ふくすみじょう

福住城

奈良県天理市

別名 : 福住中定城、福住館
旧国名 : 大和

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todo94

大河ドラマ館に赴いた翌日・名阪国道沿線の攻城① (2026/04/19 訪問)

あさん、福井県コンプ、おめでとうございます。完全にあきらめていた鋸崎台場のレポート、感銘を受けました。いつか、あさんの投稿を参考にトライしてみたいと思います。

さて、大河ドラマ館の翌日です。奈良健康ランドをチェックアウトし、隣接のすき家にて朝食をとってから福住城に向かいました。名阪国道沿いの城はいつでも行けるとずっと後回しにし続けていました。想定外の素晴らしい遺構に出会うことができ、もっと早く来ればよかったと反省した次第です。主郭奥の深い堀、切岸を下りる衝動を抑えることはできませんでした。ここは、福住中定城で、近くには、福住伊之市城もあります。今回はスルーしてしまいましたので、機会があったら訪れてみたいと思います。

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しんちゃん

補完 (2024/11/02 訪問)

前回の投稿ではPCにデータを移動中に電源が落ちて、主郭周辺の写真が破損してしまいました。この日は結構雨が降っていて、宇陀松山城(リピート)への訪問は難しいと判断、近くの福住城を再訪することになりました。
傘をさしながらの訪問になりますので、平山城とはいえ注意して登ります。まだ昼の1時半ぐらいだというのに城址の中はかなり暗いです。まず神社のある郭に到着。周囲には土塁が残っています。そこから堀切を経て主郭に入ります。あまり濡れたくないので早々に引き揚げました。
※城址の東側の道沿い、妙成院の南の小さな社のある区画に駐車出来、その南側に登城口があります。

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しんちゃん

主郭の写真無しでのトンデモ投稿 (2024/02/23 訪問)

この日は朝から雨です。ヤホオの天気予報では曇りのはずだったのですがですが、またやられました。しょうがない、濡れながら行くか‥
福住城はこの地方では有力な豪族(国人)で筒井氏の一族である福住氏の城です。
福住順弘の子・定慶は弟・慶之とともに筒井順慶の養子になったとされ、同じ養子で順慶のあとを継いだ定次が家臣の讒言で改易になると(後に切腹)定慶は筒井氏を名乗り1万石で郡山城代に任じられました。大阪夏の陣の際に大野治房の軍2千の夜襲を受け、敵を大軍と見誤った定慶は郡山城から福住に逃げ延び、福住城に籠ったそうです。そして大阪城落城の2日後、敵前逃亡を恥じ自刃したとのことです。また、この定慶を福住順弘の孫・正次と同一視する資料もあるようです。
主郭の周囲には堀を巡らし、主郭の北側には土塁が残っています。周囲の堀は通路を兼ねていて、一部は竪堀とつながっています。主郭の南側に堀を挟んで出丸があり社が建っています。出丸の社の背後にも土塁が残っていました。ちなみに筒井城の写真がクラッシュした際に本丸周辺の写真がいっしょにクラッシュしてしましました。再訪も考えましたがメンドいので投稿してしまいます。
主郭の写真は、あさんやぴーかるさんの投稿を参考にしてください。(こいつ、いいかげんに‥)

※「しまいました」が「しましました」になってますね。なんか面白いので、このまま残しておきます。しましました‥しましましましました‥  失礼しましました。おおっ!日本語って面白い♪

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氷室神社 (2004/02/11 訪問)

城びと先人の投稿を見て、行きたい城にノミネート。伊賀方面からアクセスし、脇道に入るべきところを行き過ぎてUターンしようとしたら、氷室神社前👀 せっかくなのでお参りすると、北向き軒下に雪が残ってました。氷室神社自体には氷室はなく、周囲の山々に散在しているようですが、さすが、氷室神社。福住氏は、氷室神社の神主も勤めていたと。
奈良盆地と伊賀盆地の間の奈良(大和)高原は、侵食・堆積によりいったん平坦になった土地が隆起して、再び侵食を受け始めた準平原。山中なのに、小さな盆地がたくさん連なって、有力豪族が割拠してました。標高は400〜500m。奈良盆地の標高が100m以下。伊賀盆地が200mほどなので、氷室も成り立つのでしょう。
肝心の福住城は、登城口位置も含め、城びと先人が詳しくレポートされていますので、「コンパクトながら技術が凝らされた城」とまとめさせていただきます。主郭の折れがある切り岸が良かった😄この後、さらに奈良盆地側の椿尾城に行きました。これまた、城びと先人が伝えるとおり、奈良三大山城との呼称はだてではなかったです。

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城郭情報

分類・構造 丘城
天守構造 不明
築城主 福住氏
築城年 室町時代後期
主な改修者 筒井氏?
主な城主 福住氏
廃城年 安土桃山時代
遺構 曲輪、櫓台、堀切、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 奈良県天理市福住町6882