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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:湯築城 (2022/07/24 訪問)

花見山城からの転戦です。城址前にある駐車場(33.848018、132.785291)に駐車しました。
2回目の攻城です。1回目は次男と二人で2017/2/17にクラブツーリズム「四国名城ハイライト4日間」で攻城しました。

現在は道後公園となり、一部に復元された武家屋敷や展示施設があります。
今回は、西側の外堀と内堀の間にある湯築資料館のみ覗いてみました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=松山城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:花見山城 (2022/07/24 訪問)

港山城からの転戦です。堀江新池公園駐車場(33.900199、132.752065)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、1368年(正平23年)伊予を脱して九州へ落ちていた河野通直が伊予に帰国して勢力の回復を計り、細川氏に降ってた花見山城の久枝四郎左衛門与利を降しました。
河野通直はここに陣を構えて大空城を攻めています。
その後、河野通孝(西通孝と同一人物?)が城主となり、西氏の末裔は西山氏に改姓して代々城主と続いたそうですう。

駐車場向い説明板が建てられ、祇園神社への登り口があり、途中に西山肥後守通倫の墓があるはずなのですが見落としました。
現在主郭は祇園神社、南側二段(2郭、3郭)は畑のようです。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=湯築城に向かいます。

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イオ

とことん江戸城(竹橋門~半蔵門) (2022/06/22 訪問)

(続き)

平川門の山里門からは細長い帯曲輪(立入不可)が西北西にのび、竹橋門まで続いています。竹橋門は北の丸への枡形門で、櫓門部分は道路になっていますが、わずかに高麗門の石垣が遺っています。

竹橋門を過ぎて平川濠沿いに西に進むと本丸北端の高石垣が目に飛び込んできました。中之門も天守台も圧倒的なスケールの石垣でしたが、ここまで高石垣に出会えなかったのが少々物足りなくもあったところに、大坂城の南外堀沿いにも劣らぬ折れのある高石垣が見られて大満足。それでこそ天下一の城ってもんですよね。

平川濠西端の土橋の先には北桔橋門があり、往時は木橋を跳ね上げる仕組みだったようで、現存の高麗門に吊るし金具が見られます。天守台裏手に直結する重要な門ですが、この高石垣に架かる橋を跳ね上げられたらどうにも攻めようがないよなぁ、と。北桔橋門の西側、乾濠沿いにも折れのある高石垣が続いています。

北桔橋門の西にある乾門は、往時は門は無く上覧所と呼ばれる施設があった場所で、明治に皇居への出入口として西の丸の紅葉山下門が移築されています。普段は閉鎖され通れませんが、一般参賀や乾通り一般公開では退出門になっているようです。

さて、乾門から信号を渡って北の丸に向かう……つもりでしたが、仕事の時間が迫っているため、北の丸は明日にして千鳥ヶ淵から半蔵濠沿いに歩いて半蔵門へ。半蔵門は江戸城の搦手門にあたり、江戸城の弱点とされる台地続きの内郭西側に設けられた唯一の門です。現在は半蔵門の奥には皇居御所があるだけに厳重に閉ざされており、土橋の手前から和田倉門から移築されたという高麗門が見られるだけですが、半蔵濠と桜田濠を隔てる巨大な土橋は圧巻で、桜田濠側から見ると想像を絶する土木量に圧倒されてしまいました。桜田濠は自然地形を活かしつつ鉢巻腰巻石垣で固めた、都心とは思えない雄大な景色が外桜田門まで続き、石の城としても土の城としても超一級品で、ブラタモリのお題の「江戸城は日本の城の集大成!」を実感しました(続く)。
 

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:港山城 (2022/07/24 訪問)

松前城からの転戦です。海岸沿い空スペース(33.868081、132.712546)に中止し、登り口(33.868533、132.712945)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、建武年間(1334年〜1338年)に河野通盛によって築かれたと云われています。
湯築城を居城とした通盛が海辺を防御するために築いたと城だそうです。
河野本家と予州家による内紛では、予州家の河野通春が拠点としていましたが、通春が病没すると攻め落とされました。
1585年(天正13年)豊臣秀吉による四国征伐で落城し廃城となりました。

港山集会所の向かいに案内板と登山口があり、そこから山へ入る遊歩道があります。
2郭全面に石垣があり、これを上がったところに土塁があります。
主郭は公園として整備されていますが、あとは竹藪と夏草で遺構はよくわかりません。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=花見山城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:松前城 (2022/07/24 訪問)

曽根城からの転戦です。松前城付近のガソリンスタンド(33.793204、132.701436)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、 南北朝時代には既に存在しており合田弥四郎が城主だったそうです。
1585年(天正13年)豊臣秀吉による四国征伐では、河野氏の部将栗上通宗・宗閑が城主でしたが、小早川隆景の攻撃によって開城しました。
その後、粟野秀用が70,000石で入封しますが、豊臣秀次の事件に関係して領地を没収されました。
1595年(文禄4年)加藤嘉明が淡路国志知城より60,000石に加増入封し、この加藤氏の時代に城は大改修されたと云われています。
関ヶ原合戦で東軍に参陣して留守になっていたところを、毛利氏が攻めたが決着がつかず関ヶ原合戦が東軍の勝利に終ったことで毛利勢は撤退しました。
その功によって20万石に加増された加藤嘉明は新たに松山城を築城し、松前城の石垣などは全て運ばれ廃城となりました。

県道22号線に面して公園にあり、付近に駐車場所がありません。
自分はガソリンスタンドで給油している間に石碑と説明板を確認しました。
ガソリンスタンドの女性がお話し好きで暫し、話に付き合いました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=港山城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:曽根城 (2022/07/24 訪問)

新谷陣屋からの転戦です。登り口碑付近先空スペース(33.562471、132.658113)に駐車しようとしましたが、チェインが張られ駐車できませんでした。
付近をウロウロしましたが路駐できず「低い登り口碑」(33.562661、132.657573)の写真を撮って撤退しました。

築城年代は定かではないようですが、1544年(天文13年)曾根高昌によって築かれたと云われています。
曽根氏の祖は宇多源氏佐々木高綱と云われ、近江国愛知郡曾根を名字の地とし、戦国時代に周防の大内義隆を頼り、さらにこの地に来て城を築いたとされます。
高昌の子、曾根丹後守宣高は天正年間(1573年~1592年)に、五十崎の龍王城主城戸直宗と争ってこれを滅ぼしました。
1585年(天正13年)豊臣秀吉の武将小早川隆景の軍が迫ると、曽根氏は隆景に降りました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=松前城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:新谷陣屋 (2022/07/24 訪問)

大洲城からの転戦です。麟鳳閣入口付近(33.539315、132.598758)に駐車しました。

1641年(寛永18年)加藤直泰によって築かれました。
新谷藩初代加藤直泰は初代大洲藩主加藤貞泰の次男で、1623年(元和9年)貞泰が没したとき、大洲藩領60,000石のうち10,000石を次男直泰に分知することとなりました。
しかし、兄である大洲藩二代泰興がこれを認めず、しばらくは紛争が続きましたが、1639年(寛永16年)に和解が成立し喜多郡新谷の地に陣屋を構えました。
その後、新谷藩加藤氏は泰觚、泰貫、泰広、泰宦、泰賢、泰儔、泰理、泰令と九代続いて明治に至ります。

新谷陣屋は現在の新谷小学校の地に築かれています。
最大の見所が麟鳳閣です。この建物は1868年(慶応4年)の建築で藩の評議所や謁見所として利用されたようです。
新谷保育所にある「上に時計台がある陣屋風の建物」は見学し忘れました。残念です。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=曽根城に向かいます。

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小荷駄

日野城跡 (2022/07/22 訪問)

日野駅から徒歩一時間位でした。駐車場とトイレは有りました。城跡に行く前に日野まちかど感応館でパンフレットを頂いてから城跡に向かいました。遺構はダム建設によりあまり残されていないけど仁正寺陣屋跡と合わせて一時間以上は散策をしてきました。城跡の入口に有る石碑の裏側にこれより西に十歩の所に大手門跡の文字が刻まれているのを見つけた時は今は茶畑ですがそこにはどんな門があったのか?と想像はつきませんでした。日野駅から往復二時間は歩きましたけど日野商人街道をあれこれ想像しながら楽しく散策出来ました。

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デデ

石垣が半端ない (2008/12/05 訪問)

2度程登城しましたが、途中の石垣の見事さは
圧倒されます。山城の醍醐味でしょうね。
天守閣にはお目付け役の猫も出迎えてくれます。
元気なうちにもう一度挑戦してみます。

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デデ

一番好きなお城 (2006/06/29 訪問)

学生時代から攻城中です。大人になってからも8回攻城。
木曽川に佇むこじんまりとしたお城ですが、夕日に浮かぶ風情は秀逸です。
城下町も近年若者が好むような食べ歩きが出来るお店が増え、訪問客が増えています。

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TK

暑い日でも (2022/08/09 訪問)

暑い日でしたが、中が涼しくて快適に見ることができました。

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イタさん

市街地の間近に良好な遺構 (2022/02/19 訪問)

築城に関して詳細は不明だが、平安末期の多田山城守の館跡などが多く載る。後北条氏時代に近くの小机城の支城として機能していたらしい。城跡は茅ヶ崎城址公園になり、中郭・西郭・北郭・東郭が散策できる。訪問時、一部に篠・雑草が多く、堀・土橋が確認しづらかった。定期的に整備されているので、訪問時期が合わなかったようだ。市街地だが緑の多い公園となっている。

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チェブ

番外編「馬防柵」の巻。 (2022/05/06 訪問)

たぶん 多くの方が、長篠・設楽原の合戦と言えば、信長さんの考案した 『鉄砲の3段撃ちと馬防柵』が思い浮かぶのではないでしょうか?
学生の頃、テストに出ると言われ暗記しました。

「長篠城」の後、古戦場巡りには『馬防柵』は外せません。
大きな『長篠・設楽原合戦図屏風』があり、現在の馬防柵と合戦図の馬防柵を見比べて出陣しました。
馬防柵側から見渡せば水田が広がり、連合軍38000VS武田軍15000が戦うには狭くないか?が、正直な感想です。
連合軍は別動隊が移動してたので、少なくなったとしてもです。
そして馬防柵の背後が丘になっていて、土塁の役割だったのか、こちらにも柵を建てれば砦のようにもなります。
武田軍には目の前の馬防柵、どのように見えたのでしょう?写真④の土屋 昌次さんは柵を二重、突破したそうです。もう、想像出来ません。

近くに、道の駅もっくる新城があり、寄りました。合戦関係のお土産が買えると思ったのですが、、、、。置いてない?
期待したのに、鉄砲ロールケーキとか馬防柵饅頭とか、、、、(笑)
因みに、こちらの男性用トイレは馬防柵をイメージした造りなんだそうです。

お昼御飯に、猪ラーメンを食べました。
メニューに熊カレーがあり 迷った結果、猪ラーメン。
お土産は、インスタントの猪ラーメンを買いました。
この戦いに参加された先人達は、猪や熊を食べて活力にしたのかな?
暗記した「長篠城」と『長篠・設楽原合戦』が、少しだけリアルになりました。

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カズサン

天守閣の雄姿をご覧下さい (2005/10/21 訪問)

 熊本城天守閣は明治10年の西南戦争で焼失し長く天守台のままと成って居ましたが、戦後復興のシンボル、熊本県民の誇りとして昭和30年代に天守閣復興のブーム(お城ブーム)の中、昭和35年大小天守閣が外観復元コンクリート再建されました。
 平成28年4月の熊本大地震で熊本城は甚大な被害を受け、石垣の崩落、建物の倒壊痛ましく、天守閣も倒壊を免れたましたが被害酷く、当時TV中継、ニュースで夜間ライトに映る、天守閣から煙のようなものが発生してる姿を見て、大丈夫なのかと心配しながら見ていた事を思い起します。煙のような状態は大小天守閣の屋根瓦が崩れ土ぼこりが起きていた様でしたが、大被害です。
 
 しかし大小天守閣は熊本県民、全国の城ファンの熱い希望に応えて、早くも復旧が完了して平成3年4月26日に全面リニューアルの特別公開がされて居ます。復旧の進捗状況を見守り適当な時期に復旧後の姿を訪ねたいと思って居ります。
 大小天守閣だけでも早く公開出来て、大変ありがたい、復旧に携わってる皆さんに感謝です、熊本の誇り、国宝には成ってませんが日本の宝です、今後の復旧を見守り支援し大切にしていきたい日本の城郭です。

 飯田丸五階櫓が木造復元された平成17年の10月に飯田丸五階櫓見学に訪ねて居ましたので、その時の天守閣雄姿をご覧下さい、まだ本丸御殿は復元工事中で外から覗ける場所が設置されて居ましたので見学、併せて滅多に眺望出来ないポイントで大小天守閣を撮影しました。
  

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城とマスク

千葉のお城巡り (2022/08/12 訪問)

茨城から千葉に移動して関宿城を見学しました。
真夏のお城巡りは水色パールラメが涼しくて良いですね。

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城とマスク

茨城のお城巡り (2022/08/12 訪問)

豊田城も記念撮影だけしました

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城とマスク

茨城のお城巡り (2022/08/12 訪問)

茨城県坂東市の逆井城に行きました、石垣のないお城も
良いですね。空の色に合わせた水色ラメのマスクを被り
ました。

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イオ

とことん江戸城(梅林坂~平川門) (2022/06/22 訪問)

(続き)

梅林坂はこの辺りに祀られていた天神社にちなんで太田道灌が設けた梅林を由来としますが、現在も道の両脇に梅の並木が続き、時季的に黄色く色づいた梅が実っていました。梅林坂の上下には二つの門があり、上梅林門を出たあたりの石垣は打込接ぎと切込接ぎがくっきりと交わっています。梅林坂を下って行くと、南側に汐見太鼓櫓台と中仕切門(たぶん)の石垣が綺麗に遺っています。下梅林門の櫓門を抜けると枡形が東西に細長く広がり、その先の高麗門には門の礎石も見られます。

下梅林門から皇居東御苑の受付を出ると平川門です。櫓門をくぐって枡形に入ると渡櫓と石垣の間に石狭間が覗いています。枡形には南側の櫓門、東側の高麗門に加えて、西側に山里門が設けられています。平川門は江戸城の鬼門に位置することから不浄門とも呼ばれますが、山里門は死者や罪人を運び出す際に用いられていたようです。高麗門を出たところの平川橋は江戸城の現存唯一の木橋で、擬宝珠にも慶長期や寛永期の銘が見られます。大手濠に架かる平川橋と平川門はなかなか絵になる光景です。

そして濠沿いに西へ。竹橋門に向かいます(続く)。
 

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:大洲城 (2022/07/24 訪問)

宇和島城からの転戦です。大洲城P(33.508150、132.5420)に駐車し、大洲城に向かいました。
その後、三の丸隅櫓(33.507074、132.5405)➡苧綿櫓付近(33.508225、132.542925)に向かいました。
2回目の攻城です。1回目は次男と二人で2017/2/16にクラブツーリズム「四国名城ハイライト4日間」で攻城しました。

本丸の東、「大洲郵便局」の北、肱川に面して重文「苧綿(おわた)櫓」が保存されています。
三の丸は市街地となっており、「お殿様公園」の敷地に「旧加藤家住宅主屋」及び重文「三の丸南隅櫓」があり、石垣が見られます。
前回見学できなかった三の丸南隅櫓と苧綿(おわた)櫓を近くで見ることが、今回の目的の攻城です。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=新谷陣屋に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:宇和島城 (2022/07/24 訪問)

樺崎台場(城びと未登録 愛媛県宇和島市)からの転戦です。城山下の有料駐車場(33.221151、132.565314)に駐車しました。
2回目の攻城です。1回目は次男と二人で2017/2/16にクラブツーリズム「四国名城ハイライト4日間」で攻城しました。

現在は城山公園として整備されています。
かつては大手門が残されていましたが、戦災により焼失、天守と搦手側にある上り立ち門が現存する建物です。
前回は搦手側にある上り立ち門側から攻城したので、今回は長屋門側から攻城しました。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=大洲城に向かいます。

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