惣領砦からの転戦です。
予定時間を60分遅れで到着した為、観光用トイレ前林道入口付近(36.742049、136.933315)で引き返しました。
延元年間(1336~40年)石黒光景によって築かれたようです。
1341年(興国2年)には南朝方であった光景によって宗良親王が浅井城に奉迎されているようです。
勝興寺の坊官・下間氏(しもつまし)が神保長職との戦いで一時的に拠っていたとされます。
天正年間(1573~92年)五位庄の領主であった中山治部左衛門国松が拠り、弟の次郎兵衛を赤丸城に配置したが、その後、上杉謙信によって攻められたそうです。
1581年(天正9年)中山氏が佐々成政の配下となります。
1585年(天正13年)富山の役によって佐々成政は豊臣秀吉に降伏して越中国新川郡に追われ、佐々成政に与した中山国松は浅井城を退去し、その後、間もなく廃城になったようです。
清水山から南東に延びる尾根先端に位置するようです。
時間の都合で登城しませんでしたが、林道終点まで行けばよかったと悔やんでいます。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=赤丸城に向かいます。
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