浅野長政公宅跡として浅野公園として整備されています、養父長勝、秀吉の妻寧々などの思いも詰まる屋敷跡庭園です。
奥殿陣屋、岩津城跡を終えて高速の豊田東ICが数km程の距離で移動に大変便利、西に約60km程、一宮ICを降りて北へ3km程の所に浅野公園・浅野長政公宅跡が在ります。
住所:愛知県一宮市浅野八釼(浅野公園)
駐車場:浅野公園駐車場12~13台可能、浅野公園手前の通り沿い北(35°17'46"N 136°49’40”E)
城域は南東側南に張り出し、北側西に張り出し、北東は入角を周囲全周を水堀で覆ってる、大正6年に整備し水路は元堀跡の名残、水堀として整備もされる、公園としてツツジが植栽されて居り時期には綺麗に咲くでしょう、また藤棚も有り時期が待たれます。
北側奥には小高く土が盛られて石碑が有り元屋敷が在ったそうです、その西側に寧々の歌碑(「たちばなを 庭のまがきに 眺むれば 雲井の花を 恋しくぞ思う」天正16年1588年4月後陽成天皇聚楽第行幸を後に偲んで詠だ和歌)、寧々の水なる井戸が在り掘り起こされた時に出てきた神石と共にまとまって整備されて居ます。
更に西に長政公も好きだった囲碁の石碁盤も露出展示、夫々には解説板が付いています、西の隅に小山が有り傘亭(カラカサテイ)、この小山は狐山と呼ばれ、養老山脈、伊吹山が眺められる風光明媚な場所との事、更に西張出の南角に手植杉が有り浅野家の最終の藩は芸州広島藩ですが、最後の藩主浅野長勲(ナガコト)の手植杉と碑と一緒に在ります、他各界各氏の手植杉も有ります当時の海軍大将加藤友三郎後の総理大臣等。
中心部は広場に成って居り見学時は子供達が遊んでいました、東側には一宮市浅野老人いこいの家、その南は寧々晩年の京都高台寺からの寄贈でシロヤブツバキ、ホンキリシマツツジが植わって居ます。
城びと登録の濃尾平野には戦国武将の館、屋敷、城が多くありますが車で回れて、一に駐車場の心配があり未だに回り切れていません、そんな中数年前から城郭放浪記さん城郭案内写真館を眺めて居り、浅野城浅野長政屋敷がヒットして駐車場も有り、平城、高速道ICからも近いと、此処を拠点に濃尾平野の城々を廻ろうかと温めていた城跡でした。
情報は城郭放浪記さんグーグルマップに依ります。
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