あきじょう

安芸城

高知県安芸市

別名 : 安芸(安喜)土居
旧国名 : 土佐

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北ノ段と詰との間の石積
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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征3日目:安芸城 (2022/07/22 訪問)

安田城からの転戦です。歴史民俗資料館の駐車場(33.519209、133.913722)に駐車しました。

1309年(延慶2年)安芸親氏によって築かれたと云われています。 安芸氏は蘇我赤兄の子孫といわれ、行経のとき安芸氏を名乗ったそうです。
戦国時代に入ると土佐七人守護の一人に数えられ、1563年(永禄6年)長宗我部氏が本山氏を攻めに出陣した隙を突いて、一条氏の援助を受けて長宗我部氏の居城岡豊城を攻めたが失敗しました。
その後一旦和睦となったものの、1569年(永禄12年)長宗我部氏に岡豊城に招待された安芸国虎はこれを謀略と考え拒否、長宗我部氏に攻められ落城、安芸国虎は菩提寺浄貞寺で自刃し、安芸氏は滅亡しました。
安芸氏を滅ぼした元親は香宗我部親泰を城主とし、後の阿波国への侵攻の拠点となりました。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦で長宗我部氏は改易となり、替わって山内一豊が土佐に入国すると、一豊は重臣五島為重を安芸城主とした。
元和の一国一城令によって安芸城は廃城となったものの、その麓に土居廓中を整備し、五藤氏の城下として明治まで続いたそうです。

歴史民族資料館で貰える安芸城のパンフレットに縄張図や説明が記載されています。
城内には天守を模した歴史民族資料館とその隣にある書道美術館、そして五藤氏の屋敷が残されています。
書道美術館の前には安芸城が落城した原因の一つともされる、毒井戸が展示されています。
遺構として土塁、堀切、石積、水掘、虎口、曲輪などが確認できます。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=姫倉城に向かいます。

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刑部

城下町が残る城址 (2021/05/03 訪問)

城址の中にミュージアムがあり水堀と虎口が見所。奥に小高い山が主郭部のようです。城下町も散策するといいと思います!

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肉球

山内家重臣五島家の土居 (2021/04/11 訪問)

私にとっては長めの出張高知〜姫路。コロナの影響で一人で行くことになり時間に余裕を持ってクルマで出かけることにしました。
前回は枡形部分と武家屋敷などを見学しましたが今回は詰まで登りました。
詰、北の段、二の段、三の段と郭があり詰と北の段の境にも石垣が存在してます。
詰の部分はそこそこ広いですが二の段、三の段はそれほど広くないです。
詰の虎口付近に大きなハチが飛び交っていましたので近々訪れる方は注意しましょう!
公開されている武家屋敷や岩崎弥太郎の生家もあり見学スポットは結構あります。

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todo94

【家×お城】登城したお城しりとり【231】 (2010/05/09 訪問)

「高安城」の「安」から【安芸城】につなげます。2005年の初攻城の際には、大河ドラマ「功名が辻」で武田鉄矢演じる五藤吉兵衛が主君一豊の顔を草鞋履きで踏みつけて引き抜いたという鏃など見落としていましたが、「龍馬伝」の年に再訪してしっかりチェックして参りました。次は「あき」で始まる続100名城(最北の古代城柵)でお願いします。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
天守構造 不明
築城主 安芸親氏
築城年 延慶2年(1309)
主な改修者 五藤為重
主な城主 安芸氏、香宗我部親泰(長宗我部氏家臣)、五藤氏
廃城年 明治時代前期
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸
再建造物 説明板
住所 高知県安芸市土居字土居
問い合わせ先 安芸市商工観光水産課
問い合わせ先電話番号 0887-35-1011