駐車場は三重隅櫓前のお城東駐車場が安くて便利です。スタンプは城跡に隣接している高山神社玄関前、御城印は津駅にある観光案内所にて販売しています。内堀と石垣が美しい城です。特に高虎によって拡張された石垣は高く積み上げられて迫力があります。
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2022/10/09 20:23
2022/10/09 19:39
蒲生氏郷公が築いた名城を訪ねて (2022/10/09 訪問)
駐車場は市民病院近くの松阪市駐車場が無料で利用できます。駐車場から表門跡まで徒歩数分です。スタンプと御城印は城内にある歴史民俗資料館内にあります。城内に残る石垣は蒲生時代の野面積み、江戸時代の算木積み、打込みハギが確認でき、いずれも迫力があります。現在、本丸上段、金ノ間櫓跡石垣の修理工事中で通行出来ない箇所があります(平成5年3月15日まで)。
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2022/10/09 18:28
2022/10/09 18:06
お城探訪 (2022/10/08 訪問)
しっかりと土塁に囲まれていてお城です。
中は住んでいる方がいるので見れませんが、外から見れるだけでも良かった。
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2022/10/09 16:08
長野旅行PART4(last) 高島城 諏訪湖の浮城 (2022/08/19 訪問)
小諸城を終えて一泊した後、昼から高島城に訪れました。高島城は諏訪頼忠が家康と江戸に移ったことを機に、豊臣秀吉の家臣、日根野織部正高吉が諏訪に移り、高島城を築きました。高吉は安土城や大坂城の築城も担っていたため、城造りは得意だったそうです。7年かけて築いた後、1601年諏訪頼忠が戻ってきて諏訪高島城の城主になりました。明治時代の廃藩置県によって天守は壊され、公園となりましたが、今は櫓と天守が復元されています。
高島城は周りが水堀で囲まれていて、石垣がたっています。石垣の上には復元土塀が置いてあります。高島城はおそらく周り混むのが大変な城だったと思います。冠木門から中に入りますが、そこまで辿り着けない気がしました。櫓や天守は復元なのですが、石垣が一部残っていて、三の丸門も現存しています。おそらく当時は冠木門と三の丸門の二つの門、土戸門の三つしかなかったと思います。中に入るとひろい本丸があり、池がありました。当時もここは庭園だったのかな?天守に入ってみると中は資料館になっていました。御城印を買い、スタンプを押して最上階へ、天守からは本丸全体を観れる他、桑原城など武田信玄が攻め落とした諏訪氏の山城も見えます。さらにうっすらですが形ははっきりと富士山が見えました。
石垣は野面積みが多くてどこへ行っても横矢掛けになりご愁傷様です。復元度は多いものの当時の面影が想像できて面白かったです。
評価
遺構★★
建物★★★
行きやすさ★★★
全体★★★
攻城時間
40分くらい
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2022/10/09 16:00
八幡山のロープウェーを使って
徒歩30分程の登山道もあるようですが、ロープウェーで行きました。5分弱です。往復で買うと少し安くなります。周辺に駐車場もあります。現在は石垣等が残るだけですが、思ってたよりも切り立ったような形の山で、変わった形をしているように思いました。大きな石を運ぶのは大変だったでしょうね。
近くには日牟禮八幡宮、近江八幡の町並み、ヴォーリズ建築、水郷めぐりや、クラブハリエやたねやでお菓子を買ったり、カフェで一休みもできます。
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2022/10/09 15:58
土の城から総石垣の近世城郭へ (2022/09/10 訪問)
歴史好きの仲間たちとの福島方面の旅、二日目は田村郡三春町へ。天然記念物の「三春滝桜」で有名なこの町、春には桜目当ての観光客で大層混み合うらしい。攻城にあたり、先ずは三春城の基礎知識を得るために歴史民俗資料館へ。教育委員会作成の「三春城跡」のパンフレットをいただいた。これには田村氏(戦国・安土桃山時代の城主、伊達政宗の正室愛姫・陽徳院の実家)時代、松下氏時代、そして本丸周辺が総石垣でその上に白壁の城壁が巡る、おそらく秋田氏以降の図が掲載されている。
三春の城は永正元年(1504)に三春田村氏によって築かれ、会津藩の支城・与力大名の居城を経て、正保2年(1645)から秋田氏の居城として維新まで続いた。まさに中世の土の山城に始まり、会津蒲生氏による石垣構築、藩政時代初期の総石垣・瓦葺建物の構築と永く利用された城である。
今回は本丸西下の駐車場まで車で登ったため本丸の周辺だけとなった。次回は街中の追手門跡から二の門、三の門、本丸表門へのコースを歩いて登り、西側の二の丸跡、南東側の三の丸(東館)跡なども確認したいと思う。
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2022/10/09 11:23
2022/10/09 07:16
大松山 (2022/08/18 訪問)
備中松山城の大松山は臥牛山で最初にお城が築かれた場所で、臥牛山の最高峰480mに築かれた中世の城郭です。中世の城郭としては大規模なもので、鎌倉時代から戦国時代にかけて使用されたお城です。松山は、大松山、小松山、天神丸山、前山という4つの峰を持ち、曲輪が7段にわたって築かれており、堀切も見られます。相畑城戸跡は、昭和30年代まで人家があったと言われており、人家に伴う石垣なども見られますが、遺構としては石積みや井戸、土塁などが残っています。大松山で土塁が確認できるのは、この相畑城戸跡だけです。また、大池と呼ばれる周りを石垣で囲った池は、かつて「血の池」とも呼ばれており、敵方の首を洗ったとも血の付いた刀を洗ったとも、言い伝えが残っている池です。池が石垣で囲われた珍しい池で山城で貴重な水場であったと考えられています。
最初この地に城を築いたのは、秋葉重信で現在の高梁市一帯の地頭です。もと相模の国の武士で1221年の後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して兵を挙げた承久の乱の軍功で、この地の地頭になりました。
その後は、高橋氏、秋葉氏、上野氏などと続き、1521年頃から台頭してきた三村氏が、大松山を拠点に備中に覇を唱え、大松山から天神丸山、小松山などに曲輪群を広げ、山麓に居館にあたる御根小屋も置かれました。三村氏は備中兵乱を経て滅亡。その後の城主は前回備中松山城で挙げた通りです。
今回、大松山に訪問し、「朝田辰兵衛さん」の投稿にあった「蚊が執拗に体当たり攻撃」に自分もやられました((+_+))本当に木橋を過ぎた辺りから侵入を拒むかの様に、蚊なのか小蠅なのか分かりませんが体当たり攻撃を受け、たじろき一時水の手門跡まで撤退(>_<)、意を決して再度チャレンジ。再度執拗な攻撃を受けましたが、たじろく事無く突き進み、結局木橋付近侵入から一通りの見学を終え、木橋を出るまでストーカーの如く付きまとわれました。おかげで切通し及び番所跡の見学をすっかり忘れてしまい、次回は冬の時期に行こうと考えています。
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2022/10/09 05:45
志方の城山 (2022/10/08 訪問)
室町時代赤松氏によって築かれた城です。
駐車場からは整備された道を登って行きます。途中、毘沙門岩があり近くに旧道の登り口があります。近道ではあるのですが険しそうなため新道で登城しました。途中から階段になります。本丸までの道は整備されていて歩きやすいのですが、少し外れると雑草が多く、また蜘蛛の巣も多く鬱陶しい状況でした。本丸からの眺望はすばらしい。「歴史の小径」の標識のある場所から北方へ進み、搦手門の跡を経由して降りて行くと堀切が2カ所ありました。外側の堀切(掘割と表示してありました)は圧巻で見ごたえがあります。井戸は2カ所あるのですが、1ヵ所はロープが張ってあり行くことができません。
筍の皮伝説のエピソードは初めて知りました。城方は敵が滑ってしまうように油を塗った筍の皮を山一面に敷き詰め羽柴軍を悩ませましたが、その筍の皮に火を放たれた為、火が城に移り落城したとの話です。他にも「たいの坂」という登城口から鯛を見せびらかし、兵糧が搬入されていることを誇示した話。姫君が井戸に落ち、その後井戸から姫の幽霊が出るようになったという話も伝わっています。
遺構の散策も楽しめますが、エピソードもおもしろい城です。
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2022/10/09 05:27
黒田官兵衛妻の実家 (2022/10/08 訪問)
黒田官兵衛の妻の実家として知られている城で、観音寺の境内が本丸跡と伝わっています。遺構はないと思われます。
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2022/10/09 05:22
神吉頼定 (2022/10/08 訪問)
三木合戦の激戦地として伝わる城です。常楽寺付近が本丸跡と伝わっています。遺構はありません。
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2022/10/09 05:11
加古川評定 (2022/10/08 訪問)
JR加古川駅から徒歩約15分で城址といわれている称名寺に行くことができます。糟屋武則が城主を務めたこともある城です。遺構はありません。
境内には南北朝時代、塩治高貞が加古川で追手に襲われた際、主君を守ろうとして奮死した従臣7名を供養するために建立された七騎供養塔があります。塩屋高貞は人形浄瑠璃等の代表的な演目「仮名手本忠臣蔵」に登場する塩治判官のモデルとなった人です。
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2022/10/09 04:53
2022/10/08 23:59
2022/10/08 20:31
八代城散策Ⅲ、宝形櫓・月見櫓台から大天守台、南~西面城塁 (2004/07/15 訪問)
先に投稿した「八代城散策Ⅱ、欄干橋から南東面城塁」の続きで、宝形櫓跡からの俯瞰から三樹間櫓跡、横櫓、開口された南側城塁、開口部の参拝橋を渡り、南側から内濠越しに城塁を眺め、角に掲示されてる八代城復元俯瞰図をじっくりと観察し往時の八代城にしたる。
南西角の月見櫓台から西面の城塁を北へ、小天守台、大天守台の西面を観察。
素晴らしい城塁、櫓台、天守台で惚れ惚れと内濠越しに復元俯瞰図を脳内に甦りさせ、しばし眺める。
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2022/10/08 19:53
2022/10/08 10:11
2022/10/08 08:36
米津氏陣屋 (2022/09/19 訪問)
館林城から古河城へ向かうため、久喜駅で乗換。
徒歩で10分の久喜陣屋へ立ち寄りました。
この日は台風が接近していましたがちょうど着いた時に土砂降り。
びしょ濡れになってしまいました。
徳川家康が関東に入った際に三河旗本の米津田政が久喜に陣屋を構えたとのこと。
陣屋跡は御陣山児童遊園になっていて遊具が置いてあります。
当然この日は誰も遊んでいませんでした。
首塚とされる土盛はありますが遺構はありません。
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