南北朝期に楠木正成が楠木七城のひとつとして築いたとも、畠山氏が高屋城の支城として築いたとも云われますが、詳細は不明です。河内・大和国境に位置するだけに、戦国期にも赤沢朝経が入城したり、木沢長政により改修されたり、松永久秀が本陣としたりと活用されたようです。
二上山万葉の森駐車場から登城開始。多くの人で賑わうハイキングコースを登ること約25分で雌岳に到達。雌岳の山頂からは360度の眺望が広がり、日時計が設置されるなど広場として整備されていて明瞭な城郭遺構は見られませんが、東裾に数段の腰曲輪らしき削平地がありました。
雌岳から馬の背と呼ばれる鞍部まで下りて、10分ほど登ると雄岳山頂部の本丸に至ります。本丸は東西に細長く、東側に葛木二上神社が鎮座しています。本丸東下の二の丸には宮内庁が管理する大津皇子の墓所がありますが、柵で囲まれ立入禁止です。二の丸から北東にのびる尾根沿いには五段の小曲輪群が連なっていました。二の丸の南下には三段の帯曲輪が東西に広がり、帯曲輪の裾には石垣も見られました。本丸と二の丸の北下にも帯曲輪が設けられています。本丸から北西にのびる尾根沿いにも六段の曲輪群が展開していて、本丸西端の尾根の付け根には堀切と土塁が遺っています。北西尾根の曲輪群は藪化しているところが多いですが、突端の曲輪は休憩所・展望所として整備されていて、大阪方向の眺望が開けていました。
比高400m超を登っても見られる城郭遺構は数えるほどながら、登城道はよく整備されている上に、道中に石窟寺院があったり高松塚古墳をはじめ多くの古墳に用いられた石切場があったり、眺望も素晴らしく、城以外の見どころも多くあって、これはこれで退屈することなく登城できました。
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