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ryu

北東北城巡り~仙台城(2012年) (2012/08/20 訪問)

仙台駅からバスで博物館・国際センター前で下車。暑い中、歩いて登城する。
大手門跡の隅櫓を見学して、震災の影響で車両通行止めし復旧工事中の車道を歩いて登る。
三の丸の堀~大手門隅櫓~本丸石垣~本丸、仙台城見聞館、青葉城資料展示館と見て回った。仙台城見聞館で100名城スタンプ。青葉城資料展示館のハイビジョンシアターはよかった。
帰りは、本丸下からるーぷるバスに乗って仙台駅へ。観光スポットを巡回するため45分ほどかかって駅につく。

大震災の翌年でまだ震災の爪痕が痛々しく残っていた。

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ryu

北東北城巡り~盛岡城(2012年) (2012/08/20 訪問)

盛岡駅に近い開運橋そばの自転車屋さんの貸自転車でまわる。
もりおか歴史文化館で100名城スタンプを押し、マップをもらって自転車で城内へ。
御廊下橋〜帯曲輪〜彦御蔵〜外周を周り、瓦御門〜三ノ丸〜車御門〜ニノ丸で御廊下橋(渡雲橋)のところに自転車を置いて徒歩で本丸に渡り、淡路丸〜腰曲輪と見て回りニノ丸に戻る。あとは、自転車で城外へ。
城内は坂もあるが、何とか自転車で回れる。
駅前の東家でわんこそばを食べる。

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ryu

北東北城巡り~根城(2012年) (2012/08/20 訪問)

北東北城巡り3日目。
八戸駅よりバスで根城へ。月曜日は休館日で、休館日の100名城スタンプ対応を聞くため、前日に「根城の広場」に電話を入れてみると警備(ボランティア?)の方が出て、本丸跡に来てもらえば、スタンプは押せるとのこと。
朝9時頃、本丸の案内所でスタンプを押し、さらに、休館日にもかかわらず警備の方の案内で本丸跡や主殿まで見学させてもらった。とても親切な対応であった。
旧八戸城東門~中館址~本丸(主殿、上馬屋、中馬屋、下馬屋、物見、番所、西門、野鍛冶場、鍛冶工房、奥御殿、板蔵、納屋、東門)と見てまわる。

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ryu

北東北城巡り~弘前城(2012年) (2012/08/19 訪問)

午前中、岩木山に登った後、弘前市内に戻り、弘前城に登城。
まずは、追手門前の市立観光館でマップをもらい、コインロッカーに荷物を預けて出発。
追手門~三の丸~杉の大橋~南内門~二の丸~未申櫓~辰巳櫓~下乗橋~本丸~天守閣~本丸未申櫓跡(旧天守台)~本丸戌亥櫓跡~北の郭~子の櫓跡~丑寅櫓~賀田御門跡~四の丸~北門と見て回り、お濠をまわってねぷた村でねぷたを見学し、津軽三味線の実演で一休み。東門から再度城内に入り、東内門~与力番所~二の丸~三ノ丸~追手門と見て回った。
現存天守、櫓、城門が残り見ごたえあったが、暑い一日だった。
見学後、青森経由で八戸に向かうが、青森までのJRが暑さでレールが故障し代替で準備してくれたタクシーで新青森駅まで走る。

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JPN-AZE

The retirement (2022/04/02 訪問)

2022年4月2日、忍城を訪問しました。ここに来る前に、前玉神社にも寄り、そこも桜が満開でしたが、忍城も、桜が満開でした。この日は忍城おもてなし甲冑隊からは、甲斐姫様と酒巻靱負様が出ていました。翌日は、甲斐姫様の活動終了との事で、惜しむ方もいました。

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じゅんじん

昼の部 城内 (2022/03/28 訪問)

新丸~尾崎神社~大手門~河北門

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POYO58

甲賀衆の城 遺構が結構残ってる (2022/04/16 訪問)

豊臣秀吉の家臣、中村一氏が築城。その後多くの甲賀衆(忍者)が城主を務める。
5つの曲輪で構成され、今は主に石垣、竪堀、虎口などが良好な状態で残っています。枡形虎口や喰い違い虎口も見られるようですが、僕は見失いました泣。この城は天守台とされる石垣がとても綺麗に残っています。駐車場は岡山城の石碑の前にあります。標高298メートルの場所に本丸があります。頂上までは約20分くらいです。建物は存在しません。

評価
遺構:4
建物:-
行きやすさ:2

攻城時間
1時間くらい

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じゅんじん

昼の部 周囲から (2022/03/28 訪問)

いも堀~尾山神社~鼠多門~玉泉院丸

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じゅんじん

昼の部 兼六園 (2022/03/28 訪問)

金沢城の前に兼六園へ。

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にのまる

【城と標柱】標柱に歴史あり

写真は久留里駅から久留里城に向かう街道脇、「田丸家の名水」の少し広いスペースに横たわっていた標柱で、「久留里城趾公園入口」と彫られています。
この場所はお城に通じる道ではないので、これは一体何?と謎に思いながら傍らの案内を読むと、かつて久留里城戸張門跡に建立されていたものだと記されていました。国道(歩道)拡張工事の際に撤去され、廃棄物置き場に放置されていたものが地域の方々の声によりこの場所に移されたのだそうです。
元あった場所の近くに戻れたんだ、よかった……と思いつつ案内文を読みすすめていくと、そこにはとても深い歴史がありました。

標柱に元々彫られていた文字は「久留里城趾公園入口」ではなく「聖影奉安殿」。
奉安殿とは天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物で、この標柱は元は久留里小学校に建立された奉安殿の石碑だったのです。
戦後、奉安殿が撤去されたあとに残された石碑は久留里城趾公園入口の標柱として再利用されました。「聖影奉安殿」の文字は埋められ、その文字が道路から見えないように建てられたそうです。(「久留里城趾公園入口」の左面にその痕跡があります。)
それが半世紀以上経て撤去→放置→救出されてこの場所に寝かされているのだと知り、1基の標柱が辿った栄誉と苦難の歴史に思いを致しました。
貴重な遺産であるこの標柱が再び安住の地を得て、立ち上がる日が来ますように。

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にのまる

名城と名水の里 (2022/03/12 訪問)

長らく閉館していた久留里城資料館の再開を待って行ってきました。春の18きっぷ1回目の1城目です。
資料館+現地遺構+薬師曲輪からの北条・里見古戦場跡や大手門跡の眺めなどからかつてのお城の姿やその時代がよく理解でき、訪問前に抱いていた「模擬天守のお城」というイメージはすっかり消えてしまいました。
帰りに寄った真勝寺は久留里藩最後の藩主・黒田直養の墓所があるお寺。直養と並んで建っていた直古(直養父)の墓石を見ると日付が訪問日である3月12日。暦の違いはあっても何だか導かれたような気がしました。
お寺の奥の方には杉木良太郎のお墓がありました。(二度見してしまいました^^;)
幕末に藩を守ろうとたった一人で抵抗、父に斬られてしまった方でした。

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POYO58

二条城を小型にした甲賀基礎の城 (2022/04/16 訪問)

この城は徳川家光が上洛を果たす際、宿泊館として築いた城です。その後、加藤明友が入城すると水口藩が成立し、幕府の番所にもなりました。
今は資料館として復元されましたが、水堀や一部石垣が残っています。この城は本丸、二の丸の二郭でできていて旧本丸は今高校の運動場になっています。またこの城を築いたことにより東海道がずらされたことも有名です。今写真にある橋は渡れないので運動場の外側を周っていきましょう。

評価(1〜5)
遺構:2
建物:2
行きやすさ:3
全体:3

攻城時間
20分前後

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ダイエティシャン

城ふぉとコンテスト【究極の1枚】 (2022/04/16 訪問)

城下の緑の桜【御黄衣】ぎょいこうが、満開

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赤い城

【究極の一枚】

故郷の名城。地味だが。
これで3部門エントリーできました。

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刑部

【城と標柱】 (2022/03/27 訪問)

忍城の支城、城びとには登録されてません。

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ぎりょう

澤山城 (宮城県石巻市桃生町寺崎) (2022/04/02 訪問)

旧桃生町の三城目は澤山城(城びと登録なし)に。「仙臺藩古城書上」には「山 一 澤山城 東西三十四間 南北三十八間 西條采女入道 秀衡時代ㇳ云。」との記載がある。西條氏は奥州藤原氏の家臣で、文治5年(1189)の奥州合戦し際して討伐軍からこの地を守る役目を担っていたが藤原氏は滅亡し、西條氏は討伐軍に降って所領を安堵され、葛西氏の麾下に入ったといわれる。またこの地は東浜街道を押さえる交通の要衝であり、葛西領南部の軍事上の拠点であることから、葛西一門の寺崎氏の本拠地となったという。天正18年(1590)、大崎・葛西一揆で寺崎氏は滅び廃城となった。
城地は峯山と呼ばれる丘陵の北、現在寺崎八幡神社が有る平場が主曲輪とみられ、その南側、東側にも広い曲輪が配されているが、これといった遺構は見当たらない。また東側の曲輪跡は現在、多数の建設機械が入っており、今後大きく改変される残念な状況だ。
麓の八幡神社鳥居からは石段を徒歩で登るが、その北側から主曲輪跡下の駐車場まで車で登ることができる。

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小城小次郎

絶叫できる城らしい (2021/12/05 訪問)

南城の切岸と北城の二重堀。どちらも通を唸らせる出来栄えだとは思っていたがオフ会やったら唸るどころか絶叫された(笑)。まあそれくらい印象深いお城だということだ。謎は多いがいい城であることに相違ない。

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ツッチー

【究極の1枚】唐津城と虹

唐津城に行った翌朝、空には大きな虹が架かっていました。
唐津城から延びる神々しい虹の景色に、しばしの間 見とれてしまいました。

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カズサン

【城と看板】 (2021/03/31 訪問)

 本曲輪下に藤原姓勝間田((勝田)長清の歌碑が有ります、歌碑と解説看板、今が旬のミツバツツジを入れて1枚撮りました。
 
 勝間田一族には鎌倉後期「夫木和歌抄(全36巻17,350余首)」を編纂した勝間田(藤原)長清がいました、勅撰和歌集の玉葉集に勝田(藤原)長清の歌が入選すると有ります。(勝間田城パンフレット抜粋)

 看板は「下荻も かつ穂にいづる 夕露に 宿かりそむる 秋の三日月」 玉葉集巻十四雑一 藤原長清 と記載されています。 
  鎌倉後期正和元年(1312年)の事。(勝間田城パンフレット抜粋)

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カズサン

【究極の1枚】 (2021/03/31 訪問)

 三の曲輪北側の樹木景観伐採され三の曲輪北二段土塁が良く分かるようになり、伐採直後の三の丸土塁二の丸土塁と満開桜を入れて1枚撮りました。

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