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赤い城

墓地になっている (2022/04/10 訪問)

渡良瀬川の自然堤防上にあります。
河川敷のテニスコートの駐車場を拝借しました。
登城口に説明板が立っており、そこを登ると赤城神社ですが建物崩壊の恐れとのことで立入禁止の看板が出ていました。
左手に迂回し民家脇から登城しました。
乳房地蔵が建つ裏手に高い土塁があり、その上に曲輪があります。
土塁に沿って進むと墓地になっていてさらに進むと主郭に。
僅かに土塁も付いていました。
曲輪の大部分は笹薮で恐らく夏は歩けないと思います。
別名は勧農城、山内上杉氏の重臣、長尾景人の居城とされます。

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三浦の晃ちゃん

チューリップと、城 (2022/04/12 訪問)

チューリップの季節に登城しました。キレイでした。模擬天守閣ですが、国の登録有形文化財に、なっているそうです。模擬でも、文化財に、なるのかと思いましたが、街にフィットしていて、愛されているならば、それもありかなと思いました。内部の展示は、面白いです。エレベーターが、屋上階まで、行ければ、もっと良かったです。

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三浦の晃ちゃん

日本三大夜桜と城 (2022/04/09 訪問)

桜まつりの日に、登城しました。夜間は、建物の中には、入れません。日本三大夜桜と、呼ばれるだけあって、とても、幻想的でした。

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肉球

倒壊しそうです (2022/04/04 訪問)

赤穂藩浅野長直の養子長恒が三千石を与えられこの地に陣屋を築いた。
長恒は赤穂城二の丸にある屋敷門の主人大石頼母助の息子のようです。
藩札を作っていた札座が残っている珍しい陣屋跡ですが倒壊しそうです。
次回訪れるときに残っているか不安です。
貴重な建物であると思いますので保存されることを希望します。
屋敷跡は札座裏手の須賀神社のようで石積みや社殿の裏には土塀が残っています。
相生市内西法寺には門が移築されてます。

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肉球

ゆっくりと復元中のようです (2022/04/04 訪問)

11年ぶりに訪れました。
二の丸門跡の石垣は昭和の災害復興のため
持ち去られ平場になっていたそうですが
現在は発掘調査中のようでブルーシートが
被せられていました。復元されることを望みます。
大石頼母助邸屋敷門は以前見学しましたが
その中は見ていませんでした。
屋敷門をくぐると綺麗な庭園が整備されています。
奥の方には三の丸へ架かる西中門が整備されてますが
三の丸内は手付かずのようです。
場内所々で桜が満開で特に二の丸仕切門付近は最高でした。

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明智光秀ゆかりの城 (2022/04/21 訪問)

 公園として整備されていて歩きやすく、削平地などから縄張りは感じることができます。
羽崎城へ行ったついでに久しぶりに登城してみました。羽崎城からは徒歩15分くらいでしょうか。前に行ったときはNHK大河ドラマ「麒麟がくる」放送前でしたので、そのときと比べると整備されていました。以前は水の手方面は通行禁止になっていました。

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土岐氏の一族羽崎氏 (2022/04/21 訪問)

 JR可児駅より徒歩で34分(と可児市PRサイトには書いてあります)。実際に歩いて行きましたが、そんなものだと思います。標識があり城址碑までは迷わず行くことができます。石垣がありましたが、当時のものか否かはわかりません。

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カズサン

肥薩国境の総石垣城郭 (2010/06/14 訪問)

 石垣造りの佐敷城は佐々成政肥後の国一揆の責任で改易され肥後は加藤清正、小西行長領と成る、加藤清正飛び地佐敷は薩摩島津氏の監視の為に国境の城として織豊系近世城郭として加藤氏により造られた。元和元年(1615年)一国一城令で廃城破城された。

 駐車場は佐敷宿側から登り中腹にトイレ完備、余裕の駐車エリアが有る。駐車場からの登城口に案内板、標柱、看板が有る。

 駐車場登城口からは佐敷城の石垣が見え期待感満杯、5~10分程で二ノ丸搦手口に到着します。

 城郭の構造は山頂北に本丸郭、本丸基壇を構え中央に東西の通り?空堀?が本丸を南北に分けている、本丸を二の丸が西、東、南に取り囲み西枡形門、東枡形門、南に三の丸へのスロープ段が有り三の丸へ、二ノ丸東枡形門から東下に追手門枡形門が有る。
 破城された石垣跡を発掘調査し石垣の積み直し復元工事され平成10年(1998年)4月「佐敷城跡城山公園」として一般公開、平成20年には国指定史跡と成る。

 発掘調査前には天守閣の復元も考えていたようですが発掘の結果、天守閣の跡の痕跡が見つからず天守建設の慎重論も有り、石垣の修復復元とし今日私達が見る事の出来る近世総石垣の佐敷城と成った次第、破城の痕跡も残し素晴らしい城郭復元です。
 城跡より西は佐敷宿が見渡せ、東は旧JR佐敷駅、その先は不知火海も望めます、川霧でも立ち込めば天空の城の一つに成るでしょう。

 前日は天草富岡城登城し、鹿児島に連泊、丁度兄嫁の故郷鹿児島に帰省していた兄夫婦と合流し、天文館の「あぢもり」にて黒豚しゃぶしゃぶを堪能、以前からの馴染みのカラオケスナックで地元の方々と会話と歌で大いに盛り上がりました。
 
 写真は沢山撮りましたが10枚に絞って投稿します。

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おっちゃん

高根城概略図 (2017/10/15 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

高月城縄張り図 (2017/07/22 訪問)

パンフレットより抜粋

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おっちゃん

高岡城案内板、高岡城跡郭配置図 (2015/08/02 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

信州高遠城図 (2017/10/14 訪問)

現地案内板より抜粋。

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todo94

県内の城めぐり2022⑬ (2022/03/30 訪問)

2021年の憲法記念日、木曽デビューを飾った日に攻城を試みたのですが、登城口が分からず断念した城です。今回は無理矢理斜面を直登して何とか郭群にたどり着くことが出来ました。城に関する表示は全くないのですが、恐らく間違いないと思います。鉄塔の建っているあたりも曲輪のようです。帰路は保安道を下り、わかりにくい登城口を確認することができました。小さな鉄の階段が目印ですのでその写真も投稿しておきます。

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ryu

御船城(2014年) (2014/03/01 訪問)

五ヶ瀬ハイランドにスキーに行った帰りに訪城。
御船町立御船小学校南側の丘陵に立地する中世の平山城。城の築城年代は不明だが、天文10年(1541年)には城主の御船房行が阿蘇氏に反乱し、これを討伐した甲斐宗運に御船城が与えられたらしい。その後、天正13年(1585年)、島津氏の大軍に包囲され降伏し、島津義弘が入城している。
天正15年(1587年)の九州征伐後、佐々成政が肥後に入り、肥後国人一揆が起きる。一揆に参画した甲斐家は滅亡し、一揆鎮圧のため御船城には天正16年(1588年)3~5月頃まで黒田孝高が城番として入り、続いて小西行長の支配下に入る。

現在、城跡は城山公園として整備されており、公園入口に模擬城門が建てられていた。

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アオサギ

お城と公園常駐のアオサギ、直線上に並べたかったんです!
無理でした(笑)
色んな野鳥が集うのでお城とうまく撮れたら格好良いだろうな、と思います。

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カズサン

風光明媚天草・島原一揆に耐えた城・二ノ丸搦手西側編 (2010/06/13 訪問)

 続きです。
 
 富岡城の歴史:富岡城の在る苓北富岡は良港、海運で天草の中心と栄え、鎌倉前期より藤原姓志岐氏が約400年治めていた、豊臣期に肥後南半分を治めた小西行長に志岐氏は背かい小西・加藤連合軍に滅ぼされた、関ヶ原の軍功で唐津藩の寺沢氏に天草志岐4万2千石領有と成った、慶長7年(1602年)富岡半島頂上に本丸を置く富岡城を築城、寛永14年(1637年)天草・島原一揆で富岡城番代三宅藤兵衛討死するもの富岡城に籠城し落城を免れた。乱後一揆の責任で寺沢氏は領地没収改易、新たに山崎氏が入封、築城の名手山崎氏の大改修を受けて今日の姿に成る。山崎氏は3年で讃岐丸亀へ転封、現在の石造り丸亀城を見るのは山崎氏のお陰か? 山崎氏転封後天領と成り代官鈴木重成の時代へ領地4万2千石評価が過大で過酷な年貢と成り一揆の一因と成ったものと鈴木重成代官は幕府に訴え自刃したとも伝わる、後戸田氏が入封し領地は以前の半分2万1千石と成る。戸田氏転封時に本丸、二の丸を破城し天領に戻る、後は三の丸が天領代官所に成りこの地を治め明治を迎える。
 天領時代の鈴木重成代官を地元の方々は敬い供養碑を立て、現在は二の丸に立像を造り敬意を表してる。
 (以上富岡城パンフレット、観光案内抜粋及び加筆)

 富岡城の二の丸西側は搦手側で高石垣、高土塁で堅く護られている、搦手側の高石垣は寺沢氏時代、山崎氏時代の造りが分かるように解説板に合わせて屋外展示が成されてる。
 写真は二の丸に搦手西側、二の丸石垣解説板、出丸、本丸から二ノ丸出丸島原半島の眺めを掲載投稿します。

 長々と三編に渡りご覧いただきありがとうございます。

 チョット幹線より離れ不便ですがまた行きたい天草・富岡城です。

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イオ

【究極の1枚】桜と天守 (2019/04/06 訪問)

西の丸庭園の満開の桜の合間から望む天守。自分にしては珍しく狙って撮った一枚です。
 

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橋吉

とにかく広い (2022/03/29 訪問)

鞠智城は今から約1300年前に、大和朝廷が築いた山城です。
当時、日本は、友好国である百済を復興するため援軍を送りましたが、663年の白村江の戦いで、唐・新羅の連合軍に敗北してしまいました。
このため、今度は日本が攻め込まれるおそれがあると考え、金田城(長崎県),大野城(福岡県),基肄城(佐賀県)などを設営し防衛に務めました。
鞠智城は、これらの城に食糧や武器、兵士などを補給する支援基地でした。

現在は、国指定史跡になっており、無料の駐車場も用意されています。
温故創生館で、出土品の展示や解説ビデオ上映されています。
続日本100名城スタンプはここの入口で押すことができます。

九州の古代山城はいずれもかなり大規模ですが、この鞠智城もかなり大きなものだったようです。
八角形鼓櫓の他、米倉、兵舎復元建物、板倉復元建物が復元されています。
灰塚展望所まで往復しました。
とにかく広いので、展望台まで往復+施設観覧で、1時間20分かかりました。

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にのまる

チバニアンを知る (2022/03/12 訪問)

18きっぷの3城目は帰りがてらの途中下車。
五井駅周辺、遺構なしとの情報でしたので、乗車したまま駅通過で攻略済みとする策も浮かびましたが、後ろめたさが残りそうだったので(-_-;)下車してみました。
そこで目にした「チバニアン」の文字。ご当地キャラか何かかと思ったら、市原市にある77万年前のすごい地層のことでした。

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朝田 辰兵衛

【城と看板】城ふぉとコンテスト📷 (2021/06/13 訪問)

指導者自身が実践できているのか,甚だ疑問であ~る。

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