ふるみやじょう

古宮城

山梨県北杜市

別名 : 古宮屋敷、古宮館
旧国名 : 甲斐

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津金学校
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赤い城

津金学校 (2023/05/28 訪問)

明治、大正、昭和の三世代の学舎が残る津金学校の駐車場を利用。
その後ろの諏訪八幡神社周辺が城跡です。
神社西側に土塁と空堀が残っています。
ただしこの時季、空堀は藪と伐採された木枝で覆われ、形を明確に確認することはできませんでした。
空堀の北側は竪堀となっているそうですがこれも確認できず、やはり冬ですかね。
ここの城主津金氏は常陸佐竹氏の一族とされています。
堀底はやっぱり?

写真投稿するのにGoogle Photoにアクセスできなくなったのですが私だけ?
ちょっと不便になりました。

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刑部

【城と標柱】 (2022/05/30 訪問)

階段を上がった左手に

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じゅんじん

明治大正昭和 (2021/12/26 訪問)

3世代の校舎がある奥の神社が城跡です。空堀が残っていました。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:古宮城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の7城目は古宮城です。
獅子吼城から転戦。津金明治学校駐車場(35.850749、138.445012)に駐車しました。

古宮城は、室町時代に津金氏によって築かれました。
文明年間(1469~87年)常陸佐竹氏の一族薩摩守胤義と子・美濃守胤秀が武田信昌を慕って甲州に来て、津金郷に封ぜられ、姓を佐竹より津金と改めたそうです。
津金氏は津金衆惣領家として武士団を率い、武田氏に従って国境警護を任されていました。
武田氏滅亡後に起きた「天正壬午の乱」では津金衆は徳川家康に与し、徳川方の先峰として北条方の獅子吼城を攻略するなどの活躍をしています。
江戸時代には望まれて尾州藩に仕え、その後、廃城となったようです。城跡と古宮の社は地域守護の要の地霊社として、氏子が維持しているそうです。
明治の学制の頒布に伴い、明治8年(1875年)古宮城跡に藤村式校舎が完成し、現在に至っているそうです。

須玉町歴史資料館の背後にある諏訪神社一帯が城址で、境内の本殿西側に土塁と空堀の一部が残っています。
攻城時間は10分くらいでした。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 津金氏?
築城年 不明
主な城主 津金氏
遺構 曲輪、横堀(空堀)
再建造物 石碑
住所 山梨県北杜市須玉町下津金字御所(諏訪神社)
問い合わせ先 須玉歴史資料館
問い合わせ先電話番号 0551-20-7100