にじょうざんじょう

二上山城

奈良県葛城市


旧国名 : 大和

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二上山城の郭であろうか
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しんちゃん

天然の岩盤を防御に生かす? 鹿谷寺跡 (2024/11/16 訪問)

雄岳と雌岳を訪問して麓まで戻って来ました。天候は怪しいですが、せっかく来たので鹿谷寺跡まで行ってみることに。なんとなく気になって来てみたけど「あたり」だと思います。このあたりは天然の岩盤がむき出しになっているのですが、それをうまい具合に防御に活用しているように感じます。尾根上には周囲を見渡せそうな岩場があります。
鹿谷寺跡の周囲は岩盤に囲まれ、西側は岩の防塁のようになっていて、高い岩の上からは進入してきた敵を見張ることが出来ます。二上山城に向かう道が続いていて、城を守る郭としての機能を持っているように感じました。また西側の尾根を登って行くと街道を監視する見張台のような場所がありました。現在は普通に展望所になっています。このあたりも城域に含まれるのではないでしょうか。

久しぶりにいんげん丸虫さんの投稿を拝見させていただきました。お元気そうでなによりです。

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しんちゃん

メタケ (2024/11/16 訪問)

雄岳の主郭周辺には悲劇の皇子・大津皇子の陵墓があります。謀反の疑いをかけられ自害(?)したとされているので、こんな山上にあるのでしょうか? 周辺にも郭が有るようなのですが、小雨も降ってきているので雌岳に向かいます。馬の背渡りを戻って登って行くと、雌岳の山頂に到着します。藪に覆われていますが腰郭もあるようです。すこし木が多いですが東側の眺望は良いです。東側の山腹には複数の腰郭が配されているようです。そこから麓に戻って行く途中に石切場に寄って行きました。細かい楔の様な跡がいっぱいあります。
ふと思い立って鹿谷寺跡に寄って行きました。雨もまだ本降りにはならないみたいだし、せっかくなので。

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しんちゃん

はるばる来たぜ 二上山城 ♪ (2024/11/16 訪問)

二上山城を訪問した日は天気予報では雨だったので、高速を併用して少し急いでやって来ました。雨が降る前に訪問してしまおうという作戦です。二上山城は南に雌岳、北に雄岳があり、北の雄岳の方が主郭のようです。天候が怪しいので、まずは雄岳の方を訪問。
雄岳と雌岳を繋ぐ「馬の背渡り」という尾根を通って雄岳を目指します。主郭には西側から向かっていくことになり、堀切や複数の郭を経て主郭に到着します。東に進んでいくと悲劇の皇子「大津皇子」の墓があり、その周辺も郭になっているようです。私はその先には進まず、北側の腰郭を経て主郭に戻ります。そろそろ雨が降って来そうですが雌岳に向かいます。

二上山城は楠木七城の一つとして、楠木正成によって築かれたとする伝承が有るようです。戦国時代にも使用されているようですが、一部の堀切を除いて技巧的な遺構は見当たりませんでした。
大津皇子は天武天皇の皇子で皇位継承をめぐって異母兄であり皇太子である草壁皇子のライバルとなり得る存在だったようですが、親友の密告で謀反の疑いをかけられ磐余(いわれ)の訳語田の自邸で自害したとされています。初代斎王の大来皇女は大津皇子の異母姉であり、夏見廃寺は大津皇子を弔うために皇女の発願によって建立されたとする説があるようです。

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ぴーかる

二上山城 (2023/03/04 訪問)

【二上山城】
<駐車場他>二上山万葉の森駐車場数十台分あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・眺望
<感想>二上山城の築城は楠木正成とも、室町時代初頭に河内国守護畠山氏が高屋城の支城として築城したともされる。その後赤沢氏⇒木沢氏と城主が変わり、現在見られる遺構は木沢氏が改修したものと思われます。
 現地はハイキングコースになっていて、当日も多くの登山者が来ていました。上記駐車場登山口から登りはじめて、石切場⇒岩屋⇒二上山山頂へと行きました。距離はありますが、登山道の2/3くらいはアスファルト道を通れるのでビギナーでも簡単に行けます。城跡遺構は主郭のすぐ手前からいきなり出てきて右手斜面に竪堀、左手に主郭西側下段の曲輪が現れます。主郭は尾根に沿って東西に長広く削平しています。主郭の北側下段に帯曲輪があり主郭切岸がよく観察できます。主郭から東側に少し隔てて大津皇子墓所のある二の丸、二の丸から東方向に下山して行くと主郭南側下段にあたる箇所に東西に長広い削平地があります。藪化していますので気付きにくいです。東方向の下山ルートを更にもう少しだけ降りると分岐の所に舌状の曲輪があります。
 藪化して見れてない部分もさらにあるかもしれませんが、山頂部分に予想外に結構多くの曲輪群が残っていました。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 楠木正成?
築城年 室町時代以降
主な改修者 木沢長政
主な城主 畠山氏、赤沢氏、木沢氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、横堀(空堀)
住所 奈良県葛城市染野、加守