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肉球

幕末まで存在してましたが山城です  (2021/03/25 訪問)

以前にも訪れたことがありますが久しぶりの登城です。
舗装された急な坂道に沿って当時の旧道ルートがありますが
そちらは台風と大雨の影響で現在通行禁止になっています。
本丸まで行く間に堀切や久留里曲輪、天神曲輪など
曲輪が沢山あります。
本丸には模擬天守とは別に旧天守台が存在します。
本丸下の波多野曲輪二の丸下の薬師曲輪からは
街を見渡すことができます。その街中にある久留里山真勝寺には
最後の城主黒田直養の菩提寺で城門が移築されています。

専用の大きな駐車場があります。

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ぴーかる

渡川城 (2021/03/14 訪問)

【渡川城】
<駐車場他>城跡専用駐車場が登城口道路を挟んで正面の削平地に3台分程度あります。
<交通手段>車

<見所>堀切・曲輪
<感想>1泊2日中国地方西部の旅2日目5城目。城びと初投稿いただきます。現地案内板を要約すると渡川城は大内氏の三大古城で石州街道の要所として築城された。1470年に大内道頓が阿東町嘉年(賀年城のことかも)に陣して大内氏乗っ取りを謀ったが大内氏家臣の陶弘護がこの渡川城に兵を集めてこれを打ち破った。また1557年には津和野三本松城主、吉見正頼は毛利元就と呼応して山口を挟撃し、この渡川城に立て籠もった陶軍の野上隠岐守を遁走させている。城があったころはかなりの激戦地であったようです。
 城跡は一城別郭になっていて、連郭が北と南にそれぞれあります。登城口に説明板や一応ハイキングコースとなっていて簡単なルート地図があります。登城道はまず墓地の前を通り進みます。倒木が数本あり塞いでいますが越えて進みます。左手に曲がり谷の間を進んで鞍部に着いたら右手は丸太の階段があり北側の曲輪群に行けます。左手の山が南側の曲輪群でこちらは道がないので直登になります。
 まず南の曲輪群を攻略しました。この地点から直登すると連郭の中段辺りに入り込めますが、曲輪内も整備されていないので木々を抜けつつ主郭を目指します。この投稿時の確認で気が付いたのですがこの主郭の南方向に何条かの堀切があるようです。この時は気づかず行かなかった。
 南の曲輪群を攻略し、再び鞍部に戻り次に北の曲輪群を攻略しました。鞍部から北の曲輪群の南端までは数条の堀切があり堀も深く、堀切からの竪掘りも明確に残っており、攻略・見応え十分です。主郭とその南下段の曲輪は広く、こちらが主城であった感じがします。主郭とその下段の曲輪は一度木を伐採したようで見通しは良いが、数年経過しているようで主郭は灌木で覆われており主郭より先へは進めませんでした。眺望が良く眺めていると遭遇しませんでしたが、すぐ背後で大きな獣のガサガサと動く音が突然したので超びっくりしました。

<満足度>◆◆◇

<グルメ>道の駅長門峡に阿東牛というのが販売されています。切り出しを購入して、すきやきとカレーにしていただきましたが牛特有の臭みが全く無くとても美味しかったです。

<その他>この渡川城攻城前に城びと登録の白水山城へ行ったがここも昨日の古城ヶ岳城と同じく城びと未投稿で情報が少なく、登城口がわからず少し山中をうろついて時間がかかりそうなので断念した。山口の山城は未整備が多そうです。

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ぶーたろー

3月末に行ってきました!この季節が一番良いと思います。 (2021/03/31 訪問)

https://youtu.be/9UlrR9Sh0P0
↑この動画が参考になります。動画の通りに進めば問題なく、主郭までたどり着けます。
途中倒木で進路が塞がれています。倒木には注意して進必ようがあります。また登山靴等で登ることをお勧めします。
決してサンダルや、ヒールの高い靴で行かないように!
遺構もたくさん残っていますよ!

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todo94

立入禁止 (2011/11/04 訪問)

キャンプ場に降りていく道はバリケードで塞がれていて立ち入り禁止状態になっていました。世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産「沖泊」の城だけに残念です。2011年に主郭にたどり着くことはできているのでその時の写真を投稿します。沖泊のもう一つの城、鵜の丸城の主郭には2021年3月26日に初めて立つことができました。

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カズサン

二段巨大高土塁が出現、圧倒されます (2021/03/31 訪問)

 本年1月探訪時、三の曲輪北側外周の土塁周辺の見える化景観整備の為に樹木伐採、藪の刈込工事中でした、3月末が完成との事でしたので桜も満開時期は好と出掛けました。
 車は専用駐車場利用、坂道登城路を出曲輪まで5分程、出曲輪枡形?辺りに到着すると見通しが開き三の曲輪北側の大土塁が目に飛び込んできます、谷底から競り上がった尾根筋が土塁と繋がり本来の大手登城虎口では二段の高土塁が圧巻で圧倒されます、二段高土塁の間には横堀が走り、三の曲輪北側土塁は長く、出曲輪からの大手道に横矢が掛りと成り難攻不落の様相、その尾根続きには東に二重堀切も良く観察出来ます、築城当時の様子が再現されました。
 草が茂る前の今が良いチャンスです、ただ大雨に土砂が流されない様にする対策が必要の様で今後の工事が有るのでしょう。

 茶畑の新芽の萌黄と桜の開花、満開で三の曲輪内部、二の曲輪内部、東尾根曲輪、五重堀切、本曲輪も華やいでいます、ゆっくり探訪観察し1時間半も城内で過ごしましたが一人状態、富士山はまた霞と黄砂で視界悪く見えませんでした、勝間田城、桜、富士山、青空が揃えば絶好のシャッターチャンスなのですが中々恵まれません。
 帰路の坂道で一人の方に遭遇しました、車は名古屋ナンバーこの城を訪ねるとは城好きの方なのでしょうか?

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カズサン

二の曲輪北馬出薬医門続塀完成も? (2021/03/31 訪問)

 本年1月訪問し二の曲輪北馬出復元薬医門の続き板塀?復元工事中を見学探訪してましたので完成は如何にと出掛けました、諏訪原城ビジターセンターに寄り担当の方に状況をお聞きしました処、国指定史跡諏訪原城は文化庁の許認可が必要です! 文化庁の許可が下りなくて板塀も土塀も出来なくて、鉄骨むき出し灰色カラー鋼板葺屋根付きの状態で留まってる様子。
 取り敢えず現状の写真を撮って投稿いたします、赤いさび止め塗りの鉄骨むき出しでは寂しい限りです、板塀での完成を望みたい処です。
 30分の滞在探訪でしたがその間、6組の方々とすれ違いました流石に諏訪原城訪問登城者が多いです。
 島田市の頑張りを!粘り強く文化庁の許可を取って下さい、注目し応援をして居ります。

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織田晃司

フェリーで渡ろう (2021/03/28 訪問)

波止浜港より5分で到着。
島全体が城の来島。
柱穴(岩礁ピット)を見ようと思えば汐見表を見て干潮の時を狙うべし!

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城太郎

春の高岡城跡 (2021/03/31 訪問)

桜満開の高岡城跡。
お堀と桜がベストマッチ!

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tsuchinari

少し複雑な大河との関係 (2021/03/30 訪問)

明智光秀が城を築き、繁栄させたとされる福知山。
今年の2月まで放送された大河ドラマ「麒麟がくる」では光秀が主役だったこともあり多くの観光客が訪れていた。
ただドラマでは福知山がまったく登場していなかったので、すこし切ない気持ちに。。。

お城自体は市街地に建てられていて、鉄筋コンクリート造で再建された天守をメインに集客用に整備された印象が強く、史跡としての要素は少ないように感じられた。ただ丁度桜の時期だったため、写真の撮れ高は抜群だった。
かなり歪な構造をした天守の最上階からは福知山の街を一望できた。

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tsuchinari

趣ある城下町、丹波篠山 (2021/03/29 訪問)

前回は2015年9月に訪れた篠山城。
藤堂高虎の指揮で1年足らずの突貫工事で築かれたというお城。
その規模は比較的小さめで、方形のとてもシンプルな縄張り構造になっている。
大書院の形や天守台が本丸の角に位置しているところは、京都の二条城を意識したことが感じられる。
とても幾何学的に積まれた石垣からは名築城家としての藤堂高虎の力を改めて感じた。

お城の構造も去ることながら、この丹波篠山の魅力は風情溢れる城下町だ。
少し城の周辺を散策すると町全体に統一感があることに気付いた。
城下町の風情を崩さないように建てられているようだ。
この丹波という地域自体が山と田園風景の自然に囲まれた場所なので、歴史を体感できる魅力ある場所になっている。

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tsuchinari

なるか!?夢の天守復活 (2021/03/29 訪問)

明治の廃城令によって破却された高松城の天守。
この天守を復元しようとする運動が続けられていて、その実現がもうあと一歩のところまで来ている。

国指定の史跡において天守などの建築物を再建する場合、文化庁の許可が必要で、今まではこの基準が厳しく、許可が下りた城は全くなかった。
しかし昨年この基準が緩和された。ざっくり言うと、資料不足で不正確な部分があっても専門家などで十分に吟味した結果、限りなく正確な復元が可能となれば許可できるといった内容だ。「復元的整備」という新基準が生まれた。
その新基準で許可を得る可能性が最も高いと考えられているのが、高松城である。

高松城の天守復元は実現するのか?

これは高松市や香川県に限った問題ではなく、日本中の城に大きな影響を及ぼすものになる。
基準が緩和されたといえ、その内容はどうしても具体的にできない部分があるので、成功事例ができることが重要というわけだ。
高度経済成長期に日本中で次々と建てられた鉄筋コンクリート造の復元天守は老朽化で現在岐路にたっている。
高松城天守の復元運動の可否は、そのような全国の城に大きな影響を及ぼすものであることは間違いない。

今は吉報を信じてその時を待ちたいと思う。

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橋吉

居館と城の跡 (2021/03/19 訪問)

県道14号松茂吉野線沿いに「勝瑞館跡」の案内板があります。
これに従って入っていくと、勝瑞発掘現場駐車場に着きます。

発掘現場はグラウンドのようですが、
居館の跡です。
発掘現場事務所には若干の解説・展示があり、資料と続100名城スタンプを得ることができます。
なお、土曜日と第1日曜日・第3日曜日は、「武田石油」、第2日曜日と第4日曜日は、「シューズショップタケダ藍住店」でスタンプが押せます。

県道を挟んで斜向かいにある龍音山見性寺は城跡です。

見学時間37分でした。

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tsuchinari

石垣の城~温故知新~ (2021/03/29 訪問)

香川県で生まれ育った私にとって丸亀城はもっとも身近なお城。
今回で何度目かわからないほどよく訪れている。
「石垣の城」に相応な高石垣の壮大なスケールは、何度訪れても全く色褪せることはない。
2年ほど前の豪雨災害によって一部崩落した石垣は、あと3年ほどの計画で修繕作業が行われていた。
今は崩れ落ちた石垣を、再び使えるように元々の並びを記録して並べられていた。
新しいものを用いるのではなく、できる限り元通りに復元することを目指していることに感心させられると同時に、石垣を積み上げるという立派な「築城」を目の前で観れると思うと素直にワクワクさせられた。

今回はコロナ禍もあって帰省自体1年以上できていなかったので、久しぶりの登城だった。
しかし、お城と桜を楽しむ人々の姿は今までと何も変わっていないし、
一方で石垣が崩落してもその修繕作業は未来に向かっての希望。むしろ前向きにとらえられるものだった。
丸亀城がみせる昔から今も変わらない風景と、未来への希望が共存する姿も一種の「温故知新」かなと感じた。

わが地元の誇り「丸亀城」また次が楽しみだ。

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todo94

不言城 (2021/03/26 訪問)

同じ石見国内でも浜田から大田市はかなりの距離があります。現地での表記は不言城となっていました。小さな石柱の案内表示がたくさん設置されていて迷わずに主郭にたどり着くことができました。馬洗池、上の丸にも安心して足を伸ばすことができます。帰りがけには谷山の石仏も拝んでまいりました。

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昌官忠

リハビリ15城巡り⑮:瀬田城 (2021/03/24 訪問)

足腰リハビリ15城巡り15城目(ラスト)は瀬田城です。
先人の皆さんの「長崎館跡」の石柱があったゴルフ練習場は今は無いとの情報より、二子玉川駅より徒歩12分(足が痛くて早く歩けません)かけて行善寺(35.616169、139.630035)に着きました。

瀬田城は北条氏の家臣、長崎伊予守重光の居城です。
重光は小田原にあった行善寺を居城に移し、出家後は行善入道と名乗っています。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際に廃城となりましたが、北条氏滅亡後も長崎氏はこの地にとどまり、代々名主となったようです。

遺構や石碑は残っていません。
二子玉川駅から徒歩で上がってくると、丸子川を堀として、急な坂をのぼります。
リハビリ15城巡りは瀬田城で終了です。当初の歩行予定距離は20Kmくらいのつもりでしたが、終わってみれば30Kmでした。年寄りの自分にはリハビリではなく特訓です。翌日は筋肉痛でした。
攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

リハビリ15城巡り⑭:深沢城 (2021/03/24 訪問)

足腰リハビリ15城巡り14城目は深沢城です。
等々力駅より徒歩17~18分(足が痛くて早く歩けません)くらいで東京都立園芸高校正門前(35.617985、139.649385)に着きました。

深沢城は北条氏の家臣で伊豆衆のひとり、南条右京亮重長の居城です。
重長は「第二次国府台合戦」の戦功により、北条氏康から深沢村を拝領してこの城を築きました。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」で北条氏が滅亡したあとも重長はこの地にとどまり、谷岡氏(小谷岡氏)と姓を改め名主をつとめたようです。
城址は現在の玉川警察署付近か都立園芸高校付近と推定されており、園芸高校には「兎々呂城」と刻まれた石碑があります。
なお、兎々呂城は深沢城の出丸であくまでも同一の城とされていますが、別の城だという説もあるそうです。

この「兎々呂城」は「城」を「キ」と読み「トドロキ」と読んだのではないかという説もあるようです。それが現在の「等々力」という地名になったという説もあるようです。

東京都立園芸高校正門横に城碑が有ります。
今日は多くの学校で卒業式が行われており、歩いている途中にいくつか拝見しました。この学校に着いた時はすでに卒業式は終わっていましたが、門前でお母さんとお子さんが何組か談笑中でした。
自分にも子供が3人(既に3人とも社会人です)います。全ての入学式や卒業式には参加できませんでしたが、今は懐かしい思い出ですね。
攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

リハビリ15城巡り⑬:奥沢城 (2021/03/24 訪問)

足腰リハビリ15城巡り13城目は奥沢城です。
九品仏駅前に浄真寺門参道入口があり、参道を歩いて5分くらいで九品仏浄真寺門に着きました。

奥沢城は世田谷城主・吉良左衛門頼康が築き、家臣の大平出羽守に守らせたそうです。
世田谷城の出城として用いられましたが、1590年(天正18年)に行なわれた豊臣秀吉による小田原征伐ののちに廃城となりました。
1665年(寛文5年)名主七左衛門が寺地として請い受け、1678年(延宝6年)珂碩上人が九品山浄真寺を開山したそうです。
現在は九品仏浄真寺境内に当時の土塁が現存しています。

寺院を取り巻く様に土塁が残り、石碑は紫雲楼手前の左側あたりにあります。
攻城時間は15分くらいでした。

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朝田 辰兵衛

「しりとり聖地」舞台の映画が7/1公開されます。

『峠 最後のサムライ』という映画です。原作は,司馬遼太郎の『峠』。長岡藩軍事総督の河合継之助が主人公。長岡城落城悲話が描かれると期待しています。コロナ禍で公開が延び延びになり,ようやく公開にこぎつけたようです。
主演は役所広司さん。河合継之助を演じます。他に,松たか子さん,佐々木蔵之介さん,東出昌大さん,仲代達矢さん等がキャスティングされてます。石川さゆりさんがエンディングテーマ『何処へ』を。
公開に合わせて,籠城戦第2弾「300名城しりとり」がスタートすることのないよう,今はしっかり感染防止策を講じましょう!

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くっしー

是非、大々的な発掘調査を行って欲しい。 (2021/03/29 訪問)

桜が綺麗で、お寺としても美しく、素晴らしい観光地だということはもちろんなんですが、今回訪問の目的は根来寺遺跡展示施設への訪問でした。

施設自体はそれほど大きくありませんが、戦国時代の人々の様子を知るうえで貴重な史料を見ることができて大満足です。

緊急発掘(建物建設などで遺跡を壊すのでその前に行う発掘)のようですが、根来寺子院の石段・水路・地下倉庫が発掘した状態で展示されていました。

特に見れて良かったのは、秀吉の焼き討ちで焼失した地下倉庫。被熱した部分が赤くなっていました。

お城としての遺構は見れませんでしたが、発掘調査をすれば色々出てくることは間違いありません。なかなか難しいと思いますが、是非調査をすすめてほしいなと思いますね。

ちなみにコロナの影響で主要伽藍の中に入れなかったので、また訪問したいと思います。

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前ちゃん

1日仕事 (2021/03/30 訪問)

前日、松阪に泊まる。
翌朝、5時20分発の新宮行(JR)に乗り込み、約3時間。
阿田和駅到着(8時37分)後少し離れたバス停へ
9時2分発→小栗須で下車。赤木城へ向け4.5キロ徒歩(車道)
田平子峠登りきると、下り1キロで城に到着。散策後、来た道をたどり、道の駅久郎兵衛の里へ(スタンプ押下)

帰路は、14時38分道の駅出発のバスにのり、阿田和駅に15時22分着

阿田和駅(15時48分発)→松阪駅(18時57分)→亀山→加茂(関西本線)→木津(学研都市線)→放出(おおさか東線)→新大阪(23時12分着)の長旅でした

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