あきじょう

安芸城

高知県安芸市

別名 : 安芸(安喜)土居
旧国名 : 土佐

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水堀・土塁
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戦国roman

🏯城攻略〜土佐国 安芸城〜 近世 土佐藩家老の居館編 (2025/01/08 訪問)

下記縄張り図の一番下、追手門・枡形の前にある駐車場に停めて入城します。
ちなみに追手門のゲートをのけてクルマで入り中にも駐車場がありますが段差の部分のスロープの幅が狭いので小型車でないと脱輪しそうなので私は堀の外の駐車場(無料)に停めました。

「安芸城は安芸氏代々の居城でしたが、永禄12年(1569)長宗我部元親の攻撃に敗れ、その後は長宗我部氏が約30年間支配した。
慶長6年(1601)土佐へ入国した山内一豊は、佐川、宿毛、窪川、本山、安芸の5ヶ所の城に重臣を配置した。安芸城を預けられた五藤氏は、ここに屋敷を構え、城の入口に櫓門と枡形を設け、東西の土塁上には石垣を練塀を築いた。」
(現地案内板より)

域内には下記の施設があります。

◆五藤家安芸屋敷
こちらは入場できるようでしたが私は江戸期のものはあまり興味がないので割愛しました。

◆歴史民俗資料館
館内は写真撮影不可かつ残念ながら城に関する展示はほとんどありませんでした。
ただ写真のパンフレット・縄張り図を頂いたのでそれにもとに裏山の詰めの城を攻城しました。

◆書道美術館
城ちっくな建物ではありますがさすがにこちらは有料かつ興味がなかったのでパスしました。

◆藤崎神社
土佐藩家老五藤家の先祖をまつる神社
詳細は添付写真をご覧ください。

水堀と土塁、そして追手門・枡形があり、かつ詰めの城である山城もありなかなか雰囲気のある城でした。

攻城時間:45分(山城、資料館含め)

駐車場:複数あり(無料)

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戦国roman

🏯城攻略〜土佐国 安芸城〜 中世 土佐七雄の山城編 (2025/01/08 訪問)

安芸城は中世に安芸氏が築いた城山部分と江戸時代に入って土佐藩家老五藤家によって整備された居館部分とから構成されます。
山城は「土佐七雄」の一人に数えられ土佐東部を治めていた安芸國虎の居城であります。

土佐七雄
室町時代末期から戦国時代にかけて土佐国に存在した7つの豪族の総称であります。
下記のメンバーで8人いますが一条氏は土佐国司、正二位の家格を誇り、七雄の別格的存在であります。
                領地
幡多郡 中村城主  一条氏 1万6千貫  *今回攻城
安芸郡 安芸城主  安芸氏   5千貫  *今回攻城
香美郡 香宗城主  香宗我部氏 4千貫
長岡郡 本山城主  本山氏   5千貫
長岡郡 岡豊城主  長宗我部氏 3千貫  *攻城済み
吾川郡 吉良城主  吉良氏   5千貫
高岡郡 蓮池城主  大平氏   4千貫
高岡郡 姫野々城主 津野氏   5千貫

しかしこの安芸國虎も昨日の中村城の一条氏と同様、土佐を平定する長宗我部元親との攻防で敗れ自刃します。
歴史民俗資料館のスタッフの方曰く、「5分で登れる山城」とのことです。要は平山城(標高41m)ですね。



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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征3日目:安芸城 (2022/07/22 訪問)

安田城からの転戦です。歴史民俗資料館の駐車場(33.519209、133.913722)に駐車しました。

1309年(延慶2年)安芸親氏によって築かれたと云われています。 安芸氏は蘇我赤兄の子孫といわれ、行経のとき安芸氏を名乗ったそうです。
戦国時代に入ると土佐七人守護の一人に数えられ、1563年(永禄6年)長宗我部氏が本山氏を攻めに出陣した隙を突いて、一条氏の援助を受けて長宗我部氏の居城岡豊城を攻めたが失敗しました。
その後一旦和睦となったものの、1569年(永禄12年)長宗我部氏に岡豊城に招待された安芸国虎はこれを謀略と考え拒否、長宗我部氏に攻められ落城、安芸国虎は菩提寺浄貞寺で自刃し、安芸氏は滅亡しました。
安芸氏を滅ぼした元親は香宗我部親泰を城主とし、後の阿波国への侵攻の拠点となりました。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦で長宗我部氏は改易となり、替わって山内一豊が土佐に入国すると、一豊は重臣五島為重を安芸城主とした。
元和の一国一城令によって安芸城は廃城となったものの、その麓に土居廓中を整備し、五藤氏の城下として明治まで続いたそうです。

歴史民族資料館で貰える安芸城のパンフレットに縄張図や説明が記載されています。
城内には天守を模した歴史民族資料館とその隣にある書道美術館、そして五藤氏の屋敷が残されています。
書道美術館の前には安芸城が落城した原因の一つともされる、毒井戸が展示されています。
遺構として土塁、堀切、石積、水掘、虎口、曲輪などが確認できます。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=姫倉城に向かいます。

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刑部

城下町が残る城址 (2021/05/03 訪問)

城址の中にミュージアムがあり水堀と虎口が見所。奥に小高い山が主郭部のようです。城下町も散策するといいと思います!

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
天守構造 不明
築城主 安芸親氏
築城年 延慶2年(1309)
主な改修者 五藤為重
主な城主 安芸氏、香宗我部親泰(長宗我部氏家臣)、五藤氏
廃城年 明治時代前期
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸
再建造物 説明板
住所 高知県安芸市土居字土居
問い合わせ先 安芸市商工観光水産課
問い合わせ先電話番号 0887-35-1011