にじょうざんじょう

二上山城

奈良県葛城市


旧国名 : 大和

投稿する
主郭
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

ぴーかる

二上山城 (2023/03/04 訪問)

【二上山城】
<駐車場他>二上山万葉の森駐車場数十台分あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・眺望
<感想>二上山城の築城は楠木正成とも、室町時代初頭に河内国守護畠山氏が高屋城の支城として築城したともされる。その後赤沢氏⇒木沢氏と城主が変わり、現在見られる遺構は木沢氏が改修したものと思われます。
 現地はハイキングコースになっていて、当日も多くの登山者が来ていました。上記駐車場登山口から登りはじめて、石切場⇒岩屋⇒二上山山頂へと行きました。距離はありますが、登山道の2/3くらいはアスファルト道を通れるのでビギナーでも簡単に行けます。城跡遺構は主郭のすぐ手前からいきなり出てきて右手斜面に竪堀、左手に主郭西側下段の曲輪が現れます。主郭は尾根に沿って東西に長広く削平しています。主郭の北側下段に帯曲輪があり主郭切岸がよく観察できます。主郭から東側に少し隔てて大津皇子墓所のある二の丸、二の丸から東方向に下山して行くと主郭南側下段にあたる箇所に東西に長広い削平地があります。藪化していますので気付きにくいです。東方向の下山ルートを更にもう少しだけ降りると分岐の所に舌状の曲輪があります。
 藪化して見れてない部分もさらにあるかもしれませんが、山頂部分に予想外に結構多くの曲輪群が残っていました。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

大津皇子 (2022/05/28 訪問)

 万葉集に出てくる山としては知っていましたが、城址とは認識していませんでした。山城ですが、「あ」さんの投稿でハイキング道が整備されていると知り、この時期でも行けると思い登城しました。「余湖くんのホームページ」では堀切があると書かれていましたが、藪になっていてよくわかりません。段々となった削平地は曲輪の跡でしょう。
 近鉄「二上神社口」駅から登城しました。先に記載したようにハイキングコースとなっていて歩きやすい道です。この日は晴天で多くのハイカーが来てみえました。雌岳山頂に日時計がありますが、時間がはっきりわかります。大津皇子の墓を見て雄岳から雌岳へ行き、岩屋を見て祐泉寺を経由して下山しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

縄文〜飛鳥時代では有名な二上山が中世の城だったとは (2021/03/20 訪問)

南河内の未訪問の城を探していると、二上山城を見つけました。城びと未投稿でもありました。
二上山は、縄文時代からのサヌカイト産地として有名だし、天武天皇の息子で、謀反の濡れ衣を着せられて亡きものにされた、大津皇子の墓があることでも有名です。また、雄岳と雌岳の双丘の優美な山体や比高約400mの適当な高さから、ハイキング道や展望台が整備されています。そこに城があったとは。
立地は、河内と大和の両方を見下ろす、境目にあります。真東は、飛鳥であるので、二上山からは、奈良盆地を南西隅から俯瞰できます。南山麓には、最古の官製道路(飛鳥時代)である、竹内街道(横大路)が通っています。
比較的高い山ながら、雄岳山頂は、けっこう広い平削地が確保されています。東に一段下がった平削地に大津皇子の墓があります。松永久秀が大和に進出してくる前の時代に、奈良盆地の有力武士たちがここを拠点にして勢力を張ったとのこと。
山体は、花崗岩を基盤にして、火山噴出物や湖の底であったときの堆積層が分布しています。火山噴出物の一つがサヌカイト。硬く鋭利に割れるので石器になります。また、火山噴出物の凝灰岩は加工しやすいので、古墳の石棺などに使われています。南麓に古墳時代の石切場跡があります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 楠木正成?
築城年 室町時代以降
主な改修者 木沢長政
主な城主 畠山氏、赤沢氏、木沢氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、横堀(空堀)
住所 奈良県葛城市染野、加守