肥薩国境の総石垣城郭
(2010/06/14 訪問)
石垣造りの佐敷城は佐々成政肥後の国一揆の責任で改易され肥後は加藤清正、小西行長領と成る、加藤清正飛び地佐敷は薩摩島津氏の監視の為に国境の城として織豊系近世城郭として加藤氏により造られた。元和元年(1615年)一国一城令で廃城破城された。
駐車場は佐敷宿側から登り中腹にトイレ完備、余裕の駐車エリアが有る。駐車場からの登城口に案内板、標柱、看板が有る。
駐車場登城口からは佐敷城の石垣が見え期待感満杯、5~10分程で二ノ丸搦手口に到着します。
城郭の構造は山頂北に本丸郭、本丸基壇を構え中央に東西の通り?空堀?が本丸を南北に分けている、本丸を二の丸が西、東、南に取り囲み西枡形門、東枡形門、南に三の丸へのスロープ段が有り三の丸へ、二ノ丸東枡形門から東下に追手門枡形門が有る。
破城された石垣跡を発掘調査し石垣の積み直し復元工事され平成10年(1998年)4月「佐敷城跡城山公園」として一般公開、平成20年には国指定史跡と成る。
発掘調査前には天守閣の復元も考えていたようですが発掘の結果、天守閣の跡の痕跡が見つからず天守建設の慎重論も有り、石垣の修復復元とし今日私達が見る事の出来る近世総石垣の佐敷城と成った次第、破城の痕跡も残し素晴らしい城郭復元です。
城跡より西は佐敷宿が見渡せ、東は旧JR佐敷駅、その先は不知火海も望めます、川霧でも立ち込めば天空の城の一つに成るでしょう。
前日は天草富岡城登城し、鹿児島に連泊、丁度兄嫁の故郷鹿児島に帰省していた兄夫婦と合流し、天文館の「あぢもり」にて黒豚しゃぶしゃぶを堪能、以前からの馴染みのカラオケスナックで地元の方々と会話と歌で大いに盛り上がりました。
写真は沢山撮りましたが10枚に絞って投稿します。
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