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昌官忠

川口市&蕨市城巡り③:蕨城 (2022/04/23 訪問)

6月の九州遠征前の、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城(PART2)です。
川口市&蕨市城巡り3城目は蕨城(ラスト)です。
蕨駅から徒歩10分くらいで蕨城跡説明板前(35.826509、139.682311)に着き、城址公園を散策した後、
蕨市歴史民俗資料館(35.824929、139.678839)を見学しました。
帰りは攻城歩行距離を稼ぐ為、蕨駅ではなく南浦和駅(2.8Km位)に向かいました。

蕨城は足利氏一門の渋川義行によって築城された城です。義行の曾孫にあたる渋川義鏡が古河公方に対抗するための拠点として改修しました。
1457年(長禄元年)-享徳の乱によって起こった関東地方の騒乱を収拾させるために、第8代将軍足利義政は関東探題として渋川義鏡を関東へ下向させる。義鏡は蕨城を拠点に兵を募ったが、蕨のある足立郡は大半が古河公方の勢力範囲となっていたために募兵は難航しました。
1462年(寛正3年)-扇谷上杉氏と対立した義鏡が失脚したため、蕨城は管領と同格である御一家渋川氏の居城でありながら事実上は扇谷上杉氏傘下の城となります。
1476年(文明8年)- 長尾景春の乱の際には蕨城の近隣にある石神井城主の豊島泰経をはじめとした武蔵国の国人衆が長尾景春に呼応したが、渋川義鏡は扇谷上杉方に残り太田道灌とともに用土原の戦い等に参加していたと見られます。
1524年(大永4年)-蕨城は義鏡の子渋川義堯が継いでいたが、武蔵に侵攻した北条氏綱によって陥落させられます。
1526年(大永6年)-真里谷恕鑑と里見義豊の助力を得た上杉朝興が北条勢を破り、蕨城を奪回します。
1546年(天文15年)-北条氏康が上杉朝定を河越城の戦いで破り、渋川義堯は後北条氏麾下に入ります。
1567年(永禄10年)-三船山合戦で義堯の子渋川義基が討死すると蕨渋川氏は断絶し、一族郎党は散り散りとなり、残った者もその多くが帰農しました。またこの時、義基の夫人はその死を嘆き榛名湖に入水したとされます。
城主不在のまま廃城となった蕨城は江戸時代になると徳川家の鷹狩用の御殿として再利用されます。
交通の要衝であった蕨は戦国時代には城下で六斎市が開かれており、中山道が整備されると宿場町として再び栄えたそうです。
1816年(文化13年)-家臣団の子孫らによって渋川義基と夫人の250年忌を期し、蕨城近郊の宝樹院に渋川公墓所が造立されました。

現在は「蕨城址公園」として整備されており、本丸跡には和楽備神社(わらびじんじゃ)や市民会館が建てられています。
和楽備神社社殿の右側の御殿堀は、蕨城の堀跡の一部のようです。
城跡より徒歩五分程の中山道の蕨市立歴史民俗資料館(無料)蕨本陣跡も合わせての見学をお勧めします。
攻城時間は40分くらいでした。(蕨市立歴史民俗資料館の見学時間を含む)
川口市&蕨市城巡りは、攻城歩数=17453歩、攻城歩行距離=13.61Kmで攻城完了です。
今回は攻城歩行距離が短った為、6月の九州遠征までに距離眺長めのリハビリが必要のようです。

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肉球

桜満開 (2022/04/04 訪問)

桜の時期に訪れるのは初めてでした。
酒盛りをする人もいるほど多くの人出でしたが
四時ごろ天守閣に入場したところ
あまり渋滞することもなく見学することができました。
この時期はどこを撮っても絵になります。

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カルビン

【城と生き物】 (2015/11/28 訪問)

・・・お分かり頂けるだろうか・・・






石垣左下の交点のところに黒キジトラがいる事を・・・

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昌官忠

川口市&蕨市城巡り②:平柳蔵人館 (2022/04/23 訪問)

6月の九州遠征前の、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城(PART2)です。
川口市&蕨市城巡り2城目は平柳蔵人館です。
埼玉高速鉄道の川口元郷駅から徒歩8~9分位で南平公民館元郷分館(35.796793、139.734311)の石碑と説明板付近着きました。

平柳蔵人館は岩付城主・太田資正の家臣である平柳蔵人の居館です。
1564年(永禄7年)に資正と下総の里見義弘が連合して、小田原城主・北条氏康と戦った「鴻之台の合戦(第二次国府台合戦)」で蔵人は連合軍の先鋒として奮戦したものの討死しました。

公園の一画に立派な碑と説明版があるのみです。
攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

川口市&蕨市城巡り①:赤山城 (2022/04/23 訪問)

6月の九州遠征前の、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城(PART2)です。
川口市&蕨市城巡り1城目は赤山城です。
埼玉高速鉄道の戸塚安行駅から徒歩19~20分くらいで石碑と説明板前(35.850297、139.746946)に着きました。

赤山城(赤山陣屋)は関東郡代として徳川幕府を支えた伊奈氏の居城です。
築城年代は定かではないが1618年(元和4年)または1629年(寛永6年)頃に伊奈忠次の次男、伊奈忠治によって築かれたと云わります。
忠治の家系はその後代々関東郡代として活躍しましたが、1792年(寛政4年)伊奈忠尊のとき御家騒動によって所領は没収され赤山城も廃城となった

現在、城址の大半は雑木林や苗木畑となってますが、主郭を中心とした一部が城址公園として整備されており、空堀が復元されています。
大手門があった場所には石碑と案内板が設置されています。
現地説明板によると、東京外環自動車道北側に出丸があるようですが、今回は見学しませんでした。
二の丸の奥に四角い土壇がありましたが、説明板に説明がなかったので後世の改変でしょうか?
攻城時間は35分くらいでした。

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刑部

【城と標柱】 (2018/10/14 訪問)

縄張り図が記載されている珍しい石碑

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はるのすけ

お見事! (2020/06/07 訪問)

三島駅からバスで山中城へ。
激しい戦闘が繰り広げられたと伝えられている岱崎出丸に立ち思わず身震い、武者震い?

お目当ての障子堀はお見事!
しっかり整備してくださり感謝です。
ひとつでいいからこの堀の中に入れないかな?
ハマるとどんな感じか体験したい…

しかしまぁ来てよかったなー
帰りに美味しい鰻を食べてさらに満足じゃ。

バスなら三島駅でみしまるきっぷ買うとお得です。

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はるのすけ

あしでまとい (2020/06/07 訪問)

久々の投稿です。
石垣山城にお散歩に行くと言ったら、興味ないはずの妻が一緒に行くと言い出し連れて行くことに。
早川駅を降りて歩き出すと、すぐに目の前に急な坂道が出現。
見ただけでもう嫌だと泣き言を言う妻。
何しに来たんじゃ😜

40分ほど坂を登ると目の前に石垣が…
ようやく着きました。
ゆっくり城の中をめぐり、見晴らしの良い場所から小田原城を望む。
太閤殿下もここから小田原城を見下ろしたのだろうなぁと、感慨深く景色を眺めました。
足手まといの妻もここまで来るとご満悦な様子でなにより。

帰りはバスに乗って小田原港へ。
あっという間に着きました〜

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カズサン

【大和・平城京】奈良県奈良市 遣唐使船も復元 (2010/06/05 訪問)

 先に【大和・平城京】大極殿復元なる として投稿させて頂きましたが大極殿以外も平城遷都1300年祭で当時の遣唐使船が復元野外展示されており乗船も出来ます。
 聖徳太子の御代から隋への小野妹子遣隋使派遣から始まり約100年経った時代も唐の国へ遣唐使派遣が続いていました、この船で東シナ海の荒海を乗り越えて国の発展のために尽力した方々に感慨をはせ、今日までの歴史、文化の繋がりに感謝です。
 復元遣唐使船の近くに資料館も有り平城京の立体模型を見学、平城京が有った頃の広さに驚きと当時の人々の健闘と意気込みに敬意を表し今日に続く歴史に感謝です。
 この後訪ねた時より約12年前に復元した朱雀門に寄って復元したばかりの大極殿の見学に向かいました、大勢の人で賑わって居ました、関心の深さが窺えます、訪問は12年前の平成22年6月でした。

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赤い城

【城と標柱】

にのまるさんがカープ女子だったとは。
私のHNも・・・。
津田城も大野城もまだ行ったことありませんがここは何度か。
近くには新井城も。

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ぴーかる

【究極の1枚】

落ちたらヤバい!(>_<)

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ぴーかる

【究極の1枚】

落ちたらヤバい!(>_<)

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ぴーかる

大洞城 (2022/04/02 訪問)

【大洞城】
<駐車場他>富之保グラウンドに駐車しました。
<交通手段>車

<見所>石垣・櫓
<感想>1泊2日郡上の旅3城目。大洞城は宇佐見氏が築城されたとされ15世紀末~16世紀中頃に築城されたようです。主な改修者に小田原攻めの山中城の戦いで討死した一柳直末がいて一柳城とも呼ばれています。登城道は2つあるようですが先達の方々の投稿を読ませていただいて富之保グラウンドに駐車しそこから徒歩で登城しました。城跡までは車1台分の道幅が整備され(乗用車は通れなさそう)非常に登り易いので真夏以外は来れそうです。道の行き着いた所が曲輪を改変した広い空き地になっており、そこから東側の山に入った所に石垣の残った櫓台跡があります。石垣には竪石もあり見応えあります。右手を道なりに進むと主要部に入り所々に広く石垣が残っています。石垣は南側にあった虎口を中心に南から西側の腰・帯曲輪に階段状に石垣が広がっていた感じがします。主郭の東側は高切岸、北側は藪化していますが腰曲輪があって、そこから北西方向の集落が見渡せる眺望がいいです。

<満足度>◆◆◇

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トク

雪の一乗谷 (2022/02/11 訪問)

雪の一乗谷が見たくてやってきました。
一乗谷駅を降りて、まず駅前の朝倉氏遺跡資料館に行きたかったのですが、何と建て替えのため休館中とのこと(写⑩)、資料館はぜひ見たかったのに残念でした(😩~)。10月オープンとの事なので、資料館を見たい方はそれから行かれたほうがよいかもしれません(遺跡は通常通り見学できるとの事なので、気を取り直しこのまま歩く事にします)。

しかし、途中からどこまでが道でどこからが田んぼや川なのか真っ白で境目がわからず歩くのが恐かったです(私は九州男児、雪道は基本苦手です)。たまたま散歩中のおじさんと出会ったので義景館はどこか聞くと、「おれの歩くとおりについてこい!」と言われたのでついて行くことに。しかし歩きながら30分親切にこのあたりの説明までしてくれました。なるほど、よく見ると両側の土地には四角いものが規則正しくあります(写⑨)。これは井戸だそうでその周りには雪に埋もれて見えませんが溝があるそうです。つまり狭い土地にたくさんの人が住むために、現代の集合住宅のように区画整理して上下水道を完備していたという事ですね。朝倉氏は先進的な考え方を持っていたようです。 勉強になりました(感謝😊)。
でもこんな雪の中なぜ散歩をしているのか聞くと、夕食に食べられる木の実や草を探していたとの事。今でもここは自然のままに生きている人がいるのだと感心。その後おじさんは、義景館の隣の民家に入って行きました(まさかあの方は朝倉氏の末裔だったのでは🤔?)

いよいよメインの朝倉義景館跡に入ります。入口(写③)から橋と唐門や見学通路はよく雪かきや雪溶けがされて歩きやすいようになっていました(感謝)。でも中に入ると真っ白!(写①) どこが館跡? どこが庭園? どこが花壇・湯殿? よくわからず。案内板(写②)と見比べながら想像をふくらませてきました。(でもこれは逆に今でしか見られない光景ですね(😊笑))。

復元町並もよく雪かき雪溶けをされていて見学しやすいようにしてくれていました。でも目に映ったのは、「ここは大河ドラマで光秀がいた場所」「ここはソフトバンクのCMでお父さん犬がいた場所」などと歴史とは関係ない事ばかりが頭に浮かびました(笑)。(写⑦⑧)

しかし何故、義景は足利義昭を奉じて上洛しようとしなかったのか? 諸説あるようですが、私ならこの雪の中まず京に上ろうなどという気にはならないですね。義景様のお墓(写④)にも聞いてみましたが、返事は返ってきませんでした(あたりまえ)。そんな単純な理由であるはずがないですよね(御無礼の段お許し下されたく)。

夜は、福井市の宿で冷えた体に熱い温泉、あと日本海の刺身と熱燗で一杯😊!

【一乗谷へのアクセス】
JR越美線「一乗谷」駅から義景館・復元町並まで徒歩25分です(雪があったので私は倍の50分かかりました。雪のない日は福井駅前から京福バスで資料館や復元町並まで直接行けます)(一乗谷駅は交通系ICが使えません、必ず福井駅で切符を買って乗って下さい。私は知らずに他の乗客に迷惑をかけてしまったので)。
 

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にのまる

【城と標柱】

期間限定「さくら🌸と標柱」

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にのまる

【城と標柱】

元祖カープ女子、「東別府館」があれば「北別府館」もあるんじゃないかと思ってしまう。。。

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にのまる

【城と標柱】

本丸からずーっと歩いた詰城の標柱に「天守閣跡」とあって頭の中が???でいっぱいになりました。
大天守と呼ばれる郭だったそうです。

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刑部

時代先駆けの城 (2022/04/02 訪問)

NHK TV 【英雄たちの選択】で放映してから行きたくて行きたくてたまらなかった城址!、念願叶って行くことが出来ました!
まずはガイダンスで情報収集、千田先生のサインを見て いざ! 攻城! 観音寺の駐車場に車を止めて大手道からと思いきやここは未整備の為侵入禁止残念。大手門から砲台場跡へここは幕末で改修されたようです。次に向かったのが本丸跡中心部には何度も建て替えられた建物あとがあります。本丸から二ノ丸へ行く途中空堀がありそこにはなんと畝堀があるではありませんか二ノ丸から更に奥の空堀を通り中館へここもかなり広いですね。そして1番の見所中館と西館の間にある空堀!堀切のように深い、土塁の高さが違いますね中館側の土塁が高く優位性がわかります。最後は西館の桝形虎口、化粧道に通じ桝形が二重になつた城の出入り口 内枡形は石積みです。この虎口はかなり高低差があり特徴的な遺構が残されていました。興奮と感動の連続の城址でした!

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赤い城

主郭には桜舞い散る (2022/04/10 訪問)

県道から標識に沿って進むと林道を登ったところに駐車場があります。
そこから少し登ると登城路があり、城山への案内板が付いています。
ハイキングコースにもなっているので歩きやすいです。
まずは三郭。手前に堀切があります。
南側には横堀が付いています。
さらに二郭へ。
本郭との間の堀切から二郭を経て北東側に伸びる尾根に降りていくとここにも曲輪と堀切が。
ここはハイキングコースから外れるのでほぼ手つかず。
見どころはこの尾根のような気がします。
良好に遺構が残ります。
引き返し主郭へ。
主郭手前の横堀を経て到着です。
ちょうど桜満開の時季、桜吹雪の中主郭からの景色を楽しめました。
多くのハイカーさん達もいらっしゃいました。
南北朝時代に桐生国綱が築いた城です。
地元では杓子山城と呼ばれ親しまれています。
この後のお昼は桐生名物のソースカツ丼。
パワー復活できた気がします。

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fujikokyu

【城と看板】 (2022/04/15 訪問)

案内看板も春仕様

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