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にのまる

「関ケ原陣跡制覇ウォーキング2022」に参加しました。 (2022/09/25 訪問)

 選択した「制覇コース」(距離16km/所要時間約6時間)には21箇所のチェックポイントがあり、その11番目が松尾山でした。東軍→西軍陣跡とまわるコースのちょうど真ん中です。
 それまで持っていた松尾山のイメージは家康から見下ろされ出撃も容易な小山で、「城」にカウントされているとも思わないでいたのですが、実際に行ってみると結構な山城でした(゚д゚)!
 松尾山の高低差は約200メートル。麓の案内板には距離1.5km、徒歩約40分で山頂の小早川秀秋陣跡に到着とあります。既に出発から3時間以上歩いていましたが「登る」以外の選択肢はありません。楽ではなかったですが登山道を整備してくださっていて、迷ったり漕いだりするようなことはなかったです。
 約30分で山頂に到着しました。陣跡らしい土塁も残されています。山のてっぺんまで歩いて登ったのは3か月ぶり。イベント中でそこそこ混雑してはいましたが、関ヶ原を一望し、桃配山を眺め、あのかわいらしい肖像画の青年の姿を思い浮かべたりしました。
 しかし、16時までにゴール地点の笹尾山のスタンプをゲットしなければ失格(無効)となるルールがあるので、そうそうゆっくりもしていられません。聖蓮寺方面へ向かって下山しました。こちらにも枡形虎口や土橋がありました。


今回巡ったコースは写真⑧のとおりで、何とか時間内にゴールインできました。(別投稿で各陣跡の感想など記したいと思います。)

帰省の折など新幹線で関ヶ原を通るたびにいつか歩いてみたいと思っていた願いが叶い、思い出深い一日となりました。実際に各陣跡を歩いたことで配置や距離感も掴めたので、来年の「どうするMJ」が楽しみです(´艸`*)

今回、コース序盤でゆっくりしすぎたせいもあってか7時間以上かかり、16kmのはずが28km以上歩いているのは駅までの往復を入れても長すぎ…(; ・`д・´)な気もしますが、思い切って参加してよかったです。
といっても前日と翌日が仕事のため日帰りするしかなく、朝6:00品川始発の新幹線に乗り8:23に関ヶ原駅到着(名古屋で新快速に5分で乗り換えがドキドキでした)……からの出陣で、帰りもとんぼ返りだったので、古戦場記念館にも笹尾山交流館にも駅前観光交流館にも関ヶ原ウォーランド(←いちばん行きたい)にも、コースになかった桃配山にも行けませんでした。来年これら込みで計画を立ててまた参加出来たらいいなと思っています。

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POYO58

長野旅行PART3 小諸城 重要文化財大手門 (2022/08/18 訪問)

本丸の探訪を終えて、駐車場へと戻りましたが、大手門を見るのは欠かせなかったので、急いで見に行きました。大手門は三の門(こちらも重要文化財)と違って昔からほとんど復元していません。三の門は江戸時代に流水によって流されて復元しています。(でも現存扱い)しかしこの大手門は仙台秀久が築城した当時のものが存続しています。大手門の隣には大きな石垣があり、門の堅固さが伝わってきました。

小諸城の探訪を通して、堀を見失ったことに気づきました。次再攻城する時は堀を探訪したいです。

評価
遺構★★★
建物★★★★
行きやすさ★★
全体★★★

攻城時間
1時間過ぎるくらい

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カズサン

薩摩の牽制も有った総石垣造城郭 (2004/07/15 訪問)

 八代城は一国一城にあって肥後は熊本城と八代城の二城体制、薩摩の睨みを効かせた総石垣造りの城郭でした、築城は加藤忠広が城代加藤正方に命じ元和8年(1622年)竣工した。
 縄張は本丸北西隅に大天守と小天守、北東隅に三階櫓、南西隅に月見櫓、南東角に宝形櫓が囲み周囲を多聞櫓と土塀が石垣上構え、虎口は北搦手口桝形埋御門と東の欄干橋大手桝形頬当御門が控え内濠が周囲を廻ってる、本丸の南と東に二の丸、本丸の南と西に三の丸、本丸の南には二の丸と三の丸を仕切る仕切り門が有る、本丸の西と北に北の丸、大きく二の丸の北と北の丸の北に出丸が構え、二の丸、三の丸、北の丸、出丸を外濠が廻ってる。

 18年前の平成16年7月中旬、出張の空き時間に二度目の登城と思いますがコンパクトデジカメで100枚ほど写真撮影しました。 
 車は当時、北の丸の東石垣沿いに駐車可能でそこに駐ました。
 
 探訪は本丸欄干橋から枡形、磨櫓跡上、宝形櫓跡上、三十間櫓跡上、横櫓上、本丸石垣を開口した神社参拝道、橋を渡り内濠外へ、内堀外から本丸南側の石垣を眺め、南西角辺りに八代城の復元俯瞰図が掲示して有り往時の櫓が建ち並んだ壮観な姿に驚愕し見とれる、西に廻り月見櫓台、西側石垣城塁、小天守台、大天守台を眺める、北側の搦手口廊下橋跡を渡り枡形虎口、埋御門跡の唐人櫓台、九間櫓台横を通り小天守台に上がる、小天守と大天守の続き石垣台を通って大天守台穴蔵虎口より大天守台へ穴蔵が構えてる、四重の層塔型天守で穴蔵地階を入れると五階建てさぞかし荘厳で立派だった事でしょう⁈
 
 大天守台から搦手口、唐人櫓台、九間櫓台を眺めて、小天守台南の石塁、南西隅の月見櫓跡、本丸神社参道橋から南にへ、内濠から南側の石垣城塁を眺める、横櫓台、三十間櫓台、宝形櫓台、東石垣城塁、磨櫓台、また欄干橋から高麗門跡、枡形、頬当御門跡、本丸内の三階櫓跡に登り、周辺石垣、内濠を見渡す、北側の石垣城塁、九間櫓台跡へ、下りて埋御門跡から北搦手口、北側の石垣城塁を眺めて、二の丸北御門櫓跡、北の丸石垣、北の丸の西に在る浜御茶屋松濱軒を訪ねるルートで回りました。
 約3時間半暑い中での探訪見学でした、圧巻の石垣造り、内濠、連結式天守閣の跡、枡形虎口の造り、元和8年ですから城造り最高到達点、加藤清正仕込みの城ずくりこじんまりはして居ますが立派な造りです、中に神社が鎮座し参道の為に南側の城塁を開口したのは残念ですが、本丸は良く残って居ます。
 
 今回は八代市立博物館未来の森ミュージアムには寄らず、後で立派な立体模型が有ると知り後日、立体模型目当てに登城しました。
 

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行ったお城登録

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赤い城

街を歩いて見ると (2022/09/19 訪問)

館林駅から徒歩で10分。
二の丸である市役所周辺が城跡です。
三の丸の土橋門はお馴染みですね。
土塁も残っています。
本丸は広く、土塁も残っています。
今回は外曲輪も歩いて見ました。
稲荷曲輪には現在尾曳稲荷神社が建ち、土塁も残っています。
近くに無料駐車場もありました。
西に向かって行くと堀と土塁も一部残っていました。
戦国時代には上杉氏、武田氏、北条氏の間で争奪戦がありましたが江戸時代には親藩、譜代の大名が入れ替わって入った城です。
駅前の花山うどんさんが有名ですが時間が早すぎて食べることはできませんでした。

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朝田 辰兵衛

千葉市内へと戻ったら… (2022/09/24 訪問)

千葉市内へと戻ったら,かなりの時間が稼げていたので,春日神社とその隣のマンションへと散歩に出かけました。日在城に登らなかったことで,約1時間浮いたのが大きかったです。
深入りしたら,蚊の襲撃に遭いました。「鼻ピーナッツ」ではありません…<笑>。

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カルビン

和田城 〒238-0114 神奈川県三浦市初声町3083−10 (2022/09/25 訪問)

ピーちゃんに何をした~!?



・・・某ソ〇ー損保のCMで出演されている横田栄司さんが鎌倉殿の13人で演じる和田義盛の本拠地・和田城に行ってきましたw


三崎口駅から横須賀方面のバスで訪問しましたが、丁度バスダイヤの改定直前で、以降横須賀ー三崎間のバス本数に影響するかんじだったので、事前の確認をしっかりされたし。


和田城自体に遺構は残っておらす、窪地がそれっぽいかな・・・くらいしか解りませんでした。
一応城碑と解説はあります。

和田バス停から歩いて城跡に行きましたが、バス停の側には和田義盛碑と、関連する白旗神社もあるので、セットで訪問が鉄板かと。

鎌倉幕府設立の立役者で、もっと脚光浴びてもおかしく無い人物だったんでしょうが、三谷幸喜監督大河ではお笑い路線メインとなっていた初代鎌倉幕府将軍・大泉頼朝時代は元より、二代目のシリアスな展開になてもコミカルば役回りとなってますなぁ(笑)


三浦半島には鎌倉幕府時代から戦国時代初期にかけてのお城や武将のお墓(主に三浦氏系)が多いのですが、交通の便が若干不便なのが玉に傷で・・・

ここも早朝出発で早帰宅したんですけど、片道2時間半もかかってしまい、結果あまり数訪問できなかったっす。。。
地図上では近いイメージなんですが、効率悪いな~orz


オマケに鎌倉にある和田義盛さんの一族の墓所とされる和田塚の写真も掲載しておきました。

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本多俊次 (2022/10/06 訪問)

 久しぶりに亀山城へ行ってきました。堀尾忠晴が丹波亀山城と間違えて、ここの天守閣を壊してしまったと伝えられています。現在、天守台には1636年に入場した本多俊次によって建てられた多聞櫓があります。三重県で唯一現存する城郭建造物ということです。この多聞櫓、かなり昔、昭和の頃、来たときは黒い板壁だったのですが、いろいろあって平成25年(2013年)漆喰の城壁となりました。櫓へは土日祝日しか入館できないため、今回は入っていません。周囲には門の跡など標柱が建てられています。また家老であった加藤家の長屋門と土蔵が近くにあります。

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佐久間正勝 (2022/10/06 訪問)

 北登城口より登城して南の森側出入口から帰ってきました。入口に未調査、未整備の遺跡であり気を付けて通るようにと注意喚起されています。北側入口を進むと、すぐに「かんざし井戸」があります。土塁、空堀、切岸など遺構が見られますが、確かに未整備なでもったいと思いました。しかも順路を進んでも、気が付くとズボンには「ひっつき虫」が多く付いていました(笑)。天守台と伝えられる付近には案内板にあるように石積みの痕跡がありました。

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侍ホリタン

明智光秀公ゆかりの地を訪ねて(その3) (2022/03/12 訪問)

明智光秀公の築いた城、安土城に次ぐ規模の城であったようですが、城の遺構は殆ど残っていません。駅からの場合、徒歩で30分ぐらいかかるので観光案内所でレンタサイクルを借りるのがオススメです。

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イオ

平泉寺城(南谷坊院跡) (2022/09/11 訪問)

(続き)

拝殿のあたりから南へ脇道を下って行くと南谷に至ります。南谷にはかつて三千六百坊もの坊院が設けられていたとされ、白山神社所蔵の平泉寺の絵図にも多数の坊院が軒を連ねる様子が描かれていますが、平成の発掘調査では階段状に造成された多数の平坦地(坊院跡)が確認され、石垣や石畳道が発掘・整備されています。

奥に謀反岩と呼ばれる岩壁のある神社のあたりから南に続く脇道に「南谷発掘調査地」の案内表示があり、案内に従って進むと発掘調査で発見された石畳道にたどり着きました。石畳道には南側を流れる女神川の河原石が敷き詰められており、坊院は石畳道によって縦横に区画されています。両脇の石垣には坊院への出入口が設けられ、排水路側の出入口には石橋まで架けられていました。石垣には矢穴の跡も見られます。石畳道をさらに上って行くと、発掘調査の成果に基づき土塀と門が復元されています。石畳道や石垣の整備だけでも充分満足でしたが、こうして土塀や門を復元してもらえると、往時の姿が一目瞭然でなお嬉しいですね。

復元土塀・門で引き返して、今度は分岐を南側(若宮神社)へ。こちらにも石畳道と石垣が続いていますが、石畳道沿い(西側)に幅広い横堀が! しかも横堀の向かい側にも石垣が施されています。おいおい、マジかよ…。ちょっと寄り道くらいのつもりが、こちら側にもこんな見どころがあったとは。城郭寺院は数あれど、これほど大規模かつ明瞭に復元された遺構はそう滅多に見られないんじゃないでしょうか。

…白状しますと、白山平泉寺を訪れたのはニッポン城めぐりのイベントのスポットに指定されていたからで、せっかく訪れるんだから一応ひと通り見て回ろうか、程度でしかなかったんですが、思いがけない収穫でした(続日本100名城公式ガイドブック巻頭の山城マニアックで写真付きで紹介されているのは帰宅してから知りました)。平泉寺も苔むす参道などなかなか見応えがありましたが、城好きとしては何と言っても南谷坊院跡がおすすめです。
 

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姫街道

KING of 山城 (2022/10/03 訪問)

さすが「日本の城ベストランキング」(晋遊舎)の「山城」部門で1位に選ばれただけあり、見学中に出会う観光客の数が一番多かったように感じた。
さて苗木城はどこから何を撮っても写り映えが良いですが、私のお勧めフォトポイントは、「足軽長屋」の曲輪部を本丸部に向かって2分ほど歩いて登ったところ!!
本丸、二の丸の全景が撮れます♪
紅葉時や冬化粧時は、もはや芸術レベルだと思います。
巨石を活用した山城と言うと、愛知県の松平城山城を思い出します。苗木城は、巨石に加えて石垣も見所の一つ。よくここまで整備・保存してくれたなと。感謝。

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赤い城

ネコがお出迎え (2022/09/11 訪問)

四ツ山神社の前に駐車スペースがあります。
神社の参道には猫が。
唐沢山城みたいですね。
登り口には杖もあり良心的です。
神社への石段の前を左に行くと犬走りがあります。
神社が建つ曲輪が主郭、見晴らしも良いです。
二郭、三郭と連なります。
間には堀切、二郭には虎口も残ります。
三郭の先の尾根道にも堀切がありました。
比企の城の中では地味な感じですが遺構もちゃんと残ってて良い城でした。

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カズサン

金婚式登城・石垣編 (2022/10/01 訪問)

 金婚式登城・建物編に続き、石垣編を投稿します。
 甲府城は小田原征伐後徳川氏関東移封後、徳川氏に対する東の要として豊臣方の浅野長政父子が手掛けた総石垣の城郭です、重層なる石垣群が圧巻の造りです。
 結婚記念日50年目に登城し目に付いた石垣写真を投稿します、以前投稿の甲府城と重なる写真はご勘弁ください、終りに甲府の有名人武田信玄公像の写真で締めます。
 

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カズサン

金婚式登城・建物編 (2022/10/01 訪問)

 50周年結婚記念日当日、武田氏館・躑躅ヶ埼館に鎮座する武田神社に金婚式に当たり感謝の参拝をして、南に位置する舞鶴城公園にある甲府城金婚記念登城しました。
 甲府城の登城は9年前の平成25年3月末に本丸鉄門が復元再建され登城して以来です、車は山手御門東の駐車場が無料だった事も有ったので、そこを利用しましたが現在は周辺整備されて有料駐車場に代わって居ました、30分は無料で30分毎に100円追加でした。

 登城探訪ルート:山手御門、中央線沿いの復元想像甲府城天守閣図を観察、中央線沿い北側エリアに在るお店街を通って、踏切より稲荷曲輪下、稲荷櫓東面を眺め、稲荷曲輪へ、本丸櫓跡から本丸へ、天守台、本丸鉄門、天守曲輪、稲荷曲輪門を上から望む、天守台下の天守曲輪周り、稲荷櫓、稲荷櫓続土塀、稲荷曲輪井戸、二の丸下、内松陰門、鍛冶曲輪門、鍛冶曲輪、坂下門跡、鍛冶曲輪から稲荷曲輪門に上がり、数奇屋曲輪、鍛冶曲輪から遊亀橋を渡り、濠外から濠、鍛冶曲輪土塀、天守曲輪石垣・本丸石垣・天守台石垣を眺める、石垣の重なりが素晴らしい景観です、東側の高石垣を眺める、鍛冶曲輪・数奇屋櫓台・数奇屋曲輪・稲荷曲輪の高石垣群は圧巻です、山手御門に戻り、甲府駅南口広場い在る武田信玄公像を妻は初めて対面、記念写真を撮って終了。
 甲府駅中コーナーで甲府土産に目が留まりゲット。

 建物編は平成16年復元稲荷櫓、平成25年復元本丸鉄門、平成19年復元山の手門、平成11年復元内松陰門、平成11年復元稲荷曲輪門、平成8年鍛冶曲輪門、復元再建年は良く分かりませんが稲荷櫓復元時あたりかなと思う稲荷曲輪北側の漆喰土塀、井桁修復の稲荷曲輪井戸、甲府城復元想像図「富士山と甲府城」も掲載します。
 鉄門、稲荷櫓等多くの建物が復元再建されてきています、次は是非甲府城天守閣の姿を観たいものです。
 

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イオ

平泉寺城(白山平泉寺) (2022/09/11 訪問)

平泉寺城(福井県勝山市平泉寺町平泉寺・城びと未登録)は、奈良期に泰澄が開いた平泉寺が戦国期に城郭化したもので、白山信仰の中核寺院として繁栄し、最盛期には寺領九万石九万貫、僧兵八千人を擁しましたが、朝倉氏滅亡後に越前一向一揆の攻撃を受けて全山焼亡しました。その後、羽柴秀吉らの庇護を受けて平泉寺としては再興したものの寺領は大幅に縮小し、明治の神仏分離令により平泉寺白山神社となって現在に至ります。

平泉寺は三頭山から西にのびる尾根上に主要伽藍を設け、南北両側の谷に六千坊と呼ばれる坊院を配し、周辺には6か所の砦が確認されています。発掘調査では坊院跡から数十万点に及ぶ土器や陶磁器などが発見されており、山中の巨大宗教都市だったことが窺えます。

参拝者駐車場に車を駐めて登城開始…の前に、白山平泉寺探遊館まほろばへ。白山平泉寺旧境内の総合案内施設(入館無料)で、平泉寺の歴史や白山信仰について映像を交えて紹介されており、発掘調査の出土品も展示されています。この日訪れるまで平泉寺についてはほとんど知らなかったので、まほろばで予備知識と散策マップ(おススメです)を仕入れてから参道に向かいました。

泰澄大師廟に手を合わせ、精進坂を上って一の鳥居をくぐると、左手に国名勝の旧玄成院庭園があります(入園料50円)。管領 細川高国の作庭と伝わる枯山水庭園ですが、あまり手入れされていないのかやや寂れた感じがありました(それが良いのかもしれませんが)。参道から左手の脇道を下って行くと御手洗池があり、泰澄はこの地で白山神のお告げを受けて平泉寺を開いたと伝わります。御手洗池は「平清水」「平泉」とも呼ばれ、平泉寺の名の由来となっています。

二の鳥居をくぐると青々とした苔が一面に広がり、その先に拝殿が建っています。拝殿の裏手に回って大石垣の石段(写真を撮りそびれました…)を上った先には、本社を中心に、右に別山社、左に越南知社が建てられており、それぞれ白山の三つの峰の神を祀ったものなんだとか。

本社からさらに奥に続く参道を進んだ先には三之宮があり、その手前には楠木正成公墓塔が建てられています。どうして越前の山中に楠公さんが? と疑問に思って説明板を見ると、平泉寺の衆徒だった大楠公の甥が騎馬姿の大楠公が夢枕に立ったのを不思議に思っていると、その日に湊川の戦いで討死していたことを知り、石塔を建てて供養したとのこと。楠公さんも日本中至るところにゆかりの史跡がありますね。

三之宮の奥は白山へと続く越前禅定道の起点となりますのでここで引き返して、今度は南谷坊院跡に向かいます(続く)。
 

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赤い城

武士の鑑 (2022/09/11 訪問)

大河ドラマ鎌倉殿の13人で中川大志さんが演じた畠山重忠の館跡です。
駐車場もあり、すぐに像が立っていました。
公園として整備されています。
お墓や産湯の井戸があります。
遺構は無さそうですが地域の方に大切にされている公園のようです。

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朝田 辰兵衛

駅から徒歩なら… (2022/09/24 訪問)

JR上総一ノ宮駅から徒歩なら,わざわざ西側の大手門方向に廻り込む必要ナシです。国道128号線に出たら,実本寺ワキの小道を入っていくと,加納久宜公の墓へ案内する石段があります。墓を越えてしばらく進むと振武館裏に出て,模擬塀が目に入ってきます。

カズサンさんへ。
台風15号の被害が最小で安堵いたしました。
直峰城ですが,冬場にスタッドレスタイヤに替えるようでしたら,散策は12月に入ってからがイイかと思います。妙高山初冠雪の時季が狙い目。しかし,太平洋側に居住していると冬場にスタッドレスタイヤに替える習慣がないと聞いておりますので,その場合は11月中旬が安全策かと思います。
ただし,これは通常シーズンです。今シーズンはラニーニャ現象の影響で,11月下旬頃にドカッとひと降りするんじゃないかと予想されてます。例年ですと,12月10日頃にドカッとひと降りします。

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