横須賀城は徳川氏武田氏の遠州攻防戦、高天神城攻め補給路の為に磐田府中から馬伏塚城、横須賀城へと続けるために家康の命で大須賀康高が築いた平山城、家康はここを拠点に高天神城を攻略。家康関東移封後は豊臣方の城へ、関ヶ原後再び大須賀忠政が横須賀城主と成るが、忠政は榊原康政の子で大須賀康高の養子、忠政の子忠次が榊原康勝の養子と成り、大須賀家は断絶する。以後は譜代大名が続き明治を迎える。
縄張は南を向いた連郭式、中央に主郭部が有り本丸、天守台、直ぐ西に西の丸、南に本丸南下門の有る大型枡形形状で、南面に玉石垣が葺かれてる、解説板に由ると大井川の川原石とか、城主は石垣が積みたかったのでしょうね⁈ でもここが横須賀城最大の見所です。
北東に北の丸と元本丸の在った松尾山、東に三の丸・西に二の丸が広く取られていたが現在は市街化し住宅が、南側には外堀が巡っていて、入江遠州灘が城下近くまで及んでいた。が宝永4年(1707年)の大地震で海岸線が隆起し、海岸線が後退した、現在外堀跡が南側の道路沿いに外堀跡と標柱が立ち緑地帯として残っている。
横須賀城は、発掘調査されて平成7年から8年に掛けて整備し公園化されて居ます。
登城当日は前日から一泊二日で掛川市のリゾートホテルで私の60歳誕生日と定年退職を浜松在住家内の兄弟夫婦集まって祝ってもらいました、翌日御前崎の海鮮市場で買い物と昼食、美味しいカツオを食し、それぞれ解散、家内と途中の横須賀城に60歳・定年退職記念登城と14年前の平成20年4月中旬洒落込みました。
近いので都度ある如く訪ねています。
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