浅井城からの転戦です。八幡宮入口付近(36.739695、136.926212)に路駐しました。
築城年代は定かではないようですが、城主は五位庄一帯に勢力があった国人領主中山氏で、天正年間(1573年~1592年)頃は中山国松が城主でした。
天正年間前半、上杉謙信に攻められました。1581年(天正9年)中山氏が佐々成政の支配下に入ります。
1584年(天正12年)頃、前田利家に対する防衛拠点の一つとして改修が施されたようで、虎口などにその痕跡が見られるそうです。また成政による前田方の能登末森城攻めに参加しました。
1585年(天正13年)富山の役によって佐々成政は豊臣秀吉に降伏して越中国新川郡に追われ、佐々成政に与した中山氏は赤丸城から退去し越前の敦賀に移り住んだそうです。
廃城年代は不明のようですが、この時点で赤丸城の存在意義が失われ、間もなく廃城となったそうです。
以前は赤丸城が本城とされ、北東にある浅井城はその出城であるとされていましたが、近年の調査によって浅井城こそが本城であり、赤丸城はその出城であった事が判明したそうです。
八幡宮入口に入口標識が建てられ、拝殿左横に登り口があり登山道が整備されています。
登山道を登って行くと鉄塔の所に出ます。そこを越えていくと主郭手前に大堀切が確認できます。
主郭は山頂東端部で、そこから西に下った空堀に「殿様池」と呼ばれる素掘りの井戸があります。
案内板によれば、これは昭和のはじめに地元で掘りおこされたもので、そのときに木製の滑車や井戸枠のようなものが出土しているようです。
この山頂部の曲輪群から伸びた各尾根に堀切が確認できます。
攻城時間は55分くらいでした。次の攻城先=鴨城に向かいます。
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