たかすじょう

鷹巣城

福井県福井市

別名 : 高須城
旧国名 : 越前

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城址碑
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しんちゃん

林道ジャバミ線はやめといたほうが良いです。(四駆除く) (2023/12/10 訪問)

鷹巣城は標高438mの高須山の山頂部に築かれています。林道ジャバミ線を使えば山頂まで比高90m程度の所まで行けますが、酷い荒れ道で車が傷ついてしまいます。車が大事な方は白山神社から歩いて登りましょう。四駆の車高が高い車なら大丈夫です。
駐車場には熊出没注意の看板がありますが猪のフンが落ちています。猪の縄張りなら熊は出ないでしょう、たぶん。熊スズを鳴らしながら山頂にたどり着くと広い郭が広がります。立派な城址碑も立ち基本的に単郭の城のようですが遺構も残っているようです。北東には土塁と堀切らしき跡が残り、北西には段々の平地が幾つかありました。戦国期の改修は見られないようですが登城道の途中に竪堀らしきものがありました。
鷹巣城は南北朝時代に新田義貞四天王の一人、畑六郎左衛門時能がわずか300人で籠り、7000人もの北朝の軍を相手に一年以上籠城したとされています。暦応4年10月時能はわずか16騎を率いて城を脱出し伊自地山を目指すも奮戦の末に同地で討死し鷹巣城も落城したと現地案内板に記されています。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ14日目:鷹巣城 (2022/08/02 訪問)

朝倉山城からの転戦です。林道入口(36.111898、136.106542)から進入し終点に駐車場があります。
登り口右側に髙山鉄五郎碑(城址碑建立の資金集めの途中、川に転落死した同氏の供養碑)があります。

南北朝時代、新田義貞の四天王の一人畑六郎左衛門時能(ときよし)が足利方の大軍と戦った城だそうです。
1338年(暦応元年)に総大将新田義貞の戦死、翌1339年(暦応2年)には後醍醐天皇の崩御と大きな痛手を受けた南朝方の城は、北国において鷹巣城だけとなりました。
畑六郎左衛門時能は1年以上、鷹巣城に立て籠もりますが、1341年(暦応4年)城を脱出、勝山の伊地知山を目指したものの奮戦の末同地で戦死、程なく鷹巣城も落城しました。

遊歩道を登ると頂上手前に竪堀があり、その先に説明板があります。
主郭は広く、中央に「鷹巣城址」の石碑や祠、方位板があります。
歩行距離を短くする為、林道を車で走りましたが悪路です。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=小黒丸城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 畑時能
築城年 南北朝時代
主な城主 畑氏
遺構 曲輪、横堀(空堀)、竪堀
再建造物 石碑、説明板
住所 福井県福井市高須町