2022夏の青春18キップ遠征5日目:河後森城
(2022/07/24 訪問)
宿泊先の中村プリンスホテルからです。河後森城駐車場(33.222855、132.708972)に駐車しました。
続100名城スタンプは河後森城跡西第十曲輪馬屋で押印しました。年中無休24時間、押印できるのは有難いです。
築城年代は定かではないようです。 戦国末期の城主は河原淵教忠(渡辺)で、土佐一条氏一族の東小路家から政忠の養子となった人物です。
1578年(天正6年)から翌年の間に、城主・渡辺教忠の近習だった芝源三郎が謀略により当城を奪いました。芝氏は土佐を統一した長宗我部氏に通じ西園寺氏に敵対していました。
1583年(天正11年)の四国の役の後、戸田勝隆により芝源三郎は放逐されました。
その後、当地を治めた藤堂高虎は当城の天守を移築して宇和島城(板島城)の月見櫓に移築したとそうです。
1614年(慶長19年)伊達秀宗が宇和島に入部すると、付家老桑折氏が7,000石をもって居城としましたが、元和の一国一城令により廃城となったようです。
河後森城は西第十曲輪、本郭、古城、南東の新城の各曲輪群から構成されています。。
西第十曲輪には復元された門、建物、土塁がありました。本城に石垣(石積)がありました。
堀切は西第2曲輪と西第3曲輪間、大きな堀切は本城から古城に向かう途中の古城手前にあり、新城にも二重堀切?がありました。
日の出前に到着した為、続100名城スタンプを押すまでは暗かったですが、攻城中に明るくなり、見学することができて良かったです。
攻城時間は55分くらいでした。次の攻城先=黒瀬城に向かいました。
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