やまだじょう

山田城

高知県香美市

別名 : 楠目城
旧国名 : 土佐

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堀切
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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征3日目:山田城 (2022/07/22 訪問)

香宗我部城からの転戦です。市民グランド駐車場(33.611204、133.698714)に駐車し、天満宮鳥居前(33.611300、133.699921)に向かいました。
天満宮背後を進み墓地の脇から山に入りましたが、夏だから当然ですが、草が多く墓地に辿り着くまで草をかき分け進みます。

築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代に中原秋家による築城とも云われ、現在残る遺構は戦国時代のものと思われています。
山田氏は中原秋家の後裔で鎌倉時代に香美郡宗我郷・深淵郷の地頭として入部したと云われ、後に土佐の七守護の一人に数えられる程の勢力を持ったそうです。
しかし、天文年間(1532年〜1555年)の当主山田元義(基道とも)は猿楽を好んで武道を好まず、政治を疎かにしていました。
重臣である烏ヶ森城主西内常陸・雪ヶ峰城主山田監物はこれを諌めましたが、元義はかえってこれを遠ざけてしまいました。
岡豊城主長宗我部国親の家臣吉田重俊は謀略を持ってまず西内常陸を討ち、大軍をもって山田城に攻め寄せます。
山田監物が江村小備後によって討ち取られると、山田元義は韮生へ逃れ山田氏は滅亡しました。

山田城は大きくわけて詰の段、一ノ段、茶ヶ森の三つの曲輪で構成されているようですが、山中で迷子になりかけたので詰の段や一ノ段方面の登城は諦めました。
茶ヶ森は天満宮方面から北西側にあり、一ノ段と堀切で遮断されています。茶ヶ森下には横堀がありました。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=岡豊城に向かいます。

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小城小次郎

山田城

国人領主・山田氏は天文年間に長曽我部氏に駆逐され、以後は日の目を見ることもなかったお城。目の前まで行きながら登城口を見つけられなかったのは不勉強の極み・・・ただもう少し分かりやすく登城口が示して頂けないものか。

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ぽんたっく土佐守

案内板は「楠目城」 (2018/08/31 訪問)

高知市中心部から車で30分。
鏡野中学校の東隣にあります。
登城口は民家横の小道で
近くに駐車スペースはありません。
中学校正門前の道を車で登っていくと
墓地公園に着きます。
こちらから主郭をめざせないかなぁと思いましたが、
山頂への道は発見できませんでした。

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todo94

山田氏の居城 (2012/11/12 訪問)

戦国土佐の七雄の一に数えられることもある山田氏の居城である。登城口に標柱があるとのことだったが非常にわかりにくかった。登城路もしっかり整備されておらず高知県の城に対する基本姿勢が貫かれている。空堀、堀切、土塁、曲輪など良好に遺構が残っているにもかかわらず表示は全くなかった。小さなベニヤ板に楠目山頂127mとあったので一応攻城したことにさせてもらうが、なかなかの城なのに残念なことである。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 山田氏
築城年 不明
主な城主 山田氏、長宗我部氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、横堀(空堀)、石垣、土塁
指定文化財 市史跡(楠目城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 高知県香美市土佐山田町楠目字楠目3548-3他
問い合わせ先 香美市文化振興班
問い合わせ先電話番号 0887-53-1082