にじょうざんじょう

二上山城

奈良県葛城市


旧国名 : 大和

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雌岳山頂からの眺望
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イオ

城以外に見どころ多し (2025/03/23 訪問)

南北朝期に楠木正成が楠木七城のひとつとして築いたとも、畠山氏が高屋城の支城として築いたとも云われますが、詳細は不明です。河内・大和国境に位置するだけに、戦国期にも赤沢朝経が入城したり、木沢長政により改修されたり、松永久秀が本陣としたりと活用されたようです。

二上山万葉の森駐車場から登城開始。多くの人で賑わうハイキングコースを登ること約25分で雌岳に到達。雌岳の山頂からは360度の眺望が広がり、日時計が設置されるなど広場として整備されていて明瞭な城郭遺構は見られませんが、東裾に数段の腰曲輪らしき削平地がありました。

雌岳から馬の背と呼ばれる鞍部まで下りて、10分ほど登ると雄岳山頂部の本丸に至ります。本丸は東西に細長く、東側に葛木二上神社が鎮座しています。本丸東下の二の丸には宮内庁が管理する大津皇子の墓所がありますが、柵で囲まれ立入禁止です。二の丸から北東にのびる尾根沿いには五段の小曲輪群が連なっていました。二の丸の南下には三段の帯曲輪が東西に広がり、帯曲輪の裾には石垣も見られました。本丸と二の丸の北下にも帯曲輪が設けられています。本丸から北西にのびる尾根沿いにも六段の曲輪群が展開していて、本丸西端の尾根の付け根には堀切と土塁が遺っています。北西尾根の曲輪群は藪化しているところが多いですが、突端の曲輪は休憩所・展望所として整備されていて、大阪方向の眺望が開けていました。

比高400m超を登っても見られる城郭遺構は数えるほどながら、登城道はよく整備されている上に、道中に石窟寺院があったり高松塚古墳をはじめ多くの古墳に用いられた石切場があったり、眺望も素晴らしく、城以外の見どころも多くあって、これはこれで退屈することなく登城できました。
 

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しんちゃん

天然の岩盤を防御に生かす? 鹿谷寺跡 (2024/11/16 訪問)

雄岳と雌岳を訪問して麓まで戻って来ました。天候は怪しいですが、せっかく来たので鹿谷寺跡まで行ってみることに。なんとなく気になって来てみたけど「あたり」だと思います。このあたりは天然の岩盤がむき出しになっているのですが、それをうまい具合に防御に活用しているように感じます。尾根上には周囲を見渡せそうな岩場があります。
鹿谷寺跡の周囲は岩盤に囲まれ、西側は岩の防塁のようになっていて、高い岩の上からは進入してきた敵を見張ることが出来ます。二上山城に向かう道が続いていて、城を守る郭としての機能を持っているように感じました。また西側の尾根を登って行くと街道を監視する見張台のような場所がありました。現在は普通に展望所になっています。このあたりも城域に含まれるのではないでしょうか。

久しぶりにいんげん丸虫さんの投稿を拝見させていただきました。お元気そうでなによりです。

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しんちゃん

メタケ (2024/11/16 訪問)

雄岳の主郭周辺には悲劇の皇子・大津皇子の陵墓があります。謀反の疑いをかけられ自害(?)したとされているので、こんな山上にあるのでしょうか? 周辺にも郭が有るようなのですが、小雨も降ってきているので雌岳に向かいます。馬の背渡りを戻って登って行くと、雌岳の山頂に到着します。藪に覆われていますが腰郭もあるようです。すこし木が多いですが東側の眺望は良いです。東側の山腹には複数の腰郭が配されているようです。そこから麓に戻って行く途中に石切場に寄って行きました。細かい楔の様な跡がいっぱいあります。
ふと思い立って鹿谷寺跡に寄って行きました。雨もまだ本降りにはならないみたいだし、せっかくなので。

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しんちゃん

はるばる来たぜ 二上山城 ♪ (2024/11/16 訪問)

二上山城を訪問した日は天気予報では雨だったので、高速を併用して少し急いでやって来ました。雨が降る前に訪問してしまおうという作戦です。二上山城は南に雌岳、北に雄岳があり、北の雄岳の方が主郭のようです。天候が怪しいので、まずは雄岳の方を訪問。
雄岳と雌岳を繋ぐ「馬の背渡り」という尾根を通って雄岳を目指します。主郭には西側から向かっていくことになり、堀切や複数の郭を経て主郭に到着します。東に進んでいくと悲劇の皇子「大津皇子」の墓があり、その周辺も郭になっているようです。私はその先には進まず、北側の腰郭を経て主郭に戻ります。そろそろ雨が降って来そうですが雌岳に向かいます。

二上山城は楠木七城の一つとして、楠木正成によって築かれたとする伝承が有るようです。戦国時代にも使用されているようですが、一部の堀切を除いて技巧的な遺構は見当たりませんでした。
大津皇子は天武天皇の皇子で皇位継承をめぐって異母兄であり皇太子である草壁皇子のライバルとなり得る存在だったようですが、親友の密告で謀反の疑いをかけられ磐余(いわれ)の訳語田の自邸で自害したとされています。初代斎王の大来皇女は大津皇子の異母姉であり、夏見廃寺は大津皇子を弔うために皇女の発願によって建立されたとする説があるようです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 楠木正成?
築城年 室町時代以降
主な改修者 木沢長政
主な城主 畠山氏、赤沢氏、木沢氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、横堀(空堀)
住所 奈良県葛城市染野、加守