みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

牛若丸

現在は神社になっています。 (2022/12/05 訪問)

本丸跡は上杉神社になっています。
堀に囲まれた平城です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

牛若丸

足湯がありました。 (2022/12/05 訪問)

12月で寒かったので足湯が気持ちよかったです。
復興天守ですが見事でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

牛若丸

前日に降った雪が積もってました。 (2022/12/05 訪問)

前日に降った雪が残っていました。
かなりの急坂もありましたが見応えのある山城です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

牛若丸

本丸跡に入れなくて (2022/12/05 訪問)

山形旅行のついでに登城。
本丸跡には11月末までとは知らずに。残念。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

牛若丸

浦添城にも行きました。 (2022/10/11 訪問)

首里城に行ったついでに浦添城にも寄りました。
ゆいレール浦添駅から歩いて10分位のところにあります。
公園になっており遺構も残っています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

牛若丸

首里城 (2022/10/11 訪問)

久しぶりに投稿します。
10月に登城しました。
景色がものすごくきれいで、石積みの城壁は本土の城とは趣が異なるものでした。
とても素晴らしいお城です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

AJ

首は飛んだか (2020/08/28 訪問)

掛川城(静岡県掛川市)は来月末まで修復中のため、現在は天守を拝めません。待ちきれない方々のために蔵出しです。

市民がこよなく愛する古式な復興天守。近世城郭化は山内一豊によります。当時の資料がないため、後に一豊が高知城を建てる際に掛川に倣ったという記録をもとに国内で初めて木造再建されました(1994年)。歴史を紐解いてみると、武田と徳川の駿河侵攻で城域には両軍が入り乱れたそうですが、結局どちらも城主にならなかったという珍しいケース。

天守以外の見どころは、なんと言っても二の丸御殿。日本に4つしかない現存御殿のひとつです。ここで問題:あとの3つはどの城のどの御殿でしょうか?

さて、おまけ。町内に珍しい地名を見つけました。

「十九首」。

10世紀後半の承平・天慶の乱で敗死した平将門らの首は坂東から京に運ばれる途中、この地で朝廷の使者に検分され、郎党19人分の首がこの地に埋められたそうです。弔いの首塚が立っています。

都大路で晒されて三日。その晩、首は突如夜空に舞い上がり、故郷に向かって飛び去った、、、。

将門の首にまつわる伝承は、その落下地点を含め諸説あるようです。そして、千年以上経った今も各地で献花が絶えません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ひろ

宇都宮城 (2022/12/16 訪問)

駐車場無料

+ 続きを読む

POYO58

ここも難攻不落であったか… 堀切編 (2022/12/03 訪問)

さあここは何と言っても見どころ。これ見ないと損ですよ!山を登って細い道を歩き、石垣跡を見た後、本丸への道がありますが、その道を行かないで真っ直ぐ行くと堀切跡に辿り着きます。この場所のポイントは3つ。一つ目は堀切がかなーり深いこと。こんなの堀切と言えるのだろうかと言えるくらいかなり深いです。私たちはその堀底を見ることができます。二つ目、堀切に低石垣が用いられていること。これは織田信長のものと考えられますが、野面積みの石垣が良好な状態で残っています。三つ目、転用石が用いられていること。これは疑問ですが、堀切の石垣にはお地蔵さんが一緒に積まれています。結構はっきりわかります。転用石はここにもあったので、福知山城を築いた明智光秀がここで石垣の創造に用いたのかなと思いましたが、本当はどうかわかりません。堀切の先には、城ではあまり見ない連郭式曲輪が残っています。これも見たほうがいいですよ。
さあ、本丸へと向かいましょう♪続く

+ 続きを読む

カズサン

徳川四天王榊原康政生誕の城 (2022/12/11 訪問)

 井田城を終えて北西に約5km程の所に城びと登録で未踏の上野上村城が在り、初登城しました。
 車は同城域の上野区民会館の南前が駐車場、県道239号線の北沿い、同駐車場を利用、トイレは一段低くなった西隣の藪間公園にあります。
 情報源は古城盛衰記さんグーグルマップに依ります。

 駐車場より東正面に城山稲荷の赤い鳥居、徳川四天王榊原康政生誕之地の石碑が新しく目を引く、正面右の開館横に上野上村城の解説板が有り、諸国古城之図より三河上野の縄張図(広島浅野文庫)が描かれて解説がされて居る、赤い鳥居を潜って櫓台?へ2段の櫓台に社が夫々鎮座し参拝見学、櫓台と土塁が東から北に残っている、樹木が密集して良く見えない、写真写りも今一、上野区民会館の北の広場には西側に護国神社が鎮座、北側の高まりは土塁の残りか?忠魂碑が建っている、北側から東にかけては、川が流れて水堀の様子、西側は低く成って空堀か沼跡か、現在は藪間公園と成って居る、藪間公園からは土塁が高く見える。
 諸国古城図上野城と比較すると本丸が残り周囲の水堀の北側東側は現在の河川、南側は開発で道や住宅、西の水堀は現在の藪間公園の様です、西と南の曲輪は開発で消滅、本丸だけでも良く残って呉れたものです。

 歴史は2番目に掲載の写真をご覧下さい、ただ榊原康政生誕の地はここより南約300mの会下城(上野下村城史跡マーク有)とも言われてるとも書いてある。

 来年の大河ドラマ「どうする家康」での榊原康政の活躍と、上野上村城が賑わう事が心待ちです。
 
 
 

 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

いかにして「全国唯一」になったのか (2022/06/26 訪問)

「自衛隊が駐屯する全国唯一の近世城郭」として知られるが、どうやら鎮台兵が駐屯できる場所が本来の駐屯地である新潟になかったのと、戦後米軍が一時的に利用していたことがその要因になっている・・らしい。

+ 続きを読む

todo94

城カード「再建天守シリーズ」ゲット (2022/11/13 訪問)

向羽黒山城から見た雲海の底に沈んでいる鶴ヶ城は、淡く霧に包まれていました。初めて訪れた1984年3月、大学4年になる前の春休みと似た感じでしたが、その時は残雪がかなりありました。リニューアル工事中の天守はパスして城カードをゲットし、紅葉がきれいに色づいていた北出丸を散策して福島遠征の〆としました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カナ

壮大な景色 (2016/06/10 訪問)

家族で行った思い出深いお城

+ 続きを読む

にのまる

金ヶ崎要害 (2022/11/27 訪問)

重要伝統的建造物群保存地区の町並みと合わせて散策しました。
金ヶ崎城址として公開されている広場は二の丸にあたり、北上川の美しい景色を望めます。
諏訪公園へ渡る谷はかつての役割を彷彿させる豪快さがあり、金ヶ崎神社や諏訪小路沿いの堀跡にもいにしえの姿を感じることができました。
道案内は何箇所かありましたが、みなさまのご投稿写真にもれなく掲載されている説明板はなくなっていました。それならばと、カズサンさんのお写真の「金ヶ崎城跡」碑をさがしたのですがこれも見当たらず……。諦めかけていた時に目についたのが写真⑦の石です。多分ここだったんじゃないかな?




☆お城EXPO、今年は前売り券も指定券も買ってなくて検定も申し込んでいないです。
ですが、興味のある厳選プログラムがあるのと、お城EXPO先行発売の「城カードフォルダー」をゲットしたい😍 あと入浴剤♨も欲しいので。。。
前夜祭は、仕事が17時上がりなので『行けたら行く』で、17日(土)は『行く気がする』で、18日(日)は『行けない』です。
ではニアミスで🫡

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

再訪することもないけれど (2022/12/03 訪問)

北浦和駅から徒歩で15分くらい。
前回の訪問時にあった説明板はなく、近所の公園に針ヶ谷三山と天神山の説明板が立っていました。
周辺は住宅地になっていて遺構はありません。
今回は説明板にある針ヶ谷三社に行ってみました。
が、天神山は双恵幼稚園になっていました。
針ヶ谷三社も敷地内に。
休日だったので門の外から写真撮りましたが平日なら明らかに不審者ですね。
お昼、浦和なのでうなぎにしようと思いましたがお手軽なスタミナラーメンを頂きました。
熱かった。

+ 続きを読む

赤鬼の城 (2022/12/15 訪問)

 久しぶりの彦根城です。国宝の天守閣だけでなく太鼓門、天秤櫓、三重櫓、多聞櫓等が重要文化財となっていてすばらしいのですが、自分が好きなのは高石垣と登り石垣です。水堀もよく残っていて、以前は城の周囲も散策したのですが、今回は、外は回っていません。
有名な城址を見学するなら葉が落ちていて城が見やすく、また観光客も少ない12月~2月頃がいいと思っています。この日の観光客は数人はいましたが、かなり少なく人が写りこまない写真を撮ることができました。久しぶりにひこにゃんにも会いました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

POYO58

ここも難攻不落であったか… 伝二の丸、石積編 (2022/12/03 訪問)

さて山の坂をどんどん登っていきます。整備はされていてよかったですが、くねくね道できつい。獣柵も付いていました。熊には気をつけて。
10分ほど登ると伝二の丸に着きます。そこには土づくりの食い違い虎口が残っています。小高い土塁で虎口を隠し、少し曲がった瞬間に砲撃できるような仕組みになっていました。またその前にある土塁の上から横矢掛けができるのでなかなか堅固です。
二の丸探訪を終えて更にいくと広い場所に出ますが、道が細くなります。そこを気をつけて歩くと右手に石積があります。こちらも埋め立てられていますが、はっきりと見えます。野面積みの石垣で高く積み上げるのではなく低く積み上げられていました。これはなんの意味があるのでしょうか?疑問です。知っている人がいたら教えて欲しいです。
さあでは一番の見どころ堀切へ向かいましょう♪続く

+ 続きを読む

佐々木道誉 (2022/12/15 訪問)

 勝楽寺から登城路が整備されています。といってもトラロープが張られている所もあり、歩きにくい所もありました。尾根に曲輪を配置した縄張りですが堀切などはないように思われます。主郭の案内板を見ると「ところどころに縦堀りがあり、全国的に珍しい「うね状縦掘り山城」として、、」と書いてありました。畝状竪堀がどこにあるのか探してみましたがわかりませんでした。主郭の南面と北面には多くは崩れていますが、石垣がみられます。勝楽寺の山門は勝楽寺城の上藹屋敷の城門を移築したものと伝わっています。
勝楽寺には佐々木道誉の墓があります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

零汰

770年前に怡土城跡に築城 (2022/10/22 訪問)

怡土城を抜けると行き着く所は高祖城のうち、下ノ城と呼ばれるⅡ地区になります。Ⅰ~Ⅴ地区の5つに分かれているらしいのですがそうとも知らずに下ノ城(Ⅰ区)~上ノ城(Ⅱ区)~V区と廻りました。上ノ城とV区との間には高い切岸と堀切があり、石積も見ることが出来ます。V区は東側に300m程延びていて小さな曲輪や土塁を見ることが出来ます。

一旦城域に入って歩き続けると大まかな範囲は把握出来るのだが、帰宅後おさらいしてみると北側にⅢ・Ⅳ区がある。写真をみて思い出してみると確かに藪に埋もれた斜面があったのできっとそこの様です。報告書には堀切群や畝堀・小曲輪が存在しているらしいです。

参考:城郭放浪記さん・福岡県中近世報告書

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

零汰

1250年前の遺構 (2022/10/22 訪問)

約1250年前に、朝鮮半島の備えの為に造られた古代城だそうです。

3年前から気になっていて高祖城との関連を調べながら機会を伺っていました。訪問ルートは把握出来たが訪問時間が曖昧でした。そこで行き着いたののはYAMAPアプリ、そこにルートが載っており大まかな時間も把握することが出来ました。登山アプリは情報の少ない山城のルートを調べる事が出来るので割と重宝しています。但し登山道が整備されている場所に限ります。

訪問参考データ:3時間35分:7.9km:累計高低差506m

マップ左上辺りにある高台寺公民館に駐車して、怡土城から高祖城に抜ける登山道を利用して高祖城からは一般道を歩いて戻りました。こちらは勾配も緩やかで歩き易いです。

望楼と呼ばれていて登山口より第五~第一まで残っていて、当時は建物があったようで基礎石が残っています。基礎石の残っている曲輪が五つ、尾根道で結ばれている曲輪群のイメージです。尾根道には所々石塁や石畳の名残と思わせるような跡が有り、左手には何本かの竪堀を見ることが出来ました。

第一~五の間に確認されているだけで2か所の陣(砦)となって高祖城の出城となって再利用されていたようです。第二望楼は高来寺砦、第一望楼は草野砦として望楼跡を使用していたそうです。2か所の存在は情報として持っていましたが、当日確認出来たのは草野砦だけでした。高来寺砦の正確な位置は帰宅後おさらい時間で知ったので見逃しています。(8~10の写真が草野砦)

総合的に考えると、尾根道にある石塁と石畳らしき名残と竪堀は高祖城築城の約770年前以降に施されたのかもしれません。興味を覚えたのは現在は望楼は五つだが、実は高祖城の位置まであと幾つか存在していて、築城時に飲み込まれて同一化されたのだろうという考察。文章を読む時はピンと来なかったが、自分の目で見て歩いてみるとすんなり理解出来て興奮してしまいます。(大土塁が高祖城域まで存在しているので高祖城の前身は怡土城だったと容易に想像できました。)

参考資料:城郭放浪記さん・福岡県中近世報告書

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ710