こうそかべじょう

香宗我部城

高知県香南市

別名 : 香宗城
旧国名 : 土佐

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僅かに土塁が残る
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赤い城

土塁上に神社 (2024/07/06 訪問)

香南市の野市町エリアにあります。
駐車場はありませんが土塁の前は少し広くなっているのでこちらを利用しました。
長宗我部氏家臣の香宗我部氏の城ですが土塁が一部残るのみです。
この土塁上には八幡神社が建ち、石碑も設置されています。

ここだけでは、と思い周辺を散策してみましたが住宅地と農耕地になっていて痕跡を見つけることはできませんでした。
生活道路がややクランクする部分が「堀跡かな?」とも思えるのですが定かではありません。

土佐は未訪の城が多いのでどんどん廻っていきたいですが西側が難関そうです。

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ぴーかる

香宗我部城 (2024/01/07 訪問)

【香宗我部城】
<駐車場他>駐車場はなし。石碑前の道路脇に停車しました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日高知城攻めの旅2日目4城目。香宗我部城は1193年に香美郡宗我郷の地頭に任ぜられた中原秋家によって築かれたとされます。中原秋家は甲斐源氏武田信義の嫡男、一条忠頼の家臣で主君の一条忠頼が暗殺されると子の一条秋通を養子として迎え入れます。秋通は地頭職を譲り受け香宗我部氏を名乗ります。戦国時代に香宗我部親秀は長宗我部国親の3男、親泰を養子に迎えます。親泰は長宗我部一門として土佐国の統一、四国の統一に活躍します。
 現地は城跡碑と土塁の一部がほんの少し残っています。土塁上に八幡宮があります。

<満足度>◆◇◇

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ろっし

お城探訪 (2023/01/08 訪問)

小さな小山しか残ってませんが、大小の石碑が二つに立て看板もあり上には立派な神社があります。
跡形もなくなった城跡よりは良い。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征3日目:香宗我部城 (2022/07/22 訪問)

姫倉城からの転戦です。説明板横(33.558662、133.722942)に路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、中原太郎秋家によって築かれたと云われています。 秋家は楠目城山田氏の祖ともなった人物です。
1526年(大永6年)香宗我部親秀が安芸氏との戦いで敗れ、嫡子秀義が戦死すると弟秀通を養子として家を継がせたが、長宗我部氏が台頭すると長宗我部国親の三男親泰を養子として迎えようと画策します。
既に秀通には嫡子がおり、これを拒否したが親秀は秀通を殺して親泰を養子に迎えました。
1569年(永禄12年)長宗我部氏が安芸氏を滅ぼすと、親泰は安芸城主となり、後に阿波国方面の軍代として活躍します。
1592年(文禄元年)豊臣秀吉による朝鮮の役では嫡男親氏が出陣したが戦死し、代わって親泰が出征したものの長門国で病死しました。このため親氏の子親和が幼少の身で家督を継ぎました。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで西軍に付いた長宗我部盛親が改易となると、親和は肥前国唐津の寺沢氏に仕官しました。

わずかに残った土塁と城址碑を確認しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=山田城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 中原秋家
築城年 建久4年(1193)
主な城主 香宗我部氏
遺構 土塁
再建造物 石碑、説明板
住所 高知県香南市野市町土居