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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:武居城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の13城目は武居城です。
妙義山城から転戦。武居城跡公園駐車場(36.117281、137.879431)に駐車しました。

武居城は鎌倉時代に洗馬庄(せばのしょう)の地頭であった三村氏が築いたと言われています。
16世紀の初め頃、三村氏が本拠を芦の田に移すまではこの城が三村氏にとって最も重要な城であったようです。
その後も城の改修が続けられ、現在の遺構は戦国時代末期のもののようです。

戦国時代、三村長親は信濃守護・小笠原氏に従い勢力を伸ばしていましたが、小笠原長時に従って出陣した「塩尻峠の合戦」で山家昌治や西牧信道らとともに信玄の調略に応じて寝返ります。
しかし長親はその後、謀反の疑いをかけられて処刑されました。

現在城址には二重の堀切や畝状竪堀群などの遺構が良好に保存されており、また各所に案内板が設けられているなど見学しやすく整備されています。
登城口から10分程度で城域に到着し、登り口で杖と熊よけ鈴を貸し出しています。
攻城時間は30分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:城びと未登録(長野県塩尻市)妙義山城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の12城目は妙義山城です。
先達城から転戦。本洗馬歴史の里資料館駐車場(36.107118、137.911051)に駐車しました。

洗馬荘の領主三村氏の居城で、1523年(大永3年)に三村忠親が築城し、それまでの武居城から本拠を移したそうです。
戦国時代、三村氏は小笠原氏に従っていましたが、1548年(天文17年)の「塩尻峠の戦い」では三村駿河守長親は西牧、二木氏らとともに信濃守護・小笠原長時に叛き、小笠原方大敗の要因となりました。
その後、武田氏に仕えましたが、謀反の疑いがかけられ、1555年(天文24年)武田晴信によって長親と家臣二百余人は撫で斬りにされ、三村氏は滅亡しました。
現在城址には土塁や堀切などの遺構を確認することができ、山麓の居館跡に建てられた「釜井庵」の背後から登山道が整備されています。

城址には現在、妙義山神社が鎮座しています。
三村氏の館「釜井庵」を登城口に、雨が降ってきたので、滑らないようにゆっくり登りました。
攻城時間は40分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:先達城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の11城目は先達城です。
笹尾砦から転戦。常昌寺駐車場(35.880534、138.294415)に駐車しました。

先達(せんだつ)城は1528年(享禄元年)武田信虎が諏訪侵攻の際、ここにあった新五郎屋敷 を城に取り立てたという記録があり、これが先達城と考えられているようです。
当時は甲斐と諏訪の国境は富士見町の御射山神戸の南、堺川と思われ、ここで合戦があり、この城は武田軍が諏訪侵攻の為の前線基地として築いた砦であったと思われるが、現在新五郎屋敷がどこにあったのかは特定できないそうです。
信玄の時代には地元の伝承によると家臣、多田淡路守常昌の居館があり、常昌は長篠の合戦 で討ち死にしたといいます。
境内の墓地には常昌の墓碑があるが、文献上ではどのような人物であったのかは 判らないようです。

現在城址は常昌寺の境内となっており、城址碑や案内板が設置されています。また北側には土塁と思われる地形が確認できます。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:笹尾砦 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の10城目は笹尾砦です。
深草城から転戦。城山公園駐車場(35.835703、138.320187)に駐車しました。

笹尾城は享禄4年(1531)一月、甲斐国内の今井氏や大井氏、栗原氏などの国人層の叛乱に際して、武田信虎によって築かれました。
直接的には、これら国人層と結んだ諏訪頼満の侵攻に備えてのものだったようです。
信玄が甲斐・信濃を支配下におさめた以降も1582年(天正10年)の武田氏滅亡時まで砦または狼煙台として使用され、その後の「天正壬午の乱」でも北条氏が陣城として利用したそうです。
現在城址は城址公園として整備されており、土塁や堀切などの遺構を確認することができるようです。(立ち入り禁止のため未確認)

とても立派な駐車場完備です。 20210627日現在、倒木のため立ち入り禁止になっていました。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:深草城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の9城目は深草城です。
谷戸城から転戦。田んぼ付近の空スペース(35.846535、138.3830)に駐車しました。

深草城は平安時代末期に逸見氏が築いたという伝承が残っているが、確かなのは戦国時代に武田氏の家臣である堀内氏が居城としていたことで今も末裔の人たちが暮らしているそうです。
八ヶ岳の南西にある丘陵地帯に築かれた丘城で、谷戸城の支城であったと考えられています。
堀内下総守とその子である堀内主税助が城主をつとめていたとあり、主税助のときに落城しました。
その後、武田氏滅亡後に起きた「天正壬午の乱」では北条氏が利用しましたが、撤退後に廃城となりました。
現在城址には土塁や堀切などの遺構を確認することができるようです。

丸太橋を渡り内部に進入。想像していたより広かった。
北と南に分かれた曲輪は土塁に囲まれており、特に北東側が良く残っている。城の周りは川に囲まれていた。
攻城時間は10分くらいでした。

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くっしー

住宅街にこじんまりとしたお城 (2021/07/03 訪問)

小さなお城ですが、

土塁がしっこり残っていて、

その周りにお堀があって、

高台という立地もお城らしさがあっていいいですね。

土塁の中は公園になっているので、自分が行ったときは誰もいませんでしたが、

天気の良い土日などは地域の憩いの場としても素晴らしい場所なんだろうなと思います。

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くっしー

少し静かすぎるかな。 (2021/07/03 訪問)

コロナの影響があるにしても、全く人がいなくてびっくりしました。

桜の時期に来ると綺麗なんだろうなとは思います。

とても大きなお城で、広いのに建物がほとんど残っていないので見学していてちょっと間延びしてしまいますね。

しかし、お堀は素晴らしい。深いですね。

大手門のところに少しだけ石垣が残っていましたが、あそこの枡形がしっかりと残っていれば見栄えするのになぁ~と…

もっと面白い見せ方はあると思うんですよね。

例えばVRで建物を再現するとか。

少し批判的な内容を書いたので、気分を害された方がいたら申し訳ありません。

ただ、ポテンシャルはもっとあるはずの城だと思いますよ!!



隣接する高遠町歴史資料館は面白かったですね。

特に大奥最大のスキャンダル“絵島・生島事件”の絵島の流された場所ということで、絵島囲屋敷が復元されていたのは面白かったです。

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肉球

吉江陣屋 福井県鯖江市 (2021/06/23 訪問)

福井藩の分家筋の陣屋跡です。
結城秀康の孫、松平昌親が25,000石を与えられこの地で陣屋を築きました。
この昌親公に近松門左衛門の父親が仕えていたようで
この地で生まれたとされる説もあるようです。
跡地に遺構はなく石碑のみですが
浅水川を渡ったところに七曲通りとよばれている
メインストリートがあり古い町屋や長屋門が残っています。
また少し離れた西光寺には陣屋表門が移築されています。

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小城小次郎

ダブル・ダブル本城 (2021/04/24 訪問)

同じ三浦市内の新井城も三崎城と呼ばれ、同時期に二つの三崎城が三浦氏の「ダブル本城」として存在していたらしい。後北条氏の時代には韮山城主の北条氏規が三崎城主も兼ねていて、これまた「ダブル本城」だったらしい。
城域内の公共施設がほぼ引き払った今、ぜひともお城再建にまい進してほしいところ。

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にのまる

【お城川柳】 (2021/04/18 訪問)

東国の毛細血管の如く生く

供養塔の碑文を読んで浮かびました。

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朝田 辰兵衛

【お城川柳】薩摩といえば… (2020/12/05 訪問)

「西郷どんを 見守り続ける 桜島」

主役を桜島にシフトしてみました。

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くっしー

ちょうど城の真ん中を道が横断 (2021/07/03 訪問)

くねくねと曲がりくねる坂道を走っていたら、突如「赤須城跡」という標柱が現れてびっくりしました。

どこに車をとめようかと思っていると、さらに標柱と説明看板。さらに100mほど行くとトイレと駐車場を見つけることができました。

城跡はこの市道が横断していますが、空堀をいくつか確認することができました。お城は舌状台地に築かれていおり、地形を活かした守りになっています。

本郭や外郭は木が茂っていて全体像を見るのは困難ですね。

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くっしー

行ったけど閉館中だった( ;∀;) (2021/07/03 訪問)

下調べしてなかった自分が悪いのです。

まあ、この日のお目当ての城ではなくて、ついでに寄った城だったのでこんなことになったんですが…

にしても、木・金曜日と第2・4土曜日しか開いてないって、少なすぎませんか?

これもコロナの影響ですね。悲しい限りです。

というわけで、どんな施設なのかということは他の人の投稿を読んでください。

ちなみに、駐車場は町営のものを利用できました。

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くっしー

看板の縄張図が優秀 (2021/07/03 訪問)

本丸周辺は公園として整備され、さらにその周りは耕作地や住宅地になっているので、何も知らないと本丸以外城に見えないのですが、説明看板のとこに描かれている縄張図を見ながら踏査すると、当時の姿が鮮明に見えてきます。

本丸の西側が谷になっていて南に向かって道が続いているのですが、これはかなり大きな空堀ですね。その西側にあるニの郭とを隔てる重要な城の防御施設です。


その谷を南に進むと段々上に平坦面が続いていきますが、これは出丸のような機能を持つ場所でしょうね。

そういった目で見ていくと二の郭の西にも堀がありますね。

次に別の城に行く予定があったので、30分程度で切り上げてしまいましたが、この縄張図をもって一日かけて踏査すればなかなか面白いお城だと思います。

看板の縄張図の下には「下伊那農業高校社会研究班作成」と書かれていました。ということは、高校生が書いた縄張図ということでしょうか?高校生でこんなきれいな縄張図が書けるなんて凄いですね!!

公園なので駐車場もトイレも設置されているので、訪問しやすいお城です。

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にのまる

【お城川柳】

高虎も積んでいたのねハート石

カワ(・∀・)イイ!!

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atsufumi

市民に寄り添うお城 (2021/07/05 訪問)

みんなに触れ合いに来てくれた金鯱ご夫婦。

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肉球

高森陣屋 福井県越前市 (2021/06/23 訪問)

紀州徳川光貞の三男頼職が30,000石ほど分知され立藩 
越前市高森に陣屋を築きました。
跡地は住宅街になっていますが公園に陣屋案内図があり
それにより表門や堀跡の場所を確認することが出来ます。

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カズサン

【お城川柳】やっとの初登城時を詠んでみました (2020/11/24 訪問)

 ・ 大隅の シラス台地に 肝付の城

 ・ 静寂の 大隅やまじろ 自顕のさと

 鹿児島市内に泊まって桜島フェリー経由台地を昇り降り約2時間半の道中を経て到着、閑散とした静けさ登城者は私一人だけ、シラス台地を刻み曲輪が夫々、大木の杉が林立してる、公民館駐車場付近には自顕流発祥の地の看板が立てました。
 示現流と自顕流をネットで調べましたが同じ読みで「ジゲンリュウ」ですが別流の様で、幕末に薩摩武士が多く使ったのは野太刀自顕流の方と有りましたが良く調べ切れてませんのでお調べください。

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カズサン

【お城川柳】天守台眺望と有名な城下かれいで一句

 ・ 天守より 城下かれい 透けて見え

 日出城天守台からの別府湾眺望と眼下の海で獲れる城下かれいが有名です、食した城下かれいの薄作りと透き通った海を掛け合わせてみました。(残念ながら城下かれいの料理を食した写真は撮って居ませんでした)

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イオ

【お城川柳】腹が減っては戦ができぬ

ことわざを 身をもって知る お昼抜き

佐柿国吉城に登城した際に、本丸で眺望を楽しみながら食べようと考えていた昼食のおにぎりを買いそびれ、空腹を抱えたまま歩き回った結果、気力も体力も尽き果てて、まだ午後1時台ながら後の予定を切り上げて帰宅したことがありました。まさに「腹が減っては戦(城攻め)ができぬ」を身をもって知りました…。

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