202206遠征(対馬&五島&北部九州)4日目:柳川城
(2022/06/08 訪問)
朝早く起きてホテルの朝食前に散歩がてら、城跡碑&説明板付近(33.160156、130.401337)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、蒲池治久によって築かれたと云われます。 蒲池治久は蒲池城の支城として柳河城を築き、後に蒲池氏の本城となりました。
1581年(天正9年)蒲池鎮漣は龍造寺隆信に猿楽の催しに誘われ、佐嘉に赴いた所を謀殺されると龍造寺氏の支配下に置かれました。
1587年(天正15年)豊臣秀吉による九州征伐の後に、立花宗茂が132,000石で柳河城に入りますが、関が原合戦で西軍に属し、敗戦後大坂を脱して帰国するとそのまま籠城して抵抗しますが、黒田如水・加藤清正の説得に応じて開城しました。
その結果、宗茂は浪人となりますが1603年(慶長8年)陸奥国棚倉城で10,000石をもって大名に復帰しました。
立花氏に変わって三河国岡崎城から田中吉政が320,000石で入封、この田中氏によって柳河城は近世城郭として大改修され、天守が設けられました。
しかし、田中氏は忠政に嫡子なく断絶となり、筑後国北部を有馬氏に、南部2郡は立花宗茂に与えられ以後明治に至ります。
柳河城は現在の柳川中学校・柳川高校の辺りに築かれていました。
天守は明治になっても存続していましたが、1872年(明治5年)1月18日に火災により焼失したそうです。
遺構は柳川中学校と高校の間にある石垣で、ここに説明板が設置されています。
ホテルへ戻る途中に立花宗茂と誾千代がデザインされた自動販売機を見つけました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=綾部城を目指す前に、一旦ホテルに帰り朝食を取ります。
+ 続きを読む