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2022/12/17 16:34
2022/12/17 11:51
国道沿いに建つ立派な城名碑 (2022/12/11 訪問)
徳川四天王榊原康政生誕の城、上野上村城を終えて当日の登城目的の城は終えたのですが陽も高く、此処から西に約30km程の所に城びと登録で未踏の吉川城が在り目指すことに、城びと投稿者のキンヤさん姫街道さんの投稿内容に近くの吉川熊野神社と有り、早速スマホで吉川熊野神社の東駐車場を確認しナビに定めて走行約1時間、国道155号線宮内町4丁目東交差点を右折北へ、その交差点で前方左に投稿写真で見覚えのある城名石碑を確認して、場所を認識しました、車は100m程北の詰まり在った吉川熊野神社東駐車場に駐める。
駐車場からまず吉川熊野神社を参拝見学、玉石垣の参道が横矢が掛かる様な構造で威圧を感じるがここは神社、境内も周囲は土塁が構えてる様、御本殿を参拝して、右横の熊野神社由緒石盤を確認、すると応永4年(1397年)吉川城の築城と共に創建されたものと思考されると記載がある。左横には亀甲石、磐座玄武が有り祀られて居る、蛙の様な玄武亀甲石。参拝を終えて西側の道を降りて西裾土塁土手を確認して国道155線沿いへ。
国道155号線宮内町4丁目東交差点を南に渡って、吉川城の城名碑の有る所へ、北以外は柴垣で囲まれ、立派な吉川城址と記載の城名石碑、右横面には「築城 吉加波入道 応永(4年1397年) 廃城 天正8年(1580年)」と記載、左横面にはこの碑の寄進者が載り全て浅田氏と成って居る。
同場所には吉川城に鎮座していた辯財天を祀っている、吉川熊野神社も近くこの一帯が城跡だったのでしょう。
今回はこれで未踏の城廻りは終了、前のカフェでコーヒーとケーキで休憩。
此処からは知多半島道大府東海ICが近く、湾岸道、新東名経由で浜松まで1時間程で帰れました。
※ 投稿写真のコメント入れでエンターのクリックミスでトップ写真が消えてボトムに再挿入しましたので悪しからず。
繰り上げて元に戻す簡単な方法をご存知の方はお教えください。
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2022/12/17 11:33
可児秀行 (2022/12/17 訪問)
小牧長久手の戦いで戦死した森長可の家臣可児六郎左衛門秀行の城と伝わっています。入口以外に案内はなく縄張り図も入手できなかったので少し難渋しました。入口にある石碑から進み鉄塔のある場所まで行きましたが、そこから道がわかりません。グーグルの位置情報を確認し、尾根伝いに倒木を避け、藪漕ぎ(たいしたことはありませんが)をしながら主郭を目指しました。城域と思われるところまで来ると藪はほとんどなく歩きやすくなります。山頂部にいくつかの曲輪を配置した連郭式の山城であることがわかります。浅くなっていますが、堀切や土橋、竪堀と思われるところもありました。ネットで見た竪堀の土止めの石積みも見つけることができました。よく見ると木につけてあるリボンがあり、それを頼りに散策し降りて行きました。途中でリボンを見失ってしまいしましたが、何とか下山することができました。思ったより城域は広かったですね。
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2022/12/17 10:05
太尾山城 (2022/11/12 訪問)
【太尾山城】
<駐車場他>米原市役所駐車場(2時間まで無料)を利用。
<交通手段>車
<見所>堀切・土塁・北曲輪群主郭
<感想>太尾山城は築城年代は定かではないが在地土豪の米原氏によって築かれたといわれています。この城は北近江の京極・浅井氏と南近江の佐々木六角氏との境目の城で度々抗争が起こっていた城です。信長による浅井氏攻めの際に佐和山城が開城され太尾山城も廃城となったようです。
この城は一城別郭で北の曲輪群と南の曲輪群とに分かれ、南北に走る山頂の尾根を削平した300m程の細長い尾根曲輪で繋いでいます。南の曲輪群の方は北からの進入口を深い堀切とほぼ垂直の深い竪堀で遮断していてこの辺りは見応えあります。南の主郭は土塁がL字に残され副郭は細長く伸びています。北の曲輪群は南の尾根曲輪からは2つの堀切で仕切り主郭下段の曲輪があり、主郭は広く枡形がある櫓台のような土塁が残されています。
登城口は2つあり、湯谷神社からと青岸寺の脇からとあります。湯谷神社からは南曲輪群に着き、青岸寺からは北曲輪群に着きます。私は湯谷神社から登城し青岸寺に降りてくる1周で攻め城しました。下山途中に昔盗人が隠れ棲んだといわれる盗人岩という巨岩があり、ここからの眺望もいいです。青岸寺は参詣者以外駐車禁止となっています。米原駅から徒歩10分程度で登城口まで行けますので電車でも十分来れます。
<満足度>◆◆◇
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2022/12/17 05:43
市場城跡 (2022/12/10 訪問)
城跡は公園になっていますので整備もしっかりとされていて歩きやすく散策しやすくなっていました。駐車場は城跡の向い側に有りそこにトイレもありました。見どころも石垣、枡形門跡、竪堀群、曲輪、堀等たくさんあり案内板には15分程で一周とありましたが私は二周して1時間と少しかかりました。紅葉は終わりに近かったですがなんとか四季桜と合わせて見れて楽しく散策出来ました。
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2022/12/17 05:30
清光寺 (2022/12/03 訪問)
王子神谷駅から徒歩で10分。
清光寺が館跡です。
門前に説明板が立っています。
豊島氏4代目の豊島清光の館跡ですが遺構はありません。
境内には清光の供養塔がありました。
この日は紅葉狩りを兼ねて京浜東北線沿いの城跡を廻りましたがここはすでに落葉してました。
今日はこのあとEXPO参戦します。
すれ違っても誰だかわからないと思いますが参加される方、よろしくお願いいたします。
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2022/12/17 00:38
2022/12/16 23:24
宝満山~有智山城 (2022/12/03 訪問)
紅葉が綺麗な竈門神社から正面登山道で宝満山に登る。
山頂からの下山は人も少なく静かなうさぎ道を下り、かねてから一度訪城したかった有智山城を探訪する。
有智山城は「うさぎ道」を下ってきた先、標高310m付近に位置し、『筑前国続風土記』では、南北朝期の少弐氏の館と認識されていたようである。現地には、石垣跡と二重空堀跡の表示があるが、幅約10mの横堀が1本確認でき、その中央に土橋と石垣を設けた虎口がある。その背後に土塁のついた曲輪が確認できる。
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2022/12/16 22:44
2022/12/16 22:38
2022/12/16 22:32
2022/12/16 22:20
2022/12/16 21:59
2022/12/16 21:48
2022/12/16 21:12
首は飛んだか (2020/08/28 訪問)
掛川城(静岡県掛川市)は来月末まで修復中のため、現在は天守を拝めません。待ちきれない方々のために蔵出しです。
市民がこよなく愛する古式な復興天守。近世城郭化は山内一豊によります。当時の資料がないため、後に一豊が高知城を建てる際に掛川に倣ったという記録をもとに国内で初めて木造再建されました(1994年)。歴史を紐解いてみると、武田と徳川の駿河侵攻で城域には両軍が入り乱れたそうですが、結局どちらも城主にならなかったという珍しいケース。
天守以外の見どころは、なんと言っても二の丸御殿。日本に4つしかない現存御殿のひとつです。ここで問題:あとの3つはどの城のどの御殿でしょうか?
さて、おまけ。町内に珍しい地名を見つけました。
「十九首」。
10世紀後半の承平・天慶の乱で敗死した平将門らの首は坂東から京に運ばれる途中、この地で朝廷の使者に検分され、郎党19人分の首がこの地に埋められたそうです。弔いの首塚が立っています。
都大路で晒されて三日。その晩、首は突如夜空に舞い上がり、故郷に向かって飛び去った、、、。
将門の首にまつわる伝承は、その落下地点を含め諸説あるようです。そして、千年以上経った今も各地で献花が絶えません。
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2022/12/16 20:29
宇都宮城 (2022/12/16 訪問)
駐車場無料
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2022/12/16 20:25
ここも難攻不落であったか… 堀切編 (2022/12/03 訪問)
さあここは何と言っても見どころ。これ見ないと損ですよ!山を登って細い道を歩き、石垣跡を見た後、本丸への道がありますが、その道を行かないで真っ直ぐ行くと堀切跡に辿り着きます。この場所のポイントは3つ。一つ目は堀切がかなーり深いこと。こんなの堀切と言えるのだろうかと言えるくらいかなり深いです。私たちはその堀底を見ることができます。二つ目、堀切に低石垣が用いられていること。これは織田信長のものと考えられますが、野面積みの石垣が良好な状態で残っています。三つ目、転用石が用いられていること。これは疑問ですが、堀切の石垣にはお地蔵さんが一緒に積まれています。結構はっきりわかります。転用石はここにもあったので、福知山城を築いた明智光秀がここで石垣の創造に用いたのかなと思いましたが、本当はどうかわかりません。堀切の先には、城ではあまり見ない連郭式曲輪が残っています。これも見たほうがいいですよ。
さあ、本丸へと向かいましょう♪続く
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2022/12/16 10:23
徳川四天王榊原康政生誕の城 (2022/12/11 訪問)
井田城を終えて北西に約5km程の所に城びと登録で未踏の上野上村城が在り、初登城しました。
車は同城域の上野区民会館の南前が駐車場、県道239号線の北沿い、同駐車場を利用、トイレは一段低くなった西隣の藪間公園にあります。
情報源は古城盛衰記さんグーグルマップに依ります。
駐車場より東正面に城山稲荷の赤い鳥居、徳川四天王榊原康政生誕之地の石碑が新しく目を引く、正面右の開館横に上野上村城の解説板が有り、諸国古城之図より三河上野の縄張図(広島浅野文庫)が描かれて解説がされて居る、赤い鳥居を潜って櫓台?へ2段の櫓台に社が夫々鎮座し参拝見学、櫓台と土塁が東から北に残っている、樹木が密集して良く見えない、写真写りも今一、上野区民会館の北の広場には西側に護国神社が鎮座、北側の高まりは土塁の残りか?忠魂碑が建っている、北側から東にかけては、川が流れて水堀の様子、西側は低く成って空堀か沼跡か、現在は藪間公園と成って居る、藪間公園からは土塁が高く見える。
諸国古城図上野城と比較すると本丸が残り周囲の水堀の北側東側は現在の河川、南側は開発で道や住宅、西の水堀は現在の藪間公園の様です、西と南の曲輪は開発で消滅、本丸だけでも良く残って呉れたものです。
歴史は2番目に掲載の写真をご覧下さい、ただ榊原康政生誕の地はここより南約300mの会下城(上野下村城史跡マーク有)とも言われてるとも書いてある。
来年の大河ドラマ「どうする家康」での榊原康政の活躍と、上野上村城が賑わう事が心待ちです。
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2022/12/16 07:58
いかにして「全国唯一」になったのか (2022/06/26 訪問)
「自衛隊が駐屯する全国唯一の近世城郭」として知られるが、どうやら鎮台兵が駐屯できる場所が本来の駐屯地である新潟になかったのと、戦後米軍が一時的に利用していたことがその要因になっている・・らしい。
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2022/12/16 07:10
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