から妻に宛てた手紙で、「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」 はあまりにも有名です。でも長篠での話がなぜ丸岡に🤔? と思ったら、このお仙こと「仙千代」は出世して丸岡藩の初代藩主になったとの事です(知りませんでした)。
成人した仙千代は「本多成重」と名乗り、福井藩2代藩主「松平忠直」の付家老として入ります。しかし忠直は大坂の陣後、参勤交代への拒否や家臣などへの乱行をとがめられ豊後へ配流。その後成重は4万石を与えられ丸岡藩を立藩し、譜代大名の仲間入りをしました。
泣き虫のお仙が大名にまで出世し「鬼作左」もさぞかし喜んで泣いた事でしょう(鬼の目にも涙かな?😊)。
【丸岡城へのアクセス】
福井駅前から京福バス「丸岡城」行で60分(お城の中が終点です)。
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